コメの価格がピーク時で2倍以上に上がった。社会学者の山田昌弘さんは「日本はそれでもデモ一つ起きない国なのです。
人口減少の問題も同じで大きな改革を求めないでいると気づかぬうちに貧しくなり、目に見えないところで徐々に徐々に生活水準が下がっていく」という。世代・トレンド評論家の牛窪恵さんとの対談をお届けしよう――。
■世界一の育児支援制度なのに70万人割れのなぜ
【山田】今年の6月、2024年の出生数が、1899年の調査開始以来、初めて70万人を割ったことが大きなニュースになりましたけれど、これは推定の範囲内のことであって驚くことではないというのが、多くの専門家たちの正直な感想でした。
出産年齢の女性の数が毎年減っているわけで、母数が減れば、当然、子どもの数も減るわけです。合計特殊出生率も少し低くなりましたけれど、合計特殊出生率が多少回復しようがしまいが、今後も生まれる子どもの数が減っていくことは間違いないでしょう。
出生数の減少に歯止めがかからないのは、はっきり言えば、日本の少子化対策が失敗だったからです。日本社会の特性を考えずに、欧米中心主義的発想で少子化対策を設計してしまったのが失敗の原因です。
欧米人は愛情があれば結婚するし、愛情があれば未婚、既婚にかかわらず子どもを産もうと考えます。しかし日本人は、恋人がいても経済的な基盤が整わないと結婚しませんし、子どもを産もうとも考えないのです。
欧米中心主義にとらわれた政策担当者たちは、欧米の少子化対策に追随してしまった結果、日本の少子化に特有の「経済的な側面」を見落としてしまったのです。
育児の負担を軽減するために保育所を整備し、育児休業を拡充し、育児手当を出す。これらは政策として間違っているわけではないし、おそらくこれだけ質の高い保育園に安い費用で子どもを預けられる国なんて他にありません。
日本の育児支援の水準は、世界一だと言っていいと思います。
ところが、これらの対策は、基本的に経済基盤のしっかりしている正規雇用の女性にしか当てはまらないのです。
■正社員が多い東京都は出生数が減っていない
【山田】実を言うと、東京都の出生数はそんなに減っていないんです。減っていないどころか、2010年代中頃までは増えていました。なぜなら、東京都は女性差別慣習が地方に比べて少なく、正規雇用が多いため、若い女性の転入が多いからです。
一方で、女性の正規雇用が少ない地方では、文字通り、子どもの数は激減しています。東北地方は、2000年からの約25年間で生まれる子どもの数が半分になってしまいました(8万7000人/2000年→3万7000人/2024年)。
■非正規女性は育休どころか産休すら取れない
【山田】正社員どうしのカップルなら子育ての資金も潤沢にあるし、育休もたっぷり取れるので子どもを産むことができるでしょう。しかし、非正規の女性は、収入が低い上に、育休制度はあっても雇い止めが怖いから、育休を取りたいなんて言い出せません。そもそも収入が高い正社員カップルに多額の税金が投入されて、収入の低い非正規の女性は育休すら取れないなんて、まさに踏んだり蹴ったりですよ。
日本の少子化対策は、子育ての経済的な側面を軽視した結果、こうした育児支援格差まで生み出すことになってしまいました。正規・非正規という身分の格差が雇用格差を生み、雇用格差が育児支援格差を生んでいるのです。

■もっともワリを食うのはパートの女性たち
【牛窪】東北地方の数字は衝撃的ですね。子どもが減っていく理由のひとつとして私が注目しているのは、Z世代が5~6年前からよく言うようになった「タイパ(タイムパフォーマンス/時間対効果)」という言葉です。それ以前も、「コスパ」という言葉を耳にする機会は多かったと思いますが、Z世代はタイパをとても重視します。働き方においてもタイパ重視の側面が見え隠れするんですね。
たとえばいま、人手不足もあって、いわゆる非正規雇用でもフルタイム就業の女性が増えていますが、私が修士論文を書くうえで「働く既婚女性と家事」について、様々な変数と夫婦の家事分担との関係性を重回帰分析したところ、タイパ的に最もワリを食っているのは、非正規なのにフルタイムに近い状態で働いている女性でした。
勤務時間の拘束は長いのに収入は少ない。収入が少ないから、夫は家事の分担や外部化(アウトソーシング)に非常に消極的。しかも、一般に非正規の仕事には代替可能な単純労働が多いから、AIやロボットに仕事を奪われてしまうかもしれないという不安感が常につきまとっています。
正社員の多くは、「育休待ち」をしながら仕事と育児を両立することも可能ですが、非正規の女性たちはタイパが悪い仕事に耐えながら、しかも家事・育児支援を受けられる見込みも少ない。これではなかなか、子どもを産もうなんて思いませんよね。
日本は北欧諸国などに比べ、人生のステージに応じて働き方や仕事のボリュームをフレキシブルにコントロールすることが、とても難しい国です。正社員にしても、育休期間はいいとしても、育休が明けたら、減収覚悟で「時短」を選ぶ以外は、ガチで働く前提です。
逆に時短を選べば、「あいつは使えない」と望む仕事を任されなくなる恐れもある。非常に窮屈な状況が続いていると思います。
■非正規の女性との結婚を躊躇する男性たち
【牛窪】だからといっていったん非正規になってしまうと、今度はタイパの悪い状況にずっと置かれる可能性が高くなってしまう。だからこそ、正社員として働く女性たちは、「あっち側」には行きたくないからと、育休が明けたらガチで働く覚悟を決めるしかありません。
一方、近年は男性の側も、非正規の女性と結婚すると大変だな、と考えるようになってきたようです。ある研究所の経年調査(※)によれば、未来の妻に「経済力」を求める未婚男性(18~34歳)の割合は、ほぼ右肩上がりで上昇を続け、直近で約5割(48.2%)。
結婚後、経済的に自分にだけしわ寄せがくるような生活は避けたい、だからできれば正規の、収入が安定した女性と結婚したい、と考える男性が増えているのです(※2021社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」)。
では、正社員どうしの結婚なら悩みはゼロかといえば、そこには「世代間ギャップ」という別の関門が横たわる。複数の調査結果を見ても、Z世代の男性の多くが「家事・育児に積極的に関わりたい」と考えているのは確かですが、彼らが育休を取得したり時短勤務を選択したりすると、社内では上の世代から、いまだに「男のくせに」と言われたり、「出世する気がないんだな」なんて思われてしまう不安がある。だからこそ、軽い気持ちで子づくりをしようとは思えないのです。
■正社員になれなかった幻滅感が子どもを諦めさせる
【山田】要するに、日本型雇用形態、すなわち新卒一括採用、終身雇用、正規・非正規差別が固定化していることが大きな問題なんです。しかし、日本型雇用形態はすでに限界に達しているにもかかわらず、誰もそれをやめられない。
なぜなら、日本型雇用形態の内側(=正規雇用)にいる人は楽だし、居心地がいいからやめたいと思わないし、雇用形態をひっくり返すべき官僚にはひっくり返す力がなく、政治家にはひっくり返す勇気がありません。
日本型雇用形態の内側にいる人と、内側に入れなかった人の間に大きな格差が生まれていて、内側に入れなかった人たちの幻滅感が、子どもを持つことへの諦めにつながっている気がしますね。
■育児格差の「あっち側」には行きたくない
【牛窪】『Z世代の頭の中』執筆にあたり、、1600人超の定量調査に協力くださったCCMK総合研究所の方々と、Z世代がよく言う「親ガチャ」や「配属ガチャ」の「ガチャ」ってなんだろうという議論をしたんですが、要は「損をしたくない」「ババを引きたくない」ということではないか、との結論に至りました。いまや、収入や正規・非正規などによる育児格差は、ChatGPTやSNSによっても「見える化」されてしまっている。そうなると、みすみす「あっち側」には行きたくないと、若いうちから考えてしまいますよね。
せっかくコロナ禍での受験勉強や就活に耐えて、無事に「特急列車(正規)」に乗ったのに、一度乗り降り自由な「各駅停車(非正規)」に乗りかえてしまうと、二度と特急には戻れない。彼らにそう感じさせているところに、大きな問題があると感じます。
一度ハズレを引いても、いつかアタリを引ける可能性が担保されているなら、アタリが出るまで頑張ろうと思えますが、一度ハズレを引いたら一生アウト! という感覚が広まっているように感じますね。
■主食のコメ価格が2倍になってもデモが起きない国
【山田】日本人って、ただ損をすることが嫌なんじゃなくて、「自分だけ損をする」ことを一番嫌うんです。だから今回、主食のコメが2倍に高騰したというのに、農水省を取り巻くデモひとつ起こりませんよね。デモなんかやって下手に目立ってしまって自分だけ損したら困るし、大きな変革が起きて自分だけ取り残されるのも困る。そう思うから、みんな大人しくしているんです。

いま、お昼のワイドショーなんか見ていると面白いですよ。コメなど食品の高騰に怒るのではなくて、もう節約、節約です。大きな変革が期待できない以上、生活防衛の手段としては節約しか残されていないわけです。
これは出生数の減少についても同じことで、みんな自分だけ損をしたくないから大きな変革は望まない。その結果、徐々に徐々に子どもの数が減っていって、目に見えない形で日本は貧しくなっていくのだと思います。生活水準がちょっとずつ落ちていくことに、慣らされていくんです。
それでも文句が出ないのは、ゲームやSNSなどのバーチャルな世界で高揚感や「努力が報われる体験」が得られるからではないかと私は考えています。先ほど話題になったペットも、「家族で親密な関係を楽しむ」ことをバーチャルに体験できるシステムのひとつ、と考えることもできます。
徐々に衰退していくリアルな世界ではなく、バーチャルな世界で高揚感や達成感を得ながら生きていくことが、果たして幸福なのか不幸なのか……。これはまだ、判断のつかないところだと思います。

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山田 昌弘(やまだ・まさひろ)

中央大学文学部教授

1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。
1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)、『結婚不要社会』『新型格差社会』『パラサイト難婚社会』(すべて朝日新書)、『希望格差社会、それから』(東洋経済新報社)など。

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牛窪 恵(うしくぼ・めぐみ)

マーケティングライター、世代・トレンド評論家、インフィニティ代表

立教大学大学院(MBA)客員教授。同志社大学・ビッグデータ解析研究会メンバー。内閣府・経済財政諮問会議 政策コメンテーター。著書に『』『』(ともに日本経済新聞出版社)、『』(講談社)、『』(ディスカヴァー21)ほか多数。これらを機に数々の流行語を広める。NHK総合『サタデーウオッチ9』ほか、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

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(中央大学文学部教授 山田 昌弘、マーケティングライター、世代・トレンド評論家、インフィニティ代表 牛窪 恵 構成=山田清機)
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