■歴史から見る「制度の変化」と今のギャップ
社員食堂のご飯が急にまずくなった、コンビニのおにぎりが値上がりした――。そんな変化の背景に、制度と現場の『ほころび』があるとしたらどうだろう。「コメがない」「高すぎて買えない」――2024年から2025年にかけて起きた“令和のコメ騒動”。一部スーパーでは精米棚が空になるなど、市民生活への影響が広がった。だが、「コメは余っているはずでは?」「消費は減っているのに、なぜ不足?」と疑問に感じた方も多いのではないだろうか。実はそこにこそ、今回の混乱の根本原因がある。
かつての日本のコメは、食糧管理法(食管法)によって厳格に国が管理していた。農家は全量を政府に売り渡し、政府が一元的に流通をコントロールしていたのである。これにより、供給・価格ともに安定が保たれていた。
しかし1995年の食管制度廃止と「食糧法」への移行により、コメ市場は自由化された。農家は自主流通が可能となり、JAや卸売業者による市場型取引が主流となっていった。
■誰もが正しい需給を把握できていない
こうした制度の変化の中で、コメ流通の「見える化」は次第に困難になっていく。政府が市場の需給を把握する手段は失われ、農家はJA経由に限らず、直接外食や小売業者へ販売する道も選べるようになった。それは自由で多様な流通を可能にする一方で、今回のような需給逼迫(ひっぱく)時に全体像を誰も把握できないという問題を浮き彫りにした。
かつての農政の大目標であった「米価維持」という理念も転機を迎えている。人口減少と少子高齢化が進む中、価格維持のための政策が、かえって“需要なき価格”を支え、構造変化に逆行しているという批判もある。もはや「米価を守る」ことと「食を守る」ことが一致しない時代になりつつある。
加えて、コメの備蓄制度や統計制度も、現代の市場構造に対応できていない。「政府備蓄米」は約100万トンあるとされるが、その多くは業務用のニーズに合致しない品種や年代のものであり、需給の緩衝材としては十分に機能しにくい。市場備蓄の流動性も乏しく、リスクに備えるセーフティネットとして設計が不十分だ。
農林水産省の米穀流通実態調査や家計調査も、旧来の「家庭内炊飯」を前提とした項目設計となっており、「食の外部化」が進んだ現在の実態を正確に把握するには限界がある。制度設計・統計制度・備蓄制度――三重の制度疲労が今回の“静かなパニック”を招いた。
■コメ消費量減少だが、コンビニおにぎり需要好調
業務用(特に中食・外食)向けに多く使われるコシヒカリ系の供給が不足したことは、今回のコメ不足の一因。ただ、「炊飯米は余っているのに業務用は足りない」という表現には注意が必要だ。
実際には「用途不適合な在庫」が市場に残っているケースが多く、単純な「余剰」とは言い切れない。つまり、消費動向と供給実態のミスマッチが、見かけ上の余剰を生んでいるにすぎない。
コメの消費量は長期的に減少傾向にある――これも確かに事実である。しかし、それは家庭内炊飯に限った話であり、いまやコメは「調理して食べるもの」から「調理された状態で買うもの」へと変化している。
総菜や外食、パックご飯、冷凍米飯など、食の外部化が進む。その中で、実はコメの“調理済み需要”は底堅く推移している。2024年の家計調査によれば、1世帯あたりの調理食品(総菜)支出は15万5977円で過去最高を更新。冷凍調理食品や外食も伸びており、「おにぎりや弁当としてのコメ需要」は想定以上に健在なのだ。
■「コメは余っている」が、「使えるコメは足りない」
ところが、こうした外食・中食用途で求められるのは、炊飯後の食味が安定し、大量調理・長時間保存に適した品種。農家が自主的に作付けする“炊飯向けコメ”とは必ずしも一致しない。
業務用米の大口需要家である外食チェーンやコンビニエンスストアでは、価格と安定供給の両立が不可欠だ。2024年のように新米の入荷が遅れたり、作柄が平年並みでも収量が少なかったりすると、「早場米」を買い控えるなどの動きが出て、価格の乱高下を招きやすくなる。市場が“緊張状態”に陥ったのは、こうしたミクロな判断の積み重ねでもある。
■「物流」2024年問題の意外な余波
今回の混乱を拡大させた要因のひとつに、物流業界の「2024年問題」もある。働き方改革関連法によってトラックドライバーの時間外労働が制限され、全国的に輸送キャパシティが縮小したことで、米の集荷や配送に遅れが生じた。
とくに米穀卸にとって、収穫から精米、出荷までの工程を円滑に進めるには、季節性のある集中物流を的確に捌く必要がある。しかしこの物流制約により、産地から消費地への米の動きが鈍化し、需給ギャップに拍車をかけた。
首都圏や大都市圏では、物流が詰まった結果、コメが「在庫として存在している」のに「売り場に届かない」という事態が起きた。これは単なる生産量の不足ではなく、輸送・流通の設計自体が、いまの食の仕組みに追いついていないことを物語る。
■輸入米に未来はあるか
では、コメ不足の際に輸入米を活用すればよいのではないか。そう考える人も多いだろう。
第一に、現在日本が輸入しているコメの多くは、ミニマム・アクセス(MA)制度に基づくもので、主に加工用や業務用に限られている。家庭用としてそのまま販売されることは少なく、用途も厳格に限定されている。
第二に、価格の問題がある。米国やタイから輸入するコメは、円安や運賃高騰の影響を受けて、以前ほど“安いコメ”ではなくなっている。また、炊飯特性や粒の大きさ、粘りの違いから、日本人の味覚に合わず、販売面でも難がある。
第三に、国際的な米の需給も逼迫している。気候変動や世界的な人口増加、主産地の不作などにより、アジア諸国の買い付け競争が激化しており、むしろ「日本が買い負ける」リスクが高まっている。つまり輸入米は補助的役割にはなり得ても、国民の主食を支える中核にはなり得ない。
■“コメのインフラ”再設計のときがきている
今回の騒動が残した教訓は、「制度疲労が進んだコメのインフラを、そろそろ総点検しませんか?」という問いかけだ。
いまやコメは単なる農産物ではなく、社員食堂の定食や、コンビニのおにぎり、冷凍炒飯のベースとして、ビジネスの現場や日々の生活を支える「影の主役」だ。
そんな重要な存在にもかかわらず、需給の統計は家庭炊飯を前提とした旧態依然のまま。
つまり、制度が時代に追いついていないのだ。「備蓄米はあるのに店頭にない」「米価は高いのに農家は儲からない」「用途不適合な在庫はあるのに業務用は足りない」――そんなねじれが、今回いっきに噴き出した。
ここで必要なのは、「農政」だけでも「商流」だけでもなく、両者をつなぐ“エコシステムとしての再設計”だ。
具体的には次のようなものだ。
・実態に即した需給統計の整備(家庭外食や総菜向けも含めた把握)
・用途別の品種設計と、そのインセンティブづくり
・備蓄米の品種・活用法の見直し(加工・業務用途も対応)
・物流費や加工費を含めた流通インフラへの政策的支援
■小泉大臣「問屋叩き」に疑義あり
こうした取り組みのうえで、責任の所在をあいまいにしたまま“誰かを悪者にする”言説には、冷静に向き合いたい。
ディスカウントストア「ドン・キホーテ」を展開するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)が強調する「卸を通さず直接仕入れれば安くなる」という主張や、小泉農相の“問屋不要論”も、一見すると「正論」のように見える。
しかし現実には、全国に産地・集荷・精米・在庫・供給をネットワーク化し、緊急時の緩衝役を担っているのは、まさにその“見えない卸”の存在である。彼らなしには、安定供給も備蓄活用も回らない。
「卸が悪い」という単純な批判は、構造的な問題のスケープゴートをつくるだけだ。実際、卸は備蓄や需給調整において不可欠な役割を担っており、その役割を正しく理解すべきだ。必要なのは、対立ではなく仕組みのアップデートだ。
■余っているかに見えるが足りない現実
コメが高い。買えない。手に入らない――。その背景には、気候変動や収量減だけでなく、制度疲労・物流制約・統計の不備・流通構造の断絶といった複合的な構造的要因がある。
「コメが余っていた時代」は終わった。いま私たちは、“余っているかに見える”コメと、“使えるコメが足りない”現実のギャップに直面している。
社員食堂の米の味が落ちた、コンビニのおにぎりの価格が妙に高くなった――そんな日常の変化の裏にあるのが、制度と現場の「ほころび」かもしれない。
令和5年産の主食用米の生産量は約690万トン、1人あたりの年間コメ消費量は約50.7キログラム(2023年度)。政府の備蓄米はおよそ100万トンとされているが、そのうち年間の売渡量(入れ替え分)は約20万トン前後にとどまり、市場への影響は限定的である。一方、家計調査(2024年)によれば、家庭用のコメへの支出は1世帯あたり年間2万7196円。これに対し、調理食品(総菜)への支出は年間15万5977円に達し、このうち弁当・おにぎりなど「主食的調理食品」(6万7317円)の比重が高まっている。つまり、「炊く」から「買って済ませる」へ食の外部化の流れは、統計上も明確に進行する。
コメは単なる主食ではない。生活の基盤であり、社会課題の鏡でもある。「令和のコメ騒動」は、そんな当たり前の価値を、あらためて私たちに問い直している。
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白鳥 和生(しろとり・かずお)
流通科学大学商学部経営学科教授
1967年3月長野県生まれ。明治学院大学国際学部を卒業後、1990年に日本経済新聞社に入社。小売り、卸、外食、食品メーカー、流通政策などを長く取材し、『日経MJ』『日本経済新聞』のデスクを歴任。2024年2月まで編集総合編集センター調査グループ調査担当部長を務めた。その一方で、国學院大學経済学部と日本大学大学院総合社会情報研究科の非常勤講師として「マーケティング」「流通ビジネス論特講」の科目を担当。日本大学大学院で企業の社会的責任(CSR)を研究し、2020年に博士(総合社会文化)の学位を取得する。2024年4月に流通科学大学商学部経営学科教授に着任。著書に『改訂版 ようこそ小売業の世界へ』(共編著、商業界)、『即!ビジネスで使える 新聞記者式伝わる文章術』(CCCメディアハウス)、『不況に強いビジネスは北海道の「小売」に学べ』『グミがわかればヒットの法則がわかる』(プレジデント社)などがある。最新刊に『フードサービスの世界を知る』(創成社刊)がある。
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(流通科学大学商学部経営学科教授 白鳥 和生)