7月2日、九州を地盤とする小売企業「トライアルホールディングス(トライアル)」は、総合スーパー(GMS)である西友の買収完了を発表した。
かつて、わが国の有力スーパーの一つだった西友は、バブル崩壊の1990年代以降に業況が悪化し、2002年に米ウォルマートと包括的な業務提携を締結した。
ただ、ウォルマートとの提携でも、西友は本格的な業況回復につなげることは難しかった。2023年までに、ウォルマートは西友株の85%を投資ファンドのKKRに売却した。今回、トライアルはKKRとウォルマートから100%の株式を取得した。
トライアルの最大の強みは、小売分野でのデータ分析にあるようだ。持株会社の傘下には、トライアルカンパニー(流通小売)と、Retail AI(小売分野でのデジタル技術導入業)2つの分野がある。
トライアルの永田洋幸代表取締役社長は、Retail AIのトップを兼務している。同社は、データ分析による消費者の潜在需要発掘などを得意としている。トライアルが持つ分析能力を駆使すれば、西友の店舗の効率性や収益性が高まる可能性はあるだろう。
■買収金額は営業利益の20倍近くだが…
一方、やや懸念されるのは、トライアルの買収負担が大きいことだ。同社の業績予想によると、2025年6月期の営業利益は192億円(期初計画比83.5%)だ。それに対して、西友買収の費用は約3800億円である。本業のもうけの19.8倍の買収コストを背負うことになる。
西友買収が期待された成果を上げることができれば、恐らく、トライアルは買収による収益基盤の拡大に取り組むことだろう。今回のトライアルの西友買収は、わが国小売業界の再編加速のきっかけになる可能性は高いとみる。
トライアルは、わが国の小売業界の中で異色の存在だ。元々の祖業は、1987年に開始した小売企業向けのシステムの受託開発だ。当時、消費者の好み、来店の範囲やタイミングなどを把握するソフトウェアを開発した。
トライアルは、データ分析で獲得した知見を、商品開発、マーケティング、店舗形態など小売ビジネスと結合した。1992年にディスカウントストア分野に進出し、福岡県大野城市に1号店をオープンした。1996年には、顧客データの蓄積・活用を開始すると同時に、北九州市にスーパーセンター(総合スーパー)を出店した。
■レジに並ばず決済できる「スキップカート」を発明
2010年代以降、ソフトウェア開発は加速した。2013年、商品メーカーとデータを共有するITプラットフォームを構築し、2015年には“スキップカート”と呼ばれるレジカート(タブレット端末のついたカート)を導入した。
スキップカートを使うと、消費者はレジに並ばず買い物を済ませられる。
トライアルは、店舗運営にもデジタル技術を積極活用した。AI搭載カメラ、センサーを数多く配置し、リアルタイムでの売り場の状況確認、万引き防止の体制を確立している。さらに、消費者の行動、支出金額、買い物の傾向といったデータも蓄積した。
データ分析によって、低価格帯、かつ満足度の高い食料品などを開発し、顧客のよりよい購買体験(カスタマー・ジャーニー)につなげた。同社は、得られた資金で食品関連企業を買収し、需要創出ペースを引き上げた。
その結果、2025年6月期の第3四半期時点(累計)で、小売事業の売上高は約5970億円に増加した。うち、75%を食品が占める。うち約28%が加工食品、約16%が卵や乳製品、約30%が生鮮食品だ。
■「4割が地方」の立地戦略は維持できるのか
トライアルの店舗分布を見ると、348店舗のうち143(41%)は九州にある。
近年、同社は、都市部で“トライアルGO”という、ブランドの小型スマートストアの出店を増やそうとしている。トライアルGOは、弁当やスイーツを中心に、食品をメインに扱う。コンビニと異なり、鮮魚の寿司や海鮮漬け丼、電子レンジで調理可能なミールキットも扱い、多種多様な食のニーズに対応する体制を整えた。出店地域の消費者の事情に合わせて、青果、日用品も扱う。
気象状況や季節、日々の在庫変動に柔軟に対応するため、物流体制の拡張が必要だ。トライアルは、首都圏の西友の店舗を小売とスマートストア向けの物流拠点として扱い、収益性を引き上げることを目指している。
同社は、首都圏を中心に245店舗を持つ西友を買収した。九州以外の地域でのシェア拡大、スマートストア出店加速が当面の同社の成長戦略といえる。
■なぜ西友、イトーヨーカドーは凋落したのか
近年のわが国の小売業界の動きを見ると、イトーヨーカドーのように総合スーパーの業容拡大は難しくなった。一方、食品分野に集中し、大都市圏に出店を増やした小売店の業績はしっかりしている。
その背景には、消費者の考え方の変化がある。衣料や日用品などはネット通販で手に入れる。鮮度やおいしさが決め手の食品はリアルな店舗で買う。こうした行動様式を持つ消費者は増えている。首都圏でトライアルが、主に食料品をメインにした小型店舗を増やすことは、消費者のニーズの変化に適応するために必要だ。
ただ、西友の買収がトライアルの収益拡大に寄与するかは不透明な部分もある。3800億円の買収金額のうち、同社は約3700億円を銀行から借り入れる。借入金額は2025年3月末時点の純資産(1255億円)を上回る。
IT分野での先行投資の負担、出店加速によるコスト増加の影響もあり、同社が財務内容を早期に健全化できるか不安は残る。
■“小が大を食う買収”に残された課題
今後のトライアルの事業運営を中期的な視点で予想した場合、首都圏で西友の既存店売り上げ、トライアルGOの新規出店が収益性の引き上げに寄与すれば、トライアルの成長は加速することになるはずだ。
同社の信用力は向上し、追加の買収戦略を企図する可能性は高まるだろう。同社が大手の小売企業や投資ファンドから食品小売事業を取得したり、東南アジアなど成長期待の高い海外市場に進出したりするといったシナリオも想定される。
小型店舗の出店、閉店のコストは大型店舗に比べ小さい。今後、トライアルがどのように西友の店舗とスマートストアの業態を結合し、事業運営の効率性を高められるかが注目される。
逆に、西友買収が期待したほどの成果につながらない展開もありうる。仮に、買収後の組織の統合・企業文化の調和がうまくいかないと、西友がトライアルのソフトウェア、事業運営の価値観に習熟することは難しくなる。そうなると、一部の資産が他の小売企業に売却されることも考えられる。
■小売業界の合従連衡が始まっている
ただ、一つ間違いないのは、トライアルによる西友買収は、国内の小売業界の合従連衡や再編の加速の触媒になりうることだ。小売最大手のセブン&アイ・ホールディングスは、スーパーマーケット事業を束ねたヨーク・ホールディングスを、投資ファンドのベインキャピタルに売却することを決めた。
ベインは、データドリブン型のマーケティング戦略を推進し、ドミノ・ピザの国内事業の成長を実現した実績を持つ。イオンは“まいばすけっと”のような小型店舗の出店を加速している。ドラッグストア業界では、ツルハホールディングスとウエルシアホールディングスが経営統合し、生鮮食品の取り扱いを急速に拡充し始めた。
今後、わが国経済の回復ペースはかなり穏やかになるとみられる。そうした状況下、自力だけではなく、他社とアライアンスを組んで生き残りを目指す小売業者も増えるだろう。今回の買収はそうした変化の予兆に見える。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)