仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。
今回取り上げるのは野地秩嘉『伊藤忠 商人の心得』(新潮新書)――。
■イントロダクション
ウォーレン・バフェット氏は数年前から日本の総合商社に注目し、大手5社に大規模な投資を行っている。その5社の中でも勢いが目立つのが伊藤忠商事だ。
純利益では三菱商事、三井物産に及ばないものの、2025年2月の時価総額では業界トップ。就職人気ランキングでも上位の常連である。同社の強さはどこから来るのか。
本書では、伊藤忠商事の現会長兼CEOを務める岡藤正広氏を中心に、2021年から社長COOを務める石井敬太氏など要人の言葉を集約。そこから、伊藤忠ならではの「商売」「ビジネス」における考え方や戦略のエッセンスを導き出している。
伊藤忠のルーツには近江商人の「三方よし」という考え方がある。「売り手や買い手だけでなく、世間にもよい」という意味がよく知られているが、岡藤氏の実践してきた軌跡からは少し違う意味が見出だせるようだ。
著者はノンフィクション作家。著書に『サービスの達人たち』『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』(共に新潮社)、『警察庁長官』(朝日新書)、『スバル』『海を渡った7人の侍』(共にプレジデント社)など多数。

1.稼ぐ言葉

2.近江商人の言葉

3.口に出さない言葉

4.働き方の言葉
■2020年から企業理念を「三方よし」に変えた
岡藤正広は営業になった時、ひとつの「商人の言葉」を持っていた。贈ってくれたのは当時の本部長。後に伊藤忠の副会長になった商人としての先輩だ。「商人は水や」。岡藤の一生を決めた言葉であり、座右の銘とも言える。
岡藤は説明する。「水は方円の器に随(したが)うという言葉がある。商人も水のようにお客さんに合わせなくてはならない。そんな意味です。商人はお客さんが欲しいものを見つけて持っていく。お客さんというのはマーケットの要望。僕はしきりにマーケットイン、マーケットに聞けと言っているが、それはこの時の言葉から来ている」
「自分が儲けるためにはパートナーであるお客さんが儲かる仕組みを考えないといけない。
これは大事な点で、普通なら自分を起点にして儲けの仕組みを考えがちだが、それではうまくいかない。では、お客さんが欲しいものをどうやって探せばいいのか。それは現場へ行くこと。お客さんに聞くこと。データを分析するより、ひとりでも多くのお客さんに直接、会って話を聞くことしかないんですわ」
伊藤忠のルーツは近江商人である。近江商人の言葉のなかでも知られているのが「三方よし」。この言葉は、売り手、買い手、世間の三方にとってよい取引をしろという意味だとされている。伊藤忠は2020年から企業理念を「三方よし」に変えた。
■ひとりで売り手、買い手、世間という3つの立場になる
斯界の権威、滋賀大学名誉教授の宇佐美英機はこう解説する。「近江商人独自の商売のスタイルを長年続ける過程で到達した精神が『三方よし』の源流にあり、それを最初に明確に言語化したのが、初代伊藤忠兵衛です。日本で『三方よし』を『創業の精神』とまで言い切れるのは、初代伊藤忠兵衛を創業者に持つ伊藤忠商事と丸紅だけではないでしょうか」(伊藤忠統合レポート2020)
「三方よし」の起源には諸説があり、人によって解釈の余地がある言葉だ。わたし自身は三方よしを次のように解釈している。
三方よしとは、売り手、買い手、世間と、3人の人間がいることが前提の言葉だ。だが、商人とは果たして、売り手、買い手と立場が固定される存在なのだろうか。
商社は品物を仕入れて売る。つまり、売り手でもあるけれど買い手でもある。さらに加えて、商人はその取引が正しいか正しくないかという第三者(世間)の目を持っていなくてはならない。つまり、現実の商人はひとりで売り手、買い手、世間という3つの立場を経験している。
すると、もうひとつの意味が生まれてくる。それは「自分だけを起点にして商売を考えない。自分だけが儲かる仕事にしないこと」。そして、これは岡藤がつねづね言っていることだ。
■「在庫が余って困ってる」と言われ…
岡藤が若手社員時代、紳士服地をラシャ屋(*卸商、問屋)に販売していた時のことだ。あるラシャ屋からこう言われた。
「お宅から仕入れた在庫が余っていて困ってる。だからといって付き合いのないルートに流して安売りされたらもっと困るしなあ。どうすればいいかな、岡藤さん」
売り渡した商社の人間がラシャ屋の在庫の責任まで持つ義務はない。しかし、岡藤は相手が困っているのを見て必死に打開策を考えた。売り手の立場だけでなく、生地の買い手の立場に立ったのである。「わかりました。在庫になった生地は伊藤忠の国内支店の社員に売ります」
岡藤は買い手を伊藤忠の国内支店の人間だけにしておけば、格安で売ってもブランドイメージが傷つくことはないと考えた。そこでラシャ屋の人とトラックに乗り、釧路支店から鹿児島支店まで日本全国をまわって販売を続けた。そうして在庫の紳士服地を売り切ったのである。ラシャ屋は喜んだ。「商売が終わった後なのに、あんた、うちのためにようやってくれた。ありがとうな」
売り手の伊藤忠は買い手から感謝された。
買い手のラシャ屋は在庫をさばくことができた。そして、ブランド物の紳士服地を安く買うことができた伊藤忠の国内支店の人間も喜んだ。これが三方よしのビジネスだ。
■「重要なのは儲けの仕組みを自分で主導できるかどうか」
「稼ぐにはただお客さんの儲けを追求していればそれでいいわけではない。重要なのは儲けの仕組みを自分が主導できるかどうか。イニシアチブ(主導権)を握ることができるかどうか」。岡藤はこう言う。
彼が新入社員時代、伊藤忠の繊維部門は海外から生地を輸入して稼いでいた。輸入の仲介だ。伊藤忠は海外の生地メーカーから輸入した生地を、ラシャ屋を通して百貨店、紳士服のテーラーなどに卸していたのである。だが、輸入の仲介であればどこの商社でもできる。客はどこの商社が輸入してもかまわないし、同じ生地であれば安くしてくれるところから買う。
商社にとっては価格競争になってしまうから、儲けは薄くなる。
そこで岡藤が考えたのが、ブランドの導入だ。イヴ・サンローランのデザイン監修のもとに、英国やイタリアの生地メーカーに発注し、ラベルにサンローランのブランドネームを付ける。サンローラン側には売上げに応じてロイヤリティを支払う。この仕組みで伊藤忠はイニシアチブを握った。
スーツ生地ではイヴ・サンローランから始めてブランドの数を増やしていった。スーツの次は紳士向けオーダーシャツ生地の権利を獲得した。これもまた次々とブランドを増やした。
■レスポートサックの買収でグローバルネットワークを手に入れた
スーツ、シャツとライセンスを取得するビジネスを始めたとたん、「ひとつずつのライセンスでは効率が良くない」ことに気づく。岡藤は、ライセンス権を獲得する交渉をするならば靴やカバン、眼鏡なども含めたすべてのアイテムを含んだ包括契約にした方がいいと悟った。こうして伊藤忠は、これらブランドの日本における独占製造販売権を獲得していく。総合的なライセンスビジネスだ。
次の展開はブランドの商標権を買収することだった。岡藤は考えた。「提携より買収だ。ブランドの商標権を買えばいい。もっと言えば会社そのものを買えばいい」。まずは日本における商標権を買収する。ハイリスクだがハイリターンだ。そうして1999年からの数年間で伊藤忠は数百億円を出して十数件のブランド商標権を買収した。
商標権の買収に止まらず、ブランドを所有する会社そのものも買収した。ひとつの例がアメリカのブランド企業、レスポートサックだ。レスポートサックを買ったことで、生産から販売までのグローバルネットワークを手に入れた。
「商売の心得は『か・け・ふ』。稼ぐ、削る、防ぐだ。稼ぐは儲けてくること。削るは、無駄なコストを減らすこと。そして、防ぐは特別損失がないように危機管理すること。このなかで、もっとも難しいのは防ぐこと。稼ぐと削るはやってみれば結果は出てくるけれど、防ぐとは見えないリスクをどうやって見つけて、対処するかです」
■「守る」ために必要な策は「攻める」こと
「守る、防ぐための策は攻めることです。攻めて、稼いで、貯金を作る。そうして、多少の負けにも耐えられる体力をつけておく。もともと、伊藤忠の繊維事業は羊毛のような原料を輸入する川上分野、繊維製品を輸出する川中分野が強かった。ライバル商社に比べても、圧倒的に強い基盤を持っていた。ところが、この両分野の商売が、時代が進んでだんだんおかしくなってきた。
普通であれば不採算事業はやめるしかないが、新しい収益の稼ぎの柱がないのに撤退したら、損失が増えるだけ。どうしたかと言えばブランドビジネスで打開した。新しい稼ぎの柱ができたから、儲けたお金で川上と川中分野の不採算事業から撤退できた。そして、事業を入れ替えながら資産効率を上げていった。絶えず次の収益の柱を探して育てる意識が必要。
儲かっていないと本来の守りはできない。攻撃のいいところは、川上、川中の不採算を川下分野で補えたように、どこでも攻めることができることです。一方、守りは今、現実に戦っているところしか守れない。やはり、攻めは最大の防御です。実践するのは決してたやすいことではないですが」
※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
■コメントby SERENDIP
2025年5月に発表された2026年3月期の業績予想では、大手商社5社の中で伊藤忠が純利益でトップに立つ見通しだ。石井敬太社長は、国内事業の成長があり、トランプ米政権による関税政策による影響も限定的との見方を示したと報道されている。「か・け・ふ」、そして「攻めて守る」といった伊藤忠の心得は、変化が激しく先行きの不透明感が増す昨今、より重みを持ちそうだ。

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