※本稿は、永井康徳『後悔しないお別れのために33の大切なこと』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。
■“死”は未知のもの知らないから怖いと感じる
人の死亡率は100%と伝えました。人は必ず死にます。それは自然の摂理であり、避けることはできません。その一方で、実際に自分の“死”を体験した人はいません。死の体験者は0%であり、どんなものであるかを語られることは、ほぼありません。“死”は生きている人間は体験したことがない、未知のものです。だからこそ、怖い、おそろしいと感じる人が多いのかもしれません。
“死”の基本情報を知っておこう
未知のものだから怖いのであれば、まずは“死”がどういうものであるか知ることから始めてみましょう。医師が死亡宣告をするときには、肺、脳、心臓の機能をチェックします。胸部を聴診したり、腕や首の動脈の触診をしたりして、呼吸や脈拍を確認します。
呼吸が確認できず、脈拍がゼロであれば心肺拍動と呼吸が停止しています。テレビや映画などで亡くなった人の目にペンライトの光を当てているのは、光が当たったときの瞳孔の反射や大きさを確認しています。反射が起こらなければ、脳機能が停止しているとみなされます。
これらをチェックして、心肺拍動の停止、呼吸の停止、脳機能の停止という死の3兆候が確認されると死亡と認定され、死亡宣告が行われます。ちなみに、死亡宣告できるのは医師のみです。事故などのニュースで「心肺停止後に医療機関で死亡が確認された」と報道されるのは、現場に医師が不在だと死亡判断ができないためです。
このほかに体の状態から、誰が見ても判断できる“社会死”があります。例えば、白骨化している、体の損傷が激しく蘇生が不可能と判断される場合は、社会死とみなされます。救急隊員が社会死と判断した場合は、病院には搬送されません。
状況や年齢で異なる“死”の過程
どのように“死”を迎えるのかは、病気や年齢などで大きく異なります。
事故や病気などによる突然死は、予期しない死であり、まさしく突然やってきます。心臓や肺、腎臓などの重篤な慢性疾患がある場合は、治療して状態がよくなる状態を繰り返して、徐々に体の機能が低下していきます。
持病ががんの場合は、ほかの病気に比べて死がより身近になります。日本人の一生涯のがん罹患率は、男性で約60%、女性で約50%です。これは日本人の2人に1人が、人生で一度はがんにかかることを意味します。治療後に再発することなく天寿をまっとうする人もいますが、すべてのがんの5年生存率(5年後に何パーセント生存しているか)は64.1%(国立がん研究センター がん情報サービス)で、ほかの病気に比べて死のリスクが高いことは事実です。特に、がんが進行してから見つかった場合は、診断されてから死に至るまで、かなり短期間であることが多々あります。
これら以外に最近増えているのが、老衰による死です。充実した医療が受けられるようになり、病気で死ぬ人が減った現代では、加齢とともに心身の機能が徐々に衰えていき(老衰)、死を迎える人が増えています。ただ、日本では何歳で亡くなると老衰死といった明確な定義がありません。そのため、老衰による身体機能の衰えで病気になり、それが原因で亡くなった場合は老衰死ではなく病死とみなされます。
★死の迎え方はさまざま。日本では老衰による死が増えています
■現実には難しいピンピンコロリ
理想の死に方として、ピンピンコロリを挙げる人は多いかもしれません。
ピンピンコロリとは、病気などに苦しまず、最期まで自分のことは自分でできて、介護を受けることなく元気に長生きしてコロリと死ぬことを意味しています。
そうできるのが理想なのですが、実際にどのくらいの人がピンピンコロリで亡くなっているかというと、約5%、20人に1人しかいないのです。これは2011年の厚生労働省の中央社会保険医療協議会での「急死率が5%」というデータに基づいたものなので、ちょっと大げさな数字かもしれません。
しかし、ほとんどの人が亡くなるまでに何かしらの介護を受けているのは、疑いようのない事実であり、その期間は決して短くありません。
寝たきり期間が長い、日本の高齢者
それを示しているのが、厚生労働省が発表している健康寿命と平均寿命の差です。健康寿命とは、誰かに頼ることなく、心身ともに自立して健康的に生活できる期間のことで、2022年の発表では男性が72.57歳、女性は75.45歳です。
これに対し、平均寿命とはあと何年生きられるかという期待値であり、0歳における平均余命、生まれてから亡くなるまでの時間を示しています。当たり前のことですが、健康寿命よりは長く、2024年の発表では男性が81.09歳、女性は87.14歳となっています。平均寿命から健康寿命を引いた年数が、自立できていない期間(介護が必要な期間)です。つまり、男性は8.52年、女性は11.69年、何かしら介護を受けて亡くなるということになります。
これは平均ですから、もっと短い人もいればもっと長い人もいます。日本は世界的にも長寿の国といわれていますが、健康寿命と平均寿命の差が大きく、介護の必要な年数が長いことが問題視されています。長生きしたいけれど、介護される期間はできるだけ短くしたい、そう願うのであれば、どう生きるか、どう死にたいのかをふだんから考えることが大切だと、多くの患者さんを看取ってきて感じています。
★日本人は寝たきり(要介護)の期間が長いといわれています
■どう死ぬかを考える“QOD(死の質)”とは?
QOD(クオリティ・オブ・デス/死の質)という言葉があります。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ/生活の質)の対極の概念なのですが、QOL(人として満足して、自分らしい生活が送れているか)を耳にしたことがあっても、QODについてはほとんどの人が聞いたことがないでしょう。
QODは1980年代から欧米で使われ始めた概念で、直訳すると「死の質」となり、いかにして満足した死を迎えるかという、終末期(治療をしても病気の回復が期待できないと判断された、余命が残り少ない状態)の質のことです。
どのように死を迎えるか、死に場所や死に方について考えたり、人生を振り返ったり、遺言やお墓の準備をしたり、家族や友人とコミュニケーションをとったりすることが、QODを高めるといわれています。
世界的に見ると低い日本のQOD
QODについての研究は、21世紀に入ってから盛んになってきています。これは終末期をどのように過ごすか、家族のケアをどうするのかなどが、世界共通の課題となっているからです。
世界トップクラスの長寿国である日本ですが、残念なことに、QODについてはかなり遅れています。イギリスの経済紙『エコノミスト』が、2010年と2015年に全世界のQOD(死の質)ランキングをまとめて発表しているのですが、日本の順位は、2010年は40カ国中23位、2015年は80カ国中14位でした。2010年に比べるとかなりランクアップしていますが、高いとはいえない順位にとどまっています。ちなみにアジアでは台湾、シンガポールに次いで3位でした。
日本の総人口における高齢者(65歳以上)の割合(高齢化率)は、2024年には29.3%と過去最高に達し、超高齢社会となりました。これから迎えるのは、死亡者数が増加して人口減少が進む多死社会です。
★“死”について考えることでQODは高まります
■死について考える病院で迎える“死”
現在の日本では、調子が悪くなれば病院を受診して、必要があれば入院します。死亡者のうち、約70%は病院で亡くなっています。
これは日本の社会保障の枠組みが1970年代に完成してから、大きな見直しがないままになっていることが関係しているのでしょう。
1970年代といえば、経済も人口も右肩上がりに成長していた高度経済成長期です。当時の日本人の平均寿命は、今より10年以上短く、男性は69歳、女性は74歳で、高齢化率(総人口に対する65歳以上の割合)は7%でした。
医療の対象者は青壮年期の人ですから、とにかく救命・延命という「治す医療」が必要とされていました。ちなみに1970年代は、病院で死亡する人よりも自宅で死亡する人のほうが多かった時代です。
少し前までの日本では、治療によって病気を治癒し、社会復帰を目的とする「病院完結型」の医療が必要とされており、それで大きな問題はありませんでした。
しかし、高齢化率が30%近くになり、超高齢社会、多死社会を迎えた現在の日本では、少し事情が違ってきています。
高齢者への医療処置については、医療施設によって判断が分かれますが、「治す」ことを目的としているかぎり、老衰で亡くなろうとしている人にも、最期まで積極的な治療を行うことになります。
例えば、看取りが近い高齢者が発熱して息苦しくなり、救急搬送されたとします。
高齢になり、身体機能が落ちてくると、老衰で食べられなくなるのは自然なことです。そのような場合でも、点滴で栄養と水分を補給するために絶食となり、人生の最期に好きなものも食べられない……。はたしてこのような死は幸せといえるでしょうか。できれば避けたい、私はそう思います。
もちろん、病院では医師や看護師が常にそばにいて、必要な医療処置をすぐに受けることができます。家族への負担も少なく、容体が急変したとしても安心してまかせるとができるでしょう。
ただ、その一方で、面会時間が限られているので好きなときに会いたい人と会えない、住み慣れた自宅と違って病室ではくつろげない、不安や孤独を感じやすいなどといったデメリットもあります。さらに、先ほど紹介したように、過剰な治療のため、最期につらい思いをするかもしれません。
私は死期が迫ったときには、過剰な医療は必要ないと考えています。日本の社会が変化したにもかかわらず、70年代と同じように病院では「亡くなるまで治す医療」が行われているのは、あるべき医療の姿なのか、考え直す時期がきたと感じています。死期が迫ったとき、どのような医療を受けるのかということは、QODを大きく左右します。医療従事者だけでなく、患者さんや家族も向き合い、考える時代になってきたと私は考えます。
★病院での死にはデメリットもあります
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永井 康徳(ながい・やすのり)
医療法人ゆうの森 たんぽぽクリニック医師
愛媛県の僻地診療所勤務ののち、2000年に愛媛県松山市で、四国で初めての在宅医療専門のたんぽぽクリニックを開業。「理念」と「システム」と「人材」のすべてを高いレベルで維持して在宅医療の質を高めることをめざし、現在は常勤医10人、職員100人の多職種チームで在宅医療を主体に、有床診療所、外来の運営も行っている。平成22年には市町村合併の余波で廃止となった人口約1200人の町の国保へき地診療所を民営化し、開設4カ月で黒字化を達成。そのへき地医療への取り組みは平成28年に第1回日本サービス大賞地方創生大臣賞を受賞。全国各地での講演を行い、「全国在宅医療テスト」や「今すぐ役立つ在宅医療未来道場(通称いまみら)」「流石カフェ」など在宅医療の普及のためのさまざまな取り組みを行っている。コロナ禍で現地講演会が難しくなってからは、YouTubeで「たんぽぽ先生の在宅医療チャンネル」を開始している。
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(医療法人ゆうの森 たんぽぽクリニック医師 永井 康徳)