静岡県伊東市の田久保眞紀市長が学歴詐称疑惑に揺れている。ジャーナリストの小林一哉さんは「怪文書から始まり、メディアが一斉に叩き始めて出直し選挙に出馬する構図は兵庫県の斎藤元彦知事の時とそっくりだ。
田久保市長が市長に返り咲く可能性は十分にある」という――。
■「斎藤知事」とそっくりな伊東市長の学歴詐称疑惑
約1年前から兵庫県で続いている斎藤元彦知事(47)を巡る疑惑とまったくそっくりな政治的なごたごたが静岡県伊東市で勃発し、田久保眞紀市長(55)が全国的な話題をさらっている。
もし出直し選挙となり、田久保氏が勝利してしまえば、斎藤知事の二の舞となる恐れが高い。
昨年から続く斎藤知事を巡る騒動を簡単に振り返る。
兵庫県職員による内部告発の投書を「うそ八百」の怪文書と斎藤知事が決めつけたことからごたごたが始まった。
その結果、県議会は百条委員会を設置して真相究明を続けた。県政記者クラブ所属の新聞、テレビなどのオールドメディアは斎藤知事を強く批判し続けたため、連日、厳しい世論にさらされることになった。
百条委員会の追及をかわす斎藤知事に対して、県議会は全会一致で不信任決議案を可決した。斎藤知事は県議会解散を見送り、自動的に身分を失う「失職」を選択して、そのまま出馬表明も行った。
「いじめられ役」を演じ続けた斎藤知事だが、実際は、逆境に負けないしたたかな「鋼のメンタル」の持ち主であることを全国に示すことになった。
■公選法違反で告発も知事を続けている
出直し選挙で斎藤知事は、自らの提案した政策こそが正しく、「古い政治勢力」の県議会の反対こそが間違いであると訴え、若者やZ世代の支持を取りつけた。若い世代を中心にSNSを駆使した選挙戦略などの支援の輪が広がり、圧倒的な大差で知事職に返り咲いた。

しかし、兵庫県のPR会社代表が知事選でのSNSの広報全般を担った事実を投稿サイトで公開したことをきっかけに、PR会社に70万円支払ったことが公職選挙法の禁じる買収に当たるとして、大学教授らが斎藤知事を刑事告発した。
現在に至っても、地検は捜査中であり、斎藤知事は「民意」をバックに県政を担う強気の姿勢を崩していない。
つまり、さまざまな疑惑がうやむやのままとなり、斎藤知事はのらりくらりと知事職を続けている。
■42億円の図書館新設反対で女性初の市長に就任
一方、伊東市長の田久保氏を巡る政治的なごたごたは兵庫県に比べて、核心に迫るスピード感があまりにも早い。だが、その内容の本質はまったく同じである。
ことし5月25日に投開票された伊東市長選で、田久保氏は自民、公明、連合などの推薦を得て3期目を目指した現職の小野達也氏(62)を約1800票差で破り、同市初の女性市長に就いた。
田久保氏は、小野氏の掲げた約42億円の図書館建設に反対を唱え、白紙撤回することを選挙戦の争点として、女性層を中心に多くの支持を取りつけることに成功した。市長に就任した5月26日に図書館建設の中止を表明している。
■市議全員に届いた「怪文書」
伊東市のごたごたも「怪文書」とされる投書が始まりとなった。
6月上旬に「田久保氏は東洋大学を卒業しておらず、中退どころか除籍だったと記憶している」という学歴詐称を疑わせる匿名の投書が19人の市議全員に送りつけられた。
市長選を前に報道各社に提出した田久保氏の経歴調査票には「平成4年(1992年)3月、東洋大法学部経営法学科」の卒業と記され、当選後の市の広報誌「広報いとう」7月号には「東洋大法学部卒業」となっていた。
このため、6月25日の市議会で「(田久保氏の東洋大学卒業という)最終学歴には詐称の疑いがある」と追及された。

この追及に対して、田久保氏は学歴詐称疑惑への回答を避けた上で、匿名の投書を「怪文書」と糾弾した。
田久保氏は「こうした卑怯な行為をする人間の要求を満たすことになる。代理人の弁護士に任せているので、個人的な発言は控える」などと逃げたが、「怪文書」の内容が事実かどうか明らかにしなかった。
ふつう「怪文書」とは事実無根の内容を指すが、田久保氏の場合、匿名で個人情報を問題にしたことを卑劣な行為と呼んで「怪文書」と位置づけた。
■「怪文書」の指摘は正しかった
田久保氏の学歴詐称疑惑は解消されず、市議会は翌日の26日、7月7日に強い調査権限を有する百条委員会を設置する動議を採決することを決めた。
これに対して、田久保氏は同日、7月初旬に「卒業アルバムと卒業証書を持参して説明する」などと表明した。卒業の証拠を見せるのだから、市民の多くがすぐにでも疑惑解消に向かうと理解した。
ところが、田久保市長は7月2日夜、記者会見を行い、大学側に照会した結果、「卒業ではなく、除籍だったと判明した」と発表した。「(卒業の認識だったため)どういう経緯で除籍となったのか確認していない」などとも主張した。
これで、田久保市長が「怪文書」と決めつけた投書の内容が事実であることになった。「怪文書」が一転して、一般的な公益通報と同じ位置づけとなったのも兵庫県の場合と同じである。
実際には、田久保市長は以前から「除籍である事実」を把握していた疑いも強まった。

■学歴詐称疑惑はワイドショーのかっこうのネタに
世間を驚かせたのは、「大学卒との経歴は選挙中に自ら公表していない。既卒と勘違いしていたが、公選法違反には当たらない」と主張したことだ。つまり、引責辞任はせず、市長続投の意思を示したのだ。
田久保氏はこの会見で提示するとしていた卒業証書とアルバムを持参していなかった。
これでますます田久保市長の学歴詐称の疑惑が高まり、ほぼすべての新聞、テレビが田久保市長に対する怒りの声などを取り上げた。ワイドショーなどのかっこうのネタとなり、連日、田久保市長の学歴詐称疑惑を取り上げている。
除籍が事実なのに引責辞任もしない田久保市長の政治姿勢に、伊東市議会は7日の議会最終日に辞職勧告決議案を可決、学歴詐称疑惑を解明するための百条委員会の設置を全会一致で決めた。
また同日午前、伊東市内の建設会社代表らが田久保市長を公選法違反の疑いで伊東警察署に刑事告発している。
■出直し市長選への出馬を表明
これに対して、田久保市長は同日夜に記者会見を開き、疑惑解明に向けて、東洋大学を卒業したと勘違いした根拠となる「卒業証書」など書類一式とともに、2週間以内に上申書を静岡地検に提出すると表明した。
上申と同時に、市議会議長宛に辞職願を提出する意向も明らかにした。
ただ一度辞職はするが、出直し選挙に出馬する意向も表明した。学歴詐称疑惑で騒がせたことの責任は取るが、あらためて市民の判断を仰ぐのだという。

既卒と勘違いしただけで、学歴詐称を認めたわけではないという何とも奇妙な理屈がまかり通ることになった。
刑事告発された伊東警察署ではなく、静岡地検に自ら上申するのは、警察による捜査を行わせないようにするためだというのがもっぱらの見方だ。
どう考えても、公判機能が主な静岡地検で十分な捜査を行う陣容にはないことを関係者は承知している。
通常、伊東警察署が十分に調べた上で、逮捕あるいは書類送検の是非を判断することになるのだが、今回は検察当局に捜査を委ねるというのだ。
田久保氏は結論までに時間が掛かる静岡地検を選んだことが透けて見える。
■捜査結果が出る前に市長に戻る算段か
出直しの市長選は早くて9月初旬と見られる。静岡地検がそれまでに公職選挙法違反かどうかを判断することはないだろう。
つまり、田久保氏の主張が正しいのかどうか公的な第三者の判断が下されるのはずっと先になってしまうのだ。
それまでに出直し選挙に出馬して、「民意」を得て返り咲けば、兵庫県の斎藤知事同様にトップの座に居座ることができると考えたように見える。
そんな一連の田久保氏に都合のよい動きを見て、市議会は急遽、11日に百条委員会の審議を開始した。
そこで、田久保市長が「東洋大法学部卒業」と掲載された経緯について、「広報いとう」の担当課長らは「田久保氏から提示された卒業証書と卒業アルバムを根拠にした」と証言した。
この証言を受けて、市議会議長が市長室を訪れて、田久保氏に卒業証書とされる文書などの記録を提出するよう請求書を手渡した。
提出期限は今月18日午後4時までとしている。
田久保氏は「弁護士と相談の上、今後の対応を検討する」としている。卒業証書などは弁護士に預けているという。
■知事に出戻りした斎藤知事と構図がそっくり
さてどのように、今回の記録提出の請求を切り抜けるのかどうかはわからないが、これまで同様に何らかの手だてを打つと見られる。
出直し選挙に持ち込めば、斎藤知事同様に危機一髪の場面から脱することができると考えているのだろう。
出直し市長選には田久保氏に敗れた前市長の小野氏が出馬に向けて意欲を示していると報道されている。伊東市議会は「反田久保」で固まり、小野氏を全面的に支援するのかもしれない。
しかし、対抗馬が「古い政治」自民党系の小野氏であれば、田久保氏が再び、勝機を見いだす可能性が高い。
そもそも大卒か大学除籍かなどほとんどの人には関係ない。日本の大学は、入学が難しい場合はあるが、ほぼすべての大学で卒業するのはそれほど難しくはないというのが通説だ。
3期目を目指した小野氏が高卒だったから、大卒の田久保氏に有利に働いた可能性はある。ただ除籍であっても、東洋大学に入学した事実はあるのだ。
大卒、高卒のいずれかが投票を決める判断材料だったとは思えない。
いちばんの争点となったのは図書館建設の是か非かであり、それが有権者の判断に大きく左右したと見られる。
■土俵際まで追い込まれた田久保市長の「奇手」
伊東市議会は「孤立無援」となった田久保氏が、辞職表明と同時にまさか出直し選挙に出馬するとは考えていなかったのかもしれない。
だから、田久保氏がしたたかな政治手法の持ち主であることがわかる。「孤立」しているように見えるが、女性であれだけの「鋼のメンタル」を持っていれば、斎藤知事同様に隠れた熱心なファンがいることもわかる。
オールドメディアが田久保氏を厳しく責め立てるほど、SNSを通じたボランティアが集まる構図が伊東市長選でも繰り返されるだろう。
18日午後4時までに、「卒業証書」を請求する市議会に対して、田久保氏側がどのような対応をするのか、いまのところまったく見えてこない。
ただ、田久保氏が「卒業証書うんぬんはうそでした。申し訳ありません」と非を認めることだけはないだろう。
学歴詐称のしっぽを見せない田久保氏に、市議会は「卒業証書を見せろ」と迫っている。田久保氏は土俵際まで攻め寄られているが、思い掛けない“奇手”を繰り出すかもしれない。
出直し選挙となれば、全国的な知名度を得た田久保氏に伊東市の活性化を期待する声が大きくなってしまうだろう。

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小林 一哉(こばやし・かずや)

ジャーナリスト

ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。

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(ジャーナリスト 小林 一哉)
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