■金正恩の目前で起きた「犯罪的な」失敗
5月21日、北朝鮮北東部の港湾都市・清津の造船所は祝賀ムードに包まれていた。全長約140メートル、5000トン級の駆逐艦「姜健」(カン・ゴン)の進水式だ。4月25日に進水した駆逐艦「崔賢」(チェ・ヒョン)に続く崔賢級2番艦となる。
だが、金正恩総書記自らが臨席していたこの式典で、北朝鮮は世界に軍事力を示すどころか大きな失態を演じることになった。進水のため巨大な艦体が岸壁から海へと滑り出した次の瞬間、異変が起きた。
船体を横滑りさせ水面へ投下する手はずだったが、米ワシントン・ポスト紙によると、新造された駆逐艦は船尾側が先に滑り落ちて水中へと沈み込んだ。船首をドックに残したまま、船体はバランスを失い水中へと引きずり込まれ、右舷を下にして水面に横倒しとなった。
会場のムードは一変。米ロサンゼルス・タイムズ紙によると、惨状を現場で目にした金正恩氏は、事故は「絶対的な不注意、無責任、および非科学的な経験主義」によって引き起こされたと叱責。重大な事故であるだけでなく「犯罪行為」であると断じ、責任者を処罰すると明言した。
朝鮮中央通信は後日、金正恩のコメントとして、事故は「わが国の尊厳と自尊心を一瞬にして崩壊させた」との発言を報じている。
■風船と人力で浮力を確保…先進国では考えられない復旧方法
世界中が注目する中、北朝鮮は面目を保つため復旧作業に取り組んだ。転覆から2週間を経て、結果的には直立体勢に復旧したのだが、その方法があまりにも前時代的であるとして話題を呼んでいる。
一般的に先進国であれば、巨大なクレーンを搭載したバージ(作業船)を使って艦船を持ち上げ、船体の姿勢を転換する。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙によると、北朝鮮の作業員たちは大きな風船と数百人の作業員を投入する原始的な方法で対処した。
米シンクタンクの北朝鮮専門サイト「38ノース」が公開した5月29日の衛星画像には、この様子がありありと写し出されている。艦船に結ばれたケーブルの列に沿って、岸壁に数百人という作業員が並び、駆逐艦を直立させようと人力でケーブルを引いている。元アメリカ海軍大佐のジェームズ・ファネル氏は、米議会が出資するラジオ放送局のラジオ・フリー・アジアに対し、処罰を恐れた作業員たちが必死に作業にあたったはずだとの見解を語った。
人力での牽引と並んで注目されるのが、風船の投入だ。衛星写真によると、艦船の上部には、横倒しになった船体を囲むようにして、長さ約5メートルのバルーンが少なくとも24個配置されている。米CNNは、これらは小型の飛行船に似た紡錘形の浮力体であり、尾翼のような安定装置も確認できるとしている。
韓国の国会議員で軍事アナリストのユ・ヨンウォン氏はCNNに対し、「風船は艦船を再浮上させるためではなく、さらなる浸水を防ぐために設置されたようだ」と分析。米海軍退役大佐のカール・シュスター氏は、損傷を受けた船首部分への負荷を軽減する目的もあったと指摘している。
風船で直接体勢を立て直したわけではないが、これ以上水中に沈み込まないよう、間に合わせの措置として船体に結わえ付けたようだ。
■「動かない軍艦」を示す3つの証拠
悪夢の進水式から12日後の6月2日までに、駆逐艦は本来の姿勢へと回復している。ようやく直立した駆逐艦だが、そもそも軍艦として機能するのか。専門家によると、横倒しであるか否かを問わず、当該艦は機能しないという。
イギリスの防衛情報企業ジェーンズの海軍アナリスト、マイク・プランケット氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の取材に応じ、駆逐艦は表面上こそ雄大だが、「見た目と実態が異なる可能性があることを、複数の兆候が示唆している」と指摘する。
プランケット氏によると、まず決定的なのは、艦船の煙突にある吸気口だ。艦橋とほぼ同じ高さの船体後方に、上下2段に分かれる形で、大型の通気口が各段7個ずつほど、ずらりと横に並んでいる。
プランケット氏は、「これらはエンジンや、艦内の深部にあるその他の機械類を冷却するため、空気を取り込む目的で使用されます」と説明する。しかし、彼は撮影された問題の駆逐艦の吸気口を指さし、「すべての吸気口が、金属板で塞がれています。空気を一切取り込んでいないのです」と指摘する。
駆逐艦がエンジンを搭載していないとみられる2つめの根拠が、タグボートだ。プランケット氏は、「タグボートの助けを借りて移動しているのみで、自力で動いているのを見たことがありません」と述べている。
■速すぎる建造ペースも“ハリボテ”を示唆
加えて、船体が水に浸かるラインである喫水線の位置にも不自然な点が見られるという。「通常の積載状態において、この艦船の喫水線は水面からかなり上にあるのです」とプランケット氏。
一般に船体は、水面より下に沈む部分を赤系の汚損防止塗料で塗ることが多く、水上部分との境界は喫水線として外観上も容易に判断できる。問題の北朝鮮の駆逐艦の場合、喫水線が実際の水面よりもかなり上方に浮き出ており、本来の想定よりも船体が軽量であることを示唆している。
プランケット氏は、燃料や武器を搭載していないことを考慮しても、「それでも非常に、非常に高い位置にあり、大量の質量が欠けていることを示している」と分析。
以上3つのポイントにより、エンジンを実際には搭載していないとの見方があるようだ。さらには、速すぎる建造のスピードも、北朝鮮艦の“ハリボテ説”に拍車をかけている。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、北朝鮮は最初の駆逐艦を約400日で建造したと発表している。これはアメリカの約半分、ロシアの約10分の1という異常な速さだ。
中国であれば同規模の軍艦建造に通常18カ月、アメリカのアーレイ・バーク級駆逐艦は約2年、ロシアのフリゲート艦は最大11年かかる。「この規模の軍艦としては、北朝鮮は中国よりも速く建造したことになる」と、同紙は不自然な効率の良さを疑問視する。
北朝鮮が約1年で2隻を建造したことについて、同紙は「極めて速く、これらが本当に完成した艦船なのか、専門家たちに疑問を抱かせている」と指摘。
こうした一連の分析が正しければ、威容を誇る北朝鮮の新造駆逐艦は、水面に浮いているだけのただの鉄の箱ということになる。
■「国家の威信が崩壊」金正恩の激怒の理由
進水式の失敗を目撃した金正恩氏は、直ちに責任者の粛清を開始した。空の箱であったとすれば、それでも烈火の如く怒りをあらわにしたのはなぜか。少なくとも外観だけは完成した新造艦で軍事力を水増しする算段だったが、その目論見が崩れたためだとみられる。
英BBCは、今回の失敗が金正恩体制にとっていかに致命的だったかを分析している。韓国潜水艦研究所所長で元海軍大佐のチェ・イル氏は同局に対し、「金正恩は核兵器が自国を守る唯一の方法だと信じているが、一方、海上には古い潜水艦と小型支援艦しかない」と指摘する。
今回の5000トン級駆逐艦は、北朝鮮がこれまでに保有したなかでも最大の軍艦だ。理論的には核短距離ミサイルを搭載する能力を持つ。海上の弱みを補うはずだったこの駆逐艦だが、進水式で致命的な失態を演じた。チェ氏は「この級の駆逐艦が建造や進水中に転覆するのは極めて稀」であり、金正恩にとって「非常に恥ずかしい事件」だったと述べ、心情的なダメージも大きかったと分析している。
金正恩氏は失敗を「容認できない」と述べ、その後、複数の党幹部が逮捕された。
しかし、清津造船所長のホン・ギルホ氏、主任技師のカン・ジョンチョル氏、組立ライン責任者のハン・ギョンハク氏、管理責任者のキム・ヨンハク氏らは拘束されたと報じられており、その後の消息は不明だ。
■過去にもあった北朝鮮の「見せかけ」兵器
北朝鮮の兵器にハリボテ説が囁かれたのは、今回が初めてではない。
広く知られているのが2020年の事例だ。ニューヨーク・タイムズ紙は同年10月、北朝鮮が朝鮮労働党創建75周年記念パレードで巨大な大陸間弾道ミサイル(ICBM)を公開した際、「新型ミサイルが実際に機能するのか、それとも見せかけなのかはすぐには判明しなかった」と報じた。専門家たちの間でも模造品論は根強く、展示されたミサイルが「本物なのか、または模型なのか」と議論が交わされた。
ハリボテ説は昨年にも再燃している。シンガポールのストレーツ・タイムズ紙は2024年11月、北朝鮮が夜間軍事パレードで過去最多のICBMを披露したと報じた際、専門家の分析として、展示された一部が「プロトタイプまたは模型」の可能性があると指摘している。
こうした事例からも、北朝鮮が軍事力を誇示する際、実際の能力よりも見た目を重視する傾向がうかがえる。
■軍艦の建造は飢えた国民への裏切りに他ならない
今回の進水失敗で、北朝鮮の軍事力の本質が露呈した。最新式の軍艦を披露するはずが、風船と人力で牽引する原始的な方法でしか復旧できない粗末な状況をさらけ出した。
現在までに船体の姿勢こそ立て直したが、米戦略国際問題研究所のビヨンド・パラレル・プロジェクトは、船を原状回復するには「大規模な作業が必要」と指摘している。
多くの国民が飢えと貧困に苦しむ中、金正恩氏は軍事費やロシア人富裕層をターゲットにした観光開発に巨費を投じる姿勢を崩していない。CNNは6月、北朝鮮が転覆した軍艦から70キロと離れていない場所に、2万人を収容できる豪華リゾート「元山葛麻(ウォンサン・カルマ)海岸観光地区」を開業したと報じた。国営メディアは「国宝級の観光都市」と宣伝したが、2024年に国連人権高等弁務官が北朝鮮を「息苦しく息が詰まるような環境で、生活は希望のない日々の闘い」と表現したのとは対照的だ。
独裁者の見栄と現実の間で、北朝鮮は今日も危うい綱渡りを続けている。エンジンなき軍艦は、空虚な独裁政権を象徴するかのようだ。
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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)