
多くの希望、感動、夢をサポーター、ファンに見せ続けたサッカースタジアム。
伝説的な試合などが語り継がれる中で、語り継がれる府の歴史も存在する。
今回はサッカースタジアムで発生した死亡事件・事故を5つ取り上げた。
死者300人超えのサッカー史上最悪の大惨事
エスタディオ・ナシオナルの悲劇
場所:ペルー・リマ
発生日:1964年5月24日
被害者数:死者328人、負傷者500人以上
1964年5月24日に開催された東京五輪ペルー対アルゼンチン戦で発生した群衆デモはサッカー史上最悪の事件となった。引き分け以上の結果を求められるペルー代表が0-1の後半40分にオウンゴールで同点に追いつくも、ノーゴール判定になったことが悲劇の引き金となった。
アルゼンチンが1-0で勝利を収めると、怒ったサポーターたちが暴徒化。一部の観客がピッチレベルへ降りるなど、騒然とした状況となった。出口へ逃げるサポーターとガスで催涙ガスで気絶した観客が入り乱れる形となって多数の死者が発生。328人の犠牲者はサッカー史上最悪の死者となった。
エジプトサッカー史上最悪の悲劇
エジプト・サッカー暴動

場所:エジプト・ポートサイド
発生日:2012年2月1日
被害者数:死者74人、負傷者1000人以上
エジプト・プレミアリーグ第17節アル・マスリ対アル・アハリの一戦で発生した事件はアフリカサッカー史上最悪の群衆事故となった。試合をアル・アハリが3-1で勝利すると、アル・マスリのサポーターが暴徒化して相手選手やサポーターを襲撃し始めた。
狭い回廊に追い込まれたサポーターが窒息死、観客席から突き落とされて死亡した人間、中には武器で殺害された被害者もいたという。暴動に関与した47人は逮捕され、内21人は死刑に処された。その後エジプトサッカー協会は安全対策を怠ったホームのアル・マスリに1年間の国内大会出場禁止、2部強制降格を言い渡した。
死者100人超えのアジア最悪のスタジアム事件
カンジュルハン・スタジアムの悲劇

場所:インドネシア・マラン
発生日:2022年10月1日
被害者数:死者135人、負傷者583人
エスタディオ・ナシオナルの悲劇に次ぐサッカー史上2番目の犠牲者を出したこの事件は、アジアスポーツ史上最大の群衆事故となった。インドネシア・リーガ1第11節アレマFCvsプルセバヤ・スラバヤ戦はライバルチーム同士の戦いだった。
20年以上ホームでの敗戦がなかったアレマが2-3で敗れると、怒ったサポーターが暴徒化。
イングランド史上最悪のスポーツ事故
ヒルズボロの悲劇

場所:イングランド・シェフィールド
発生日:1989年4月15日
被害者数:死者97人、負傷者766人
イングランド史上最悪といわれるほどの死傷者を出したこの事件は、FAカップ準決勝リヴァプール対ノッティンガム・フォレストとの一戦で発生した。立見席に収容人数以上の大勢が駆け付けたことで、サポーターが将棋倒しとなって97人の死者が出てしまった。
この事件によりイングランドのフーリガン対策が見直され、セキュリティや安全対策が大幅に強化された。プレミアリーグが安心安全の観戦環境へと整備される切っ掛けとなった事案だった。
UCL決勝で発生した最悪の地獄
ヘイゼルの悲劇

場所:ベルギー・ブリュッセル
発生日:1985年5月29日
被害者数:死者39人、負傷者400人以上
UEFAチャンピオンズカップ決勝という晴れ舞台が誰も望まない地獄と化してしまった。リヴァプールとユヴェントスの一戦の前にリヴァプールのサポーターがユヴェントスのファンが陣取るエリアを襲撃する形で事件が発生した。
逃げるユヴェントスサポーターと暴徒と化したリヴァプールサポーターが騒ぎを起こしたことで、将棋倒しとなり、39人の死者が出てしまった。試合は1-0でユヴェントスが試合を制したが、得点者のミシェル・プラティニは深く肩を落としたという。
この事件によりイングランドのクラブは5年間、リヴァプールは6年間の国際大会出場禁止となり、イングランドサッカー界の競技力を大きく落とす事件となってしまった。