参政党が支持を伸ばしている。『SNS選挙という罠』(平凡社新書)を書いた文筆家の物江潤さんは「単にSNSなどネットで人気を集めているだけではない。
彼らの戦略は、倫理的な危うさがあるものの、うまいと言わざるを得ないところがある」という。ライターの梶原麻衣子さんが聞いた――。
■なぜ参政党を支持する人が増えているのか
――都議選に続き、参院選でも参政党が存在感を増しています。
【物江】参政党の神谷宗幣代表には十数年前にお会いしたことがありますが、当時の神谷氏は「龍馬プロジェクト」という地方議員によるネットワークを作って活動する直前だったと思います。
2007年に吹田市議会議員になった神谷氏は2010年に「龍馬プロジェクト」を立ち上げており、その後、20代から40代の地方議員200名以上が参加しています。参政党の地方組織が全国に張り巡らされているのも、神谷氏に組織づくりや運営の基礎、ノウハウや経験が蓄積していたためでしょう。
加えて、SNSで参政党を支持すべきと思わせるようなストーリーを展開しています。2020年の結成以来、黎明期には反ワクチンなど危なっかしいところに手を突っ込み、いわばリスクを取って支持層を拡大しました。
■「まともな政党」に見せている
――存在感を増すごとに参政党への批判も強まっています。保守層からも「陰謀論的」と批判されています。
【物江】確かに初期は反ワクチンを前面に打ち出していましたが、今はかなりソフト路線に転じています。
ホームページやチラシの文言を見ても、〈薬やワクチンに依存しない治療・予防体制強化で国民の自己免疫力を高める〉とあり、一見すると普通に見えてしまう。
ただし、反ワクチン的な思考を持っている人からすれば、「ワクチンに反対してくれている」と受け取れるわけです。
さらには「反グローバルエリート」や「反グローバリズム」も打ち出していますが、これは見た人が自分の都合のいいように解釈できる言葉でもあります。ある人は反ワクチンと結びついて海外の大手製薬会社への批判だと受け取るでしょうし、一部の保守派は「戦後、アメリカによるWGIP(占領政策)によって骨抜きにされた日本人の魂を取り戻すものだ」と解釈することが可能です。
イメージ先行の抽象的な言葉だからこそ、受け止める側の都合次第で解釈できるのです。
■「参加型」という絶妙な設定
――「日本人ファースト」を掲げたことで右派とみられていますが、一方で反グローバリズムや有機農業、オーガニック信仰などはむしろ左派的なイメージもあります。
【物江】参政党は「参加型」として、党員や支持者も含めて「みんなで党と政策を作っていく」ことを謳っています。そのため、一部の発言や政策は共同主義的、社会主義的なのに、ある部分では国家主義的だったりするわけですが、特定のイデオロギーに基づいて上から決めているのではないという建前があります。
だからワクチンに関しても「リスクに敏感な人、不安を抱えている人がいる以上、耳を傾けました」という体裁が取れる。
倫理的な危うさがあり、私はこうした党が勢力を伸ばすのは大問題だと思いますが、「非常にうまくやっている」のは確かです。
――一方、昨年の都知事選で大躍進を見せた石丸伸二氏が率いる「再生の道」は都議選で議席を取れず、参院選でも目立っていません。
【物江】石丸氏は、都知事選では自身の安芸高田市長時代の「既得権益側の地方政治家vs.しがらみのない改革者・石丸」という、善と悪の戦いというストーリーをうまく作り、自身を正義の側に置きました。
石丸氏の支援者を「正義を支持する側」に見立て、連帯して石丸氏を押し上げるという演出が功を奏しての得票だったと思います。
私もかつて松下政経塾にいたので選挙活動に参加した経験がありますが、SNSを駆使し戦況を大きく変えてしまったという点において、従来では考えられないような現象でした。
■石丸氏が都議選で敗北したワケ
【物江】では都議選はどうだったかというと、石丸氏自身のストーリーが賞味期限切れにはなったというよりは、候補者をそのストーリーに巻き込めなかったことに敗因があると考えます。
石丸氏が展開する善と悪の戦いの中で、例えばある候補を「税理士経験を活かし、既得権にまみれた小池都政の財政問題を徹底追及する『石丸の右腕』」のように打ち出していれば、ストーリーを伝播させることができたかもしれません。
あるいは従来通り、地元に張り付いて有権者との顔の見えるコミュニケーションや支持者固めを、時間をかけて行うという手法もあったとは思いますが、「再生の道」の候補者の選抜が終わったのが都議選の約2カ月前。これでは地上戦で太刀打ちできません。
地上戦もストーリーの伝播もない状態で、選挙の素人の候補者たちが放り出された結果の議席ゼロだったと思います。この点で組織づくりの基礎がある参政党とは全く違います。
また、石丸氏は今回、敵を作って善悪の構図に置くのではなく、都議会はあくまでも知事の監視を行うものであるとして、党としての公約も作りませんでした。続く参院選では「教育の質を高め、国民の能力を向上させる」としています。
石丸氏がどこまで意図しているかは分かりませんし、石丸氏をフォローするわけでもありませんが、「既存政党を名指しで攻撃する」「外国人を敵視する」というのではない、敵を作らない手法は、選挙には勝てなくても倫理的な姿勢ではあると思います。
■N党・立花氏と参政党の違い
――特にSNSを使った選挙運動では、敵を名指しして戦う姿勢を見せることで「バズらせる」手法が増えています。
【物江】常に敵を見出して攻撃するというのは全体主義のやり方で、極めて危険です。
現在使われている高校の公共の教科書でも〈極端に単純化した争点を掲げ、大衆の欲望を読んで「敵」を見つけて攻撃するなどのポピュリズムには注意が必要である〉とその危険性が指摘されています。
全体主義の社会では、どこにも所属意識を持てない寄る辺のない大衆に「あいつらが私たちの共通の敵なのだ」「だから束になって立ち向かおう」と煽る。団結するには敵が必要だというわけです。まさに石丸現象を支えた人々や、NHKから国民を守る党(現在はNHK党。以下N党)の支持者はバラバラの個々人が集まってかたまりになっているものです。
ただし、参政党の場合、先述の通り組織づくりの蓄積がありますから、SNSだけで寄る辺のない人々を集める全体主義的な手法のみで拡大した、とは言いきれない面があります。
N党の立花さんはトリッキーな選挙手法を編み出し、SNSでバズらせる能力はありますが、議員経験や政治的な組織づくりの経験が豊富だとは言い難い。翻って、参政党には土台と基礎があった点が、他の政党以上に組織を拡大させられた大きな理由でしょう。
■SNS選挙のいちばんの問題点
――参院選前にはSNS上の選挙関連のコンテンツは収益化させないなどの規制についての議論もありました。
【物江】政治的意見の表明は表現や言論の自由の根幹でもありますから、仮に法整備をしたとしても、限定的なものにならざるを得ないと思います。選挙は選挙期間中よりもそれ以外の時期の方が圧倒的に長いですから、期間中だけ制限しても、効果は少ない。
SNS選挙が台頭する前までは、告示日にはすでにだいたいの選挙結果は決まっていると言われてきました。
それは選挙戦に入る前の段階から、立候補を予定している人たちが事実上、選挙区内での知名度を上げるなどの選挙の準備をしてきたからです。
SNSを活用した選挙の一番の問題は、選挙が候補者や陣営以外の人たちにとって「どの候補のコンテンツを流せばカネになるか」を判断する見本市になっていることです。
経済合理性とアルゴリズムによって、数字の取れる候補者の動画が表示されやすくなり、それに応じてコンテンツの発信者も集まってくる。しかも異常なまでに早いフィードバックを得られますから、動画の切り取り方や音声、字幕の付け方、煽り方なども洗練されていく。
■敵をつくり続け飽きさせない
【物江】市場原理主義に鍛え抜かれた動画やSNSのコンテンツに、アルゴリズムが加わるわけで、これに抗えという方が難しい。問題意識もなく動画を眺めていたら魅力的なコンテンツが流れてきた、と感じるに決まっています。
しかも候補や陣営によっては魅力的なコンテンツであり続けるため、賞味期限切れを防ぐために、敵を作り続ける手法を選ぶでしょう。
――参政党を警戒するあまり、特にSNS上では支持者に対しても「頭が悪い」など、もはや人格否定とも言えるような批判をぶつけている人もいます。
【物江】それは問題だと思います。トランプ支持者に対してもそうですが、「支持者であるというだけでおかしな人扱い」をするべきではありません。
日々、普通に生活をしていて何らかの不満や不安を抱いていながら、既存政党や政治家に対する信用を持てなかった人がいる。「何とか生活を安定させてほしい」という気持ちを託す先がどの党であったとしても、それだけをもって全人格を否定するようなことは言うべきではありません。

■人格攻撃や誹謗中傷は「同じ穴の狢」
――頭ごなしに批判された支持者は被害者意識を持つようになり、より攻撃的な姿勢に転ずる可能性もあります。
【物江】新型コロナ禍の際、「本当にワクチンを打って大丈夫なのだろうか」という不安を抱えていた人が、それだけで周囲から「頭のおかしい人」扱いをされたことで、反ワクチン的なネット上のコミュニティに入り込んでしまうということがありました。こうなると身近な人間関係が絶たれてしまい、ますます特定のコミュニティに依存するようになってしまいます。
一部の参政党の支持者自身がネット上で目に余る行為をしているのも確かです。それでも、参政党に対して「あの憲法草案はひどい」と批判するのはいいですが、人格攻撃や誹謗中傷は避けるべきです。何よりそれでは「敵を見つけて攻撃する」系の人と同じ穴の狢になってしまいます。
■メディア批判→ネット妄信
――新著では、メディア批判が転じてネット妄信になってしまう問題も指摘されています。
【物江】メディアに啓蒙されるのも、ネットに啓蒙されるのも、どちらも自立していないことに問題があります。外から入ってきた意見を妄信していることに変わりはありません。
楽観的な見方をすれば、何事にも過渡期があって、例えば高度経済成長期には公害問題が起きたが今はある程度克服されているといったように、あまりにも急速に普及しすぎたネットやSNSの副作用が出ているのが現在で、いずれ付き合い方を見出せるとも考えられます。
しかし一方では、悲観的な見方もできます。先ほども言いましたが、ネット上のコンテンツは即時フィードバックとアルゴリズムがかけ合わさり、カネ儲けまでできる市場原理主義の世界ですから、うまく利用する側と、悲しいかな利用される側に分かれるのは必然です。

■「メディアリテラシーを高める」は間違いの元
――処方箋はありますか。
【物江】ネット上のデマなどに対しては「メディアリテラシーを高めて真偽を判定できる能力を育てよう」とよく言われますが、率直に言ってこれは間違いの元です。自分が普段接している業界や、従事している仕事など、確信を持てること以外は真偽を判定しないことが重要です。
ネットを使うなというのではありません。まずは自分が確信を持てるテーマから、国会議事録など一次資料に当たってみることをおすすめします。そのうえで、誰が、どの党が、その分野の現状を正確に把握しているかを判断するのです。
過去、多くの知識人たちは、市井の人々が「世界の全体像」や「すべてを説明してくれる物語」を強く欲する傾向にあることを指摘してきましたが、まさにその欲求に応じる形で、全体主義は拡大していきました。
「世界の全体像を知りたい」という欲求に対し、話を単純化した魅力的なストーリーを提示できた人が、政治権力を握ってきた。こうした欲求を利用してきた人たちが過去にいたという歴史を知ることが必要です。
私の言葉で言えば「見えないものを見せようとするストーリーや単純化を警戒する」ことが重要なのではないかと思います。

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物江 潤(ものえ・じゅん)

著述家

1985年福島県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東北電力に入社。2011年退社。松下政経塾を経て、現在は地元で塾を経営する傍ら、執筆に取り組む。著書に『ネトウヨとパヨク』『デマ・陰謀論・カルト』など。

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(著述家 物江 潤)
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