中国社会科学院は北京でこのほど、多項目にわたる「科学技術考古学と文化遺産保護の重要な成果」を発表しました。学術界では、河南省洛陽にある二里頭遺跡は、夏王朝末期の都だった可能性があると考えられています。
二里頭遺跡は1959年に考古学的な調査発掘を開始し、現在までに面積約300万平方メートルの遺跡を発見しています。これは当時の中国で最大規模の都としての集落であり、ここから100点以上の青銅器が出土しました。考古学の専門家は、60年以上にわたり二里頭遺跡から出土された銅器に対して、科学技術的再検査とデータの整理を実施し、青銅の材質が銅に金か銀を加えた合金、銅とスズの合金、銅と鉛とスズの合金、銅と鉛とスズとヒ素の合金など8種類のタイプを含むことを発見しました。
考古学者は過去十数年にわたり二里頭青銅器に対して鉛同位元素の分析を進めてきた結果、原料である銅の産地の一つは、河南省となりの山西省南部の中条山であることを確認しました。青銅器の生産には採鉱、輸送、製錬、合金化、鋳造などの複雑なプロセスが含まれています。中国社会科学院科学技術考古学・文化遺産保護重点実験室の劉煜研究員は、3000年以上前、山西省南部から河南省の洛陽まで鉱物が長距離輸送されたことは、東アジア大陸で最も古い広域王権国家の管理能力を示すものであると分析しています。(提供/CRI)