※本稿は、宮田純也『教育ビジネス 子育て世代から専門家まで楽しめる教育の教養』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■AIは人間に代わる存在になるか
生成AIは、人間による教育活動を代替する存在でしょうか。生成AIと教育の現在地を把握し、その関係性について考察します。
世界的に利用されているプログラミング言語「Scratch(スクラッチ)」の開発者でマサチューセッツ工科大学メディアラボ教授のミッチェル・レズニック氏は2024年に「生成AIと創造的な学び――懸念、機会、そして選択(Generative AI and Creative Learning:Concerns, Opportunities, and Choices)」という論文のなかで、生成AIの課題について以下のように主張しました。
・現在の多くのAIツールは「指導型」であり、学習者が目標を設定し主体的に学ぶ機会を奪っている。これにより、クリエイティブな思考や自己管理能力が育ちにくい。
・AIツールは、単一の正解を求める問題に焦点を当てがちで、よりオープンエンドなプロジェクト型学習が軽視されている。
・AIチューターは便利だが、教師が持つ共感力や人間関係の構築力に取って代わることはできない。
極めて本質的な課題を指摘しているのではないでしょうか。
教育は「教えて之を育む」という孟子の考え方で説明すれば、生成AIの活用は「教える」という活動を強化し、「育む」という面を弱めることになりかねません。ある意味ではかつてから続く知識注入偏重型になってしまい、バランスを欠いたものになってしまう懸念が生じます。
しかし、それと同時にレズニック氏は、生成AIをあくまで学びの補助ツールとして利用する場合には、新たな創造的な学びにとって大変有用であるとも述べています。
教師や保護者、政策立案者が明確な価値観とビジョンを持ち、十分に考え抜かれた意思決定をおこなう場合には、的確なツールとしての生成AIを教育活動の発展に活用できると言います。
■これからの時代の「人間」の役割とは
つまり、生成AIは、教育活動の発展に大きな可能性をもたらす一方で、従来の教育モデルのネガティブな側面を強化するリスクもあるとも言えるのです。
本質的に考えれば、AI技術の発展を人間中心の教育活動にどう活かすかが鍵であり、そのためには明確なビジョンにもとづいた慎重な選択と行動が求められるということになります。
このことからわかることは、生成AIの登場によって、私たち自身の役割や考えが明確に問われるようになったということかもしれません。SEL(※感性やそれを用いた社会スキルを育てる学習プロセス)の重要性が増しているのも時代の社会的希求と言えます。
本節に至るまでにさまざまな観点で教育の過去と現在、そして未来への示唆を説明してきましたが、その流れを踏まえると、AIが「教える」という役割を担う時代には、人間には「育てる」という役割が重要になってくるのではないでしょうか。
私たちがどれだけ深く「育てる」とはどういうことかを考えて実行できるのか、そして、その過程で生成AIなどのツールを活用して教育活動を発展させられるのか。それが、まさにいま、問われているのではないでしょうか。
■行動のない知識は真の知識ではない
生成AIが普及することで、学びにはどんな変化が起こるでしょうか。一言で言えば、「知行合一」がさらに意義を持ってくると考えられます。
知行合一とは、中国の明代の哲学者、王陽明によって提唱された思想で、「知」と「行」が不可分であることを意味します。「知」とは正しい道理や倫理を理解すること、「行」とはその知識を実際の行動に移すことを指します。
人間と生成AIの違いのひとつは、体験ができるかどうかです。生成AIはとてつもない量の情報を学習していますが、それを自分で体験しているわけではありません。
しかし、人間は文字情報にとらわれない空間に立体的に存在しています。人間はどこかに移動することや、何か実際の動きを起こすこと、実物を創り出すことができます。つまり、私たち人間はAIとは違って、直接体験したり、そこで感じたことを豊かに表現したり思考したりすることができるのです。
生成AIは私たち人間の頭脳の機能を置き換えて補強することができるため、教育現場での普及が予想されます。しかし、それと同時に、立体的な学び(自然や人間との触れ合い、フィールドワークなどの多様な体験、ICTを活用した協働学習など)の意義が高まり、従来の知識伝達から知識創造、あるいは価値創造をおこなう場として、授業観や学び観の再定義が進んでいく可能性があります。
■アイデンティティの重要性も高まっていく
また、この時代にはアイデンティティの重要性も高まっていきます。私たちは知識と技能を掛け合わせて活動し、その活動を省察することで知恵を獲得・蓄積します。この繰り返しによって自分自身の活動が広がり、それがアイデンティティや人生の形成になっていくのです。
アイデンティティ形成を考えるうえで重要なのが、「ナラティブ」という概念です。
ナラティブは、個人や集団が自己を理解し、アイデンティティを構築する重要な手段であり、社会的文脈や文化的規範に影響されながら形成されます。
ナラティブは、単なる事実の羅列ではなく、出来事や体験を時系列や因果関係で結びつけ、特定の視点(自分自身の主観など)や価値観を反映した物語として語られます。これにより、個人の経験は社会的な意味を持つものとなり、社会のなかで共有される価値観や規範を強化する役割を果たします。
つまり、ナラティブをつくることは、自分の人生を自ら解釈し、さまざまなことを意味づけ、ひとつの物語へと形づくっていくことなのです。過去を振り返り現在を見つめ、そして意志によって未来を描くことができます。このように人生を意味づけるのは人間、さらに言えば自分しかいないと言えます。生成AIではないのです。
「ナラティブ」を形成する能力は、「知行合一」の姿勢とも結びつき、人間ならではの力として重要性を増していくでしょう。
不確実な時代のなかで、問われるのは私たち自身です。
■なぜわれわれは人生形成に悩むのか
キャリアや人生形成に悩むというのは、この時代にはまっとうなことです。私たち人間はAIとは違って、直接体験することによって、感情を豊かに表現したり何かを考えたりすることができます。
社会や会社、組織など見えない大きな何かに動かされている受動的なスタイルから脱し、主体的にキャリアや人生を「創る」ことを学ぶのは、AI時代のキャリアと人生形成にとって大変重要なことです。
現在、社会で働いている人の多くは、経済についてもキャリアや人生の形成についても学んできませんでした。私たちの多くが小中高大学で受けてきた教育は「普通教育」と呼ばれるものですが、これは、私たちが社会に出ると直面する現実的な問題への対処を教えるものではありませんでした。
また、教育を受ける人たちが、将来どんな人になっていくのかまで見越したグランドデザインのようなものを持たずに実施されてきたものです。やや厳しい言い方をすれば、「いい学校に行っていい会社に入っていれば、何とかなるだろう」ということで、責任を先送りにしていたのです。
それにもかかわらず、いまや社会に出ると突然「自立」「創造性「能動性」「主体性」が求められるようになります。この移行にとまどった方も多いのではないでしょうか。
何とか社会の波にのみ込まれないように(のみ込まれてもなんとかやっていけるように)頑張っていくことが大人としての通過儀礼のようになっています。
■「よい学校」「よい会社」では学べないこと
以前はそれでもよかったのです。それは学校の責任だけではなく、社会の仕組みがそうだったからです。「普通教育」で経済的な自立に役立つ実践的なことを学ばなかったのは社会的なシステムに起因するものだったと言えます。
かつて「ベルトコンベヤー」に乗っていれば「一億総中流」の時代がありました。「よい学校」に入ると「よい会社」に移行できると言ったように、ベルトコンベヤーに乗る資格を得ることがメリットになる「ベルトコンベヤー型の人生」でした。
そのため、社会で生きる力や仕事における創造性の発揮、オリジナルなキャリアの形成について私たちが体系的に学ぶ・経験する機会はほとんどなかったのです。
これまで、AIの時代に適応するという観点から、これからのキャリアや人生形成に必要な概念などについて記述してきました。
それを補完するために最後に重要な考え方をご紹介します。
■キャリアの8割は“偶然”によってつくられる
スタンフォード大学名誉教授のクランボルツ氏が提唱した「計画的偶発性理論」です。この理論によればキャリアの8割が偶然によってつくられると言います。
私たちの周りを見渡せば、さまざまな人との意図しない関わりにあふれています。また、その関わりによる何気ない会話から、新しい気づきや学び、発想が生まれることもあるのでしょう。
仕事をしていると思いもしない出来事が降りかかり、新たな経験をすることもあると思います。このような出来事の発端は、主として人に起因するものでしょう。
個と個のあいだで起こる創発によって、人生・キャリアのストーリーが紡がれていくのです。
ここで注意が必要なのは、ただの偶発性ではなく、計画された偶発性でなければいけないということです。来るべき偶然のために、日々準備をおこなう必要があるのです。
その準備とは、主体的に目標を描き、こうありたいという自らの理想像を漠然ながらも持ち、その実現に向けて日々学びなどの努力を続けることです。
計画的偶発性理論では「好奇心」「粘り強さ」「柔軟性」「楽観性」「リスク受容」という5つの姿勢が重視されます。
■不完全だからこそ、未来に希望が持てる
AIは指示されることなしに何かを創ることはできませんし、スタンダードなものをつくることに強みがあります。
それに対して、人間は予想できない何かを起こしていくことによって自分で自分を育て、非連続的にキャリアや人生を形成していくことが大切なのではないでしょうか。
これからは「人の時代」、つまり、私たち一人ひとりが主役の時代です。人間は不完全だからこそ教育という営みが必要であり、しかし不完全だからこそどうなるかがわからず、未来に希望を持てるのではないでしょうか。
サッカーなどスポーツは人間が不完全だからこそ、大番狂わせが起こり面白いのです。強さが可視化されてその通りの順位になったら面白みも希望もありません。思ったようにならないから面白いのです。
■テクノロジーが変化しても変わらないこと
創造力は、想像力と言い換えることもできます。想像力とは、イメージを描く力であり、経験に価値を見出し、現実の事象を理解するための支えとなるものです。学びの過程ではその理解を補完する役割も担います。
よりよい想像力を得るためには何が必要でしょうか。それは、自分に対する理解と共感力です。共感力はコミュニケーション力とも言える側面があります。
実はコミュニケーションというのは、自分自身との対話力(内省)がなければ、高まらないのです。この内省力がなければ、本質的に他者を理解することができず、想像力の欠如が起こってしまいます。
AI時代というこれからの社会では、さまざまなことを体験し、それを振り返り、今後どこかで役に立てられるように知恵にしていくこと、そしてまた実践や行動をしていくというサイクルが、他者や社会との相互作用を生み、計画された偶発性を発現することができるようになります。創造性の発露と言えるでしょう。
このようにして私たちはよりよいキャリアや人生を創り上げていくことができるのではないかと考えます。
人は関わり関わられる存在であり、その相互作用によって成長していきます。他者をはじめとするさまざまな事象との関わり合いのなかで学んでいくという教育の意義は、社会やテクノロジーが変化しても、どんな時代も変わらない普遍的なものであり、教育の営みは人類が存続する限り続いていくのです。
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宮田 純也(みやた・なおや)
一般社団法人未来の先生フォーラム代表理事
横浜市立大学特任准教授/学校法人宇都宮海星学園理事。早稲田大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)。大手広告会社などを経て独立後、日本最大級の教育イベント「未来の先生フォーラム」と「株式会社未来の学校教育」の創設、約2億7000万円の奨学金の創設、通信制高校の設立に関わるなど、プロデューサーとして教育に関する企画や新規事業を実施。2023年には「未来の先生フォーラム」と「株式会社未来の学校教育」を朝日新聞グループに参画させ、子会社社長を務めた。現在はこれまでの実績をもとにさまざまな立場や役割で教育改革を推進している。編著に『SCHOOL SHIFT』『SCHOOL SHIFT2』(明治図書出版)、監修に『16歳からのライフ・シフト』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著:東洋経済新報社)。
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(一般社団法人未来の先生フォーラム代表理事 宮田 純也)