
2022年10月1日―、インドネシア・東ジャワ州マラン県カンジュルハン・スタジアムでサッカー史に残る惨劇が発生した。
エスタディオ・ナシオナルの悲劇に次ぐサッカー史上2番目の犠牲者を出したこの事件は、20年以上ホームでの敗戦がなかったアレマが2-3で宿敵ペルセバヤ・スラバヤに敗れると、怒り狂ったサポーターが暴徒化。
フーリガンとなったアレマのファンは相手ファンと乱闘となり、この騒ぎを止めるために催涙弾が撃ち込まれ、出口へ逃げようとしたファンが将棋倒しとなり、多数の人間が窒息死した。
死者135人、負傷者583人とアジアスポーツ史上最大の群衆事故となった。
この試合でペルセバヤ・スラバヤの選手として出場した山本奨は決勝点を決めた。悲劇の引き金、人殺しといわれのない批判を浴びた男は、あの試合で何を思ったのか。
Qolyはサッカー史に残る悲劇を経験しながらも、前を向いて歩む山本にインタビューを実施した。
(取材・文・構成 高橋アオ)
俺ら戦争しに来たんだっけ?
あの日山本を含めたペルセバヤ・スラバヤの選手たちはアレマとのスーパーイーストジャワダービーに臨むため、相手本拠地へとバスで向かっていた。ただ会場周辺はサッカーの試合前と思えない物々しい雰囲気に包まれていた。
「試合前から所属していたチームの結果が良くなくて、すごいプレッシャーがあったんですよ。サポーターや周りからも『次は勝たないといけない』と。そこでアウェイで相手はアレマ。『ダービーで負けたらやばいぞ』という感じが試合前からありました。
アウェイで20何年勝っていなかったので、チームの雰囲気はすごく重かったです。このタイミングでマルセリーノ(・フェルディナン)とリスキ(・リド)が代表から帰ってきたんですよ。
以前インドネシアリーグでプレーしていたフィリピン代表DF佐藤大介に取材した際も「戦車で護送されました」というように、軍用の装甲車がバスを守るようにして護送したという。

スタジアムに入場するとその物々しさの根源がそこにあった。ダービーに狂気するサポーターたちが作り出した殺伐とした空間に、選手たちは圧倒された。これから戦争でも始まるのではないかという雰囲気の中、怒号に近い叫びがスタジアム中に響き渡っていた。
「スタジアムの雰囲気は本当にすごかったです。マジで殺伐としていて『戦争に来た?』という感じですね。アップのときから『俺ら戦争しに来たんだっけ?』と外国人選手がみんなに話していましたね。周りは4万人が全部アウェイ(相手チームの)サポーター。しかも全員がこっちを敵視してるみたいな。スタジアム内でアップに出た瞬間からもうブーイングされるわ、中指立てられるわ、文句言われるわでずっとそれが続いていました」
試合が始まり、前半32分までに山本が所属するペルセバヤ・スラバヤは2得点をリードする形で試合を進めた。
「『追いつかれるわな』と思いましたよ。そりゃあの感じで行ったらと思っていました。後日チームメイトと話したときも『絶対に追い付かれると思っていたよね』とみんなが感じてるような流れでした」
選手たちは萎縮するようにプレーが縮こまり、前半終了までに2-2と同点に追いつかれた。ただ、この日決勝点を挙げる男だけは冷静だった。「そんなに焦りはなかったです」と後半を迎えた。
キャリアの中でのベストゴール
後半6分に右サイド奥からインドネシア代表MFマルセリーノ・フェルディナンがゴール中央へとクロスを供給すると、山本が華麗にトラップして反転。左足で素早くシュートを放ち、ゴール中央へこの日3得点目となる決勝弾を叩き込んだ。
「あの雰囲気の中で決めたことがすごく良かったです。いままで人生の中で何ゴールか決めてきたんですけど、あのゴールは一番叫んだと思います。一番叫んで一番喜んだ。喜んだというか、自分は点を取ってもそんなにリアクションを見せないんですけど、そのときはすごく喜んで両手を挙げて叫んだと思います。すごい決め方をしたわけではないですけど、自分のキャリアの中ではある意味ベストゴールだと思っています」と感情を爆発させた。
試合はそのままスコアは動かず3-2で山本が所属するペルセバヤ・スラバヤがアレマを破った。ただ20年以上仇敵にホームで敗れていなかった群衆は、怒りを爆発させる寸前だった。
「試合が終了する前からペットボトルの水がコーナーに投げ込まれました。例えばスローインで(ボールを)取りにいった選手に(ペットボトルを)投げられたりとかがありました。自分のチームは『終わったらすぐ戻って来い』『みんなロッカールームに走って戻れ』と最初から言われていました。
試合終了した瞬間にみんな走って戻って、ロッカールームでちょっと喜んでいたけど、『早く着替えろ』『行くぞ』と言われました。だから誰もシャワーを浴びないでそのまま着替えて、ロッカールームに10分ちょっとしかいなくてそのまま護送車に乗り込んだんですけど、そこからまったく動かなかったです」
試合終了後怒り狂ったアレマのサポーターはピッチレベルに侵入し、相手サポーターと乱闘となった。

山本たちが避難している間にスタジアムは地獄絵図と化していた。スタジアムでは暴れ狂うサポーターにセキュリティが応戦するなど、想像を絶する状況となっていた。
「そのまま護送車に乗り込んでホテルに戻るとなってたんですけど、車がまったく動かない。護送車は戦車みたいな形をしているんですけど、まったく動かなくて『どうなってんの』みたいな。1時間くらい動かなったかな。
それから『ちょっと外を見てみ』となって、小さな窓から覗いたら警官たちとサポーターたちがバチバチやり合っている。『ええ!?』ってなりましたよ。自分も見たらびっくりして、『これやばいんじゃね?』となりました。
その日2回目の『俺ら戦争しに来た?』と思いましたよ。あれはもう戦争でした。煙も上がっているわ、警官は警棒でサポーターを叩くわ、サポーターも看板で思いっきり戦いに行くわ。もうびっくりしましたね。それが1時間ちょっと続いていました」
騒動はスタジアム外にも波及し、乗用車が燃やされるなどの被害も出たという。警官隊は催涙弾を暴徒に投下するなど応戦し、この世のものとは思えない光景が広がっていたという。

「(護送車は)全然進まなくて、やっと進み出したと思ったら、ちょっと進んだ先にパトカーが裏返って燃えているんですよ。すごかったです。
2時間半くらいスタジアムの前に止まってやっと動き出して、護送車のまま高速に行って、そのままアパートまで帰りました。もうすぐ着くくらいのときに誰かインドネシア人が『えっ、人がめっちゃ死んだらしいよ』と。マジで信じられませんでした。
『え、死ぬの?』と。ただそれがアパートに着いて、みんなが護送車から降りてマネージャーから『いまのところ70人くらいが亡くなっちゃっているらしい』と聞きました。だから『この試合のことについては何もインスタグラムとかに上げるな』と言われました。本当に何とも言えない感じでした」と驚がくしたという。
悲劇の引き金と扱われても
死者は最終的に135人となった。この惨劇はインドネシア中が国を挙げて喪に服した。ただ一方で当事者となってしまった山本は苛立ちを覚えていた。

「正直に言ってちょっとイラッとしました。
なんで試合に負けて入ってきちゃうかなと。ちなみにそれはいまもありますよ。サポーターが怒っちゃって(選手たちが)スタジアムから出られない、物を投げられるとかありますよ。この前も相手チームのサポーターに石を投げられてバスの窓が割れちゃったチームもありましたね。未だにインドネシアはそういうのがありますから何も学ばないなと呆れています」
決勝点を挙げた山本はやり玉に挙げられるようになった。惨劇のニュースのダイジェスト映像の多くが山本の決勝点のシーンを放送し、まるで悲劇の引き金になったような扱い方をした。

ただ一方でゴールを決めた山本はポジティブに自身のゴールを振り返った。
「あのゴールは『やっちゃったぜ』と思っています。正直に言って悪いとは何も思っていません。それこそさっき言ったように自分のキャリアの中でのベストに選ぶ可能性のあるゴールです。あのときの試合の雰囲気が自分はすごく好きです。その殺伐とした中で一番楽しい試合でもありました。
なので、特に相手チームのアレマのサポーターが俺のインスタグラムのコメントに来て『俺(お前)が点を取ったせいで』『お前のせいで人が死んだんだ』と言われたりもしましたけど、『知るか!』と思っています」とキッパリ。
これまでインドネシアでは数多くのサポーターからいわれのない言葉を投げかけられたが、あの殺伐とした瞬間に決めたゴールをいまも大切にしている。悲劇のゴールといわれようが、関係ない。むしろ悲劇の当事者に祭り上げられた理不尽に屈しない男は堂々と前を見据えていた。
男もまた、熱狂にほだされている
日本ではそれほど広く知られていない事件だったが、インドネシアとのアウェイ対戦時はインドネシアサポーターの狂暴性を具体例として挙げる際に『カンジュルハン・スタジアムの悲劇』として事件が取り扱われることがあった。
もしかしたら代表戦で暴動が発生するかもしれない。結果的には何も起こらなかったが、インドネシアでは何が起きてもおかしくないと山本は話す。
「ここ最近はインドネシア代表もすごく力を入れていて(サポーターの熱が)結構熱いと思います。例えばジャカルタのチームにいる日本人の選手は、その試合(日本代表戦)を観に行きましたけど、何かあったら大変なので奥さんは連れて行かなかったり、子どもを連れて行かなかった。だからインドネシアでは何が起こっても不思議ではないと思います」とインドネシアに在住する日本人は警戒していたという。

世界中を見渡しても、サポーターがここまで狂暴な地域はそう存在しない。それでもインドネシアでプレーし続ける理由を聞いた。
「契約の面が大きいですけど、さっき言ったサポーターの熱狂はいい面もあります。ヨーロッパに行ってモンテネグロ、セルビアはレベルがすごく高かったけど、サポーターが3、4万人も入るかといったらダービー以外は絶対に入らない。その中でサッカー選手としてやれるのはすごく恵まれていると思う。すごくいい面もあるし、悪い面もあって自分はそれが楽しいです」とインドネシアの熱狂を楽しんでいる。

インドネシアの熱狂は悪い部分がフォーカスされがちだが、選手としては熱狂空間の中でプレーできる喜びがある。サポーターが飛び跳ねる揺れは地鳴りとともにスタジアムが揺れ、絶叫に近いチャントは選手たちの気持ちを熱くさせる。
この空間でプレーできる面白さがあるからこそ、熱狂にほだされた山本はいまもインドネシアでプレーし続けている。
「もうすぐ(出場数が)合計100試合になります。来シーズンも残ってやれたら達成できると思います。キャリアの中で1回は優勝したいです。それはもちろんチームにもよるのでどこでやるか、運も関わってくると思いますけど、もし優勝できたらいいと思っています」と目標を掲げた。

インドネシアで戦い続ける侍は気さくに笑顔を浮かべながらインドネシアの明と暗を語り尽くした。『悲劇なんて関係ない』と言わんばかりに、ゴールを決める姿を来季も目に焼き付けたい。