■「時計離れが起きているとは感じていません」の真意
腕時計をせずとも、スマートフォンを見れば時間は分かる時代。巷でささやかれる「時計離れ」のように、腕時計はもうその役目を終えたのだろうか。
こうした風潮に対して、異を唱えるのが日本を代表する時計メーカー・シチズンの社長に今年4月に就任した大治(おおじ)良高氏だ。
「今、世の中で時計離れという言葉は確かによく聞きます。スマートフォンもありますし、時間を見るだけならもはや腕時計がいらない時代になったのは事実です。しかし、腕時計には時間を見る以外に情緒的な価値もあると思うんです。
近年は特にそうした価値に注目が集まっており、ラグジュアリーブランドがよく売れています。その意味で、時計離れが起きているとは感じていません。私たちの業界も、おかげさまで業績が堅調に推移しています」(以下発言はすべて大治社長)
大治社長が話す通り、直近で国内の腕時計市場は好調そのもの。一時は確かにスマートウォッチの台頭なども脅威となったが、矢野経済研究所によると、2023年は小売り金額ベースで1兆1036億円。前年比126.6%の成長で、3年連続の市場拡大となった。
若年富裕層が活発に高級時計を購入していることなどが背景にあるという。2024年も市場は好調に推移し、1兆2160億円まで拡大する見込みという。
■いま腕時計をつける理由
シチズンの業績も堅調そのものだ。
2025年3月期の売り上げ(連結、以下同)は、前年比1.3%増の3168億円。中でも時計事業は同6.6%増の1771億円だった。この他、電子機器他事業の伸び率も高く(同11.0%増の249億円)、売上高拡大に寄与した。
ブランド100周年に関するプロジェクトなどで営業利益は下がったものの、当期純利益は同4.0%増の238億円と過去最高を更新した。
2027年度までの中期経営では、売り上げ3600億円、営業利益率は9.0%を目指すという。
もちろん、楽観視しているわけではない。その姿勢は先ほどの「時間を見るだけなら、もう腕時計は不要」という言葉によく表れている。では、現代ならではの腕時計の存在意義とは何か。大治社長はこう語る。
「装着することで、自分らしさを表現できたり、ステータスになったりするのは腕時計の強みでしょう。さらに腕時計は適切なメンテナンスをすれば長い年月動くことができる。ですので、持ち主の方の人生、ストーリーと共に歩むことができるものだと思っています」
小学生のとき、祖母から腕時計を贈られて魅了されて以降、自身を「無類の時計好き」と話す大治社長が目下取り組むのは、世界で進む高価格化と若者への対応だ。
■「シチズン=時計ブランド」でなくなる
腕時計市場は近年、出荷台数自体が横ばいなものの、ラグジュアリーブランドが好調で出荷金額は高まっている。特に本場・スイスブランドが価格引き上げに動いており、それによって空いた市場でいかに勝てるかが、今後大きなカギを握ると大治社長は考えている。
「当社のグローバル市場、特に北米ではこれまで『1000ドルの壁』がありました。近年はスイスブランドが値上げしたことで、この壁が少しずつ崩れつつあります。具体的には、1500~3000ドルという価格帯が、グローバルで成長するポイントになると見ています。『アテッサ』『シリーズエイト』といった高価格帯のブランドを強化しながら成長を狙っていく考えです」
現在、売り上げのうち海外比率は7割ほど。日本ではなくより海外に注力するということなのだろうか。大治社長は「過度に比率を高めるわけではなく、ポートフォリオを維持したまま売り上げを底上げしていきます」
若者への対応はどうか。現在、シチズンの顧客は40代以上が過半数を占めており、大治社長は大きな危機感を抱く。
「これから人口が減少していく中で、一定の年齢層だけに支えられていては企業として生き残れません。40代以上の方は時計を習慣的に装着する層ですが、時計をしないと言われる若年層をいかに取っていくかが課題だと思っています。
何もしないでいると、10年後には『シチズン=時計ブランド』という認知すらなくなってしまう――。こうした危機感を社内で共有しながら、いかに若者からも支持されるブランドになるか。真剣に考え、取り組んでいるところです」
■海外の若者にメガヒットした商品
ただ、若者を狙って企画を練っても成功することはまれだ。
大治社長自身も「何度も若者向けの企画を考えたことはありますが、最初から狙って成功することは経験的にほぼゼロ」と語る。30年ほど前には、腕時計のベルトや針を着せ替えられる企画を打ち出したが、在庫の山をつくってしまうほどの失敗となってしまった。
「商品だけでターゲットに“刺す”のは難しいんです。マーケティングや宣伝との連携、幅広い視点でさまざまチャレンジしながら勝ちパターンを見つけていければと考えています」
ポイントのひとつになりそうなのが意外にも「機械式時計」だという。クオーツ式の時計と異なり、ぜんまいを巻いて駆動する時計で、アナログらしさが若者に受けていると話す。
「毎日ぜんまいを巻かないといけませんし、クォーツ式と比較すると、どうしても精度も落ちてしまうのが機械式時計です。それが逆に若い方にとっては新鮮なようですね。
現在、海外で大ヒットとなっている「TSUYOSA」も機械式時計だ。同モデルは過去10年で発売したシチズンの商品の中でトップクラスに売れているという。この理由については後編で詳しく記述する。大治社長は「この経験を分析しながら次の勝ち筋を探していく」と話す。
■なぜ本社は都心でなく田無なのか
2024年にブランドが登場して100周年を迎えたシチズン。伝統ある「100年企業」として誇りにしているのが、本社を「田無(東京都西東京市)」という東京23区外に置いていることだ。
1918年に、創業者の山﨑龜吉が、高価な輸入時計が中心だった日本で、国産の時計づくりをめざし、上戸塚(現在の高田馬場付近)に「尚工舎時計研究所」を設立。1930年にシチズン時計株式会社を創立し、1936年に田無工場ができ、2001年に、本社を移転した。
競合ではセイコーが銀座、カシオが渋谷と都心に本社を置いていることを考えると、異例といえる。人手不足の昨今、人材の確保という意味でも都心にオフィスを置いた方が良いのではとも感じるが、そう問いを向けると大治社長は力を込めて次のように語る。
「時計産業は銀行や商社と違い、モノづくりが生命線です。まずその点で、必ずしも都市部に拠点を置く必要はありません。
そう考えると、田無はモノ作りの環境として素晴らしいんです。敷地内には、昔の建物をそのまま残している部分もあります。そこに足を踏み入れると、油のにおいが残っていて、かつての作業風景を思い起こすこともできます。こうした伝統を捨てて移転してしまえば、シチズンらしさが失われてしまうのではないでしょうか」
■ソフトボール大会を企画
大治社長のキャラクターにも目を向けていきたい。自身はどんな人物なのか。そう問いを向けると「正直、性格は根暗かもしれません」と笑う。確かにインタビューの中でも“職人気質”な印象を受けた。
そんな大治社長の人間性が良く表れているのが、自身の「趣味」である。質問すると「趣味というより日課のようなものですが……」と苦笑いしながら、本社7階にある振り子式の柱時計のメンテナンスをしている時間が何よりも楽しみだったと話す。誰に頼まれたわけでもないが、社長就任まで週に2回、ぜんまいを回していた。
「ぜんまいを回している時間が好きなんです。
読書は趣味。中でも聖路加国際病院の名誉院長などを務めた日野原重明氏の著書の中にあった「時とは命」という言葉を大切にしている。
「人間が生まれてから死ぬまでの流れを『時』という形で見える形にして、計る。そのための道具である時計を作っている誇りは常に忘れないようにしたいです」
社長就任前は、社内のソフトボール大会の企画に携わった。かつては休日になると社員同士でスキーなどに出かけていたが、海外駐在から帰国してコミュニケーションが希薄になっていることに課題を感じ、ソフトボール経験者の同僚とともに企画したという。
■時計は命を次世代に受け継ぐ
10年ほどにわたり、多いときには年に4回、最大で100人規模が集まった。朝に集まり、試合を終えた後のバーベキューも盛況だったという。当時課長だった大治社長はバーベキュー食材の買いだしにも出かけ、100人分のおにぎりも握った。
「ふだんは触れ合わない社員同士が知り合うきっかけになり、ソフトボール以外でも相談したり、仕事を手伝ったりすることにつながっていました。こうしたコミュニケーションの機会は積極的につくっていきたいですね」
あらためて大治社長に時計の魅力は? という質問を投げかけると、自身が腕に付けている同社の代表的商品の『ザ・シチズン』を指しながら次のように話した。
「スマートウォッチであれば、どうしてもソフトウエアに依存しているので、その更新が止まると、利便性が損なわれる可能性がある。ですが、機械式ならばぜんまいを巻く。エコ・ドライブのような商品であれば、太陽光などの光を当てることで、長年使う事ができる。だからこそ形見のような大切なものになり得ますし、人と人をつなぐきっかけになる。
先に申した日野原先生の言葉を借りるなら、時計はその所有者が刻んできた時、つまり命を次世代に受け継ぐことができるんです。この点は大きな魅力であり強みだと思います」
100年続く企業のバトンを新たに受け取った社長として、モノづくりの誇りを持ちながら次世代への時を刻んでいく。
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鬼頭 勇大(きとう・ゆうだい)
フリーライター・編集者
広島カープの熱狂的ファン。ビジネス系書籍編集、健保組合事務職、ビジネス系ウェブメディア副編集長を経て独立。飲食系から働き方、エンタープライズITまでビジネス全般にわたる幅広い領域の取材経験がある。
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(フリーライター・編集者 鬼頭 勇大)