高齢になっても若々しくいるためにはどうすればいいか。脳科学者の茂木健一郎さんは「年齢を重ねるほど、脳の司令塔である前頭葉の機能が低下しやすくなるので、意識的に鍛えることが重要だ」という――。

※本稿は、茂木健一郎『60歳からの脳の使い方』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■シニアが励む「脳トレ」、実は意味ない?
脳を活性化させる習慣として、真っ先に頭に思い浮かぶのは「脳トレ」でしょう。認知症などを予防するため、日夜多くのシニア世代が「脳トレ」に取り組んでいるのは広く知られるところです。
でも、非常に残念な話ですが、最新の研究では脳トレをしても、認知機能にはあまり改善が見られないことがわかっています。
カナダ・ウェスタン大学の研究によると、脳トレゲームをした人としていない人では、記憶力や言語能力に大きな差がないことが明らかになっています。また、イギリスのアバディーン王立病院とアバディーン大学の研究でも、数独(すうどく)などを解いても、認知機能の低下を防ぐ確かな効果は認められていません。
■計算力や語彙力は鍛えられるが…
もちろん、脳トレそのものを娯楽として楽しむことは、悪いことではありません。ただ、脳トレは特定の課題を繰り返し行うことでその特定の能力だけを向上させるものです。計算力やパズル解答能力、語彙力などは向上するかもしれませんが、脳の機能自体を鍛える効果はないのです。だから、「脳トレをやっていれば、脳は鍛えられるのだ」と思うのは大きな勘違いだと言えるでしょう。
では、特定の部位に偏らず、脳自体を効率よく鍛えるにはどうすればいいのでしょうか。
私たちの脳には様々な役割を担う部位がありますが、60代以降の脳を鍛える上で重要な役割を果たすのが「前頭葉」という部位です。
前頭葉は、感情や衝動をコントロールしたり、計画を立てたり、意思決定を行ったりといった高度な情報処理を司る、いわば脳の司令塔です。
■脳の司令塔「前頭葉」を刺激する
司令塔である前頭葉は、計画を立てたり、問題解決をしたり、論理的に考えたりする「実行機能(エグゼクティブ・ファンクション)」を担当しています。簡単な計算やパズルを解くような能力は、会社で言えば各部署の細かな作業に過ぎず、会社全体の戦略を担う社長役である前頭葉の働きを直接高めるものではありません。
会社が成長するためには、各部署の能力向上ももちろん大切ですが、それ以上に社長のリーダーシップや判断力が不可欠です。同様に、脳の健康や認知機能を維持・向上させるには、前頭葉を積極的に刺激し、脳の総合的な能力を伸ばす必要があります。
特に年齢を重ねるほど、前頭葉の機能は低下しやすくなるので、意識的に鍛えることが重要になっていくわけです。
■新しいことに挑戦すると良いことだらけ
それでは、前頭葉を総合的に鍛えるために必要なことは何か。
最も手っ取り早い方法は新しいことにチャレンジすることです。なぜ、新しいことに触れると、脳が活性化するのでしょうか。それには様々な理由があります。
まず、私たちの脳は、新しい情報や経験に触れると、内側から活性化されます。これは、脳内で「ドーパミン」という神経伝達物質が分泌されるため。
ドーパミンは、やる気や快感、集中力の向上に関与し、特に「報酬系」と呼ばれる神経回路を刺激します。この報酬系の活性化により、学習意欲や行動力を高めてくれるのです。
さらに、外部からの新しい刺激には、脳の「可塑(かそ)性(プラスティシティ)」を高める効果があります。これは、神経細胞同士の新たな結合が形成される能力を指し、学習や記憶の基盤となります。新しい環境や情報に接することで、脳内のネットワークが再構築され、認知機能の向上が見込まれるのです。
加えて、新しいことに対する好奇心は、学習意欲を高める原動力となります。未知の情報を知りたいという欲求が、ドーパミンの分泌を促し、結果として集中力や記憶力の向上につながります。このように、好奇心と学習意欲は互いに影響し合い、脳の活性化を促進してくれます。
「新しいことに挑戦する」というと、なんだか大変な事のように聞こえますが、実践するのはごく些細な変化で構いません。お買い物に行くルートを変える、新しい趣味を始める、異なるジャンルの本を読むなど、些細な変化でも、十分脳の活性化につながるのです。
■スマホを活用するだけで脳は活性化する
現在の60代以降にとって幸運なのは、現代社会には脳を活性化させるのに絶好のチャンスがたくさん転がっていることです。
AIをはじめとするテクノロジーの急激な進歩によって、社会や暮らしが日々めまぐるしく変化しており、これまで経験したことのない新しい技術やサービスがどんどん登場しています。
これらを次々に試していくだけでも、脳はどんどん活性化するでしょう。
とはいっても、何も最新テクノロジーに触れる必要はありません。スマホの新機能を試してみたり、巷(ちまた)で話題になったアプリを使ってみたり、AIチャットボットとお話をしてみたり。そうした時代が起こしてくれる新しい変化に乗っかるだけでも、脳はどんどん活性化していきます。
未知の分野に一歩踏み込むことはリスクを伴いますが、成功すれば自信になりますし、たとえうまくいかなくても得るものは大きいもの。
■見習うべきは「世界最高齢プログラマー」
たとえば、高齢になってから初めてアプリを開発し、世界最高齢プログラマーとして注目を浴びた若宮正子さんはその代表例だと言えるでしょう。新たなことに挑戦する勇気があれば、年齢を問わず新しい可能性がぐっと広がっていくものです。
新しいことを積極的に楽しむ姿勢は、これからのAI時代においてシニア世代がより豊かで充実した人生を送るための重要な鍵になります。脳を活性化させ、時代の変化を味方につけるためにも、未知の世界に飛び込む姿勢を持ってみてくださいね。
物事をポジティブにとらえることも、脳の機能を活性化させる一つの手段です。
最近、脳科学の分野で特に注目されているのが「前頭葉の再解釈機能」というものです。これは、英語では「リアプレイザル」と呼ばれ、同じ出来事をポジティブに解釈するかネガティブに解釈するかで、その意味合いが大きく変わることを意味しています。

■なんでもポジティブ解釈したほうが脳にいい
たとえば、コップに水が半分入っている状況を想像してください。
それを見て、ある人は「もう半分しかない」と考え、別の人は「まだ半分もある」と考えるでしょう。同じ状況でも、前者はネガティブに、後者はポジティブに物事をとらえていることがわかります。このように、とらえ方ひとつで、感じ方も大きく異なってくるものです。
では、どちらのほうが脳によいかといえば、どんな状況であっても、物事をポジティブにとらえるほうが、脳にはよい影響をもたらします。
有名な事例として知られるのが、アフリカで靴を売りに行った二人の営業マンの話でしょう。営業マンたちは、アフリカの人々が裸足で歩く光景を目にします。それを見て、一人の営業マンは「アフリカでは誰も靴を履いていないから、靴を売ろうとしても売れない」と悲観的に考え、撤退を考えました。
ところがもう一人は、「誰も靴を履いていない。きっとこれからたくさん売れるはずだ」と前向きに考え、販路拡大を進めたのです。このように解釈次第で、結果はまったく異なるものになるのです。
■定年退職を嘆くか、喜ぶかで人生が変わる
60代以降の人々にとって、この「前頭葉の再解釈機能」は特に重要です。

なぜなら、60代以降は、仕事や社会的立場、ライフステージが大きく変わる時期です。その際、現在の自分の状況をどう解釈するかで、その後の行動は大きく変わっていくからです。
仮に、あなたが定年退職を迎えたとしましょう。そのとき「社会的な地位を失ってしまった」と喪失感を抱いて落胆するか、「ようやく自由な時間を得られた」と喜びを感じるか。どちらの解釈を選ぶかで、その後の人生の質は大きく変わるはずです。
年齢についても同じことが言えます。「もうこんな年齢になってしまった」と落ち込む人がいる一方で、「これからの人生で今日が一番若い日だ。やりたいことに全力で取り組もう」と前向きに考える人もいます。どのように解釈するかが、人生を豊かに楽しむ鍵となるのです。
どうせなら、何事もポジティブに受け入れて、その前提のもと行動したほうが良い結果につながるはずです。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)

脳科学者

1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。
理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院特任教授(共創研究室、Collective Intelligence Research Laboratory)。東京大学大学院客員教授(広域科学専攻)。久島おおぞら高校校長。『脳と仮想』で第四回小林秀雄賞、『今、ここからすべての場所へ』で第十二回桑原武夫学芸賞を受賞。著書に、『「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本(共著)』『最高の雑談力』(以上、徳間書店)『脳を活かす勉強法』(PHP研究所)『最高の結果を引き出す質問力』(河出書房新社)ほか多数。

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(脳科学者 茂木 健一郎)
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