■なぜ予言を信じてしまうのか
人間というものは信じやすい動物である。人から言われたことを、そのまま信じてしまうことがある。
典型的なのは健康法である。誰かから、「この健康法がいいよ」と言われると、なぜそうなのかを確かめないまま信じ、その健康法を実践したりする。
日本には、「言霊(ことだま)」という考え方があり、言葉それ自体に力があると考えられているが、言われたことをそのまま信じてしまう傾向があるのも、それが関係するかもしれない。
まして、そこに証拠が示されれば、それを強く信じるようになる。今回、たつき諒(りょう)という女性の漫画家が描いた『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)を通して広がった予言などは、その典型である。「本当の大災難は2025年7月に」(本書の帯の文章)起こるというのだ。
著者は夢で、2025年7月に、日本列島の南に位置するフィリピンとの中間あたりで水が盛り上がり、それによって太平洋周辺の国に大津波が押し寄せるという光景を見た。津波は、東日本大震災の3倍はあり、その衝撃で、香港から台湾、そしてフィリピンまでが地続きになるというのである。
著者は、7月5日と日付を特定しているわけではない。ただ、その夢の一つを2021年7月5日の午前4時18分に見ているため、一般にその大災難は7月5日のその時刻に起こると信じられるようになったのである。
■日本への観光客が激減するほどの騒ぎ
ただ、そんなことを漫画に描いただけでは、誰も信じたりはしない。
ところが、著者は1999年7月に刊行した『私が見た未来』のオリジナル版(朝日ソノラマ刊)で、その表紙に「大災害は2011年3月」と描いている。そこから、東日本大震災を予言したと見なされ、2025年7月5日に大津波が起こるという予言も信憑(しんぴょう)性を持つことになった。現在、書店で売られている『私が見た未来 完全版』は、2021年に飛鳥新社から刊行されたものである。
完全版は電子書籍をあわせて100万部の大ベストセラーになったという。しかも、その中国語版を香港のインフルエンサーが紹介したことから、この話が広く伝わり、日本への観光客が激減したとまで言われている。現実に大きな騒ぎになっているのである。
ただ、これは『私が見た未来』を読んだ読者が共通して感じることであろうが、先ず何より、果たして著者は東日本大震災を予言したと言えるのかどうかには疑問符がつく。
■7月の「5日」とは限定されていない
『私が見た未来』には、著者が津波の夢を見る場面が描かれている。ただ、主人公は半袖のTシャツを着ていて、その夢を見たのは1996年夏のこととされる。
ではなぜ、それが2011年3月の予言になるのか。著者は、その年号を『私が見た未来』の単行本の締め切りの日に夢で見たとしている。
著者には、夢を見た日の何年後かに、それが現実になるという考え方がある。夢を見た日付を覚えているのは、夢日記をつけているからで、本には日記の写真も掲載されている。
著者は7月とはしているものの、5日と限定しているわけではないので、7月中に大津波が起これば、予言は的中したことになる。その点では、7月5日が格別重要だというわけではないが、世の中では、もっぱら7月5日がその日とされていた。そして大災難は起きなかった。
■『ノストラダムスの大予言』とオイル・ショックの関係
これまでの人類の歴史の中で、予言ということはくり返し行われてきた。
旧約聖書には多くの「預言者」が登場する。日本のキリスト教会では、神の言葉を与かる預言者と、未来を予測する予言者は違うものだということを強調する。ところが、英語では、どちらも「プロフェット」で違いはない。旧約聖書には予言者だらけなのである。
比較的最近、多くの人が信じた予言が、フランスの占星術師、ノストラダムスによる予言である。ノストラダムスは、その著書の中に抽象的な予言詩を数多く載せているが、もっとも話題になったのが、1999年の7の月に世界が滅びるという予言だった。
ただ、ノストラダムス自身は、「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」と書いているだけで、世界が滅びるとは言っていない。これを世界が滅亡する予言として解釈したのが、五島勉(ごとうべん)の『ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日』だった。そうした解釈は、五島の著作以前からあった。
この予言が信じられたのは、『ノストラダムスの大予言』の刊行日が1973年11月25日だったからである。中東の産油国が原油価格を70%も引き上げ、第一次オイル・ショックが起こったのが、その前月10月のことだった。
■予言を信じたちびまる子ちゃん
もう50年以上前のことになるので、当時の雰囲気を覚えている人も少ないかもしれない。石油とは必ずしも関係しないトイレット・ペーパーがスーパーの棚から消え、それがテレビで報道されることで、騒然とした社会状況が生まれた。
それまで原油価格は低く抑えられ、それが日本を含めた先進国の経済成長を可能にした。だからこそ、原油が高騰したことで、深刻な危機が到来したと思われた。実際、第一次オイル・ショック以降、日本経済は低成長の時代に入る。
当時の私の記憶として、NHKのテレビ番組までが、石油が来なくなることでいかに日本に深刻な影響を与えるかをかなり扇情的なトーンで扱っていた。
そうしたことが子どもたちにどれだけ大きな影響を与えたかは、ちびまる子ちゃんの第69話「まる子ノストラダムスの予言を気にする」の巻を見ればわかる。
1999年7月に世界が滅びるということを聞いたまる子は、自分は34歳で死ぬのだから、勉強しても無駄だと考え、ハマジにつられて明日のテストの準備もしないで遊んでいる。
ところが、お姉ちゃんから、もしも何もなかったらどうなるの、バカなまま生きるのと言われて、目が醒(さ)め、テストの勉強をする。なんとか65点をとることができたが、ハマジは0点だった。そういう話である。
■社会不安が予言を広げてゆく
作者のさくらももこは1965年の生まれで、73年には8歳だった。それより上の世代は、世界が滅びるなどという予言を真に受けなかったが、小学校世代にはかなり強い影響を与えた。やがて、オウム真理教に入信していくのはその世代である。オウムの信者たちは99年に世界が滅びると信じ、その4年前の95年に自分たちで世界の終わり、ハルマゲンドンを招き寄せようとしたのだった。
『ノストラダムスの大予言』が、第一次オイル・ショックの1973年ではなく、もっと別の時期に刊行されていたら、さほど大きな影響を与えなかったであろう。社会不安が高まっていた時代であったからこそ、子どもたちはそれに強く影響された。
今も、社会不安は広がっている。ロシアのウクライナ侵攻以降、世界は戦争の時代にむかっているように見える。トランプ大統領の再選の影響もある。多くの人たちが不安を感じており、だからこそ、『私が見た未来』の予言が一定の信憑性をもってくるのである。
■認知的不協和を解消しようとする予言者
だが、予言というものは当たらない。1999年の7の月に、恐怖の大王は降ってこなかった。その時代、『ノストラダムスの大予言』の著者は存命で、一旦は読者に謝罪している。ところが、2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起こると、2年ずれたが、それをもって予言が成就したと主張するようになった。
五島勉やたつき諒は宗教家というわけではないが、宗教教団の中には、終末予言を行い、それで信者を集めることが少なくない。
予言が外れたとき、宗教教団がどういった行動に出るかについては、レオン・フェスティンガーらによる古典的な研究『予言がはずれるとき』(新装版は勁草書房)がある。
そこでは、「認知的不協和の理論」で説明がなされている。予言をしたにもかかわらず、それが外れたという矛盾した状況に直面したとき、宗教教団は、なんとかその矛盾を解消しようとする。たとえば、自分たちが熱心に祈ったから世の終わりを回避できたのだと主張するようになったりする。それで認知的不協和の状態を解消しようとするのだ。
■予言を的中させた宗教家・日蓮
果たして、2025年7月が過ぎたとき、再びこの理論の有効性が証明されることになるのだろうか。終末予言の研究としては興味深いところである。
ただ、中には予言を的中させた宗教家もいる。その代表が鎌倉時代の日蓮である。
日蓮は、「法華経」でこそ正しい仏法が説かれているとし、そこから逸脱した法然の唱えた念仏宗を激しく批判した。そうした信仰がはびこっていると、「薬師経」に予言された七つの難が起こるとし、すでにそのうちの五つは起こっていると説いた。残りは、海外の勢力が攻めてくる難(他国侵逼難)と、日本の国の中で反乱が起こる難(自国叛逆難)である。
そう主張したとき、おそらく日蓮の念頭には蒙古(もうこ)のことはなかったと思われるが、「蒙古襲来」によって、日蓮の予言は的中した。しかも、佐渡への流罪を許されて戻ってきたとき、幕府の役人からいつ再び蒙古が攻めてくるのかと問われて、今年中と答え、それも的中させている。
■予言者が背負うリスクとは
日蓮は、仏典に書かれていることはすべて真実だと考えていたので、蒙古襲来の予言が的中したのも当然と思っていたことだろうが、彼の進言を幕府が取り入れることはなかった。そして、佐渡から帰還してからは、鎌倉から遠い甲斐国(今の山梨県)の身延(みのぶ)の山中に実質的に幽閉されてしまったのである。
予言者は、予言が外れるリスクを負わなければならない。よしんば予言が的中しても、かえってそれゆえに怖れられ、世の中には受け入れられないのだ。
注目され、また心配されるのは、7月が過ぎてからの『私が見た未来』の作者のふるまいである。果たして、五島と同じように一旦は謝罪するものの、しばらくしてから何かの出来事をもって予言が成就したと主張するようになるのだろうか。
今のネット社会は急に牙(きば)をむくことがある。作者は今ごろ、その牙が自分に向く新たな未来の夢を見ているのかもしれない。
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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳)