
サッカー選手に怪我はつきものであるが、あまりにも離脱期間が多くなってしまってはプレーヤーとしての成長が妨げられてしまう。
今回は『Planet Football』から「サッカーの歴史上最もケガをしやすかった天才選手10名」をご紹介する。
ホルガー・バートシュトゥーバー
ケガでの離脱日数:1305日
所属したクラブ:バイエルン・ミュンヘン、シャルケ04、シュトゥットガルト、ルツェルン
若くしてドイツ代表に選ばれるなど期待を受けたセンターバックであったバートシュトゥーバー。バイエルン・ミュンヘンの下部組織から2007年に昇格し、2009-10シーズンからレギュラーを確保した。しかしながら2012年に前十字靭帯を断裂してからは継続的にケガに泣かされた。
靭帯、足首、筋肉と様々なところを次々と痛めてしまったことにより、2013-14シーズンは全て棒に振るという苦い経験も。キャリアの最後はスイスで過ごし、2022年に33歳で現役生活に終止符を打った。
マルコ・ロイス

ケガでの離脱日数:1313日
所属したクラブ:ロット・ヴァイス・アーレン、ボルシアMG、ボルシア・ドルトムント
復帰まで1年以上かかるようなことはなかったものの、とにかく細かい怪我に泣かされているマルコ・ロイス。足の負傷によって2014年のワールドカップを欠場しなければならなくなったほか、EURO2016とワールドカップ2022も怪我で棒に振っており、ビッグトーナメントに縁がない。
前十字靭帯を損傷したこともあるが、シーズン全休することはいままで一度もなく、ある意味非常にタフにプレーし続けており、今でもボルシア・ドルトムントで主力を担っている。
ロナウド

ケガでの離脱日数:1324日
所属したクラブ:PSV、バルセロナ、インテル、レアル・マドリー、ミランなど
1990年代から2000年代にかけて世界を席巻したブラジルの最強ストライカー。スピード、パワー、ドリブル、テクニック、そしてシュートと全てに隙がないパーフェクトな選手であった。彼を止めるディフェンダーは誰もいなかったが、怪我だけが彼を妨げた。
有り余る速さに膝がついていかず、1999年から膝の靭帯を何度も損傷した。体重が増加しやすい体質(後に甲状腺機能低下症であったことが判明している)であったことも影響し、離脱を繰り返すことに。特に膝蓋骨健の断裂は彼に大きなダメージを与えた。
フランク・リベリ

ケガでの離脱日数:1363日
所属したクラブ:マルセイユ、バイエルン・ミュンヘン、フィオレンティーナなど
マルセイユでデビューを果たし、それからバイエルン・ミュンヘンで長く主力選手として活躍。アリエン・ロッベンとともに「ロベリー」と呼ばれる両翼は伝説的な破壊力を誇った。
ただそのキャリアにはなんと72回もの負傷がつきまとい、合計で227試合を欠場しなければならなかった。その中でも常に素晴らしいプレーを見せてきた彼のタフさは驚異的なものがある。
トーマス・ヴェルマーレン

ケガでの離脱日数:1366日
所属したクラブ:アヤックス、アーセナル、バルセロナ、ローマ、ヴィッセル神戸など
キャリアの最後をヴィッセル神戸で過ごしたベルギー代表DF。アヤックスからアーセナルへと移籍したときにはいきなり素晴らしいプレーを見せ、シーズンで公式戦45試合に出場し、PFAベストイレブンにも輝いた。
しかしその翌年から怪我の連鎖が始まった。代表戦で負ったアキレス腱の負傷で長期離脱となったあと、なかなか継続的に出場できない状況が続いた。バルセロナへと移籍したあとも欠場を繰り返し、スペインでは4シーズンで53試合しかプレーできなかった。
ヴァンサン・コンパニ

ケガでの離脱日数:1419日
所属したクラブ:アンデルレヒト、ハンブルガーSV、マンチェスター・シティ
ヴァンサン・コンパニはマンチェスター・シティでプレーしたキャリアの中で12のトロフィーを獲得し、イングランド・プレミアリーグでも最高のディフェンダーであった。しかしながら、キャリアの最後の4年間は特に怪我との戦いばかりであった。
マンチェスター・シティでのキャリアで37回もの怪我を負って数多くの試合を欠場しながらも、その有り余るようなサッカーIQとリーダーシップで尊敬を集め、トップレベルのディフェンダーとして力を発揮し続けた。
ジャック・ウィルシャー

ケガでの離脱日数:1470日
所属したクラブ:アーセナル、ボーンマス、ウェストハムなど
10代でアーセナルのトップチームに昇格し、プレミアリーグで目覚ましい活躍を見せたウィルシャー。16歳でデビューして2010-11シーズンはレギュラーを確保し、アーセン・ヴェンゲル監督の下で大きな信頼を得た。
ところが2011-12シーズンは足首の疲労骨折をきっかけにリハビリが長引き、1試合も出場することができず。それ以降はキャリアを終える2022年まで1度もシーズン30試合以上プレーできなかった。2022年に30歳の若さで現役を離れ、その後はアーセナルの下部組織で指導者を務めている。
アリエン・ロッベン

ケガでの離脱日数:1507日
所属したクラブ:フローニンゲン、PSV、チェルシー、レアル・マドリー、バイエルン・ミュンヘン
フランク・リベリとともにバイエルン・ミュンヘンで強力な両翼を形成したアリエン・ロッベン。右サイドからカットインして左足でシュートを決めるというプレーを得意とし、それは分かっていても止められないという「伝家の宝刀」であった。
バイエルン・ミュンヘンでは怪我に苦しめられてシーズン20試合くらいの出場しか望めなかったが、リベリとともに出場したときのインパクトは絶大であった。負傷の苦しみから一度現役引退したものの、1年休んでからフローニンゲンで現役復帰したが、その後も怪我で離脱してしまったために改めて引退している。
ステヴァン・ヨヴェティッチ

ケガでの離脱日数:1510日
所属したクラブ:フィオレンティーナ、マンチェスター・シティ、インテル、セビージャ、モナコ、ヘルタ・ベルリンなど
モンテネグロが産んだ天才ストライカーであったヨヴェティッチ。パルチザン・ベオグラードの下部組織で活躍を見せ、16歳でトップチームに昇格。そのプレーは欧州のビッグクラブから大きな注目を集めたが、フィオレンティーナを選んでイタリアで大ブレイクした。
ただ、2010年に右膝前十字靱帯を損傷して8ヶ月の離脱を経験してからは怪我に悩まされた。マンチェスター・シティでもインテルでも離脱を繰り返したが、2017年に加入したモナコ時代には毎年のようにシーズンの大半を欠場しなければならなかった。34歳になった現在はオリンピアコスに所属。
アブ・ディアビ

ケガでの離脱日数:1747試合
所属したクラブ:オセール、アーセナル、マルセイユ
オセールで若くしてデビューを果たしてからまもなく、アーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルに引き抜かれたディアビ。「パトリック・ヴィエラの後継者」として期待された体格、パワー、スピード、テクニックを兼ね備えたオールラウンダーであった。
その才能はまさに世界最高レベルであったが、キャリアを通じての離脱期間は1700日以上。5年近くをリハビリに費やすというサッカー生活を送り、その足は怪我を繰り返すたびにボロボロになっていった。