東京五輪からおよそ半年がたち、冬の大舞台にあの男が帰ってきた。ソチ五輪、平昌五輪のスノーボード・ハーフパイプで2大会連続銀メダルを手にした平野歩夢は、東京でのスケートボードからスノーボードに乗り替え、二刀流ライダーとして北京五輪に挑む。

東京五輪の延期が決まっても諦める選択肢は「ない」と即答していた歩夢は、二刀流への挑戦で何を得たのか。「半年しかない中でみんなを上回ることを実現できたら、面白いんじゃないか」と語るチャレンジャーが歩んできた、北京への道のりとは――。

(文=野上大介)

「二刀流」で得た、三兎や四兎では足りないほどの経験

「細かいことを挙げたらきりがないくらい、自分でも気づいていない部分もあるほど、いろいろなことを吸収できたと思っています。スノーボードだけでは得ることができなかった経験をすることができました」

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがある。しかし、平野歩夢は「スケートボードとスノーボードの二刀流を通じて三兎も四兎も得たのではないか?」という質問に対してこう答えた。 昨年8月5日にスケートボードからスノーボードに乗り替え、二刀流ライダーとしての答え合わせを始めてから5カ月あまりがたとうという今年1月下旬。三兎や四兎では足りないほどの経験を積んだのだと、筆者の質問に力強く答えてくれた。

しかしながら、新型コロナウイルスが猛威を振るい、東京五輪の開催が1年延期と決まった時点では、絶望の淵に立たされていたはずだ。東京五輪を2020年夏に終えて2シーズン目であれば2022年の北京五輪にアジャストできる、という算段があった上での挑戦だったのだから。二刀流ライダーとしてのゴールが北京五輪で金メダルを獲得することだとすれば、正直なところ無謀な挑戦に感じていた。

東京五輪開幕まで4カ月を切った2021年4月上旬、歩夢の姿は北海道・札幌にあった。SAJ(全日本スキー連盟)主催の全日本スノーボード選手権大会に出場するためである。そこで好成績を収めないと、歩夢の北京五輪への道のりは閉ざされる。

なぜかといえば、平昌五輪を終えてからスノーボードの大会にはほぼ出場していなかったため、ワールドカップ派遣選手に選ばれるには好結果が必要だった。そのため、スケートボードに専念したい大切な時期にスノーボードにまたがっていたのだ。

結果は、昨シーズンの主要4戦で全勝の世界王者、戸塚優斗に次いで2位。その翌月には東京五輪のスケートボード代表選考でもっとも重要とされる世界大会「DEW TOUR」が控えており、二刀流ライダーとしてもっとも苦しい時期だったに違いない。

10年ものブランクも「スケートボードの練習時間が増えた」とポジティブな理由

その全日本選手権を終えた直後、スノーボーダーの視点から「東京五輪を諦める選択肢はなかったのか?」とやぼなことを聞いたのだが、歩夢は即答で「それはない」と答えた。むしろ「スケートボードの練習時間が増えた」とポジティブに受け止めていたのだから驚きだ。しかし、さらに突っ込むと「そう考えないと(二刀流ライダーは)やっていられない」と二刀流の難しさを吐露していた。

4歳でスケートボードとスノーボードを始めた歩夢は、横乗りライダーとして根っこからの二刀流である。もともとスケートボードの技術が融合された雪上での滑りが卓越しているからこそ、14歳という若さでX Games アスペン大会で2位(当時の最年少メダリスト記録)を獲得し、15歳のときにソチ五輪で銀メダルを手中に収めて冬季五輪の日本人史上最年少メダリストに輝いた。

そして、2018年秋に東京五輪を目指すと宣言した時点では、スケートボード競技の経験は小学生時代から遠ざかっている状態。かつては、東京五輪スケートボード・ストリートで金メダルを獲得した同学年の堀米雄斗とバーチカル(半円状のコースを使った種目)の大会で顔を合わせ優勝争いをするなど、ライバル関係にあった。

10歳の時に出場したAJSA エレメントカップからおよそ10年の月日が流れ、365日スケートボードにまたがっている世界中のスケーターたちに、スノーボーダーとして宣戦布告をしたわけだ。

「これまでのスノーボードの滑りよりも、さらに…」スケートボードで研ぎ澄まされた技術

埋めても埋まりきらない経験不足を補うために、歩夢はアメリカのスケートパークを行脚した。1日に最低2カ所、行ける日は3カ所を巡る日々を過ごしたそうだ。

幼き頃から誰よりも滑り続ける努力家の歩夢は、幾多のトランジション(R形状)を滑り込んできたことで東京五輪での素晴らしいパフォーマンスを生み出すと同時に、スノーボードに生かされる技術も体得していた。

「スケートボードの場合はちょっとしたズレによって(ボードに)乗る位置も変わってくるし、膝の曲げ方などが(スノーボードとは)全然違うから、そういう意味ではこれまでのスノーボードの滑りよりも、さらにいろいろな状態で乗れるようになっています。たとえば、前(進行方向)に詰まったとしても調節できるというか」

「ボトム(ハーフパイプの底部)に跳ね返されたりして着地が厳しいんじゃないかと思ったときなどの対応力が上がりましたね」

前者は2021年4月に、後者は今年1月末に聞いた言葉だ。昨年12月、歩夢は世界初となるフロントサイド・トリプルコーク1440を国際大会「DEW TOUR」で成功させた。「もっとクリーンに決めたかった」とは本人談だが、縦3回転・横4回転を同時に回したことによる強烈な遠心力をハーフパイプのリップ(縁)付近で抑え込んで着地しないと、次の壁につなぐことができないという超高難度トリック(技)である。

その際、次のヒットで繰り出したキャブ・ダブルコーク1440(通常のスタンスとは反対向きからお腹側に縦2回転・横4回転を同時に回す技)は失敗に終わったが、さほど滞空時間が生み出せないハーフパイプのコンディションだったにもかかわらずトリプルコークの着地に成功したのは、やはりスケートボードで培った技術のたまものだろう。

さらにいえば、テイクオフ(踏み切り)の精度も上がっているように映る。スケートボードのバーチカルで鍛え上げられたテイクオフのスキルは、もともとほかのライダーたちとは一線を画していた。スケートボードの場合、デッキに付いているウィール(タイヤ)がリップを過ぎた直後、わずか15cm程度のテール(ボードの後端)を弾いてオーリー(飛び上がる動作)しなければならない。スノーボードにはウィールが存在しないため踏み切れる範囲は広いが、もちろんテールのギリギリまで使ってテイクオフしたほうがエアの高さを生み出すことができる。

元来テイクオフの動きが長けていたわけだが、さらに研ぎ澄まされているように感じてならない。平昌五輪で銀メダルを獲得した際に繰り出した、連続ダブルコーク1440(縦2回転と横4回転を同時に回す技)と連続ダブルコーク1260(縦2回転と横3回転半を同時に回す技)を4連続とするルーティンを今シーズンも披露しているのだが、そのすべてのエアの高さが当時を上回っている。

だからこそ、トリプルコークを成功できるだけの十分な滞空時間を生み出し、スケートボードで研ぎ澄まされたバランス感覚が着地にも生かされているのだ。

技術だけではない。平野歩夢が二刀流への挑戦で得たもの

ただし、スケートボードを通じて得たものは技術だけではなかった。スノーボードのオリンピアンとしてスケートボードで東京五輪を目指す過程において、世界中のスケーターたちから中指を立てられたことだろう。「ナメんじゃねぇ」と。そこで培われたチャレンジ精神は、スノーボードに乗り続けていたら絶対に得ることはできなかった。

4年前の平昌五輪では「金(メダル)しかない」と公言して自らを追い込み、苦しみ、もがき続けていた。世界一のルーティンを完成させたが、結果は伴わなかった。だが東京五輪を経験した歩夢は、兄の英樹やソチ五輪銅メダリストの平岡卓らに追いつくために必死になって挑戦し続けていた幼き頃の気持ちを思い出し、この半年足らずの期間を駆け抜けてきたわけだ。

「あのときは“負けたくない”とか“優勝したい”とか、そういう気持ちだけがめちゃくちゃ強くて。でも今は、そういうのはどうでもいいと思いたいんです。自分自身を敵として考えて納得のいく滑りをするだけ。

その結果として、ほかの人を上回る圧倒的なものがあった上で頂点に立つことができたらいいですね」

今年1月に行われた、ワールドカップに位置づけられているToyota U.S. Grand Prix at Mammoth Mountain 2022とLAAX OPENで2連勝。そして、多くのライダーたちが北京五輪に向けての調整のためにキャンセルしたプロ大会の最高峰、X Gamesにも出場し、2位に甘んじたものの、これまでの大会や練習を通じてもっとも完成度の高いトリプルコーク1440に成功した。北京五輪を目前に控えて、誰も想像できなかった領域での仕上がりを誇る歩夢。「それでも気持ちはまだチャレンジャーのままなのか?」と問うと、「チャレンジャーのままですね」と即答。そして、こう続けた。

「でも、やはり頂点でいたいという気持ちが、自信を取り戻すとともに出てきました。半年しかない中でみんなを上回ることを実現できたら、これは面白いんじゃないかって」

<了>

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