■江戸時代における春画の意外な使い方
江戸時代の浮世絵といえば、美人画や役者絵、風景画を思い浮かべる人が多いだろう。それらは、世界にも誇れる芸術作品として位置づけられている。
ところが、同じ浮世絵であっても、春画はポルノ扱いされ、残念ながら日本では長らく“無修整”の春画を見ることができなかった。局部が黒塗りにされていたからである。
しかし、春画にたいして、ワイセツだ、ポルノだと反応したのは現代人であり、江戸時代には、老若男女を問わず、多くの人々から親しまれる存在だった。春画は「笑い絵」とも呼ばれ、絵草紙屋(本屋)の店頭に公然と並べられ、商われていたのである。
また、『見返り美人』を描いた菱川師宣(もろのぶ)や、『富嶽三十六景』の葛飾北斎をはじめ、喜多川歌麿、歌川国芳など、江戸を代表する絵師たちはこぞって春画を描き、完成品にはちゃんと絵師の名前が記されていた。有名絵師たちが春画の創作に並々ならぬ力を注いでいたことがうかがえる。
春画の購入者には、自慰の道具にする者もいたが、春画は男性専用ではなく、女性も購入していた。それが、現代のポルノ雑誌やエロ漫画とは異なる点で、“性教育”のため、嫁入りの決まった娘に、親が春画を買い与えることもあった。
意外な目的で購入する人もいた。
■ありのままを描いたわけではない
そのほか、箪笥に入れておくと虫がつかないとか、武士が出陣するとき、具足(ぐそく)櫃(びつ)(甲冑やよろいを納めておく櫃)に春画を入れておくと戦に勝つなど、さまざまな効果が期待されていた。
もっとも、春画が登場した時代は、戦などなかったわけで、こうした各種のマジナイには、春画を買うための口実として生まれたものもあるかもしれない。
春画は、性を題材にしたものだが、男女の営(いとな)みをただ、ありのままに写したわけではない。別名「笑い絵」と呼ばれたように、笑いや遊びの要素も巧みに織りこまれている。いわば、表現は漫画的であり、登場人物はいずれもデフォルメされて描かれている。
とりわけ、極端に誇張されたのが男根であり、どの絵を見ても、登場する男性はありえないほどの巨根の持ち主である。絵のなかでは、「張形」さえも巨大に描かれている。
たとえば、浮世絵春画の祖といわれる菱川師宣の『床の置物』では、小間物屋が持ちこんだ張形を、奥女中たちが選んでいるシーンが登場する。
そのなかのひとりの女性が持っている張形は、どう見ても巨大サイズなのだが、絵に添えられた詞書には「是はちいさい、もっとおおきなのがほしうござる」とある。「おいおい、それ以上大きいのが欲しいって……」と思わずツッコミを入れたくなるが、それが笑い絵の手法。
■春画に描かれなかった女性の部位
いっぽう、女体の描き方はどうかというと、男根を誇大描写したために、受け入れるほうの女性器も大きく描かれることになり、その代わりにヘソや肛門は省略されている。
もうひとつ、大きな特色としては、乳房の描写がおざなりで、バストに焦点を当てた絵はほとんどない。そもそも、春画には“挿入”の場面が多く、前戯の描写は少ないのである。その数少ない前戯でも、男性が乳房を愛撫する絵というのは、ほとんど見当たらない。
したがって、乳房の描き方はきわめて大ざっぱで、老婆の乳のように垂れ下がっていたり、全裸なのに乳房が描かれていなかったりする。もっとも、江戸時代の女性にとって、人前でオッパイを出して授乳するのは当たり前のこと。
突きもせぬ眼に貰い乳の膝枕
なんて川柳もある。目に入ったゴミを流すために、赤の他人の男の目に平気で乳を注いだりしていたのだ。
現代人には理解しがたいだろうが、当時の人たちにとって、女性の乳房は子育ての道具であり、性的な魅力に乏しい存在だったようだ。
■喜多川歌麿と他の絵師の違い
師宣、北斎ら、江戸時代を代表する絵師たちが、こぞって春画に力を注いだ。彼らが春画を描いたのは、“性”というテーマに創作意欲をかきたてられたという理由のほかに、食い扶持を稼ぐためという目的もあった。
ただ、絵師のなかには、本気で春画に打ちこみ、真に迫る春画を描いた者もいた。浮世絵美人画の頂点をきわめた天才絵師、喜多川歌麿である。
歌麿は生涯に数多くの春画を残しているが、彼が熱心に春画を描いた背景には、生い立ちからくるマザーコンプレックスが関係したのではないか、と分析する専門家もいる。
歌麿の生涯には不明な点が少なくないが、母のいない父子家庭に育ったことはわかっている。むろん、母親不在の家庭で育ったからといって、マザコンになるとは限らないが、歌麿の作品には、母親への思慕を思わせる作品が数多く残されているのだ。
そのひとつが、母の象徴ともいえる「乳房」への執着である。江戸時代の春画には、乳房にスポットを当てた作品はほとんど見当たらないが、歌麿の絵にかぎっては、豊満な乳房を持った女性が多数登場する。
■当時としては異例中の異例
また、美人画では、赤ん坊が乳を吸う場面が数多く描かれ、春画では胸がよく見える女性上位の図が多い。歌麿の乳房へのこだわりは、当時としては異例中の異例である。
とはいえ、歌麿の作品のなかには、マザコンとはまるで結びつかないようなものもある。たとえば『山姥と金太郎』という絵は、豊満な母親の乳房に子どもが吸いついている図なのだが、そもそも“金太郎”の目つきが子どもらしくない。
おまけに、この金太郎、空いたほうのオッパイの乳首を指でつまんでいる。その様子はセックスの前戯のようにも見え、ともかく母親に甘えて無邪気に乳を吸う子どもとは、とうてい思えない顔つきであり、姿なのである。
ただ、歌麿の真意は、本人が制作意図を書き残しているわけではないので、推測の域を出ない。
■江戸時代の美人の条件
男性が美人に憧れる心理は、どの時代も共通するが、「美人の基準」は時代によって異なるもの。江戸時代には、どんな女性が美人とされていたのだろうか?
それを知るには、江戸の「美人画」を見るのが手っ取り早い。美人画は、当時のアイドルスターのブロマイドのようなものだったからだ。
たとえば、喜多川歌麿は、水茶屋の難波屋おきた、煎餅を扱う店の高島おひさ、売れっ子芸者の富本豊雛ら、「寛政の三美人」と呼ばれる女性を描いているが、女性たちの顔は、まったく同じで見分けがつかない。
裏を返せば、それがその時代の“共通的な美人顔”といえるわけで、共通点は色白、切れ長の目、おちょぼ口、長い襟足など。それらが、美人の条件だったわけである。
では、小説の世界はどうだろうか。元禄時代に活躍した井原西鶴は、当時の美人像を明確に描写している。
たとえば『好色一代女』では、「当世顔はすこし丸く、色は薄花桜にして、表道具の四つふそくなくそろえて、目は細きを好まず、眉あつく……」などと細かく書きつらねているので、コンパクトに現代語訳してみよう。
■人気だったのは小柄か長身か
いわく、「丸顔で、顔は桜色。目は大きく、眉はあつく、歯は白く、手指はほっそりして、腰は締まって、お尻はゆったりしている」女性が美人だという。西鶴は、小柄な女性が好みだったようで、登場人物を小柄の美人に設定することが多かった。
ところが、西鶴と同年に出版された本には、それとはまったく異なる女性を美人だとしている。
『好色訓蒙図彙』(無色軒三白居士著)では、「第一顔うりざねにして面長に、鼻筋とおり……」と、これまた細々書いてあるのだが、こちらのほうは、面長のうりざね顔で、歯並びがよくて、背がスラリと高いのが美人だという。
丸顔とうりざね顔、背の高いのと小さいの、いったいどっちなのだといいたいところだが、現代でも、さまざまな美人のパターンがあるわけで、江戸の男性の好みにもいくつかのパターンがあったということだろう。
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歴史の謎を探る会(レキシノナゾヲサグルカイ)
歴史の中に埋もれている“ドラマチックな歴史”を楽しむべく結成された、夢とロマンを求める仲間たちの集まり。学校では教わらない史実の裏側にスポットを当て、一風変わった視点からのアプローチには定評がある。
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(歴史の謎を探る会)