悲惨な事件が後を絶たない。42年間凶悪犯と対峙した「リーゼント刑事」こと秋山博康さんは「初めて死体を見た時のことは鮮明に覚えている。
慣れない動きで腐敗した体液を全身に浴びてしまった。この仕事の厳しさを、頭ではなく体で思い知らされた瞬間だった」という――。
※本稿は、秋山博康『元刑事が国民全員に伝えたい シン・防犯対策図鑑』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■インバウンド需要で海外客増加。スリ対策をするに越したことはない
日本に住んでいると、「スリや窃盗に遭う」なんてめったにない。
警察庁の統計(令和4年版「犯罪白書」)でも、日本の窃盗被害率は人口比で約0.25%。世界的に見ても、異常なほど被害が少ない国や。しかし、イギリスでは日本の20倍、アメリカでは15倍、ドイツでも9倍。
先進国でこのレベル。日本がどれだけ安全な国かがわかるやろ。でも、世界は違う。そこに財布があるから盗る――それが当たり前くらいの感覚や。
だから、海外では危機管理への意識が高い。
一方、日本はいわば「平和ボケ」をしているともいえる。財布を後ろポケットに入れるなんて海外では自殺行為や。リュックを背中に背負ったまま観光地を歩くのもありえへん。
そんな海外の人たちが、今、日本に大量に来ている。円安でインバウンド客は激増。観光地は賑わっているけど、その陰でスリ被害も確実に増えているんや。
外国人スリ集団は、手口が巧妙かつ大胆や。単独犯が多い日本人スリと違い、彼らは複数人で連携して動く。わざとぶつかって転ばせ、財布を抜き取り、すぐ共犯者にリレーで回す。
こうなると、現場で捕まえても実行犯が財布を持っていない。証拠がすぐ消える仕組みや。

狙われるのは、観光地、イベント会場、エレベーター、電車内。人が密集する場所は、すべてスリにとって格好の狩場やな。
■海外と同じような防犯対策を国内でも
日本にも昔から「職業スリ」が存在していた。たとえば徳島の阿波踊りでは、人々が踊りに夢中になっている隙に、後ろポケットの財布をわずか指二本で瞬時に抜き取る「凄腕のスリ」も存在していた。
特にスリが多い大阪では、スリ犯を捕まえるべく研鑽を積んだ捜査員がたくさんおった。阿波踊りの現場でも、先輩刑事たちが大阪から応援に来て、スリの目つきを見抜く技術を教えてくれた。祭りで皆が踊りに夢中になっている中、不審者を見つけて報告したら、「秋山、それはカメや」と言われたこともある。
カメとは、女性の尻ばかり見ているスケベのこと。「カメとスリは同じ方向を見てるが、目つきがちょっと違うんや」とよく怒られたもんや。スリは「財布」を見る。スケベは「尻」を見る。この違いを見分けるには、それなりの技術と経験がいる。
外国人スリにせよ、国内の職業スリにせよ、注意すべきポイントは同じや。
●財布やスマホを後ろポケットに入れたまま歩かない。

●リュックを背負うなら前に抱える。

●カバンは必ずしっかりファスナーを閉めて、体の前に持つ。
海外旅行では当たり前にやる防犯対策を、日本国内でもしっかり意識せなあかん時代になってくるかもしれへん。
観光地に出かけるなら、浮かれすぎず、自分の身は自分で守ること。
そして、国内においても気を抜いたらあかん。それが、今の日本に必要な新しい常識やと思う。
■国を越えても逃げられない。ICPOの国際指名手配
新聞やニュースなどで、「ICPO」という言葉を目にしたことがあると思う。だけど、ICPOが一体どういう組織で、何をしているのかを詳しく知っている人は少ないんじゃないかな。
ICPO、正式名称は「国際刑事警察機構」。

世界中の警察をつなぐための巨大なネットワーク組織や。本部はフランス・リヨン。加盟国はほぼ全世界に及ぶ。だけど、ICPO自体には逮捕権はない。あくまで、各国の警察同士を情報でつなぎ、指名手配や国際捜査をサポートする組織なんや。
たとえば、日本で重大犯罪を犯して海外に逃げた犯人がいるとする。日本の警察は単独では国外にいる容疑者を逮捕できない。そこでICPOを通じて、逃亡先の国に「こいつを捜してくれ」「見つけたら拘束してくれ」と協力を要請する。
これが国際手配や。
国際手配には種類がある。それが、「青手配」と「赤手配」や。青手配は「発見情報だけ報告」、赤手配は「見つけたら拘束して送還してほしい」というより強い依頼や。

赤手配が出るのは、基本的に殺人、組織犯罪、テロなど、特に重大な事件に限られる。国際手配の「色」の違いは、そのまま事件の重さを示しとるんや。
■暴露系YouTuberも「青手配」から「赤手配」に格上げ
実例でいうと、元・半グレ組織のリーダー格の指名手配犯。六本木で殺人事件を起こし、フィリピンに逃亡。日本の警察はICPOに依頼して赤手配を出した。殺人は重大犯罪やから、現地当局に「見つけたらすぐ拘束してくれ」と正式に依頼したわけや。
ちょっと前に話題になった暴露系YouTuberも、最初は青手配やった。だけど、国会を侮辱する発言を繰り返すなど、警視庁と国会を敵に回し、赤手配に格上げされた。「発見だけ」から「拘束・送還」の依頼に変わったわけや。
ただ、現実の国際捜査は簡単じゃない。日本の警察がICPOを通じて国際手配を要請しても、実際に逮捕するのは現地の警察や。
国によって協力姿勢は違うし、「犯罪人引渡し条約」がない国も多い。
たとえば、元・大手自動車会社の大物経営者は金融商品取引法違反で保釈中にレバノンへ逃亡した。レバノンとは引渡し条約がないため、今も捕まえられていない。
■日本警察の執念を甘く見るな
ただ、海外に逃げたら安全――そんな甘いもんじゃない。国際捜査には時間も手間もかかる。だけど、日本の警察は想像以上にしぶといで。国を越えても、海を渡っても、犯罪者を地の果てまで追い詰める組織や。それだけは、甘く見たらあかん。
ちなみに――日本国内にも指名手配制度がある。通常の指名手配犯は年間約500人ほどおる。その中でも特に悪質で、社会的影響が大きい数人だけが「重要指名手配犯」として全国公開される。現在、重要手配犯は12~13人ほどや。
重要指名手配犯を捕まえた場合、警察庁から最大300万円の報奨金が支払われる。さらに、被害者側から別途追加報奨金が支払われることもある。ちなみに、逮捕状は、100点満点中70点くらいの証拠があれば、ガサ状(捜索差押許可状)なら50点くらいあれば取れる。
だけど、指名手配に踏み切るには、100点の証拠が必要や。それくらい、警察も軽々しく手配は出さへん。本当に危険な人物だけを、しっかりと精査して指名手配犯にしているんや。
■累計1000体以上の死を見つめて
ワシはこれまで刑事として、累計1000体以上のご遺体を目にしてきた。人の死と向き合うというのは、簡単なことではない。
忘れられないご遺体との思い出がある。20代後半の母親と、0歳、1歳の子ども二人。屋上から飛び降りた事件だった。無理心中であっても、子どもを道連れにすれば殺人罪(刑法第199条)に問われる。たとえ本人が死亡していても、警察は厳格に検死しなければならない。
検死の際、赤ちゃんの顔を見た。落下する間に流れた涙が乾き、顔に筋となって残っていた。その姿に、こらえきれず涙があふれた。私情を挟まぬよう歯を食いしばったが、すぐそばでは警部補も鑑識も、同じように涙をこぼしていた。
翌日、その様子は「鳴門警察、涙の検死」として新聞に載った。あの日の記憶は、今でも心に深く刺さったままや。
警察官は、嫌でも死体を見なければならない。耐えられずに辞めていく者も多い。水死体、交通事故の遺体――普通の神経では到底やりきれない現場ばかりや。鉄道自殺も凄惨や。本来は鉄道会社が処理するが、現場で対応が困難と判断されれば、警察が代わる。
ワシが初めて死体を見た時のことは、いまでも鮮明に覚えている。
■腐敗した体液でアルマーニのスーツが台無しに
1984年4月1日、刑事として初出勤の日や。徳島本部から無線が入り、鳴門で水死体が発見されたとの一報を受けた。やる気満々で出勤していたが、何をどうすればいいかわからず、「とにかく現場へ行け」と刑事課長から命じられた。
スーツのまま現場に到着すると、新兵扱いで怒鳴られながら、霊安室へ遺体を運ぶことになる。ストレッチャーで運んでいる最中、慣れない動きで腐敗した体液を全身に浴びてしまった。その時のことは、今でも忘れられない。
気合いを入れて着ていたアルマーニのスーツも、その日一日で台無しになった。この仕事の厳しさを、頭ではなく体で思い知らされた瞬間やった。
結局、その事件は自殺だった。その夜、先輩に焼肉に連れて行かれたが、肉を口に運ぶ気力もなかった。若い頃の話やけど、今思い出しても胃が重たくなるな。刑事を続けるには、慣れるしかない。毎日死と向き合ううちに、命の重みを肌で覚えるようになった。
■「人の命は地球より重い」
ワシが心に強く残っているのが、日本赤軍によるハイジャック事件や。パリ発東京行きの日本航空機が乗っ取られ、日本政府は犯人の要求を受け入れた。
福田赳夫総理が言った、「人の命は地球より重い」。あの言葉は、小学生だったワシの胸に深く刺さったな。刑事として殺人捜査に携わるなかで、人の命はお金では買えない、かけがえのないものだと、ずっと自分に言い聞かせてきた。
死刑の基準にも触れておきたい。判例では、残虐性があり、二人以上を殺害した場合が目安とされる。裁判官ですら、死刑の判決を出すときは、夜も眠れないほど苦しむという。法務大臣でさえ、死刑執行の決裁には慎重になる。それほど、人の命を奪うという判断は重いんや。
凶悪事件は減ったとはいえ、殺人事件そのものは今も発生し続けている。自殺も年間2万件以上。なんとかして亡くなる人の数を減らしたいと、退職した今も日々、思い続けている。
殺人犯に共通するのは、身勝手さだ。
人間には欲がある。金がほしい、誰それが憎い、元恋人を自分のもとにつなぎとめておきたい――すべて身勝手な欲望が原因や。
どれだけテクノロジーが進歩しても、人間に身勝手な欲がある限り、殺人はなくならないだろう。それでも、諦めずに一人でも多くの人の命を守る努力を続けるしかない。それが、元警察官としての自分の役割やと、今も信じている。

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秋山 博康(あきやま・ひろやす)

通称「リーゼント刑事」。元・徳島県警捜査第一課警部

1979年徳島県警拝命。1984年、23歳で刑事になると、殺人など凶悪犯罪の最前線の捜査第一課と所轄刑事課を中心に31年間刑事として捜査を担当。「おい、小池!」で有名な殺人指名手配事件に長らく携わった。警察人生42年、2021年3月に定年退職し、現在は犯罪コメンテーターとしてメディア出演やYouTube配信、講演会活動を精力的に行っている。

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(通称「リーゼント刑事」。元・徳島県警捜査第一課警部 秋山 博康)
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