若者が新卒3年で辞めるどころか、入社早々に退職代行でいなくなる世の中になった。作家・荒俣宏さんは「僕も就職した水産会社を配属3日で辞めようと思ったけれど、4日も頑張ってみたら仕事のおもしろさを発見して結果10年勤務することになった。
辞めたければ辞めればいいが、『来たバスには乗ってみろ』は至言だ」という――。(第2回/全3回)
※本稿は、荒俣宏『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「自由」の代償としての孤独
ときどき、「荒俣さんは好きな研究をしているから、自由で楽しそうでうらやましい」といわれることがある。
でも、うらやましがられることなど何もない。幼稚園のときから「変人」だの「アマノジャク」だのとからかわれ、いじめられたから、孤立していた。家で飼っているヤドカリやコオロギだけが友達だった。
ただし、わたしは好きなことだけしているわけでもなかった。正直にいえば、どんな仕事もやってみるとおもしろくなるのだ。
■3日で辞めるつもりが10年勤務
大学卒業後、就職は魚類に興味があったから水産会社に勤めたのだが、配属されたのは漁船に資材を詰めこむ部署で、その後は思いもよらぬコンピュータ室だった。
3日で辞めようと思ったが、4日も頑張ってみたら、デジタル機器のおもしろさを発見して10年近く勤務した。
そこで知ったのは、「来たバスには乗ってみろ」という至言だった。やれば、何でもおもしろくなるのだ。

■中学3年で平井呈一氏に師事
好奇心に駆られて、さまざまな分野に出入りしているうちに、背伸びする性格になった。たとえば、本を読んで感動すると、著者の先生に手紙を書いて、いろいろ質問するのが大好きだった。
むかしは著者の住所までが本の奥付に出ていたから、どんどん手紙を書いた。
最初は小学6年生のときで、水産技官の新井邦夫先生という方に、当時珍しかったランチュウという高級金魚の飼い方をたずねたところ、親切な返事がもらえた。
それ以来、世に権威と呼ばれる人々にごく気軽に手紙を出す習慣がついた。中学3年では、小泉八雲の翻訳者として名高い平井呈一先生のお弟子にしてもらえた。
■「師匠探し」で人生が一気に広がる
社会人になってからも、妖怪マンガ家の水木しげる先生や、情報知識の機械化を早くから提唱された評論家の紀田順一郎先生にも教えを受けた。
思えば、この「師匠探し」のエネルギーだけが自分の取り柄であって、あとは、タダの気弱ないじめられっ子にすぎなかったのだ。仕事が遊びにもなっていた。なんてお気楽な! といわれるかもしれないが。
じつは、このように好きなことにのめりこむ生活は、案外にむずかしいし、覚悟も必要だった。
まずモテないし、学校の教科書は退屈で身が入らないうえに、昆虫採集やらマンガの捜索やら、お化けの研究といった怪しげなことに熱中していたので、教師からの評価はものすごく低かった。

■「好き」とは一線を超えること
今振り返ると、日本ではまだ専門の学者が生まれてもいない特殊文化ばかりだったから、好きなことを進めるには長い時間とコストがかかった。本を買うにしても、話を聞くにしても、その資料検索や現地検索が困難で、コスト・パフォーマンスが悪かった。
そこで気づいたのは、「好き」とは一線を超えることだ、という事実だった。
恋愛でもそうだが、一線を超えると、平穏で退屈な毎日が一気に様変わりし、喜びも悩みも格段に大きくなる。つまり、平穏な日常が消滅する。
たとえばゲームを好きになったら、昼も夜もなくなるし、場合によると日々の食事や休息もおろそかになるように。
まあ、プランクトン研究やら芋虫の変態の神秘やら、興味深いが日常生活においては毒にも薬にもならない探究に魅せられると、いつのまにか読書と、その道の先達との狭い、面倒なお付き合いだけの、あまり歓迎されない社会人と化すほかはないのだ。
■「世間様から笑われる」
このような場合、好きになった分野が運悪く日常生活に害もなく益もないと、まわりから「変人」と思われることになる。
この趣味がやっと世間に認められるには、苦節30年あまりを必要とする。それでやっと「変な物知り」として認知されてはじめて、それまでの無茶苦茶な暮らし方も親不孝も大目に見てもらえるようになる。
我が家では、わたしが会社勤めを辞めて物書きを生業(なりわい)にすると決めたとき、母は「世間様から笑われる」といって悲しんだ。
作家なぞという仕事は、ふつうの人たちにとって当時は「失業」と同義だったので、テレビのUFO番組に出演したりすると、「いつまで宇宙に行ってるのかい」と叱られた。

■一生とは「自分の物語」をつくっていくこと
そういうハンデを乗り越えるにはそれなりの覚悟がいる。けれども、こういう困難はかならず、あとで自分の宝となるし、自分の「物語」の一部となって記憶される。
人生なんて、結局は自分の物語を一生かけてつくっていくようなものだ。なぜなら、その物語があとでみんなに記憶される「あなた」になるからだ。
だから、何をやるにしても、ぜんぶが「自分」というジグソーパズルのワン・ピースになる。
みなさんにも覚えがあるかもしれない。何かに熱中するために何かを捨てたとしても、それは捨てたんじゃなくて、自分の物語の空白を埋めていくための、「あいだのショート・ストーリー」となるのだ。
■「アラマタ流」はすすめられないが…
わたしは、自分のことをさて置いて、大人になってからは学生にこういう暮らし方をすすめたことはなかった。
学校ではよく「趣味は読書」と誇る生徒がいるが、ベストセラーや学校推奨の名作ぐらいでやめときなさいと、忠告した。それぐらい、好きな道に専心することはやめられない喜びがあったし、そのために何かをあきらめることも平気だった。
わたしが中学生時代、学校で唯一親しい友となった同級生がいたが、かれは子どもながら拳銃とハードボイルド小説のマニアで、『マンハント』という専門雑誌のコレクターだった。
ふとしたことで仲良くなり、かれの家で拳銃模型や拳銃発明の歴史や、アメリカ開拓時代の詳しい話を聞かせてもらうようになった。
それが楽しみだったし、尊敬できた。
■「好き」を突き詰めることの光と影
でも、かれは学校では変人扱いされていた。
ほんとうに孤高の趣味人とするべき勇敢な子だったが、やがて退学になった。今も同窓会のときに、その子のことを数人で懐かしく思い、その後どうなったかを気に掛ける。こういう思い出が「物語」となっていく。
若すぎたために大家になりそこなった旧友は何人もいる。みんな、1つのことが好きになりすぎた結果であった。
■令和時代の子どもはオドロキ
そういう学校生活を送ったわたしには、令和の時代の子どもたちがむしろ驚きの対象に見えてくる。
なぜって、パソコンが普及し、どんなデータベースにも自由にアクセスできるようになり、情報も拡散できるという、信じられない世界になったからだ。
このような「驚くべき新世界」では、子どもでも大人でもすぐに「その道の大家」になれるし、社会も両親も応援してくれる。オタクとも博士ちゃんとも呼ばれて、注目される。
ところがいっぽうで、ほんとうに社会から忘れ去られたり、消されたりする子もたくさん出てきている。
いやいや、わたしたちはその子の物語を消す役割さえしてしまう。
■AIとは何者か
ここぞとばかりにパソコン教育や特殊分野の紹介がブームとなり、ついに生成AIという、まだ正体のよくわからない人工知能までが自由に使えるようになった。
たとえば医学や将棋などの異業種で、人間よりも機械をパートナーにして業績をあげることが可能になった。
いや、AIを稽古相手にして天下を取るような中学生の天才棋士まで登場することになった。こうした新世界でどう生きて、何を学ぶかについて、わたしの体験を通してだけれども、あなたにヒントを与えたいと思う。
今や「シンギュラリティー」、すなわちAIが人間よりも賢くなる時期と予測される2030年が近づいたと大騒ぎする風潮があるが、わたしは心配していない。人間の叡智(えいち)はまだデジタル化されない分野がいくらだってある。
■「バカ」になることの叡智とメリット
AIといっても、機械が人間と同等の情報を扱えるようになったのは、ここ30年ほどにすぎない。しかし日本人の文化生活は縄文時代から数えると優に1万年を超えるし、だいいち文字もなかった時代にさえ高い文化があった。
こういうデジタル化できない人間内の心理的活動の蓄積は、やっとデータがすこし取れる段階に来た程度であり、ましてやセンスや感覚や観念といったものは情報を数値化する手段もわかっていない。データにできないデータが残されているのだ。
それに、「バカになること」のメリットや叡智は、まだ人間の独占物なのだ。
バカで勝負するという方法もあることをお知らせしたいと思い、わたしは今回『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』を書いた。
少し前には「老人力」というのもあった。これなど、老いることのないAIには理解不能かもしれない。

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荒俣 宏(あらまた・ひろし)

博物学者、小説家

1947年東京都生まれ。博物学者、小説家、翻訳家、妖怪研究家、タレント。慶應義塾大学法学部卒業。大学卒業後は日魯漁業に入社し、コンピュータ・プログラマーとして働きながら、団精二のペンネームで英米の怪奇幻想文学の翻訳・評論活動を始める。80年代に入り『月刊小説王』(角川書店、現KADOKAWA)で連載した、持てるオカルトの叡智を結集した初の小説『帝都物語』が350万部を超え、映画化もされる大ベストセラーとなった。『世界大博物図鑑』(平凡社)、『荒俣宏コレクション』(集英社)など博物学、図像学関係の作品を含め、著書、共著、訳書多数。

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(博物学者、小説家 荒俣 宏)
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