ニック・メイスンは、ピンク・フロイドのドラマーとしてバンド内で常に特異なポジションを占めてきた。ソングライターとしてのクレジットは他のメンバーと比べて圧倒的に少ないものの、バンド内で唯一、全てのアルバムでプレイしてきたメンバーだ。そして唯一、バンドの分裂に異を唱えているメンバーでもある。もしも彼がピンク・フロイドのリーダーだったら、バンドは今なおザ・ローリング・ストーンズのようにヘッドライナーとして世界中のスタジアムでプレイし続けていることだろう。残念ながらピンク・フロイドのリーダーではないニック・メイスンは2019年、自らのニュープロジェクトであるニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツを率いて初の北米ツアーを行い、1973年以前のピンク・フロイドの楽曲をプレイする。
バンドを始めるにあたりメイスンは、デイヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズ両人の了解を取りつけた。近年、ギルモアとウォーターズが直接言葉を交わすことはほとんどないものの、それぞれメイスンとは連絡を取り合っていた。「とても不自然な状況だと思う」と両者がにらみ合う現在の状態についてメイスンは言う。「問題は、ロジャーがデイヴィッドをリスペクトしないことにあるんだと思っている。ロジャーはソングライティングが最も重要だと考えている。ギターを弾いたり歌ったりは、誰でもできるとは言わないが、演奏よりも作詞・作曲で楽曲の良し悪しは判断されるべきだ、と彼は思っている」
メイスンはまた、1985年にウォーターズがバンドを離れた後もギルモアがピンク・フロイド名義で活動を続けていることも、争いのもとだと考えている。
デイヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズの関係は、ウォーターズ脱退後もバンドがピンク・フロイドとして活動を続けた約20年間が、特に冷え切っていた。しかし2005年、両者が一時休戦してチャリティイベントLive8のために再結成したことは、大きな反響を呼んだ。恒久的なバンドの再結成にはつながらなかったものの、2010年夏、英国で行われたパレスチナの子どもたちのためのチャリティイベントで、2人はミニコンサートを開いた。さらに翌年ギルモアは、O2アリーナで行われたウォーターズのコンサートで『コンフォタブリー・ナム』を共演し、アンコールにはメイスンも加わった。
その後7年間、3人が共演することはなかった。2014年にリリースした故リチャード・ライトに捧げるピンク・フロイド名義のアルバム制作の際も、ギルモアはウォーターズへ参加を呼びかけようとはしなかった。「僕らの今やっていることと彼(ウォーターズ)とを関連付けようとする考えが理解できない」と、ギルモアはローリングストーン誌に語っている。「ロジャーは、ポップ・グループの一員であることにうんざりしているんだ。
ピンク・フロイドの多くのファン同様、メイスンもまた現在も続く2人の不和にフラストレーションを感じている。「喧嘩と和解の繰り返しだ」と彼は言う。「アルバム再発の話が出た時には、そのやり方や選択方法でより一層揉めると思う」
しかし、メイスンは停戦を諦めた訳ではない。「望みは持っている」と彼は語る。「ピンク・フロイドとしてツアーに出ることはもうないと思うが、この歳になってまだ喧嘩しているなんて、おかしいだろう」
では、どのようにメイスンは仲違いする2人の間でニュートラルな立場を維持するのだろうか? 「じっと身をかがめてやり過ごすだけさ」と彼は言う。