■リーマン破綻で人気が凋落
人気職業の価値観は、時代や世相に応じて刻々と変化する。
たとえば、現代では外資系投資銀行というと「なんとなくカッコいい」という印象があるかもしれないが、この評価は安定したものではない。
評論家の末永徹(すえながとおる)は、著書『メイク・マネー! 私は米国投資銀行のトレーダーだった』(文藝春秋)の中で、1987年に新卒でソロモン・ブラザーズ・アジア証券に就職した当時の経験を綴っている。末永は開成高校から東大法学部に進んでいるが、当時、この学歴で外資系企業を就職先に選ぶ人は珍しかったようで、著書でも自分がいかに奇異の目で見られたかを述べている。
しかし、私が就職活動をしていた2000年代前半は、外資系投資銀行の人気が絶頂に達しており、わずか数名の新卒採用枠に高学歴の学生たちが列をなしていた。
人気が再び暗転するのは、リーマン・ブラザーズの破綻の頃である。世界金融危機の余波がおさまらない2010年、私がシカゴ大学MBAに留学中の頃には、投資銀行出身の同級生たちがこぞって「すごく肩身が狭い」と呟いていたことを思い出す。そして異口同音に、「あの業界に戻りたくない」と言っていた。華やかにみえた投資銀行のイメージは、リーマンの破綻を受けて、諸悪の根源であるかのようなイメージに変わってしまった。
■「年収」を「時給」で語る視点
このように、何が「勝ち組」かということは、時代によって簡単に変わりうるものであり、一時の「勝ち組」イメージをもとに職業を固定してしまうのは、早計だと言える。
収入それ自体を目的化することは、さらに2つの危険性をもたらしうる。
リクルート出身で民間校長も務めた藤原和博(ふじはらかずひろ)は、「日本人の時給は800円から8万円くらいの幅がある。
「『年収』について語るとき、私は『時給』で語らなければいけないと思っています」と語る藤原は、企業人の給与所得をアルバイトと比較する(*1)。
ここで比較の対象となっているのは「二つのマック」、すなわち、「マクドナルド」でアルバイトとして働く際の時給800円と、「マッキンゼー」のシニアコンサルタントの報酬を時給換算した8万円である(「マクドナルド」も「マッキンゼー」も、ともに日本では「マック」と呼ばれる)。
藤原の見解にはうなずける部分も少なくない。給与に限らず資本主義では、あらゆる価値は希少性(藤原の言う「レアキャラ」)によってもたらされる。しかし、実際にマッキンゼーで働いたことがある人間としては、この主張にはいくらかの無理があるように思える。
■「時給8万円」のリスク
まず、「時給が8万円」と想定されているのはあくまでマッキンゼーのシニアコンサルタントである。時給に換算すれば8万円ほどになるのかもしれないが、実際の彼らは時給で働いているわけではない。
彼らは本書で前述したとおり、パートナーとしてマッキンゼーを所有している経営者である。その彼らをアルバイトと比較するのは、明らかに不適切であろう。もし比較するなら、マクドナルドの経営陣と比べるべきである。
また、藤原の発言で気をつけないといけないのは、仮に「時給8万円」の立場が手に入ったとしても、それは安定した時給ではないという点である。
感覚的に言えば、年収2000万円を超えるビジネスマンというのは、もはや一般的なビジネスマンとはいえない。高給である代償として、いつ解雇されるかもわからない。
だとすれば、「時給8万円」の生き方にも限界はあるし、それなりのリスクも伴っている。この意味で、マクドナルドのアルバイトとは、単純には比較できない。
■自分自身のレアカード化の限界
また藤原は、ますます厳しくなっていく雇用環境の中で足を掬(すく)われないようにするためには、「レアカードになればいい」とも述べている。
ポケモンカードで遊んだことのある人だと分かると思うのですが、希少価値の高いレアカードは魅力なわけですよ。つまり、自分自身をレアカードにするという感覚をもてるかどうか。これがものすごく大事になってくるでしょう(*2)。
コンサルタントが「時給8万円」を得られるのは、「世界の企業経営者にインパクトを与えられる」その立場が極めてレアであるからだと藤原は言う。
しかし、私の経験から言えば、自分自身を「レアカード」にするという方向性を極めたところで、それはあくまで「労働力としての希少性」を高めることにしかならない。それで2000万円――業種によっては数億円もありうる――の年収を手に入れることはできるかもしれないが、行き着けるとしても金額には限界がある。
また「レアカード」がゆえに、世の中に必要とされない可能性もあり、この場合「時給8万円」どころか、定職もままならない。
しかも、長期にわたってこうした額の報酬を安定的に稼ぎ続けられる可能性はかなり低いため、現実的な期待値としてはそれほどの高い水準の年収には達さないのではないだろうか。
■労働の報酬額を決めるものとは
給与所得の決定メカニズムについては、カール・マルクスの『資本論』(岩波文庫)が的を射ている。
マルクスによれば、労働者の報酬(「労働力を商品として売り込んだ価値」)とは、「生活に必要な金額」と、「多少の息抜きに遣う金額」、そして「子弟を労働力として教育する費用」といった生活維持コスト(厳密に言えば、労働力再生産に必要なコスト)の総計によって決まる。このことからも、藤原の言うような希少なスキルが必ずしも報酬を高めるわけではないことがわかる。
労働報酬の限界に関して、作家の佐藤優(まさる)は以下のように説明している(*3)。
そもそも「自己実現(やりたいことをやること)」ができるのは、資本主義社会のなかでは資本家だけである。資本の論理では労働者は自己実現できない。(中略)
すなわち労働者は自分の時間を雇用者に売ったところで、日々の生活と子育てで基本的にカツカツになるように賃金のバランスが取られているのである。
マルクスの掲げる3つの要素が満たされる水準の報酬なら、たいていの労働者は満足する。経営者は、当然この水準を無意識的にせよ考慮して、従業員に支払う給与の額を決めている。繰り返すが、給与の額は、従業員が社にもたらす利益の多寡やスキルの希少性に応じて上がるわけでは必ずしもない。
■なぜ報酬が低水準に抑えられるのか
極端なたとえをするのなら、たとえばある従業員のパフォーマンスが際立って高く、1000万円の年収に値したとしても、本人の生活が500万~600万円で賄えるものであるなら、それ以上を与える必要はないのである。
資本のロジックには、こうした冷酷さがある。ストックオプションや株式付与にしても、本質は変わらない。資本家や経営者と比べると、従業員に割り振られる持分は低い水準に抑えられる。
歩合による保険セールスや証券セールスなどは例外的に業績連動が大きな割合を占める業界であるが、一般には個人の業績に応じた報酬には限界がある。報酬に関して、会社の利益や株価の状況などが加味される業績連動給与を謳っている企業も多いが、株主や経営者に比べれば、その連動は緩やかである。
そもそも、一個人が全体の業績に、どのようにどこまで貢献したのか、正確に計測することは難しい。
たとえば、実力の世界とされるプロ野球選手でさえ、特定の選手がどれだけの集客を果たし、どれほどの広告効果を上げたのかを計測し、公平に報酬に反映させることは難しい。
プロ野球選手はプロ野球選手で、自分の能力、引退後も含めた生涯年収の目算、子どもの養育費などの必要コストと照らし合わせた上で、年俸に関して「これくらいだろう」という期待値を持っているのにすぎない。
*1 「仕事をしたら“10年後のサラリーマン”が見えてきた」(「ITmedia ビジネスオンライン」2013年3月6日・13日・20日)
*2 「なぜ給料が二極化するのか? 年収200万円と800万円の人」(「仕事をしたら“10年後のサラリーマン”が見えてきた(前編)」
*3 『危ない読書 教養の幅を広げる「悪書」のすすめ』佐藤優、SB新書、2021年、p.170
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侍留 啓介(しとみ・けいすけ)
バロック・インベストメンツ代表取締役
1980年生まれ。三菱商事、マッキンゼー等を経てバロック・インベストメンツを創業。サンライズキャピタル(プライベート・エクイティ)では、ベイカレント・コンサルティング(現・東証プライム)、AB&Company(現・東証グロース)等への投資実行、経営支援、上場準備を牽引。シカゴ大学経営大学院(Chicago Booth)でMBAを取得後、ハーバード大学公共政策大学院(Harvard Kennedy School)に留学。京都大学大学院博士(経営科学)。東京都立産業技術大学院大学元特任教授。著書に『新・独学術 外資系コンサルの世界で磨き抜いた合理的方法』(ダイヤモンド社)など多数。
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(バロック・インベストメンツ代表取締役 侍留 啓介)