原則的に課税されない「最低生活費」つまり基礎控除に2020年から所得制限がかかるようになった。税法が専門の木山泰嗣さんは「年収2500万円は富裕層ではなく、住宅購入や子供の教育のため働く現役世代も多いのに、なぜ最低限の生活費まで課税するのか」という――。

※本稿は木山泰嗣『ゼロからわかる日本の所得税制』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■2020年から基礎控除が1人38万→48万円に
平成30年(2018年)改正がされるまでは、国民全員に1年で「1人38万円」の「基礎控除」が認められていました。1年で「38万円」で足りるかは別として、全ての国民に認められた「基礎控除」は、だれでも「1人38万円」という明確な制度でした。
現在の報道では、「基礎控除」とは「原則として等しく認められるもの」「ほとんどの人に認められるもの」などといわれています。曖昧なのは、「所得制限」があるからです。
「所得制限」をつくり、「基礎控除」が適用されない人を生み出したのが、平成30年(2018年)改正です。この改正は、令和2年(2020年)分から適用されています。
「基礎控除」の「標準額」と、「給与所得控除額」の「最低保障額」の合計額が「103万円」である時代が30年続いてきました。
平成30年(2018年)改正では、「基礎控除の標準額」が「38万円」から「48万円」に引き上げられました。これは、事業所得者などの他の所得者とのバランス(働き方の多様化)の観点から、「給与所得控除額の最低保障額」を「65万円」から「55万円」に引き下げたことに対応するものでした。
この「給与所得控除額の最低保障額」の引き下げと引き換えに、「基礎控除の標準額」を「38万円」から「48万円」に10万円引き上げたのでした(基礎控除への振替)。
■所得が2500万円を超えると「控除なし」になる
この改正の際に、同時に創設されたのが、「所得制限」なのです。

平成30年(2018年)改正当時は、図表1の上図の内容でした。令和2年(2020年)分から令和6年(2024年)分に適用されました。
これが「基礎控除の標準額」を「48万円」から「58万円」に引き上げた令和7年(2025年)改正で、図表1下図のようになりました(令和7年〔2025年〕分から適用)。
令和7年改正では、別に租税特別措置法が定める「基礎控除の特例」も創設されました。しかし、この「特例」は、一定の所得層にのみ「上乗せ」される「加算額」に過ぎないので、「標準額」は58万円といえます。
ここにいう「合計所得金額」とは、その人の1年の「理論所得」の合計額でした。正確にいえば、総合課税の「総所得金額」と、分離課税の「退職所得金額」と「山林所得金額」の合計額でした。
「暦年課税」の所得税ですから、その年の「合計所得金額」は、人それぞれの状況次第で、毎年変わるでしょう。この「合計所得金額」が、1年で「2350万円」を超えてしまうと、だれにもかかる「最低生活費」に課税しないための「基礎控除」の額が、少しずつ減らされます。そして、「2500万円」を超えると、ゼロになり消えてしまうのです。
■頑張って稼いでいるのに…現役世代を軽視?
「最低生活費」は、だれにでもかかるものです。
特に、令和時代は、子育てをする「現役世代」を考える必要があります。
物やサービスの値段が、軒並み高騰する令和時代に、家族のため子育てのため教育のために働いている「現役世代」こそが日本経済を支えているからです。
「収入増」をせざるを得ない家庭を持つ彼ら彼女らは、自分のためにお金を稼いでいるのではないでしょう。家族や子育て教育のために、必死に働いて家計収入を上げる努力をしているはずです。
それにもかかわらず、頑張って努力した結果、1年の「合計所得金額」が2350万円を超えたら「はい、高所得者です」と扱われるのが、いまの所得税法の「基礎控除」の「所得制限」です。子どもの有無、その人数や年齢、片稼ぎか共稼ぎか、持ち家などの資産があるかなどをみることもなくです。もちろん、高所得者であることは否めません。しかし、「生活費控除の原則」の例外扱いをしてよいとするには、基準と根拠に説得力がありません。
■1年でも高所得者になると「基礎控除」が消滅
問題は、「その1年」に得た「所得の合計額」のみが、「基礎控除」を「制限」する唯一の指標になっていることです。あまりにも、片面的な基準です。
まず、「その1年」の所得だけをみて、「高所得者」扱いをし、「基礎控除」を奪う理由が不明瞭です。たとえば、過去5年分の「合計所得金額」でみるという基準なら、まだ合理性があるといいやすくなるかもしれません。
また、「所得」という点では、単身であるか家庭があるか、家賃や物の値段も高い東京都心部に住んでいるか地方に住んでいるか、子育てが必要な子どもがいるか、老後の生活に心配が及びにくい持ち家があるかなどの、人生で最も稼ぐ必要がある「現役世代」の状況が、全く考慮されていません。

1年の「所得」の多くは稼ぎの証(あかし)ですが、その人には「資産」がないかもしれません。むしろ、その稼ぎを貯金して「マイホーム」や「マンション」を購入しようと計画しているのかもしれません。子どもが大学や大学院に行くことも考え、その入学金や授業料などの教育資金を貯金したいのかもしれません。
あるいは、そもそも、たまたまその年の「所得」が増えただけで、前の年も次の年もそのような「所得」は得ていない人かもしれません。
「暦年課税」の所得税ですから、1年たってみて、12月31日時点で、結果的にその年の「合計所得金額」が「2350万円」を超えていたら、「基礎控除額」に制限がかかります。それが「2500万円」を超えたら「0円」になるのです。
■所得制限は憲法の「生存権」から考えて不合理
給与所得者の場合で考えると、「給与所得控除額」の引き下げがされてきました。そのため、こうした引き下げまえに比べて、「合計所得金額」である「理論所得」は、そもそも高くなりやすくなっています。
このような「所得制限」は、生活のためにも、教育のためにも、老後のためにも「収入」を増やすことが必要な「現役世代」の実情を、全く考慮していません。
「1年の合計所得金額が2500万円を超えた国民」と、「そうではなかった国民」を「差別」する「基礎控除の消失部分」については、次の2点からみて疑問です。
第1に、なぜ、その「1年の合計所得金額」が「2500万円」を超えると、このような「差別」ができるのか、という疑問があります。第2に、「生活費控除の原則」という憲法25条の「生存権」保障との関係で、「合理的な理由」があるといえるのか、という疑問も起きます。

また、「基礎控除の逓減部分」についても、次の点で疑問です。なぜ、「合計所得金額」が2350万円以下の場合には「58万円」満額の「基礎控除」が認められるのに、それを超えると、「逓減」がはじまるのでしょうか。その「逓減」の「基準額」も、「逓減額」についても、「合理的な理由」は示されていません。
「基準額」は、その年の「合計所得金額」が2350万円から「50万円」刻みですし、「逓減額」は「48万円」、「32万円」、「16万円」と「16万円」刻みで減ります(図表1の下図参照)。こうした「差別規定」に用いられたそれぞれの数額についても、「具体的な理由」がわかりません。
■所得再分配は「累進税率」の改正で調整すべき
こうした「基礎控除の所得制限」の規定は、「生活費控除の原則」を要請する憲法25条の「生存権」を侵害するだけでなく、「合理的な理由」のない「差別」として、「法の下の平等」を定めた憲法14条にも違反する疑いがあります(令和7年〔2025年〕改正で創設された「基礎控除の特例」で上乗せされる「加算額」も同様です)。
これは、国民民主党が主張した「103万円の壁」では、触れられなかった問題です。現行法の「所得制限」は、上記2つの憲法の規定に違反していると考えられます。
もし「所得の再分配」を強化したいのであれば、それは「累進税率」の改正で対応すべきはずです。それが「応能負担原則」だからです。
■「最低生活費には課税をしない」という原則
ここで、「生活費控除の原則」にいう「原則」の意味を、明確にしておきましょう。「最低生活費」を「非課税」にする「原則」ですが、現実にかかる「最低生活費」の全額を「非課税」にすることはできません。
「所得税額の計算」の際に「控除」される「最低生活費」の「標準額」については、立法府である国会が定めることになります。
「課税されない枠」を「標準額」として所得税法が定めるので、実際に支出した「最低生活費」のうち「標準額」を超える部分には課税がされます。これが「例外」になります。
「最低生活費」には課税をしないといっても、それが「原則」というなら、「例外」もあることが前提のようにもみえるかもしれません。しかし、その「例外」は、その人の所得の状況で「控除額」を変えたり、消失させたりしてもよい「例外」ではないのです。
実際にも、これまでの日本の所得税の「基礎控除」が、平成30年(2018年)改正までに、「所得」で「制限」されたことは、ありませんでした。
生活費の負担などおよそ関係のないほどの「富裕層」について、もしその「例外」を認めるルールを「所得税法」に定めるというのであれば、いわゆる「富裕層」の定義にあてはまるような階層に限られるべきではないでしょうか。ただし、「資産」を基準にする場合には、住まいである持ち家やマンションでは、ローン残額を考慮しないと意味がなくなります。
■所得2500万円は富裕層とは限らない
富裕層については、法律に定義があるわけではありませんが、最近よく使われる指標があります。それは、野村総合研究所(NRI)が発表している図表2です。
このような「金融資産保有額」の指標にした「富裕層」(保有額1億円以上)を「所得制限」の対象にするのであれば、「最低生活費」の「控除」がなくても、特段の生活への影響は生じないと思われます。そして、そのような場合であれば、まだ「合理的な理由」(合理性)があるといいやすくなるかもしれません。

ただし、生活をしている持ち家の資産価値が上昇しているだけの場合もあります。こうした「保有資産」から判定される「富裕層」にあわせて「所得」の指標も組み入れるのは、ありかもしれません。その場合でも、「所得」を1年だけで判断するのは、妥当でないでしょう。

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木山 泰嗣(きやま・ひろつぐ)

青山学院大学法学部教授

1974年、神奈川県横浜市生まれ。青山学院大学法学部教授(税法)、同大学大学院法学研究科ビジネス法務専攻主任。鳥飼総合法律事務所客員弁護士。2011年に『税務訴訟の法律実務』(弘文堂)で、第34回日税研究賞(奨励賞)受賞。主な著書に、『ゼロからわかる日本の所得税制』『弁護士が教える分かりやすい「民法」の授業』、『弁護士が教える分かりやすい「所得税法」の授業』(いずれも光文社新書)など。

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(青山学院大学法学部教授 木山 泰嗣)
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