■30年以上の少子化対策が徒労の日本が学ぶべき国
なぜ日本は30年以上も少子化対策を講じながら、一向に成果を上げられないのか。その答えのヒントが、中央ヨーロッパの国ハンガリーにある。
同国は2010年から2022年の10年間で、婚姻数を2倍に増加させ、出生率を1.23から1.61へと3割向上させた。2023年はウクライナ戦争、エネルギー危機や経済危機の影響で1.55まで低下したものの(少子化を克服したとされるフランスやスウェーデンなどEU各国も出生率低下)、同国は依然としてEU平均1.38を大幅に上回っている(*Eurostat調べ。EU加盟国の統計を収集・調整し、比較可能なヨーロッパ全域の公式統計データを提供する欧州連合の統計局。同調査では2024年以降の出生率はまだ発表されていないが、ハンガリーを含むEU全体の出生率は低下していると推測される)。
とはいえ、なぜハンガリーは短期間で少子化を改善したのか。
筆者は現地で何度も専門家に取材している。その経験から、成功の要因は日本政府がお得意とするような「バラマキ」ではなく「所得税無償化」を実践したことにあったと言える。
■「仕事に基づく社会」への大転換
ハンガリーの変化は2010年の政権交代に始まる。それまでの左派政権は「給付を中心とした福祉拡大による社会不平等の是正」を推進していたが、新たな保守政権は「仕事に基づく社会」を標榜し、働く若者や家族への支援を通して社会不平等を解決することを最優先課題とした。
重要なのは、ハンガリーが給付制度を完全に廃止したわけではないことだ。
■ハンガリーの3つの政策の柱
ハンガリーの家族政策は「働く人への減税」「家族形成支援」「教育・職業支援」の3つの柱で構成される戦略的アプローチだ。置かれた環境や条件は異なるが、いずれも「2万円バラマキ」が関の山の日本には到底できそうもない政策と言える。
第1の柱:働く人への減税
25歳未満の所得税完全無料制度では、2024年11月までに36万6000人が利用し、若者の手取り収入を大幅に増加させた。さらに画期的なのは所得税免除制度で、30歳未満の母親は完全免除、2人以上の子を持つ母親は生涯免除だ。この制度により、子供を産み育てることは経済負担ではなく、むしろ経済的メリットとなる構造を作り出している。
第2の柱:家族形成支援
住宅と金融面での大型支援も特徴的だ。CSOKプラス制度では子供3人で最大5000万フォリント(約1900万円)の返済不要の住宅補助を提供し、人口5000人未満の集落では農村CSOKとして最大1500万フォリント(約570万円)の住宅補助金を追加する。
金融面では、母親の年齢を35歳までに限定したベビーローンで最大1100万フォリント(約430万円)まで無利子で借りられる。さらに17~26歳の働く若者向けには最大400万フォリント(約160万円)の無利息ローンを提供し、女性の場合は2人目の子供で50%、3人目で100%の債務免除が適用される。借りたお金を返さなくてもよくなるわけだ。
第3の柱:教育・職業支援
結婚し子どもを持つ大学生への30歳まで学費・教育ローン無償・国費留学生制度(国公立教育)が核となる。
■女性の自主性を尊重する設計思想
これらの政策の背景には、「働く、働かない」というどちらの選択をした女性も恩恵を受けられるように「女性の自主性」を尊重する思想がある。
ハンガリーのシンクタンク兼教育機関であるMCC若者研究所の研究部長、キシュ=コジマ・ジョルジナ博士は、「女性が家庭を築き、仕事と子育ての両立がしやすくなっている支援です。同時に政府は、専業主婦の地位を向上させ、専業主婦を同じく支援するよう努めています」と説明する。
合計3年の有給育児休暇では父母だけではなく祖父母も取得可能で、女性の段階的な職場復帰を支援している。また、3歳までの子どもをもつ父母は残業が禁止だ(そもそも残業文化がない)。
■「働く人前提」の制度設計が生む好循環
繰り返しになるが、ハンガリーでの給付の大部分が「(将来)働く意欲のある人」「働いている人」を前提として設計されている。この結果、2010年から2022年までハンガリーの働く女性は59%から75%にまで跳ね上がった(KINCS調べ)。
この現象は先進国共通の傾向だ。
2020年の国勢調査をもとにニッセイ基礎研究所の天野馨南子シニアリサーチャーが分析したところによると、日本の共働きの子ナシ割合は34%で、専業主婦のそれは39%。専業主婦世帯のほうが、子どもがいない。
もちろん、専業主婦を選ぶ女性を尊重しなければいけないが、働きたい母親が働きやすいような社会設計をするのが緊急の課題だ。なにしろ、日本では共働き世帯と専業主婦世帯は7:3と共働き世帯のほうが圧倒的に増えているからだ。
■財源確保の現実的手法
「財源がない、財源はどうするのか」
とは、日本の政治家や官僚が好む減税などを要望された際のステレオタイプな切り返しだ。前出のハンガリーのような、思い切った若い家族に手厚い減税政策などを日本でもぜひ実現してほしいといえば、きっとこの言葉を吐くだろう。
では、そのハンガリーはどうやって財源を捻出したのか。それは、27%という世界最高水準の消費税がその財源だ。驚くことにGDPの約6%もハンガリーは家族政策に費やしている(日本はGDP比約4%にすると岸田文雄前総理が発表)。
筆者が取材したハンガリー人は、政治的スタンスがリベラルであれ保守であれ、全員が高い税金について文句を言いながらも家族政策を支持していた。この支持の背景にあったのは、同国初の女性大統領(2022年5月~2024年2月)を務めたノヴァク・カタリン氏の明確な政治哲学だ。
「国のために子どもを作ろうと思う人はいません。家族政策だけで少子化が解決すると思うのは間違い。
筆者の取材に前大統領は以前、話してくれた。同氏は同国が大転換して成功した2010年の家族政策立案やシンクタンク設立の指揮をとった政治家だ。
ということは、日本も消費税を10%から27%に上げればすべて解決するということなのか? 違うのだ。ここで注目したいは、GDP比の税収が日本と大きく変わらないということ。実は、OECD基準(社会保険料など含む広義の税収)では、日本もハンガリーも約34%でほぼ同水準である。
消費税に関して、日本は欧州よりも低い一方、他の税金が非常に高い。逆に言うと、消費税を現状の10%から上げなくとも、社会保険料を含む国民から徴収したお金の「配分」を変更することで、大規模な若者支援が可能であることを示している。
■日本の「対症療法」vs ハンガリーの「根本治療」
7月20日に投開票される参院選を巡っては、各党が「現金給付」と「教育無償化」などの政策・公約を打ち出している。前向きな政策論議は歓迎したいが、これらをハンガリーの戦略的政策と比較すると、そのアプローチに違和感を禁じ得ない。
日本:対症療法的アプローチ
● 一律現金給付
● 高等教育費の軽減・無償化の段階的拡大
● 住宅ローン減税などの間接支援(所得制限あり)
● 子育て世帯への各種手当拡充(ほとんどに所得制限あり)
日本の政策は「既存制度の微調整」「一時的な負担軽減」が主目的で、少子化対策としての明確な戦略が見えにくい。また、多くの給付や支援に所得制限があるのもいただけない。
■教育無償化の構造的限界
現在の日本の教育制度では、大学の学費が軽減されても、浮いた学費分が前倒しになり塾代に費やされる可能性がある。文部科学省の2023(令和5)年度の分析によると、「公立・私立学校ともに、世帯の年間収入が増加するに連れて、学校外活動費の支出が多い傾向がみられる」という。受験制度や新卒一括採用が維持される限り、教育費の総額は変わらない。
ハンガリー:根本治療的アプローチ
ところが、ハンガリーは「若い家族形成支援」に特化し、返済不要の大型補助と家族形成と連動した包括支援を提供している。基本的に所得制限がなく、明確な家族形成支援として出産と直結した制度設計を行っている。
■日本が学ぶべき5つの政策要素
ハンガリーの政策から日本が学べる最も重要な点は、「無条件給付」ではなく「働く人への減税+給付」を通じた支援の効果だろう。所得税の減免は、働く意欲を高め、労働インセンティブをも高める効果がある。
ハンガリーでの取材を基に日本が採用可能な経済支援として、検討に値する案を整理した。
1.25歳未満の所得税大幅減免(=若者の手取りを直接増やす最も効果的な方法)
2.所得制限のない母親への税制優遇(=母親への経済的自立支援)
3.若者向け超低金利ローン制度(=経済的自立の支援)
4.結婚・出産と教育費減免の連動(=高等教育が出産の妨げにならないよう長期的な人生設計の支援)
5.家族に向けた超低金利住宅ローン制度(=所得制限なしの住宅補助。複数の子どもをもてるように家の買い替えやリフォーム代を補助する住宅支援)
■政策の本質は「働く若者への投資」にあり
重要なのは、これらを「バラマキ」ではなく「働く人への投資」として位置づけることだ。ハンガリーの給付制度は、将来働く意欲のある人、働いている人を前提として設計されており、これが労働インセンティブを高め、結果的に税収基盤の拡大につながっている。国は、投資をして、きっちりリターンを得る仕組みを作るのだ。
もちろん、働けない人に対するセーフティーネットを十分にすることも重要だが、現在の日本では所得制限があり、中間層は税金の取られ損だと感じてしまう。
日本の少子化対策は、低所得層や子育て層への支援に偏っている。そのアンバランスを改め、ハンガリーのように「働く中間層の若者」へ投資する形にすれば支援を受けられる層は広がるに違いない。
■シルバーデモクラシーからの脱却ができるかどうか
日本は、欧州の中ではスウェーデンやフランスに注目する。それは悪くはないが、ハンガリーは日本と似た消極的な移民政策であり、ほとんどの子どもが婚姻から生まれる。少子化や家族政策立案時に参考にする国をもう少し視野を広げて選ぶべきだろう。何しろわずか10年で婚姻数2倍を成し遂げているのだから。
前出のMCC若者研究所のキシュ=コジマ・ジョルジナ博士の言葉は、少子化に悩む日本社会へ次のようにメッセージを送る。
「ハンガリーの家族政策は100%完璧というわけではなく、課題も多々あります。ただ、家族政策は単なる政策のひとつではなく、効果的な統治の基盤でもある。人口問題は、技術や大量の移民受け入れだけでは解決できません。ハンガリーの取り組みは、家族を経済的負担と見なすのではなく、国にとって重要な存在として位置付けています」
政治家・官僚は日本のシルバー世代を大切に扱うのもいいが、国民(特に若い世代)に投資して、税収を増やしていこうというチャレンジングな経済哲学を持つべきなのだ。
問題は、票田である高齢者を優遇するシルバーデモクラシーよりも、今後日本を背負う中間層の若者を支援する政策を堂々と主張できる政治家がいるかどうかである。
----------
池田 和加(いけだ・わか)
ジャーナリスト
社会・文化を取材し、日本語と英語で発信するジャーナリスト。ライアン・ゴズリングやヒュー・ジャックマンなどのハリウッドスターから、宇宙飛行士や芥川賞作家まで様々なジャンルの人々へのインタビューも手掛ける。
----------
(ジャーナリスト 池田 和加)