最大6時間待ちという大阪・関西万博でも屈指の人気パビリオン、イタリア館。美術教師であり現在イタリアで暮らすヴィズマーラ恵子さんは「今回のイタリア館はミケランジェロのキリスト像や古代のアトラス像など国宝級のものを次々に出品。
気合いの入れ方がちがう」という――。
■気合いがちがうイタリア館、6時間待ちの日も
――万博のイタリア館がすごいことになっています。編集部員が6月の雨の日に行ったときは2時間待ちでしたが、最大6時間待ちの行列になった日もあったとか。何がここまで多くの人に「入りたい」と思わせているのでしょう?
【ヴィズマーラ恵子、以下ヴィズマーラ】イタリア館、すごい人気だそうですね。前回のドバイ万博(2020年のドバイ国際博覧会)のとき、イタリアはミケランジェロのダビデ像を出しましたが、それはレプリカでした。今回は「L’Arte Rigenera la Vita(芸術が生命を再生する)」というテーマで、「本物」の芸術作品にこだわり、いわば国宝級のを惜しみなく出してきているところに本気度を感じます。
今回、イタリア各都市から大阪へ、1万kmもの距離を運んで貴重な絵や彫刻を出せたのは、美術品を運搬する人や展示する人、日本のプロフェッショナルなスタッフや技術があってこそ。これまでの美術館などでの展示の実績から、「日本だから」という特別な信頼があるわけです。それに呼応して「イタリアから貴重な実物がやってきたから見たい」という人が詰めかけているということでしょうね。
■1900年前のローマ彫刻なのに、かっこよすぎる
①「ファルネーゼ・アトラス」
――開幕当初に訪れた人たちがSNSなどで「イタリア館ガチですごい」と発信し、口コミでも評判が広がりました。でも、実際の館内に入っても、一つひとつの美術品に日本語の解説が大きく展示されていないので、下手すると作品名・作者名すら分からないんです。「ビジターエクスペリエンス」というメインの展示スペースでは、まず目に飛び込んで来るのが中央にどーんと置かれた「ファルネーゼ・アトラス」。
すごい重量感でした。
【ヴィズマーラ】重さが2トンありますからね。西暦150年ごろ、ローマ時代の彫刻で、所蔵するナポリの国立考古学博物館では何度も見ましたが、日本で展示されたのは初めて。こんな大きいものがよく出品されたなと驚きました。解説すると、まず「ファルネーゼ」というのは彫刻家ではなく、コレクターの名前です。アレッサンドロ・ファルネーゼという16世紀の枢機卿で芸術家のパトロン。そのファルネーゼ枢機卿が集めたギリシャ・ローマ彫刻のひとつが、この巨人アトラスなんです。
――アトラスというと漫画『聖闘士星矢』にも出てくるので、ギリシャ神話の神ですよね。ゼウスとの戦いに敗れ、世界の西の果てで天空を背負うことを科されたと……。
【ヴィズマーラ】そうです。だから、大きな天球を背負っているわけですね。天球に浮き彫りにされた星座の中に「カエサルの彗星」があり、独裁官カエサルが暗殺された年(紀元前44年)に現われた彗星なので、制作年代はそれ以降。
ギリシャ彫刻のローマンコピーであるとわかったそうです。コピーといっても、この造形のものは世界にひとつしかなく、天球は世界最古のもの。だから、考古学的にとても貴重なだけでなく、天文学的にも大きい意義があるんです。2世紀に見えていた星座の位置がかなり正確に配置されていますから。
■実は顔や手足は16世紀に想像で付け足した
――2世紀というと日本は弥生時代で、国宝になっているのは銅鐸ぐらいしかなく……(埴輪は3世紀から)。改めて当時の西洋との差を感じます。
【ヴィズマーラ】その時代に既にルネッサンスと変わらないようなリアルな彫像を作れていたわけですからね。ただ、このアトラス、一説にはローマのカラカラ浴場で発見されたそうですが、16世紀に発掘されたときは顔や手足は欠けていたんです。ほぼトルソー状態。そこから古代の史料などに基づき、苦悶する顔や天球を支える手、右膝をついてふんばる足やマントの大部分が付け足され、今の形になりました。
――それは知りませんでした。つまり、アトラスの顔は、1400年後に想像で作ったものなんですね。
どうりで表情がとてもリアルです。
【ヴィズマーラ】「アトラスといえばこういう顔だ」という史料がたくさんあるので、そう的外れな再現ではないと思いますよ。私が面白いと思ったのは天球を支えている首で、ちゃんとアトラスという名前の頸椎のところに球が当たっていることです。
■秀吉の時代に長崎からイタリアへ渡った少年
②ティントレット「伊東祐益マンショ」
――ティントレットによる伊東マンショ(1569?~1612)の肖像画も貴重なものですよね。あのヴェネツィア派の巨匠ティントレット(1518~1594)が安土桃山時代、天正遣欧少年使節団に対面して彼らを描いていたのか! という驚きがありました。1585年、長崎から出発した使節団がイタリアに到達し、ローマで教皇に対面した後にヴェネツィアへ。そのとき、ヴェネツィア元老院の依頼でティントレットが描いたと……。ただ、仕上げたのは子のドミニコ・ティントレット(1560~1635)なんですね。
【ヴィズマーラ】そうですね。ドミニコはお父さんのヤコポほど有名ではありませんが、それでも十分、貴重な作品だと思います。そもそも油絵は現在のベルギーなど北方から始まったものなの。それが海洋国家のヴェネツィアに伝わり、水上都市で湿気が多いので、もともとフレスコ画には向いておらず、油絵を積極的に採り入れました。
そういった油絵の美しい色やリアルな肖像画としての描写を見てほしいですね。ただ、ティントレットはそれまで東洋人を描いたことはなかったでしょうし、顔はちょっと西洋人っぽいですが、鼻筋とか(笑)。
■絵の裏側にも文字がある
――2014年にこの絵の存在が初めて発表されて、2016年に日本で世界初の展示。大発見だと話題になりました。しかし、イタリア館ではせっかくガラスケースに入れ両面とも見えるように展示しているのに、キャンバスの裏側を見る人はほとんどいません。裏側の文字は、表面にあったメモ書きのような文字を背景の色で塗りつぶす前に写したもので「ドン・マンショは日向(現在の宮崎)国王の孫/甥で、豊後(現在の大分)国王フランチェスコより教皇陛下への大使、1585年」と書いてあるそうです。
【ヴィズマーラ】この絵を所蔵するミラノの財団は、今回の万博のためにかなり気合いを入れて、より美しく本来の姿が蘇るよう丁寧に修復してから、大阪へ送っています。そういったことにかけては、イタリアも日本に負けないぐらい職人気質ですから。
■日本とイタリアの架け橋として選ばれた
――伊東マンショはこの絵が最初に描かれてから5年後に日本へ無事戻り、時の為政者・豊臣秀吉に歓迎されるものの、その後すぐ「バテレン追放令」が出て、キリスト教徒として弾圧される中で亡くなっているので、たいへんな激動の人生だったんだなと思います。
【ヴィズマーラ】イタリアに着いたときはまだ14歳か15歳。若くして日本と西洋の文化的な架け橋になり、宗教的にも先駆けとなった人ですよね。だから今回の万博を通して再び日本に凱旋帰国させてあげようというイタリアの粋なはからいだと思います。

■なぜミケランジェロは途中で制作をやめたのか
③ミケランジェロ・ブオナローティ「復活のキリスト」
――そして5月に「ダメ押しだ、どうだ」とばかりに追加された展示「復活のキリスト」。バチカンの「ピエタ」や「最後の審判」で有名なミケランジェロの作品ということで、そんなものが日本で見られるんだというプレミア感が高まりました。ただ、これもミケランジェロが最後まで仕上げたものではないんですね。
【ヴィズマーラ】ミケランジェロが手がけたものだと証明されるまでの経緯が、ミステリー小説のように面白かったんです。これはいわば失敗作で、ミケランジェロが最後まで完成させたバージョンは「ミネルヴァのキリスト」(1521年作)といって、ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にあります。過去にコンクラーベ(教皇選挙)が行われたこともあるぐらい、由緒正しい教会です。
ところが、それに似たこの作品が遠く離れたラツィオ州バッサーノ・ロマーノにあるサン・ヴィンチェンツォ・マルティーレ教会で見つかり、最初は「ミケランジェロが作ったものではないだろう」という見方もあったんですが、当時のミケランジェロの日記から、1514年にローマの貴族がミケランジェロにキリスト像を依頼し、取りかかったものの途中でやめてしまい、後年、他の彫刻家(一説にはベルニーニ)が仕上げたということがわかりました。
■ミケランジェロの「彫刻家」というプライド
――キリストの顔の左側に黒い線が出てしまったということですよね。所蔵する教会では、この血管の浮き出しのような線こそがキリストの受難を表わし、価値あるものだとしています。
【ヴィズマーラ】ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画もいやいや描いていたというぐらい、画家というより「自分は彫刻家だ」ということにすごくプライドを持っていた人で、石にはうるさい(笑)。大理石は彫ってみないと中身はわかりませんから、顔のところに黒い模様が出てきた時点で、制作を放棄してしまったんですね。
この作品では、S字を描くキリストの体のラインや、典型的な「コントラポスト」といえるポーズにも注目してもらえたらと思います。
「コントラポスト」とは古代ギリシャの彫刻家が提唱した片足に重心をかけるポーズ。しかし、完成作「ミネルヴァのキリスト」では手と足のポーズがより大胆な、動きのあるものにバージョンアップされています。
■丸出しでいいのか、やっぱり気になる部分
――完成作「ミネルヴァのキリスト」では、局部が不自然な感じに布で覆われていますよね。ローマの由緒正しい教会では、丸出しだとまずかったんでしょうか?
【ヴィズマーラ】そうです。ルネサンス期の教会は裸体像に対して「わいせつだ、けしからん」と批判的で、裸の多いミケランジェロの作品はそういった「イチジクの葉運動」(イチジクの葉で局部を隠す)のターゲットになりました。システィーナ礼拝堂の天井画、祭壇の壁画にもこういった布などを描き足し、局部を隠していました。
後編に続く〉

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ヴィズマーラ 恵子(ヴィズマーラ・けいこ)

翻訳者・コラムニスト

通訳、翻訳、コーディネータガイド。イタリア・ミラノ郊外にて抹茶ストアと日本茶舗を経営する。福岡県出身。中学校の美術科教師を経て2000年に渡伊、フィレンツェ留学後ミラノに移住。在イタリア邦人の目線で現地から生の声を綴る。WEB連載に『イタリア事情斜め読み』。

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(翻訳者・コラムニスト ヴィズマーラ 恵子 取材・文=小田慶子)
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