■なぜ韓国は日本以上の少子化が進んでいるのか
――2024年の日本の合計特殊出生率は1.15人に対して、韓国は0.75人。なかでもソウルの出生率は世界最下位の0.55人でした。ただ今年の1月から3月の出生率は0.65人と上昇したと伺います。どんな少子化対策が有効だったのですか?
【佐藤】韓国では06年から23年までに少子化対策に約40兆円の予算を投じました。06年は1.16人でしたから、思ったような効果がえられずに出生率は落ち続けました。
ソウルでは、23年から最大約11万円の不妊治療支援や、妊婦に対するタクシーやバス、地下鉄などの交通費の支給など、手厚い少子化対策を行っています。
とはいえ、そうした数々の少子化対策が直ちにソウルの出生率の上昇に結びついたとは言い切れません。というのも、韓国の人口学者たちは、コロナ禍で結婚を控えた人たちが、コロナ収束後に結婚、出産したからだと分析しているからです。一時的な出生率の上昇だと考えられています。
――そもそも韓国の少子化の原因はなんなのでしょう。
少子化に限らず、現代の韓国を知る上で重要なキーワードが「分断」です。保守と革新の政治的な分断、地方と都市の格差による分断、世代間の分断、男女間の分断……。現在の韓国社会を内戦状態と評するメディアや専門家もいるほどです。
■母親のような生き方をしたくない
【佐藤】日本に比べて韓国の若者たちは、政治に対して高い意識を持っているというイメージがあるかもしれません。確かに、かつてはそうだった。しかし、いまは韓国の若者たちは、政治的な話をほとんどしません。その理由は、ケンカになってしまうから。私の知り合いの韓国人青年は政治の話題になると「俺は日本人なんだ」とごまかすと言っていました。
少子化の一因である男女の分断に話を戻すと、10年代後半に韓国でも性犯罪被害の体験を告白する#MeToo運動が起こりました。いまはそのバックラッシュで、女性を敵視する男性が増えました。なかには「男性だけが兵役を課せられるのは不公平だ。産まないなら女性にも兵役を……」と不満を口にする男性もいます。
一方で、女性が大学に進学して、どんどん社会に進出し、キャリアを積むようになった。彼女たちは、家や夫、子どものために、たくさんのものを犠牲にして家事や育児に奔走した母親世代を見てきました。彼女たちは、母親のような生き方をしたくないと考えている。
「中堅建設会社の「富栄(プヨン)グループ」は、子どもが生まれた社員に対して2億ウォン(約2000万円)の「出産祝い金」を支給する制度を導入しています。
その制度について、担当者に「事実婚の場合はどうですか?」と尋ねたのですが、先方はその意味を測りかねていたようです。事実婚のケースを想定していなかったんですね。いまだに韓国では伝統的家族制度から外れた未婚の出産や、事実婚をタブー視する風潮があります。
■「非婚式」の内容
【佐藤】その反動で盛況なのが結婚情報会社です。
とくに高収入の女性たちが、結婚相談所に登録して「本人と両親が大卒で資産があり、身長は175センチ以上。両親と同居しない。専業主婦になれと言わない」という条件を出し、伝統的家族制度から逃れられる相手を探しているんです。
近年は、家父長制からの解放を求めて、あえて結婚をしない「非婚主義者」と呼ばれる女性たちも登場しました。
――「非婚式」ですか?
そうです。取材した30代の女性は、知り合いを呼んでパーティーをして「妻にも母にもならない。でも幸せになると誓います」「一生自分を愛します」と宣言していました。
純白のウエディングドレス姿で6歳の飼い犬と一緒に撮影した非婚式の記念写真を撮っていました。
■合言葉はYOLO
【佐藤】加えて韓国には「YOLO」(ユー・オンリー・リブ・ワンス/人生は1度きり)という、消費に走る若者たちを指す言葉があります。
アメリカの金融会社の調査によると、高級ブランド品を購入する1人当たりの額がもっとも高いのは、アメリカでも中国でもなく、韓国です。昔、韓国には同じマンションの誰かが新しい冷蔵庫を買うとみんな同じものを買うという冗談があったほど、見栄を張る社会でもある。限られた時間やお金のなかで、自分のやりたいことや消費を優先すれば、結婚が後回しになってしまいます。
何よりも、結婚し、出産したとしたら、子どもはかつての日本以上に熾烈な受験戦争に巻き込まれます。受験戦争を勝ち抜くために必要なのはお金です。韓国の高校生の習い事に費やす一人当たりの金額は、月平均で74万ウォン(約7万4000円)。
結婚や出産が、女性にとってどれだけマイナスかという意識が広まっているなかで、出生率を上げていくのは非常に難しい。
■すさまじい速度で変化した韓国社会
――少子化は、日本だけではなく先進諸国にとって喫緊の課題ですが、韓国はより厳しい状況に置かれているんですね。
【佐藤】それは、韓国社会が変化するスピードがあまりに早かったからです。日本は戦後の長い時間をかけて、徐々に少子化の問題に直面していきました。
対して韓国の民主化は、1987年6月です。それまでは軍事政権でした。当時のテレビ放送の雰囲気は、いまの北朝鮮のテレビに似ているかもしれません。テレビ放送は、まず大統領を称える愛国歌を流してからスタートする。いまの若い世代にとって韓国は、K-POPの国かもしれませんが、わずか40年前まではそんな状況だったんです。
私がはじめて韓国を旅行したのが、92年。そして06年から1年間、韓国に留学し、09年から11年までは特派員として、ソウルに暮らしました。
象徴的な例が、インターネットと韓国大統領のかかわりです。
2003年に大統領に就任した盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏がはじめて対応したのが、新聞やテレビなどの既存メディアではなく、韓国初の市民参加型のニュースサイト「オーマイニュース」でした。
■社会の変化に心がついていけない
【佐藤】盧武鉉氏はこれからの可能性を開いていくメディアとして、インターネットで積極的に情報公開しました。その20年後――。前大統領の尹錫悦氏は、不正選挙が行われたというインターネットの陰謀論的な言説を信じて、国民の分断を煽り、戒厳令を発令した。
インターネットによって拡散された陰謀論が政治に影響を及ぼす。これは、世界的な問題ではあるのですが、その最前線のひとつが韓国なのです。
もうひとつの急速な変化の象徴が、首都圏一極集中です。
日本では、首都圏の一都三県で、約3700万人。全人口の3割弱です。敗戦や戦後の高度経済成長を経て、ある程度の時間をかけながら、地方から都市部へと人々が移動した。
韓国の場合は、ソウルとその周辺の京畿道には、韓国国民の51%にあたる約2400万人が暮らしています。1980年代は約1300万人。民主化以降の40年ほどで、人口が180%増加しました。
しかも韓国では、軍事政権の記憶を持ち、三十数年前に運動にたずさわって民主化を勝ち取った当事者たちが、60代、70代で健在です。
制度や家族の形が変わったからと言っても人間はそう簡単に変われません。社会の変化に、心がついていけずに取り残される人が大勢います。急激な社会変化が、いまの韓国の少子化……いえ、内戦状態と評されるほどの韓国の分断をもたらしているのです。
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佐藤 大介(さとう・だいすけ)
共同通信社 編集委員兼論説委員
1972年、北海道生まれ。明治学院大学法学部卒業後、毎日新聞社を経て2002年に共同通信社に入社。韓国・延世大学に1年間の社命留学後、09年3月から11年末までソウル特派員。帰国後、特別報道室や経済部(経済産業省担当)などを経て、16年9月から20年5月までニューデリー特派員。21年5月より現職。著書に『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』(角川新書)、『オーディション社会 韓国』(新潮新書)などがある。
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(共同通信社 編集委員兼論説委員 佐藤 大介 取材・構成=ノンフィクションライター・山川徹)