ロシアのウクライナ侵攻が続く中、米国がイスラエルと共にイランを攻撃し、世界は一段ときな臭くなってきた。世界最強の軍事力を持つ二つの国が(どちらも国連の常任理事国だ)、国連憲章違反と言われながら平然と他国を攻撃する現実を前に、無力感を覚えざるを得ない。
「西の原爆ドーム、東の変電所」
その建物に近づいた時、思わず息をのんだ。2階建てのビルの南側壁面に、直径30センチを超えるものから5センチ程度のものまで、無数の穴が開いている。第二次世界大戦末期、米軍の戦闘機が行った機銃掃射でできた弾痕だ。穴の大きさの違いは弾丸の種類の違いによるものだそうだが、その数は百を超えるだろうか。機銃掃射がいかに激しかったかがよく分かる。
ここは東京・多摩地区の東大和市にある旧日立航空機立川工場の変電所。同工場は1945年(昭和20年)2月17日にグラマンF6Fなど空母艦載機の来襲、4月19日に米陸軍航空隊の戦闘機P51ムスタングによる攻撃、そして4月24日にB29による爆撃と、3回の空襲を受け、従業員や動員学生など合計111人の犠牲者を出した。戦後、変電所は空襲の傷跡を残しながら設備を更新し、1993年まで稼働を続けた。その後は取り壊しも検討されたが、市民グループや元従業員による保存活動の結果、東大和市は95年に変電所を市史跡に指定。戦争の悲惨さと平和の大切さを後世に伝える文化財として、当時のままの姿で残していくことになった。
私は2年ほど前から各地の戦跡や戦争ミュージアムを巡っている。
機銃掃射、民間人も標的に
第二次世界大戦当時、東京の西部に位置する多摩地区には、東洋一のエンジン工場と言われた中島飛行機武蔵野工場(現在の武蔵野市)はじめ武器の製造拠点が点在しており、日立航空機立川工場でも航空機用エンジンを作っていた。1944年夏にサイパン島、テニアン島などのマリアナ諸島を占領してB29による日本本土爆撃の態勢を整えつつあった米軍にとって、これらの航空機関連の工場は重要な攻撃目標の一つだった。
空襲体験者である小沢長治さんが1995年に刊行した「多摩の空襲と戦災」によると、B29が初めて日本本土に飛来したのは44年11月1日。そして早くも同月24日にはB29が初めて編隊で来襲し、中島飛行機武蔵野工場を爆撃した。日立航空機立川工場はしばらく爆撃を免れていたが、前述のように翌年2月以降、3回にわたり攻撃を受けた。
変電所の壁面に残る弾痕は、B29によるものではなく、グラマンやムスタングといった戦闘機の機銃掃射の痕だ。小沢さんは、自らが機銃掃射を受けた少年時代の体験を著書に書き記している。45年2月16日、防空壕の掘削作業員と小沢さんが立川市の自宅前で立っていたところ、「頭上を通り過ぎたグラマンの1機が、反転して急降下してきた。キューンという金属製の音を響かせながら、操縦士の顔が見えるくらいまで降下してダダダダと機銃を発射したが、機銃弾はふたりの間を抜けたので無事だった。
この一文から分かるのは、子どもだろうが民間人だろうが関係なく標的とされたこと。そして、戦闘機が超低空で機銃を撃ちまくることだ。見学時に説明してくれた解説員によると、高度15メートルくらいまで降下して機銃掃射した例もあったという。民間人を狙うぐらいだから、航空機工場の一部である変電所は、当然のように機銃掃射の目標となった。変電所の2階には1939年に設置されたという明電舎製の配電盤が置いてあり、その表面に二つ穴がある。コンクリート壁を貫いて工場内に飛んできた弾丸の痕だというのだが、配電盤の機能に影響のない箇所だったので、その後も使用されたという。
緑豊かな公園は戦場だった
変電所は現在、都立東大和南公園の一角にある。西武鉄道拝島線の玉川上水駅を下車し、いかにも東京郊外らしいのびやかな風景の中を5分ほど歩くと公園に着く。私が訪れた時は穏やかな春の陽光の下、子どもたちがグラウンドでサッカーやバスケットに興じたり、気の早い花見客が二分咲き程度の桜の木の下で弁当を食べたりしていた。芝生で犬を散歩させている年配者の姿も多かった。平和ニッポンを象徴するような公園を歩いていると、突如として無数の弾痕を残す建物が出現する。
今のところ日本は、80年を超える平和を享受し続けている。しかし世界は、特に中東を含むアジアではあちこちで戦火が燃え盛り、あるいは火種がくすぶっている。イラン情勢にどうしても関心が集まってしまうが、イスラエルは隣国レバノンへも攻勢を強めているし、停戦が合意されたガザ地区では現在もイスラエルの砲爆撃が続いているという。目をもう少し東に転じると、パキスタンはイスラム主義組織タリバンが支配するアフガニスタンと戦闘状態に入った。そして、北朝鮮の軍備拡充、台湾海峡の緊張は相変わらずだ。
人類の歴史は戦争の歴史とも言われるように、世界から国家間の争いを根絶することは非現実的かもしれない。しかし、一国平和主義と言われるかもしれないが、日本で再び機銃掃射が行われるようなことは絶対阻止しなければならない。変電所の壁にうがたれた無数の弾痕を眺めながら、改めてそう思った。











