※本稿は、東龍『レストランビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■手頃な価格帯も対象にして拡張したミシュラン
日本で最も成功を収めているレストラン評価は、『ミシュランガイド』です。その理由は、3つあります。
1つ目は評価のわかりやすさです。一つ星の「近くに訪れたら行く価値のある優れた料理」、二つ星の「遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい料理」、三つ星の「そのために旅行する価値のある卓越した料理」という評価は、シンプルで非常にわかりやすいので、迷うことがありません。『ミシュランガイド』の評価にならって、三つ星という表現が散見されるほど巷間に浸透しています。
2つ目はブランド力を維持しながら巧みに拡張していることです。手頃な価格の「ビブグルマン」が『ミシュランガイド東京・横浜・湘南2014』から追加されたことによって、これまで対象外であった料理カテゴリーを増やすことができるようになりました。
「ミシュラングリーンスター」が『ミシュランガイド東京2021』で新設されたことによって、サステナブルガストロノミーも評価できるようになっています。
「ミシュラングリーンスター」は名前に「星(スター)」が付けられていること、毎年の発表会での扱い方や付与軒数が三つ星と同等であることから、『ミシュランガイド』が非常に重要としている価値であると推察されます。
■世界共通で統一された審査基準とは何か
星も「ビブグルマン」も付かない、調査員おすすめの「セレクテッドレストラン」が『ミシュランガイド東京2024』から登場しました。
最近ではデジタル化にも注力しています。2020年から公式サイトで世界中のセレクションを無料で掲載したり、2023年4月14日に日本版アプリをリリースしたりと、デジタルトランスフォーメーションを進めています。いつでもどこでも、世界にあるミシュランガイド掲載店を調べることができるのは、利用者にとって有用です。
最後は信頼性です。『ミシュランガイド』が最も大切にしていることは、匿名性と合議制によって評価されるシステムです。
調査の基準は世界共通で、料理のカテゴリーに関係なく「素材の質」「料理技術の高さ」「味付けの完成度」「独創性」「常に安定した料理全体の一貫性」を厳正に審査しています。
■空間やサービスの内容は評価には関係ない
調査員(インスペクター)は、身元を伏せて通常のゲストと同じように予約して食事し、料金を支払います。何か質問があれば、調査員であることを明かしてコンタクトすることもありますが、最近ではそういった話はあまり聞かれません。
『ミシュランガイド』への掲載可否や星の評価については、複数の調査員、リージョナル・ダイレクター、インターナショナル・ダイレクターによる合議制で決められます。
星の評価は、あくまで提供された料理に対してだけであり、空間やサービス、酒類の品揃えは関係ありません。
酒類の品揃えが優れていれば、「興味深いワイン」「興味深い日本酒」といったピクトグラム(案内記号)が付き、「現金のみ」「ベジタリアンメニューあり」という現代的なものや訪日外国人向けの「靴を脱ぐ」といったものまであります。
■覆面調査員を「見破れない」という店が大半
価格は「¥」の数で表現されており、1つは5000円以下、2つは5000~1万円、3つは1~3万円、4つは3万円以上を表します。ただ、星付きレストランの多くは軽く3万円を超えるので、5万円以上や7万円以上など、より高価な価格帯を表現する必要があるでしょう。ちなみに、食べログの価格帯の表現では、最高で「10万円以上」が存在しています。
評価の有効期限は次年度版の発行まで、もしくは書籍の発行から1年までになっています。「東京版は毎年調査されるので辛い」という声をよく聞きますが、地方の特別版は評価が永遠に続くのではなく失効しているのが現状です。
調査員はすべてミシュランタイヤの社員であり、ホテルやレストランなどの出身者です。
個人の好みではなく、同じレストランを等しく評価できるようにトレーニングを受けています。1日で複数回調査することもあり、年間で400回以上も調査しています。
シェフをはじめとするレストランスタッフに聞くと、ゲストの中で誰が調査員であったのか、まったくわからないという声が多数を占めます。しかし、中には絶対にあのゲストが調査員だったと自信をもつ人がいるのも興味深いところです。
■「カウンターはNG」覆された噂
『ミシュランガイド』の調査にまつわる噂は、シャンパーニュの泡の数ほどにあり、いくら弾けてもなくなることはありません。
カウンターがメインだと星がとれないと言われていましたが、カウンター席が主体の「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」は最初の『ミシュランガイド東京2008』で二つ星を獲得し、現在でも一つ星を保っています。
地階も星がとれないと囁かれていましたが、「ドミニク・ブシェ トーキョー」は2013年に地下1~2階にオープンして、いきなり二つ星に輝きました。2015年に別のビルの2階に移転し、現在は一つ星です。修業先がフランスの有名シェフでなければ星がとれないとの噂もありましたが、ほぼ独学であったり、師匠が有名と言えなかったりするシェフが何人も星をとっています。
星の獲得は、レストランやシェフの評価が高まったり、知名度や信頼性が向上して集客に貢献したりするだけではありません。スタッフは、評価されているレストランで働いていることによって、大きな自信と誇りをもち、やる気が向上します。星付きレストランで経験を積むことで、経歴に箔が付くので、スタッフの募集にも寄与します。
日本で星獲得の最短記録は、2013年9月18日に開業した白金のフランス料理「ティルプス」(2018年12月25日に閉店)のオープン2カ月後です。同年12月6日発売の『ミシュランガイド東京・横浜・湘南2014』で一つ星を獲得しました。
■三つ星陥落を予期して拳銃自殺したシェフ
フランスでは、星の陥落による悲劇が起きています。バターやクリームを排する“水の料理”で有名な「ラ・コート・ドール」のベルナール・ロワゾー氏が、三つ星からの降格を予期して2003年に銃で自殺しました。しかし、のちに刊行された『ミシュランガイド』では引き続き三つ星を維持していました。
約10年後、当時のロワゾー氏の右腕であったパトリック・ベルトラン氏は、自死の翌日に通常通りディナーを営業したことについて「レストランは劇場のようなものです。公演は中止できません」と述懐しています。
アルプスの名店「ラ・メゾン・デボワ」のマルク・ヴェイラ氏は三つ星から二つ星に降格されると、2019年にミシュランガイドを提訴しました。審査報告書の開示や慰謝料を要求しましたが、裁判では退けられています。
海外のメディアでは、星を落としたレストランに対して辛辣ですが、日本では星の降格や陥落、非掲載になったレストランについて、触れることを避ける傾向にあります。
■次々と掲載されなくなった日本の鮨店
『ミシュランガイド』の方針で気になるのは、非掲載の方向性です。
『ミシュランガイド東京2020年』で三つ星の「鮨さいとう」「すきやばし次郎」、『ミシュランガイド東京2024年』で二つ星「日本橋蛎殻町 すぎた」、『ミシュランガイド東京2025年』で二つ星「鮨 よしたけ」が降格ではなく、いきなり掲載されなくなりました。これは、一気に評価が落ちたわけではありません。
背景には、キャパシティの狭さと常連客による独占、さらにはインバウンドの増加の影響もあって、著しく予約困難になっていることが挙げられます。調査員は匿名で通常のゲストと同じように利用するため、このような店を予約するのは不可能です。予約できたとしても、1年以上先となれば、年次調査とはならず、調査の対象外になります。
鮨は世界でも知られた、日本を代表する食文化です。今後、『ミシュランガイド』が、鮨などの予約困難店に対してどういう方針をとるのか、注目されます。
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東龍(とうりゅう)
グルメジャーナリスト
1976年台湾生まれ。「TVチャンピオン」(テレビ東京)で2002年と2007年に優勝。ファインダイニングやホテルグルメを中心に、料理とスイーツ、お酒をこよなく愛する。炎上事件から美食やトレンド、食のあり方から飲食店の課題まで、独自の切り口で分かりやすい記事を執筆。審査員や講演、プロデュースやコンサルタントも多数。
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(グルメジャーナリスト 東龍)