中国国家統計局が1月19日に発表した2025年の国内総生産(GDP)は実質で前年比5.0%増だった。政府目標の「5.0%前後」が成功裏に達成された形だ。

だが、直後に世界の専門家やメディアから「実際は半分以下」「単なる政治目標値」などとする指摘や批判も相次いだ。

中国の統計に疑義が呈されるのは初めてではない。GDPだけでなく軍事費など主要な統計数字に関して過去数十年にわたって繰り返し疑問の声が上がってきた。実際のところはどうなのか。

筆者自身、中国での統計の扱いに驚いた経験がある。1995年、改革開放が加速する上海に駐在していた際、中国有数の名門大に出稼ぎ問題の取材で訪れた。相手は英国の大学で博士号を取得した人口問題の権威だった。途中で人口統計の話になり「中国の人口は正確には何人か」と聞いたところ、その教授は「約12億人で、誤差がプラスマイナス5000万人」と答えたのだ。

上下で最大1億人の差。そんなことがあり得るのかという思いと、これを発表したら取材に応じてくれた教授がトラブルに遭いはしないしないかなどと考え、少しの間、絶句してしまった。よほど驚いた顔をしていたのだろう。相手はけげんそうな表情で「穏当な見積もりだとそんなもんだ」と付け加えた(後日、インタビュー記事は無事配信され、誰からも苦情などはなかった)。

この人口学者にすれば、日本人記者にあえて不正確な数字を言う必要もないし、現在のように経済統計への政治的な締め付けも当時はほとんどなかった。中国人口学の常識を伝えてくれたのだと信じている。
中国統計のナゾ、由らしむべし知らしむべからず
上海の繁華街、南京路

中国の人口は実際何人か

人口問題の専門家である米ウィスコンシン大研究員の易富賢氏は2022年、上海市公安局から外部にリークされたBCG(結核ワクチン)接種データを基に、中国の人口は公式発表の14億1000万人ではなく、実際は12億8000万人であるとの見解を発表した(専門家の論評を配信するプロジェクト・シンジケート、2022年7月27日付)。公式統計との差は1億3000万人だ。中国当局は易研究員の発表を「偽情報」などと否定している。

だが、人口の実数が公式発表より少ないとする中国の専門家は易研究員にとどまらない。別の人口学者、梁中堂氏も2025年末に中国の人口を14億489万人とする公式発表は当局の「調整」による結果であり、実際はもっと少ないと指摘している(東方日報電子版1月21日付)。梁氏は「調整」について「中国の人口研究者の多くが知っている」と述べ、中国人女性1人が生涯に産む子どもの推定人数「合計特殊出生率」も韓国より低い「0.7」との見方を示した。

1人当たりのGDPは大幅増、「一人っ子政策」の成果?

タイトルを「中国統計のナゾ」としたのは、仮にこうした研究者の数値が正しいとして、なぜ当局が実際数と違った数字を掲げるのか、理由がすぐには見当たらないこともある。統計の見栄えをよくするためだろうか。しかし、1億人も人口が少なければ、国の豊かさを図る指標である1人当たりのGDPは大きく増加する。さらに、中国は長きにわたって人口抑制を目的とした「一人っ子政策」(1979年~2014年)を実施しており、人口が少ないということは政策の成果ともいえる。

人口数に「誤差」があるとした場合、多くの疑問が湧く。

実際のところ、中央政府は正確な数値を把握していて、発表数だけが操作されているのか。文化大革命など建国以来の混乱を経て、当初の統計資料がそもそも不備だったのか。あるいは、人口推計の誤りが長年積み重なり、後で修正が効かなかったということなのだろうか。はっきり言えるのは、人口数は種々の経済統計の基礎であり、その数値に巨大な誤りがあれば、他の数多くの経済統計も額面通りに受け取れなくなるということだ。

実は当局者による意図的な統計改ざんが日常茶飯事であることは中国政府自らが認めている。特に地方政府が経済成長を競い合う中、統計数値の水増しが横行している。中国国家統計局は2024年1月、当局者らによるデータ改ざんや統計作業への介入が後を絶たないとして、改ざん行為を働いた場合「捜査され、発見され、処分される。容認はされない」と警告している(ロイター通信)。

だが、問題の本質は現在の中国で「事実」より「政治」が優先されるということだろう。最近でも、中国の住宅販売数や価格を月ごとに提供してきた住宅情報会社大手2社が、2025年11月末に情報提供を中止した。住宅当局の指示によるとみられている(12月2日、米ブルームバーグ通信)。中国の不動産不況は深刻化の一途をたどっており、これ以上、市況に冷水をかければ、社会不安さえ招きかねないという当局の思惑があるとみられる。

中国での統計や情報の改ざん、隠ぺいの背景には、より具体的には二つの理由があると考えている。一つは論語由来の「由らしむべし知らしむべからず」(ここでの解釈は「民はただ政治に従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない」)の姿勢だ。悪い情報をなぜ社会に出す必要があるのか、という考え方だ。2000年代、筆者が参加した日中両国メディアのフォーラムで「日本経済の失われた20年」が話題に上った。その際、中国の著名記者が「なぜ日本のメディアは毎日のように日本の景気が悪いと大きく報じるのか。状況がますます悪化するだけではないか」と指摘した。同記者は「こういう時こそ、メディアは経済のいいニュースを報じたらいい。われわれはそうしている」と強調した。景気は「気」からというから、中国記者の理屈にも一理あるのだろう。中国エリートの社会と情報に対する姿勢を垣間見た気がした。

インターネットの普及で膨大な情報が流通する一方、ネット規制の技術も発達し、当局の情報統制はより容易になった。情報統制の結果、世界中で知られている歴史的事件が中国ではほとんど話題にならないということも起きている。

統計改ざんのもう一つの理由としては、中央、地方を問わず、中国の高級官僚が党中央に忠誠を尽くしつつ、一般民衆や事実関係に対しては「アカウンタビリティ(説明責任)」を大きく問われないという事情があると思う。2007年から08年にかけ、中国の冷凍ギョーザを食べた日本人が中毒を起こした事件で、事件後に公安省と河北省の幹部が相次いで記者会見し、「中国で毒物が混入した可能性は低い」などと断定して説明した。捜査が進んでおらず、情報も乏しい段階で中国側に責任がないと主張する内容だった。

2010年になって、犯人は工場の元従業員で毒物が中国内で混入したことが判明している。だが、あやふやな情報を発表した幹部が処分や批判を受けたという話は聞かない。最近も、高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁に反発し、中国当局は「中国国民を狙った犯罪が日本で多発している」と発表、日本への渡航自粛を促した。だが、日本メディアのファクトチェックによれば、警察庁統計でそのような傾向は確認されていない。仮に、西側諸国の公務員が特定の情報を根拠に他国や外国人を批判し、国内で検証されてその情報が事実に基づかないと分かった場合、本人自身の評判を落とし経歴に傷がつく。アカウンタビリティが問われるからだ。

中国でも、事実を発表し報道すべきだという動きはある。筆者は2008年北京夏季五輪の直前、中国記者団体の「調査報道研修会」に講師として招かれたことがある(当時のメディア規制はそこまで緩和されていた)。会場の後ろには当然のように公安関係者が陣取っていたが、「内輪の会合」ということもあり、活発な討論が目立った。

現在の中国で調査報道の研修会が開かれることは想像できない。中国の故事「褒姒(ほうじ)の一笑」(十八史略)は西周末期の妃で絶世の美女、褒姒が全く笑わなかったため、王が妃を笑わせようとうその「のろし」を上げて諸侯を呼び寄せ、妃はその慌てふためく姿を見て初めて笑った。王は喜んで、何回もうその「のろし」を上げたところ、ついには諸侯の信頼を失ったとされる。事実を軽んじると信用を失うという教訓話とも受け取れるのではないか。

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