スパイク・ジョーンズが監督を務めたライブイベントに、ビースティー・ボーイズのアダム・アドロック・ホロヴィッツとマイケル・マイク・D・ダイアモンドが登場した。ブルックリンで3日間連続で開催されたトークイベントのレポートをお届けする。


昨年10月、ビースティー・ボーイズのマイケル・マイク・D・ダイアモンドとアダム・アドロック・ホロヴィッツは、ニューヨーク発のバンドの歴史とその文化的功績を綴った592ページに及ぶ自伝『Beastie Boys Book』を発表した。その大部分は、バンドのクリエイティヴ面において決定的な役割を果たしながら、2012年にこの世を去ったアダム・MCA・ヤウクへのトリビュートとなっていた。バンドが手にした名声、クリエイティヴプロセス、10代の悪ガキ魂などに触れながら語られる物語は、子供の頃から変わらないメンバーたちの強固な絆を描く。同書にはエイミー・ポーラーやスパイク・ジョーンズ、ウェス・アンダーソン、コルソン・ホワイトヘッド等、バンドと縁の深い人々も数多く登場するほか、オーディオブック版(秀逸な出来)にはさらに多くのセレブレティが参加している。

さらにビースティー・ボーイズの2人は、Q&Aセッションや本の朗読の他、各会場でゲストとして迎えられたゲストたちとのトーク、DJのミックスマスター・マイクによるサウンドトラック生再現などを盛り込んだ、6日間に及ぶ同書のローンチイベントを開催した。そして先日、2人は同書の内容に基づいたライブイベント『Beastie Boys Story』を開催した。スパイク・ジョーンズが監督を務めた「3人の少年が組んだバンドについて、2人の男性が語るワンマンショー」と銘打たれたそのイベントは、4月8~10日の3日間連続でブルックリンのKings Theatreにて行われた。

飾り気のないステージに登場したホロヴィッツとダイアモンドの2人は、おふざけと真摯なストーリーテリング(The MothやPop-Up Magazineを思わせる)を絶妙のバランスで組み合わせたショーのムードを体現していた。親しい友人だけを招いたTEDトークのような親密さを感じさせるそのイベントでは、軽くリハーサルしていたと思しき寸劇の数々も飛び出した。バンドの結成、駆け上がったスターダム、「ファイト・フォー・ユア・ライト・トゥ・パーティ」で名を馳せた若者たちが(ユーモアはそのままに)実験性に富んだレコードを生み出すという進化の過程など、2人はそれぞれの言葉でバンドの歴史を振り返った。彼らの背後の巨大スクリーンには、事前に撮影されていた「シェイク・ユア・ランプ」で使われているサンプルについて解説する様子(ショーのハイライトだった)や、すっかり忘れられている1989年にホロヴィッツが出演した映画をはじめとする、ロサンゼルス時代の笑える秘蔵映像の数々が断続的に映し出されていた。

ジョーンズの若い姪や、サプライズで出演したデヴィッド・クロス等、当日は様々なゲストも登場した。
支柱をはじめとする舞台装置のコスチューム(印象的なものからそうでないものまで様々)を身にまとったゲストたちが、それぞれステージに登場しては去っていくという構成ではあったが、基本的にはキャッチコピー通りのホロヴィッツとダイアモンドによるワンマンショーであり、どこかぎこちないやり取りが2人をチャーミングに見せていた。わざとらしい口論やオチのない長話を繰り返す2人は、互いの発言内容の間違いを正そうと躍起になる。テレプロンプターが台本の表示に失敗し、会場ではジョーンズによる謝罪のアナウンスが頻繁に流れていた。

「ちゃんとリハーサルしたんだぜ」ホロヴィッツは観衆に向かってそう言った。しかし実際のところ、失敗やアクシデントの数々はショーの魅力となっていた。そのユルさこそが彼らの魅力だということを、オーディエンスはよく理解していたからだ。昨夜は客席からの歓声が始終絶えず、まるでビースティー・ボーイズが往年の名曲群をプレイするコンサートかのような熱狂ぶりだった。会場のスピーカーからバンドの曲が流れるたびに、客席からは大合唱が起きていた。

かつて騒々しいパーティーラップのグループだったビースティ・ボーイズが、シーンの立役者としての地位を確立するまでになったのは、常に自らを客観的に見つめることで、彼らが絶えず成長を遂げてきたからに他ならない。ホロヴィッツとダイアモンドはイベントのムードに陰りが生じることを厭わず、過去に犯した過ちについても言及していた。彼らは初期の楽曲の歌詞が女性蔑視的であることを認め、「アグレッシブなラップグループのイメージにフィットしない」という理由で、結成メンバーの1人であるケイト・シェレンバックを強制的に脱退させたことを後悔していると語った。2009年に行われたヤウクとの最後のライブについて語る時、ホロヴィッツは目に涙を浮かべていた。


姿こそなくとも、会場には始終ヤウクの存在感が漂っていた。『ポールズ・ブティック』のカバー写真から「サボタージュ」のベースライン、テープデッキと椅子2脚を使ったDIYループマシンの考案まで、2人はバンドにおけるヤウクの功績の数々について繰り返し強調していた。

身内ノリを少しも出すことなく、バンドの物語を優しく語ってみせた当日のホロヴィッツとダイアモンドは、バンドの繊細なニュアンスをオーディエンスに伝えることにほぼ成功したと言っていいだろう。ニューヨーク出身の白人のパンク好き少年3人は、固い絆を讃えるアンセムを手に世界中を巡り、サンプラーととめどない音楽的好奇心を武器に、ヒップホップの枠を越えた野心作をメジャーレーベルから発表し続けた。

「俺たちはカテゴライズ不可能な存在だった」ダイアモンドはそう語った。「そういう表現が物足りなく感じるほどにね」
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