現在、日産は国内外7工場を閉鎖し、グローバルに2万人の人員を削減して経営再建を急がなければならない。米国では、自社工場でホンダの自動車を製造することを模索中だ。
7月15日には、主力拠点の追浜工場(神奈川県横須賀市)での車両生産を2027年度末に終了すると発表した。日産の成長を支えた資産の運営すら難しくなった。子会社である日産車体の湘南工場(同県平塚市)も26年度までに生産を終了する。
窮状に目をつけた企業の一つは、台湾の鴻海精密工業(ホンハイ)だ。スマホ、AIサーバーといった電子機器の受託製造で世界トップの同社は、電動車事業を新しい成長領域に育てようとしている。報道によると、ホンハイは追浜工場をはじめ日産の工場に関して、生産以外の利用も含め協議を重ねているようだ。
■台湾・ホンハイは「救世主」となるか?
その一つとして、自社(厳密には傘下企業フォックストロン)のEV生産工場、研究施設への転用などが考えられる。ホンハイとしては、日産の自動車の製造技術を短期間で吸収し、電動車の受託製造体制を確立することを狙っているだろう。
その一方、日産はホンダと車両用のソフトウェア開発で協業を加速させようとしている。ただ、日米中の主要自動車メーカーと比較すると取り組みのスピードが速いとは言いづらい。
日産が、かつてのように人々が欲しいと思ってしまう自動車を生み出し、成長を目指すことはますます難しくなっているように思えてならない。
■名車を生んだ日産の“マザー工場”
日を追って日産の厳しさは増している。2025年3月期の最終損益は約6700億円の赤字だった。足許、中国ではN7(新型EV)を発表したが、かつての“スカイラインGTR”のようなヒットには遠い。
現在の日産には、売れる車が見当たらない。事態の厳しさは、日産のマザー工場である追浜工場の稼働率低下から確認できる。一般的に、自動車工場が収益を確保するには8割程度の稼働率が必要だといわれている。しかし、現在の追浜工場では、それが2割程度に落ち込んだ。
もともと、追浜工場は日産の自動車製造能力を生み出す、最重要拠点だった。1961年に追浜工場は操業を開始し、高度成長期に人気を博した“ブルーバード”を生産した。試験場も運営し、日産の自動車製造技術開発、その実用化に欠かせない“マザー工場”としての地位を確立した。
ブルーバード以外にも、“キューブ”、EVの“リーフ”、中国で一時期人気を獲得した“シルフィ”が追浜工場で生まれた。こうした代表車種生産の歴史は、追浜工場が、日産の製造技術伝承に極めて重要だったことを意味する。
■ホンダも予想できなかった業況悪化
追浜工場は3隻の自動車専用船を収容するふ頭も併設し、わが国自動車産業の主要輸出拠点としての機能も果たした。追浜工場がある神奈川県には、少なくとも2000社ほどの下請けや孫請けの企業が存在するといわれる。
その閉鎖は、日産のアイデンティティ喪失につながる。地域経済(京浜工業地帯)への打撃も計り知れない。エスピノーサ社長の追浜工場閉鎖方針に、自治体、地域住民、株主など多様な利害関係者からの反対、懸念が上がった。主要投資家の中には、主力工場を失った日産は、行き詰まると危惧する者もいる。
7月上旬、日産は、外貨建て社債を発行して再建資金を調達し、懸念を解消しようとした。注目は、発行時の利率の高さだ。ドル建ての5年債は7.5%、7年債で7.75%、10年債は8.125%とかなり高いコストを負担しなければ資金は調達できなかった。逆に言えば、国内で日産が必要なだけの資金を確保することは困難になっている。
おそらく、ホンダにとっても、2月の経営統合破談からここまでの日産の業況悪化は、想定外だったはずだ。ホンダとしても米国事業の立て直し、全方位型戦略の推進に日産は必要なピースだが、あまりにもリスクが高いというのが本音だろう。
■ホンハイが追浜工場に目を付けたワケ
日産は追浜工場での車両生産を2027年度末に終了し、日産自動車九州(福岡県苅田町)に移管する。追浜工場の活用方法については「複数のパートナーと協議している」としている。一部報道で協議相手として挙がっているのが、ホンハイのようだ。
日産は、追浜工場内にある研究所や衝突試験場などは残す方針だという。それらの施設は、過去の日産のヒット作を世に送り出した製造技術創出の源泉と言い換えてよい。ホンハイ及びフォックストロンは研究所や試験所の施設、人員を引き継ぐことを念頭に置いているかもしれない。
というのも、フォックストロンの事業運営の現状を見ると、想定された通りの成果を上げられていないからだ。
2020年、ホンハイは台湾自動車メーカーの裕隆汽車(ユーロン・モーター)との合弁事業としてフォックストロンを設立した。当初3年以内の黒字化を目指した。だが、実現は遅れ2025年1~3月期まで営業損益は赤字だ。
■日産の知的財産を吸収し、挽回を図る
ホンハイ創業者のテリー・ゴウ氏は、中国市場での電動車販売増加を重視しているようだ。同氏は、欧州市場での販売台数増加も狙っているとみられる。そのためにフォックストロンは、2000を超える企業と連携しSDV向けの車載用ソフトウェア開発やバッテリー生産体制の構築に取り組んだ。
その一方、主要先進国などで競争に耐えられる車種を製造するノウハウの実装には時間がかかっているとみられる。挽回を目指して、ホンハイは世界的に製造技術に定評があった日産の知的財産を吸収し、電動車の生産増につなげようとしている可能性は高い。
短期、中長期の時間軸で追浜工場の展開予想の一つとして、次のようなシナリオが想定される。
短期的に、日産は追浜工場の研究所などをホンハイの出資を取り付けつつ運営する。試験場などを段階的に売却することも考えられる。それは日産の資金繰りに一時的なプラスの影響を与える可能性はある。
■プライドにこだわり、チャンスを逃した
中期的には、自動車を含めた事業戦略に応じてホンハイが追浜工場、あるいはその土地を取得することも考えられる。
自動車であれば、フォックストロンの収益動向に応じて買収対象が拡充され、研究所、さらには、追浜工場全体がホンハイ買収の対象になることもあるだろう。あるいは、ホンハイがコストを抑えて用地を取得し、データセンター運営などに転用することもあるかもしれない。
ここから先、日産は、ホンハイをはじめ外部の組織からより大きな影響を受けることになりそうだ。現時点で日産はホンダとソフトウェア・ディファインド・ビークル開発で協働する方針だが、ホンハイが日産に出資し、フォックストロンと結合しようとする展開も排除はできない。
そうなるとホンハイは大規模なリストラを実行することになるはずだ。それは、雇用の喪失、サプライヤーの破綻などわが国の経済安全保障の不安定化要因になるだろう。そうした懸念があったがゆえに、わが国の政府はホンダと日産の経営統合を重視したとの指摘もある。
経営再建を円滑に実現するために、日産は利害関係者が増えること自体、避けるべきだった。しかし、日産が自社のプライドにこだわるあまり、同社は経営再建に必要な機会を逃してしまったように見える。
■「やっちゃえNISSAN」の社風が失われる
ホンハイと日産では企業文化の違いというリスクも顕在化するだろう。ホンハイは成果主義を徹底することで知られる。中国にあるフォックスコンの工場ですら、ホンハイの猛烈な過酷な労働条件に反発したストライキが起きた。
ホンハイの経営陣は、わが国の自動車メーカーとの協働を重視しているとの考えを繰り返し表明している。今後、何らかの語りで協働が実現した暁には、ホンハイは自社の価値観を追浜工場に持ち込むだろう。それに対して、かつて日産は内燃機関をはじめとする自動車製造技術をひたむきに磨いた。ホンハイと日産では、作るモノもカルチャーも違う。
日産が多様な利害をうまく調整して経営再建を軌道に乗せることができるか、先行きは一段と不透明だ。再建計画が本当に後ずれするようだと、日産の従業員の士気は沈滞する。新しい、人気の高い自動車を生み出そうとする社風は失われ、自力での事業継続が難しくなる事態が現実のものと化す恐れは高まるだろう。
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真壁 昭夫(まかべ・あきお)
多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)