■タイの生活を締めくくる「500キロの巡礼」
私は、7年ぶりにヨーロッパに帰ることにした。イングランド南部に、森林派の僧院があるという噂を聞いていた。そこには、とても賢い導師がいるという。そして、尼僧も!
私は昔からイギリスびいきだったので、イギリスの僧院で生活するのは自然な選択のように思えた。スウェーデンに住む家族と物理的な距離が近くなるのも、当然ながら悪くない。
隠者としての1年間の生活を終えた私は、ヨーロッパに戻る前に最後の巡礼をすることにした。
それはタイでの滞在を締めくくるための、有意義で思い出深い旅になると思えた。今までのすべてに感謝し、導師や仲間に別れの言葉を告げるため、長年生活したあの僧院まで、500キロ近くの道のりを歩いて帰る。
■声をかけてくるドライバーとのやりとり
とはいえ、この歩き旅は簡単なものではなかった。一切の所有物を背負って、500キロを歩く。
おそらくあなたが頭に思い浮かべているのとは違い、私は緑豊かな森や美しいジャングルを歩いたわけではない。現在では、タイでも森の多くが伐採されて開発されている。目にする光景もとても似通っていて、方角がわかりにくい。
だから道中のほとんどを、道路沿いに歩いた。歩いていると、よく車が私の隣で止まり、ドライバーとこんなやりとりをした。
■ペプシを体に流し込みながら歩き続けた
「凄いですね。あなたは古き良き時代を生きているようです。何か手伝えることはありますか? どこかまで送りましょうか?」
「いいえ、結構です。目的地まですべて歩いていくと決めているので」
「お金は要りますか?」
「いいえ、私は森林派の僧侶です。
「でも、何かできることはありませんか? 食べ物は?」
「いいえ、結構です。ご存知かもしれませんが、森林派の僧侶は、1日1食です。そして、私はもう今日の食事を終えています」
「本当に、何かできることはないのですか?」
「ええと……じゃあ、ペプシでも頂けますか?」
こんなやりとりが、毎日何回もあった。だから私は、ペプシを8缶も10缶も体に流し込みながら、延々と歩き続けた――これは仏陀が説いた聖なる生き方なのだろうかと、少しばかり疑問を抱きながら。
■「僧侶になって何年?」「何人きょうだい?」と尋ねられた理由
歩き始めて数日後、激しい雨に見舞われた。道路沿いの小さな食料品店に避難し、土間に置いてあった炭酸飲料用の木箱の上に腰を下ろした。
店内にいた人たちは私を見てざわめいていた。その地域では、西洋人の森林派の僧侶を見るのは珍しいことだったのだろう。
彼らは次々と質問を投げかけてきた。
「僧侶になってどのくらいなのですか?」
「もう7年になります」
「なるほど。学校では何年間勉強しましたか?」
「たぶん、全部で16年だと思います」
「きょうだいは何人いますか?」
「3人います」
しばらくすると、彼らの質問にパターンがあることに気づいた。1つは、私の答えがすべて紙に書き留められていたこと。
何かがおかしい。そして気がついた。
次の宝くじが行われるのは明日だ!
タイ人は、瞑想をしている森林派の僧侶や尼僧には超自然的な力があると信じている。彼らは、私が答えた数字をヒントにしてくじを買おうとしていたのだ。
■畏敬の念と私利私欲が組み合わさった老人
雨は30分後に止んだ。私は再び歩き始めた。しばらくすると、白い服を着た品の良い老人に出会った。
タイ人は、私たち僧侶に大きな尊敬の念を持って挨拶してくる。私はいつまで経ってもそれに慣れることができなかった。特に、年配の人に丁重に挨拶されると落ち着かない気持ちになった。
この日もそうだった。
「尊敬すべき立派な森林派の僧侶にお会いできて光栄です。ところで最近、あなたは何か面白い夢を見ましたでしょうか? その夢に、何か数字は現れませんでしたか?」
畏敬の念と私利私欲がなんと愉快に組み合わされていたことだろう!
■「乗せていくよ」と声をかけた若者が求めたもの
旅の後半で、バイクに乗ったハンサムな若者に出会った。彼は私を見つけるとバイクを止め、会話を始めた。
「すごいな! 西洋人の森林派のお坊さんだ! あなたみたいな人を初めて見たよ。行きたいところに連れて行ってあげるから、後ろに乗りなよ!」
「ありがとう。でもこれは修行のようなものなんだ。私はどんな乗り物にも乗らないと誓って、僧院に向かっている」
「そうなのか。でも、俺は最近、バカなことをやってしまったんだ。だから、あなたに良い行いをしてそれを取り消しにしたい。次の村まで乗っていってくれないか?」
「申し訳ないが、できないんだ。自分との約束を破ることになるから」
彼は私を見て言った。
「それは、ちょっとわがままじゃないか?」
私は微笑んだ。だが、彼は譲らなかった。
「頼むよ。じゃあ、100メートルだけどう? たったそれだけならいいだろう? お願いだ。100メートルだけバイクの後ろに乗ってよ」
「いや、すまない。自分との誓いは破れない」
若者はしばらく黙ってから、こう言った。
「だったら、せめて俺のためにガソリンを少し使ってもらえないか?」
「もちろん、それならいいとも!」
私はバイクに歩み寄り、アクセルを握って回転させると、そのまま1、2分エンジンをかけ続けた。
「ありがとう! じゃあね!」
若者は走り去った。これが、タイのストリート仏教だった。
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ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド
スウェーデンの講演家、瞑想教師、元僧侶
大学で経済を学び、エリートビジネスパーソンとして輝かしいキャリアを歩んでいたが、物質的な豊かさを重視する生き方に疑問を持ち、20代半ばで仕事を辞め、タイのジャングルで森林派の仏教僧侶としての生活を始める。「知恵の中で成長する者」という意味のナッティコという僧名を与えられ、17年間、タイやヨーロッパの僧院などで生活したのち、僧衣を脱ぎ、母国スウェーデンで生活を始める。社会復帰しようとするも、厳しい現実に直面し、うつ状態に陥るなど苦労を重ねるが、妻や家族の支えで次第に生きる道を見つけていく。
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(スウェーデンの講演家、瞑想教師、元僧侶 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド)