プレジデントオンラインは、トヨタ自動車の企業内学校「トヨタ工業学園」(愛知県豊田市)に迫る連載を2024年11月より掲載してきた。トヨタの人材教育はどのように行われているのか。
豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが、富士スピードウェイでスーパー耐久24時間レースの走行を終えた豊田章男会長を直撃した――。
■7つの顔を持つ男
豊田章男はトヨタの会長だ。トヨタのクルマの味付けをするマスタードライバーでもある。また、レクサス車の味づくりの最終責任者でもあり、レクサスブランドを広く伝える役割も担っている。カーレーサーとしてはMORIZOと名乗っていて、車好きの人たちに大人気だ。他にも日本自動車会議所会長をはじめとする業界の仕事、トヨタモビリティ基金理事長といった公益活動も行っている。その他にもいろいろやっている。世界有数の多忙な人だ。
今回、わたしがインタビューした場所は静岡県小山町にある富士スピードウェイだった。同サーキットでは5月末日から24時間の耐久レース「スーパー耐久シリーズ2025 Empowered by BRIDGESTONE」が開かれていた。MORIZO選手が乗った液体水素エンジンのGRカローラ(トヨタ・ガズー・ルーキー・レーシング所属)は開発車両向けクラスに出走した。GRカローラが周回したのは468周(1周約4.6キロメートル)で、61台のうち、41位だった。
そして、24時間のレースのなかで、MORIZO選手が乗ったのは約40周だ。
■たんに順位を競うだけのレースではない
水素エンジンはトヨタが市販化に向けて開発している次世代の動力源である。水素は液体にすれば体積が約800分の1となる。気体で積載するよりも液体にしたほうが航続距離を延ばすことができるが、その代わり、-253℃で管理しなければならない。液体水素を管理し、車に充填する部分は岩谷産業が担当していた。自動車レースはチームで行うものだ。トヨタだけでは水素エンジン車は走らない。なお、水素エンジン車による過去のチャレンジでは周回数が330~350周台だった。今回は周回数を大幅に増やすことができたのである。
そして、カーレースとは順位を競うだけのイベントではない。水素エンジン車のような通常の製品企画の延長線上にない型破りな車を開発するためには、作って、走って、壊して、直すというサイクルを短時間でまわすことが必要となる。そのためにはスケジュールが決まっているレースは最適だ。

水素エンジン車を時速200キロ超で長時間、走らせて、急加速、急減速させる。そうして車を鍛える。車が止まったり、エンジン、ミッション、足回りなどに異常が出たりしたら、その場で調べる。異常な箇所を顕在化させて改善するのはトヨタ生産方式に則ったやり方だ。車をレースで走らせ、鍛えて、改善することは市販するための前提条件の一つにもなる。
■レース後の豊田会長を直撃
レース会場で豊田章男は大人気だ。レーシングスーツを着た彼が会場内を歩いていると、たちまち人だかりができる。レースのファンはヘルメットやタオルを持ってきて、「MORIZO」とサインしてくれと言う。子どもたちは彼に手を振る。豊田章男は子どもたちには握手をして、イラスト入りシールをあげたりする。子どもたちはMORIZOシールをもらって、ニコニコしながら走り出す。
そろそろレースが終わろうとする頃、わたしはGRカローラのピット前にいた。
すると、豊田章男がやってきた。出走した後だったが、疲れている様子はなかった。むしろ、元気で機嫌がよく見えた。
「ああ、野地さん、いらしてたんですね」

「はい、あまりに突然ですが、インタビューお願いします。聞くことは3つだけです」
■トヨタ工業学園の教育は社員に生かされているか
【豊田】トヨタ工業学園はいい学校だと思います。工業高校の役割を持つ高等部、工業高校を卒業した方たちが専門教育を受ける専門部とふたつのコースがあるのですが、世の中の多くの人たちに知ってもらいたいと思います。
ひとつ疑問に思ったこともあります。
「トヨタ工業学園でやっている人づくりはトヨタ自動車にいる社員たちにも行っているのだろうか」
人事担当に伝えました。「もっと学園のことを知ろう」
トヨタ工業学園の訓練生、卒業した社員はトヨタの現場の強さを代表しています。今日も、ピットクルーとして車の整備をやってくれている人もいるんです。
――わたしは10年以上、トヨタのさまざまな現場を取材してきました。今回は豊田さんが「人づくり」に熱心にかかわってきたことがよくわかりました。
そして、社員のみなさんが自信と元気を取り戻したと感じています。それは豊田さんがやったことです。
トヨタには「モノづくりは人づくり」という言葉があります。トヨタでは昔から人づくりがいちばん大事だと言ってきました。それが「トヨタらしさ」なんです。
■祖父・喜一郎から受け継がれる「人づくり」
仕事を現地現物で考えていくように、人づくりも現場で行う。ただ、一時期、現場で考えるのではなく、オフィスのなかでの議論が優先されるようになっていました。トヨタらしさが消えていきそうだった。私は社長になってからトヨタという会社と闘いました。なぜ、トヨタのトップが会社と闘うのですか? とよく聞かれますが、それは会社と対立するという意味ではなく、トヨタらしさを取り戻すための闘いだった。
トヨタらしさ、トヨタの人づくりは創業時から脈々とこの会社にありました。創業者の豊田喜一郎はトヨタが創業した翌年、人づくりのために青年学校(トヨタ工業学園の前身)をつくっています。
会社を作るのと人づくりは同時でした。いや、人づくりは自動車に進出する以前からやっているはずです。
――わたしも調べました。おっしゃる通りです。豊田喜一郎という人は計画的な人で、自動車に進出する11年前(1926年=豊田自動織機製作所の設立年)から現場の人間の技術を向上させるために海外から高性能の工作機械を買い集めています。トヨタの社史によると、喜一郎は「紡織機を作るには必要以上に高級なる工作機械」を導入しました。そして、目的は「自動車工業に移る下準備、職工(ママ)の養成」だったのです。モノづくりの前に人づくりをする人で、そのために惜しみなくお金を使う人でした。
■「トヨタらしさ」を真剣に考えてきた
まさしく、それがトヨタらしさなんです。そしてトヨタ工業学園にはトヨタらしさが残っています。ただし、個々の教育内容にはAIのような新しい技術をちゃんと入れています。変えることと変えないことを明確に分けています。

私が社長になる前にトヨタは急拡大して、本来の自分たちの強みを見失いました。ただ、われわれには立ち戻るべきものがあった。それこそが「トヨタらしさ」だと思います。だから私は社長になってからずっと、「トヨタらしさって何?」を真剣に考えてきた。トヨタが復活できたかはわかりませんが、商品は確実に変わってきた。同時に、トヨタらしさを失うのも一瞬です。だから言い続けなければいけません。
■トヨタはずっと「町」を作ってきた
――豊田喜一郎は大変な人です。しかし、トヨタでは一時期、あまり創業者について語っていませんでした。
会社の中で喜一郎はプロモートされてこなかった。喜一郎について語らないということは、創業の原点を忘れるということです。あとは、やっぱり孫としては、良いところを何も見なかった喜一郎たち、創業メンバーの無念を晴らしたいという想いが強いです。
――豊田さんはウーブンシティを作りました。ウーブンシティをやったことで社員は未来のトヨタに期待するようになったのではないでしょうか。社員に未来を見せるということは経営者がやらなくてはならないことだと思います。また喜一郎の話になりますが、喜一郎がつくった挙母(ころも)工場(現:本社工場)の設計図を見ると、さまざまな施設があります。まるでウーブンシティみたいです。
そうです。ウーブンシティのプロトタイプかもしれない。昔の拳母工場のなかには教育施設の青年学校(現トヨタ工業学園)、従業員の男女別宿舎、試作車のテストコース、運動場がありました。工場の外には病院と販売店(スーパーマーケット)も作っています。
工場というよりも町でした。トヨタは工場だけをつくるのではなく町をつくってきたんです。
■「私には部下はいません」の真意
今、トヨタの海外工場へ行くと、進出してから25周年、30周年になったところがあります。工場の周りにはトヨタが学校、病院、スーパーをつくっていますから、工場を中心としたひとつの町になっている。そういうところへ行くと、地元の人たちから「ありがとう」と言っていただけます。
それは喜一郎が拳母工場をつくった時からのトヨタらしさなんです。海外で工場をつくって、そこに病院や学校を作って地域と一緒に取り組むのもトヨタなんだと思います。
――調べてみると、豊田喜一郎は何か嬉しいことがあったり、新しいことに挑む時、トヨタの仲間と一緒に酒を飲んでいます。周りを叱り飛ばしたとか怒ったという逸話は出てこない。機嫌のいい人なんでしょう。そして、豊田章男さんも機嫌がいい。
それは、1人じゃ何もできないという感覚があるからです。私もそうです。1人では何もできないとわかってます。
でも、私には部下はいませんよ。「部下はいないけど仲間がいる」。
大企業、大組織になると肩書き重視になります。上司と部下の関係が固定されてしまいます。でも、ピットに入ると私はドライバーです。会社では会長と担当者でも、ここではドライバーとエンジニアという役割の関係になります。本当に普通の会話をしています。だから仲間は現場でしかできないんだと思います。
■サラリーマン入社なのに「創業家」と言われ…
私はサラリーマンとしてトヨタに入りました。祖父の喜一郎、父親の章一郎は最初から取締役で入社しています。私はひとりのサラリーマンとして現場から始めました。サラリーマンの一面は見られることなく、「創業家」と言われて、リアルを知らない人から叩かれました。みんな、肩書きというレッテルを貼るのが好きなんですよ。
私は肩書きに捉われたくありません。肩書きを外して人づくり、仲間づくりをやっています。限られた24時間のなかで、どれだけ多くのお客さまや現場の社員と話ができるか。姿を見せることができるのか。サーキットに来ても、奥の院みたいなラウンジに引っ込んでいるんじゃなくて、とにかく歩き回って、リアルな姿を見せています。
――豊田さん、人知れず、苦労されていますね。
(苦笑)いや、私を見た人は苦労しているとは思ってないですよ。
――そうですね。豊田さんはいつも機嫌がいいから。わたしは一流の経営者はみんな機嫌がいいと思っています。人前で秘書を怒ったりする経営者はもはや存在できない時代なんですよ。
いやいや、私の場合はみなさんに非常に気を遣っているだけ(笑)。一流とも思っていませんし。
■日本人が失った自信を取り戻すには
――最後にひとつ。豊田章男さんは、トヨタ社員の自信を取り戻すことに力を費やしたと思います。では、日本人が自信を取り戻すには、何をすればいいでしょうか?
自分の原点に戻ること。原点に戻って基本に忠実に仕事をする。それだけです。そうすれば自信がつく。
社長になった時、リーマンショックでしたし、リコール問題もあって、うちの社員はみんな自信を失っていた。
その時、「われわれはクルマ屋だ」と言いました。みんな、原点に戻って働くぞ、と。
それ以前、自信は失っていたのだけれど、メディアからは「売り上げが日本一だ。利益も日本一だ」と。クルマの話なんかまるで出てこなかった。あの頃のトヨタは金融会社みたいで、数字の話ばかりしていたんです。
だけど、そうじゃないんだ、と。トヨタらしさを取り戻そう。うちはクルマ屋だから商品が評価されるようにしようじゃないか。それを言って、やっただけです。
■「日本は現場が強い」
今、日本と日本人が自信と元気を取り戻すためには原点に戻ること。現場で考える。日本は現場が強い。現場の強さに自信を持てばいい。それを勘違いしてはいけない。経営者がいい、管理職が優秀だとか……そうではありません。肩書きが上になった人がその気になって現場におかしな指示を始めると会社はたちまちダメになる。大切にするのは現場です。現場と自分のところの商品は何なんだと自覚すること。原点がわからなくなったら、迷ってしまう。
――ありがとうございました。今、あらためて豊田喜一郎について調べています。
喜一郎はトヨタ自動車の創業者です。そして、佐吉はトヨタグループの始祖。トヨタでは喜一郎と章一郎までが創業世代で、私は継承者だと思っています。
* * *
トヨタの人づくりは創業者から受け継がれたものだ。創業者の豊田喜一郎は拳母工場を人づくりの拠点にした。豊田章男はウーブンシティを人づくりの拠点にしようとしている。豊田章男は開かれた町、ウーブンシティのなかでユーザーと一緒に暮らしながら新しいモビリティを作ろうとしている。それは豊田喜一郎が拳母工場をつくった時の考えと相似している。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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