静岡県伊東市の田久保真紀市長の学歴詐称疑惑が話題だ。田久保市長は辞職したうえで市長選挙に改めて立候補する考えを明らかにしている。
元東洋大学研究助手で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「東洋大は知名度が高いものの、超高偏差値ではない『絶妙な立ち位置』にある。そうした大学の卒業にまつわる『疑惑』だからこそ、耳目を集めているのではないか」という――。
■市長の記者会見に感じた強烈な違和感
静岡県伊東市の田久保真紀市長が、7月7日に記者会見を開き、辞任した上で、再選挙に出馬する意向を示した。田久保市長は、東洋大学「除籍」だったと判明しているが、記者会見でも「卒業証書」を持っていると述べた。
暖簾に腕押し、というか、不気味というか、ともかく脱力するしかない。それが、記者会見を見ての感想である。
今回、田久保市長が指摘されている「疑惑」の発端は、「学歴詐称疑惑」である。「東洋大学卒業」と、少なくとも、新聞やテレビ各社からの選挙前の取材に答えていたのに、結果として「除籍」が判明している。
ほかにも、当選後、伊東市の広報誌に「東洋大学卒業」と記載した虚偽公文書作成疑惑など、複数の「疑惑」が報じられている。
ただ、今回の会見では、そうした数々の「疑惑」に答えるのではなく、すべてを「きちんと捜査機関のほうにすべてお調べいただいて、その結果を見ることが一番、真実に近いかたちを市民のみなさんにお示しできる」と述べるだけだった。
こうした態度には、脱力感しか抱けない。「卒業証書」が本物だと主張するなら、その証拠をみずから示す以外にない。
証拠は、東洋大学に問い合わせれば、すぐに出る。出ないのであれば、「卒業証書」が本物ではない。それだけではないか。
それなのに、わざわざ捜査機関、それも市内の男性が刑事告発をした警察ではなく、静岡地方検察庁に任せるのだという。
まずもって「疑惑」に答えないばかりか、告発されていないほうの捜査機関に書類を出すというのだから、どこまでも、話が噛み合わない。記者会見と言いながら、質疑が行き違っている印象を拭えなかったのは、彼女の姿勢にあるのではないか。
■なぜ多くの人が関心を持つのか
そんな姿勢が許されるのは、伊東市民以外の、ということは、ほとんどの人たちにとっては、直接の関係はないからである。広く考えれば、伊東市への地方交付税交付金にも、私が支払った税金が含まれているので、かかわりがあるとは言え、それでも、距離は遠いからである。
他方で、伊東市民かどうかはわからないが、同市役所には今月に入って2日間だけで300件ほどの問い合わせが寄せられ、多くが田久保市長への苦情だったと、地元の静岡朝日テレビが報じている(静岡朝日テレビ7月3日〈「除籍」判明の田久保市長…市役所には1日300件の電話 ほとんどが苦情 議会は辞職勧告決議案提出の構え 静岡・伊東市〉)。SNSや、ネットニュースへのコメントでも、「学歴詐称疑惑」や、その後の対応(の稚拙さ)への怒りが多い。
ここまで多くの人の関心を惹きつけるのは、なぜなのか。それもまた彼女の姿勢にある。
彼女が、まるで「無敵の人」に見えるからではないのか。何を言っても響かない。筋道立てて問い糺したとしても答えない。その態度は「無敵の人」ではないか。
■田久保市長は「無敵の人」
「無敵の人」は、2ちゃんねる創設者・西村博之氏が言い始めた(とされる)ネットスラングで、何も失うものがない状態で犯罪をためらわない、もしくは、ためらわなかった犯罪者を指す。
「無敵の人」は社会から排除されていた人だから、排除されているどころか、地域社会の中心とも言うべき行政の長である田久保市長とは、正反対の属性である。にもかかわらず、彼女の何も恐れない、何を言われてもスレ違う、そんな姿勢が「無敵の人」に見える。
今後、彼女はどうするのか。市長という立場を守るのであれば、「除籍」かどうかを確かめてから立候補するに違いない。当選後に「除籍」が明らかになる=卒業していないとわかれば、まさに今のように、辞めざるを得ないからである。
あるいは、みずからの尊厳を守るのであれば、「除籍」が判明した時点で、速やかに辞任し、出直し選挙には立候補しない。有権者に謝罪し、罪を償うなど、何らかの禊を済ませた上でなければ、再出発はできないからである。

しかしながら、今の彼女の決断を見るに、市長の身分も、誇りも、どちらも、彼女は捨てているのではないか。その捨て方は「無敵の人」そのものではないのか。
■そもそもなぜ辞任するのか
そもそも、辞任の理由が解せない。学歴を詐称していたから、嘘をついていたから、そして、公職選挙法に違反していた恐れがあるから辞任する、というならわかる。だが田久保市長は、辞任の理由について明言していない。
「あらためて市民の判断を仰ぎたい」から辞めるのなら、「学歴詐称疑惑」を、どこまでも否定しなければならない。そのためには、東洋大学による「除籍」が間違いだと証明しなければならない。すぐにでも東洋大学に対して、自分の持っている「卒業証書」が本物であり、「除籍」されていないと主張しなければならない。
「卒業証書」は本物だ(と思っている)から、検察に調べてもらう。その姿勢をふくめて市民に判断してもらうなどという理屈は、荒唐無稽で、度し難い。少なくとも私の理解力をはるかに超えている。
あらゆる大学にとって、入学試験と並んで、卒業判定は、教育・研究機関としての根本にかかわる、もっとも重要な要素である。
すでに大学側が「除籍」という記録を答えている以上、もし東洋大学が、田久保市長に対して「卒業証書」を出していたとしたら、大学を廃校しなければならないほどの大スキャンダルではないか。
市民の判断を仰いだり、検察の捜査に委ねたりする前に、まずもって、田久保市長みずから、あらためて「除籍」の根拠を東洋大学に求める以外にない。なぜ、辞任するのか。
■卒業証明書は15分で入手できる
ここまで強く言うのは、私が、おととしまで東洋大学に勤めていたからである。末端の研究助手に過ぎないし、卒業判定にはかかわっていなかったから、どこまで厳格になされているのか正確にはわからない。
しかし、私の勤務していた4年半、同大学の組織としての手続きの厳密さを日々、痛感していた。ボールペン1本を買うのにも、何人もの確認とチェックを行う。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、それでも、東洋大学は、大きな組織でありながらも、徹底されている印象が強い。
そうした組織が、よりにもよって「卒業証書」を「除籍」した人に向けて、発行するだろうかと考えると、ありえない。実際、東洋大学のOBである消費経済アナリストの渡辺広明氏は、卒業証明書を約15分で入手できたという。このように、同大学の手続きは、きわめてクリアに、かつ簡易にできる。
くりかえすが、田久保市長は、いますぐに東洋大学に対して「除籍」が誤りであり、自分の持っている「卒業証書」が本物だと確かめてもらえば良い。
今回の「疑惑」に対しては、それ以上でもそれ以下でもない。
■過去にもあった「政治家の学歴詐称問題」
にもかかわらず、ここまで話題になっているのは、なぜなのか。
それは、「学歴」に関する疑いだからである。かつて私は、本サイト(プレジデントオンライン)に寄せたコラム(〈本当は「コロンビア大院卒の超高学歴」なのに…小泉進次郎氏が「これだから低学歴は」とバカにされる根本原因〉)で、日本社会は「学歴コンシャス社会」だと述べた。多くの人が大学に進学し、卒業するようになったからこそ、その大学名にこだわる社会に、私たちは生きている。
とりわけ政治家にとっての「学歴」が、躓きの石になった事例を、私たちは、いくつも見てきた。
2003年11月の衆議院選挙で、民主党(当時)から立候補し、山崎拓・自民党副総裁(当時)を小選挙区で破った古賀潤一郎氏は、「米国ペパーダイン大学卒業」と、選挙公報などに記載した。当初は、思い込みによる書き間違いだと主張したり、みずから渡米して大学で在籍記録を確認したりしたが、結局は詐称していただけだった。
■「学歴」疑惑だから人々を逆撫でする
「米国ペパーダイン大学」という、そこまで馴染みのない大学名だったため、かえって古賀氏の「学歴」が注目されたのとは逆に、今回の田久保市長は、東洋大学という、知名度が高いものの、超高偏差値ではない大学だから、人々の神経を逆撫でしたのではないか。
東京大学や京都大学ではなく、東洋大学の卒業にまつわる「疑惑」だからこそ、耳目を集めたのではないか。
実業家の堀江貴文氏は、このニュースを引用したXで「Fラン私大の学歴詐称なんてどーでもいいだろ。」とポストした。
これに対して、「東洋までFランにしないで」など、1日ほどで900を超えるリプライがついた。
「Fラン」とは、ボーダーフリー(BF)、つまり、入学試験(ボーダー)が機能していない(フリー)レベルの大学を指し、大手予備校の偏差値では35以下とされている。すると、東洋大学は、どうだろうか。
■東洋大の「絶妙な立ち位置」
河合塾では40.0から57.5、東進では50から65であり、「Fラン」と呼ぶには無理がある。とはいえ、ここでの目的は、ホリエモンへの反論ではない。「Fラン」の定義を説きたいわけでも、彼の認識をあらためさせたいわけでもない。
そうではなく、「Fランではない」と反論する人たちが多くいる、その絶妙な立ち位置が見えるのではないか。たとえば、東京大学や京都大学、早稲田大学や慶應義塾大学といった「高偏差値大学」については、だれも「Fラン」だとは考えない。「東大はFラン」と書いたら、その人の見識が疑われる、というよりも、単なる間違いだと、スルーされるだけだろう。
これに対して東洋大学は、「Fラン私大」ではないのだが、ないからこそ、田久保市長は「除籍」なのに「卒業」を主張している。東洋大の「絶妙な立ち位置」が、多くの人々の反応を引き起こしているのではないか。
お門違いとはいえ、検察に調査(捜査)を委ねる、と記者会見で公表した以上、もう、田久保市長に出口はない。可能性としては、彼女の持つ「卒業証書」が本物で、東洋大学の「除籍」という記録と通知が誤っているのかもしれない。
けれども、万が一、そうした事態、すなわち、東洋大学に過ちがあったとしたら、大学としての資格を失うしかない。
とすれば、結果は、火を見るより明らかではないのか。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)

神戸学院大学現代社会学部 准教授

1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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