※本稿は、朝日新聞取材班『ルポ 熟年離婚 「人生100年時代」の正念場』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■「自分の姓を変えたくない」から事実婚に
「これで、一切のかかわりが終わる」
2013年の12月。当時50代の公務員だった男性は、自宅近くのATMで80万円を振り込み、解放感に包まれていた。
お金の送り先は、約13年にわたって同居していた大学教員の女性。事実婚を解消するための解決金の最後の分を、払い終えたところだった。
その女性とは1990年代の後半、とある大学での学会で出会った。女性の研究分野と、公務員だった男性の仕事の領域が重なったことから意気投合して交際に。3年ほどして、東京近郊の2階建ての借家で同居を始めた。
女性は研究者としてのキャリアのため「自分の姓を変えたくない」と言い、男性も同意した。年賀状を連名で出し、友人たちと小さなパーティーを開いて、「自然と」事実婚としての生活がスタートした。
■同居から13年で「もう一緒にはやっていられない」
当時、女性側に経済的余裕はあまりなく、家賃や食費、光熱費は、すべて男性が負担していた。
同居から3年ほどたつと、女性の様子が変わり始めた。
研究者として希望のポストになかなか就けないことに、いらだっているようだった。
「おはよう」「おかえり」といった日常のあいさつを、返してくれないことが増えた。
悩みの相談にものったが、ちょっと聞き返すと「なんで聞いていないの」と怒り出した。
分担していた家事もしなくなった。夕飯を作っても、自室にこもってなかなか出てこないようになった。
「なんで、不機嫌な人がいる家にわざわざ帰らなければならないんだろう」
少しずつ気がめいっていった。耐えかねた男性が事実婚の解消を持ちかけると、女性は一時的には態度を改めるが、すぐ元に戻ってしまう。そんなやりとりが繰り返された。
「もう一緒にはやっていられない」。同居から約13年となる2012年の初め、男性は家庭裁判所に調停を申したてた。そして女性を残して家を出て、別に暮らし始めた。
「事実婚を解消したい。
■平行線の調停を動かしたきっかけ
法律婚の場合、不貞行為など民法が定める「離婚原因」が相手にあると認められれば、相手が反対しても離婚を成立させることができ、慰謝料の請求も可能になる。こうした規定は、事実婚解消の際でもほぼ同様に適用されるのが慣例だ。
女性の態度は、いわゆる「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」「モラハラ(モラルハラスメント)」として離婚原因に該当する可能性がある。ただ、モラハラを証明するには、長時間の叱責(しっせき)を録音するなどの証拠が必要で、ハードルが高い。当時は「モラハラ」の概念もあまり広がっておらず、男性にとって手詰まりの状態が続いた。
事態が動いたのは、調停開始から4カ月たったころ。二人で住んでいた借家の契約更新期限が3カ月後に迫っていた。
法律婚では、妻の立場が経済的に弱い場合、家に住めなくすることは「悪意の遺棄」にあたるとして夫に慰謝料を請求される可能性もある。
だが事実婚なら、同居解消の時点で赤の他人となるため、そうしたリスクは法律婚より低い。むしろ、女性が居座ることが不法占拠にあたることになる。強硬手段のようで気が引けたが、弁護士とも相談し、「チャンスはここしかない」と考えた。
契約更新しないと告げると、女性は思いのほかあっさりと家を出ることに同意した。そこからは、金銭をめぐる攻防がはじまった。
■財産分与として要求された高額金
財産の分け方も、事実婚と法律婚で大きな違いはない。同居中に築いた二人の資産を半分ずつに分けるのが基本ルールだ。
二人は自分の口座を別々に管理し、お互いの資産を把握していなかった。
だが女性は調停で独自の試算を示し、財産分与として1千万円超を要求してきた。
数カ月の調停で疲弊していた男性は、「これで、気持ちが切れてしまった」。多めにお金を払ってでも、とにかく関係を断ち切りたいという思いが強くなり、700万円超を解決金として支払う代わりに、お互い一切の債務・債権がないものとし、調停が成立した。
男性は「事実婚はもっと簡単に関係解消できるイメージだったが、実際の苦労は法律婚と変わらなかった」と振り返る。一方でこうも思う。
「事実婚とはいえ夫婦関係にあったのだから、法律婚と同じように財産分割などの権利があるのは納得できる。手間はかかったが、後悔はしていない」
■事実婚と法律婚の関係解消における違い
離婚問題に詳しい中里妃沙子弁護士によると、婚姻届を出していない男女が調停の場で「事実婚(内縁関係)」と認められるには、①お互いに婚姻の意思があること、②通常の結婚と同じような生活実態があること、が条件になる。
事実婚と認定されれば、「法律婚と同じように財産分与を請求することが可能」という。
財産分与の基本ルールも同じなので、財産をめぐる争いは法律婚と同じように起きうる。不貞などの責任がある側に対しては、法律婚と同じ相場で、慰謝料を請求することもできる。
違いもある。
法律婚の夫妻が別居した場合、収入の多い配偶者は、もう一方の配偶者に生活費(婚姻費用)を支払う義務が生じる。一方、事実婚では、「別居しても婚姻費用の支払い義務は生じない」。別居を始めた段階で、すでに関係が解消しているとみなされるためだ。
■「内縁の不当破棄」に当たるケースとは
関係解消をめぐるやりとりも違う。事実婚では、一方が解消を求めて調停で争うケースはほとんどない。そもそも婚姻届を出していないので、関係を解消したければ、勝手に家を出て別居すれば済むからだ。
ただ、家を出る正当な理由がなければ、「内縁の不当破棄」として損害賠償責任を負う可能性もある。
また、この男性のケースのように、賃貸の契約者ではない側が家に居座るような場合は争いとなる。「法律婚と同様、解決金の支払いや、契約期限などを交渉材料にして退去を促すのが現実的な手段」だという。
(朝日新聞取材班)