物価高騰が続き、実質賃金はマイナスが続いている。経営コンサルタントの小宮一慶さんは「日本経済の命綱である自動車業界を含む製造業は、政府がアメリカとの関税交渉でほとんど成果を残せないことで、今後さらなる窮地に立たされる可能性がある」という――。

■「実質賃金」は5カ月連続マイナス…国民は貧しくなるばかり
参議院選挙が間近に迫り、「給付金か、消費税下げか」ということが大きな争点のひとつとなっています。今、国民にとって「お金」は大げさではなく、生死にかかわる重要事案になっています。
5月のインフレ率(消費者物価=生鮮除く総合)は前年比で3.7%と高騰を続ける一方、一人当たりの所得を表す現金給与総額の伸びは実額を表す名目で前年比1.0%でしたから、インフレを加味した「実質賃金」はマイナスです。
それも5カ月連続でのマイナス。国民生活は豊かになるどころか、ますます貧しくなっており、この状況で給付金ないしは消費税減税ということを国民に訴えかけるのは、それなりにアピール度が高いかもしれません。
しかし、日本経済は短期的にも中長期的にも大きな問題を抱えており、選挙で投票する国民はそのことを十分に認識しておく必要があります。
■停滞する日本経済…GDPは円では増えたがドル換算では大幅減
図表1には日本の国内総生産(GDP)を載せてあります。
国内総生産には名目と実質があります。名目は実額です。何の実額かというと一定期間に日本国内で作り出された「付加価値」の合計です。付加価値はざっくり言えば売り上げから仕入れを引いたものです。なぜそれが重要かというと、その付加価値の半分強は人件費などで家計に分配されているからです。
つまり、給与の源泉なのです。ですから、名目国内総生産、それも働く人一人当たりの額が増加しなければ給与は上がらないということです。
実質国内総生産は、図表1にもあるように「15暦年連鎖価格」平たく言えば2015年の貨幣価値で、実額である名目値を換算しなおしたものです。インフレやデフレを調整したものです。
そこまで説明したうえで、まず、名目値をご覧ください。2025年1~3月は約625兆3000億円です。年換算でそれだけの額の付加価値が作り出されたということです。実は、コロナ前の2019年度には約556兆8000億円でしたから、約70兆円、率で12%程度増加しています。先ほども説明したように、名目国内総生産は給与の源泉ですから、それが日本全体で70兆円増えたということなのです。これ自体はとても良いことです。
しかし、少し見方を変えると違うことが見えてきます。インフレを加味して考えることにします。
2019年度の実質国内総生産は約550兆1000億円でした。それが直近の2025年1~3月は表にあるように約561兆5000億円です。2%の増加でしかありません。それだけインフレが進んでいるということです。
さらには、ドル換算するとまた違った側面が見えます。コロナ前の2019年度の名目国内総生産は、先に述べたように約556兆8000億円でしたが、当時のドル/円の平均レート108円68銭で換算すれば、約5兆1000億ドルです。
そして、直近1~3月の約625兆3000億円をその3カ月の平均レートの152円54銭で割ると約4兆1000億ドルしかありません。円では増えましたが、ドル換算では大幅減です。
ドルでの購買力が極端に落ちているのです。日本は24年度で約114兆円の輸入のうち、約4分の1はエネルギーでそのほとんどはドル建てです。購買力が極端に落ちている上に、国民一人ひとりにとってはエネルギーコストをはじめ、輸入品の価格が大きく上がっていることに注意が必要です。
■非製造業はインバウンド需要で絶好調も、製造業は停滞
図表2は日銀短観です。

この数字は、日銀が大企業・中堅企業・中小企業に対して、業種ごとの景況感を四半期に一度調べているものです。図表2には大企業の製造業と非製造業の数字が掲載されています。直近の7月1日に発表された6月調査の数字が出ています。
この数字は、景況感が「良い」と答えた人のパーセントから「悪い」と答えた人のパーセントを引いて計算したものですが、「さほど良くない」という中間的な回答も認められており、その中での「良い」から「悪い」を引いた数字です。少し分かりにくいかもしれないので、具体的に「良い」が30%、「さほど良くない」が50%、「悪い」が20%だとすると、結果は「良い」の30から「悪い」の20を引いた10ということになります。
この統計を長年見てきた私の経験から言えば、20を超えていると結構良い状態だと言っていいと思っています。
そこまでを前提として、このところの数字を見ると、2024年の9月調査からは大企業製造業はほぼ13前後、非製造業は34前後だということが分かります。製造業のほうは、絶好調からはほど遠い一方、非製造業はコロナ明けの回復に加えてインバウンド需要もあり、絶好調だと言えます。30を超える数字はなかなかあるものではありません。
こういう状況で製造業に関しては、この先行きがとても心配です。それは、皆さんもご存じのように自動車に対する米国の追加関税の問題が決着していないからです。
■自動車の25%の追加関税を回避できるかは大問題
ここまで日銀短観の数字を説明してきましたが、もう少し詳細に見るとさらに深い内容が分かります。
2025年6月調査では、大企業製造業の中でも「自動車」の数字に注目です。
自動車は前回の3月調査では13でしたが、6月調査では8まで5ポイント悪化しています。そして「先行き」の見通しも7とそれほど良い数字ではありません。トランプ関税の影響が大きいのです。
ご承知のように、日本は米国と交渉を繰り返していますが、自動車関税に関しては、まったく進展がありません。日本から考えた場合に、できるだけ関税交渉、それも自動車の追加関税に関しての決着を急がなければなりません。
理由は簡単です。自動車産業は日本においては非常に重要な産業です。全就業者数約6800万人の8%強の558万人が何らかのかたちで自動車産業にかかわっていると推計されています。その自動車産業に、すでに25%の追加関税が課されているのです。関税交渉が長引けば長引くほど、部品や素材を含めた国内の自動車産業全体へのダメージが大きいのです。
トランプ政権の1期目では、関税を上げるという「脅し」により、米国に有利な条件をのませようとしました。
つまり、交渉が長引いても関税は上がっていないので、影響は小さかった。今回は先に米国は自動車に関してはすでに関税を上げています。ですから、関税交渉が長引けば長引くだけ、日本の自動車メーカーや部品メーカーには大きな影響が出続けるのです。
■トランプ関税交渉で日本に残された「これしかない」切り札
先日、7月9日までだった「相互関税」の90日間の猶予期限の終わる前にトランプ大統領は8月1日までの猶予付きで、日本に25%の相互関税を課すと発表しましたが、自動車関税はそれと違う枠組みですでに25%の「追加関税」が課されています。
鉄製品には50%の追加関税が課されていますが、加工度の低い自動車部品の中には、部品でなく鉄製品として50%の関税が課せられているという話を業界の関係者から聞きました。
いずれにしても、重い関税がかかったままの状態が長引けば、生産拠点などを国内から米国に移すなど、大きな戦略の変更を余儀なくされるところも出てきます。日本での雇用が失われる可能性もあります。
トランプ大統領は、今のところ自動車では全く譲る気配を見せていません。コメでも譲歩を求めるような話もしています。英国が早々に関税交渉を決着させ、自動車の関税からもうまく切り抜けたのは、英国は米国にとって貿易黒字国だからです。
一方、日本は700億ドル近くの米国から見た貿易赤字国(2024年)です。赤字額が最大(約3600億ドル)の中国ほどではありませんが、日本は世界で7番目(中国、メキシコ、ベトナム、アイルランド、ドイツ、台湾、日本の順)に高いです。
日本政府としては、覚悟を決めて交渉の決定打となるものを示さない限り、だらだらと日本の自動車産業に不利な状況が続くだけです。
解決できないなら交渉チームを変えるべきです。農水大臣を江藤拓氏から小泉進次郎氏に変えてコメ問題は進展しました。参院選を控えてJAへの配慮などからコメでの譲歩は選挙前にはできないでしょうが、いずれにしても、このままではらちが明かないのです。
解決策についてですが、ひとつは日本への関税なしでのコメの輸入枠の拡大です。参院選後なら可能です。コメの価格問題も少しは落ち着いてきましたが、まだまだ高い状況が続いています。トランプ大統領も日本のコメ輸入に対し不満を示していることを考えれば、大きなポイントになると思います。
もう一つは為替の調整です。これは何度も渡米している赤沢亮正経済再生担当大臣の交渉対象ではなく、加藤勝信財務大臣とベッセント財務長官との交渉となるでしょうが、1985年9月のG5(ドル高是正のために先進5カ国の蔵相、中央銀行総裁会議で協調介入を行うことを決定した「プラザ合意」)のように大幅な為替の調整で貿易収支の改善を図る手があると考えています。当時は1年で100円ほどの円高になりましたが、今回はそこまでの円高は必要ではなく、数十円程度の円高で大きく改善すると思います。
円高は、当然、自動車の輸出には不利に働きますが、コロナ前は110円程度だったことを考えれば、自動車業界はそのインパクトを十分に吸収可能と推測します。関税を一方的に課せられる、それもコロコロと政策が変わる状況を強いられるよりずっとマシでしょう。
為替レートの調整は、自然に米国の貿易赤字の削減をもたらします。また、現状の147円程度の円レートは、前述したように昨今の日本のドルベースでの購買力を極端に低くしている一方、訪日外国人には有利なのでオーバーツーリズムや日本の不動産の買い漁りなどの問題が生じています。日本の金利を上昇させることによる為替レートの円高への誘導は、コメの輸入枠拡大とともに、日本にとっても良いことだと考えます。
国民の命を守るため、石破内閣は関税交渉を一刻も早く前進させてほしいものです。

----------

小宮 一慶(こみや・かずよし)

小宮コンサルタンツ会長CEO

京都大学法学部卒業。米国ダートマス大学タック経営大学院留学、東京銀行などを経て独立。『小宮一慶の「日経新聞」深読み講座2020年版』など著書多数。

----------

(小宮コンサルタンツ会長CEO 小宮 一慶)
編集部おすすめ