シチズンの機械式腕時計「TSUYOSA(ツヨサ)コレクション」が好調だ。人気に火が付いたのは欧州、さらに購買層は20~30代がメインという。
100年以上の歴史を持つシチズンブランドの中でも「異例」という時計は、どのように生まれ、若者の心を掴んでいったのか。ライターの鬼頭勇大さんが聞いた――。(後編/全2回)
■過去10年で最も売れたシチズンの腕時計
今年で創業101年となる国内の時計メーカーを代表するシチズンが、近年、若者に人気なのをご存じだろうか。
若者を巡ってはクルマを中心にさまざまな“○○離れ”がささやかれており、腕時計もそのひとつ。しかしその実態は異なっており、実はラグジュアリーブランドを中心に好調なのだ。中でも人気なのが「機械式」の腕時計という。
クオーツ式の腕時計と比較して時間の精度が低く、ぜんまいを自分で回さないといけないなど一見「不便」なところが、デジタル世代からすると目新しく映り、付加価値となっている。
こうしたトレンドをキャッチアップし、シチズンの若者市場開拓を牽引しているのが、2021年にアジアで発売を開始した「TSUYOSA(ツヨサ)コレクション(以下TSUYOSA)」だ。もともと型番だけで名称がなかったものの、海外で“ファンの間で”愛称が付けられ、シチズンも後から公認し、独特のネーミングとなったという異色の商品だ。
発売からまだ4年だが、同社の欧州における時計売り上げの約2割を占め、グローバルでは過去10年で最も売れたと言えるまでの商品に育ったという。
しかし、もともと同商品はアジア向けとして展開したものの、明確に「若者」を狙っているわけではなかったと、当時、販売やマーケティングを担当していた平松恭典氏(事業企画センター事業企画部副部長)は振り返る。
若者の腕時計離れもささやかれる昨今、“爆売れ”した商品は、どのようにして生まれ、若者からの根強い支持を獲得したのか。
今年4月に就任した大治良高社長と平松氏に取材した。
■当初は「アジアで売る商品」だった
TSUYOSAはもともと、1990年代に中国で人気だった商品のヘリテージモデルとして登場した。
「企画を立てた当時はまだコロナ前で、中国の経済成長が堅調でした。そのため『とにかくアジアで売れる商品を』という入り口から、かつて中国でヒットしていた『NH299 Series』というシリーズに目を付けました」(平松氏)
NH299 Seriesをモデルに、当時のトレンドである「ラグジュアリースポーツ」という、高級さとスポーツ調のデザインの流れも意識。ステンレスのメタルバンドは質感にこだわった。その他、文字盤のカラーバリエーションも豊富に用意して男女ともに使えるようにした。
価格は日本円で6万5000円ほど。主にアジア市場でエントリーユーザー向けに、いわゆる「高コスパ」なモデルとして市場に投入した。
TSUYOSAは商品だけでなく、マーケティングにも工夫した。
「TSUYOSAは機械式の時計で、クオーツ式とは異なる戦略が求められます。具体的には、まず専門メディアの有識者やコレクターなどへのアプローチから始めました」と平松氏は振り返る。
■欧州で起きたうれしい誤算
コレクターの中でも、トレンドに敏感な先進層であるいわゆる「アーリーアダプター」と呼ばれるターゲットからアプローチした。
マーケティング理論では、こうした先進的な層の支持を確保しつつ、いかに一般大衆にまで広げるかが難しいとされる。
だが、TSUYOSAは不思議と認知・購買を広げていき、一般的な認知を得たところでマス広告も打ち出し、どんどんと裾野を拡大していった。
良い意味で「シチズンらしくない」文字盤の強いカラーリングや「オーセンティックかつ機械式、さらにヘリテージという異色の組み合わせ」(平松氏)の商品は店頭で目を引き、香港では黄色を中心に売れていった。
その後、売れ行きを加速させる“うれしい誤算”が起こる。もともとはアジア向けに、過去売れていたモデルをリニューアルして発売しており特に「若者向け」を銘打ってもいなかったのだが、なぜか欧州で若者に支持が拡大していった。
担当の平松氏ですら「なぜここまで広がったのか、正直よく分からない」と振り返るものの、欧州発のYouTubeやSNSで他社製品との比較動画がいつの間にかどんどんと投稿されていた。これにより、瞬く間に若者の間にTSUYOSAの人気が一気に広がったのだ。
「香港をはじめとするアジア市場で狙い通りヒットしており、販売先を拡大したところ、なぜかフランスでいきなりTSUYOSAに関するSNS投稿が増えていきました」(平松氏)
■企業ではなくユーザー発の命名
フランスでは、ファンの間で商品を「命名」にするという“事件”も起きた。同地で2022年に発売すると、「#TSUYOSA」とついたSNSの投稿が増え、それがいつしか愛称となっていたのだ。
シチズンの商品に名前や型番はあれど、基本的に愛称というものがない。フランスで“命名された”当時を平松氏は「正直どうやって定着していったのかわからない。何なら少し、違和感もありました」と振り返る。

「日本人からすれば『腕時計に強さ? どういうこと?』という感じで。とはいえ徐々に検索ワードとしてボリュームが無視できないほどになっていき、さてどうしようかと」(平松氏)
大治社長も「基本的に、今まで愛称を商品に冠することはNG。普通だったらダメ」と話す。とはいえ、SNS上のムーブメントは無視できない。社内でも議論がかなりなされたというが、結局はファンたちが付けた愛称をシチズンが公認する形で「“TSUYOSA” Collection」と名が付いた。
その後、TSUYOSAは、ユーザーが他メーカーの商品と比較する動画を挙げるなど「企業発」ではなく「ユーザー発」のコンテンツがさらに増えていく。
このような、ユーザーから偶発的に発生した“熱”を絶やさず、そこに薪をくべる形でどんどんとTSUYOSAの人気は拡大していった。
■こうして大ヒット商品になった
例えば、SNS戦略ではこれまでになかったような大胆な表現の施策も実行した。同社では中心となるユーザーが中高年であることから、これまではなかなかアプローチしてこなかったミレニアル世代やZ世代との接点づくりも強化していったという。
欧米を中心に「TSUYOSA旋風」を起こした商品だが、実際にはどれくらい売れたのか。
シチズンでは時計の型(モデル)ごとに売り上げを集計しており、2023年のデータではぶっちぎりの1位となっている。これまで年間で1~2位だったモデルの4倍ほど売れているというから、驚きだ。

さらに期間を広げ「過去10年の売れ行き」を見ると、TSUYOSAは2位にランクイン。とはいえ1位は2015年に発売した商品で、TSUYOSAより長く販売している分のハンデがある。発売からまだ4年ほどで2位にランクインしたことを考えると「過去10年で最も売れたシチズンの腕時計」といって差し支えないだろう。
それにしてもなぜ、これほど売れたのか。
もちろんシチズンでは過去にも若者向けの商品を扱っているが、大治社長は「経験的に、若者市場を狙って作ったら売れる、というような簡単な話ではありません。実際、過去には若者を狙った商品で在庫の山を築いてしまった苦い経験もあります」と話す。
■「高単価でもシチズンの時計は売れる」
そうした過去の商品とTSUYOSAとの違いについて、大治社長は3つのポイントを挙げて説明する。
ひとつは、やはり名前を付けたこと。型番だけと名前があるのとでは、後者の方がSNSで拡散されやすい。店頭でも買い求めやすくなり、シチズンとしては“異例の対応”だったが、それが良かった。
2つ目は当時のトレンドにしっかりと乗れたこと。先述のラグジュアリースポーツしかり、過去のモデルを参照した「ヘリテージモデル」という潮流しかり、カラフルなラインナップしかり、マーケットインの発想が功を奏した。

最後のポイントは、競合が相次いで登場したこと。YouTubeで比較動画が数多く投稿され、コスパだけでなくこだわって作ったTSUYOSAはクオリティ面で評価が高かったという。
TSUYOSAがシチズンにもたらした恩恵は、ただ単体商品がヒットしたことによる売り上げ拡大にとどまらない。
例えばアジアと欧米以外では、インドでもヒットした。インドではシックなカラーリングで低めの価格帯の商品が売れる傾向にあったが、TSUYOSAがヒットしたことで「高単価でも、シチズンの時計は売れるという小売店の信頼につながりました」と平松氏。昨今は腕時計の高単価化が進む中、大きな一歩となった。
実際に、TSUYOSAの後継モデルとして登場したケースやバンドにチタニウムを使用した「Zenshin(ゼンシン)」は、バリエーションを増やして価格も高めた。今ではTSUYOSAと合わせ、欧州売り上げの2割強を両モデルが占めるほど稼ぎ頭になっている。
■チャレンジ精神を醸成する契機に
チャレンジを奨励する文化の醸成という意味でも、成果があった。
これまでNGだった異例の「名付け」がヒットの一因になったこともあり、大治社長は「若い社員を中心に、今後はもっとチャレンジをしてもらいたい」と期待を寄せる。
シチズンブランド生誕100周年だった2024年には、記念モデルとして100万円の懐中時計を発売。社内では「懐中時計で100万円は強気すぎないか」という反論も根強かったというが、フタを開ければ即完売。
今後もこうした前例や固定観念にとらわれないチャレンジを推進していきたいと話す。
中でも若者向けの商品は「今すぐに時計を買ってもらう必要はないと考えています。重要なのは、とにかくシチズンに継続的な興味を持ってもらうこと。そして、何かきっかけがあったときにシチズンを選んでもらうことです。
『シチズン=時計の会社』という表面的なイメージだけでなく、生活様式などまで踏み込んで、しっかりと若者に向き合う必要があるでしょう。失敗を恐れず、さまざまなチャレンジを生み出していきたいですね」(大治社長)

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鬼頭 勇大(きとう・ゆうだい)

フリーライター・編集者

広島カープの熱狂的ファン。ビジネス系書籍編集、健保組合事務職、ビジネス系ウェブメディア副編集長を経て独立。飲食系から働き方、エンタープライズITまでビジネス全般にわたる幅広い領域の取材経験がある。

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(フリーライター・編集者 鬼頭 勇大)
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