ジャスティン・ビーバーは単なるポップスターではない。彼のパワーの源泉は世界最強の”バイラルブースター”であり続けてきたことにある。
トップクラスのSNSフォロワー数を持つジャスティン。しかしケイティー・ペリーなど彼以上もしくは同レベルのフォロワー数を持つアーティストやセレブリティと比べても「ジャスティン・ビーバーが火をつけた/乗っかった社会現象的なヒット」の多さは際立っている。カーリー・レイ・ジェプセンの「コール・ミー・メイビー」も、PSYの「カンナム・スタイル」も、ピコ太郎の「PPAP」もそうだった。「誰もが15分以内に有名人になれる」というアンディ・ウォーホルの予言を形にし、インフルエンサーとして誰かをスターダムに引っ張り上げることによって彼自身もスターであり続けてきた。もちろん、そこには彼やアリアナ・グランデのマネージメントを手掛ける「2010年代ポップシーン最強の仕掛け人」スクーター・ブラウンの存在も大きい。
「デスパシート」の世界的なヒットにも同じ力学がある。ただし、この曲が他の例と大きく異なるのは、ルイス・フォンシもダディ・ヤンキーも無名にはほど遠く、むしろ既にトップアーティストの一人だった、ということ。
ルイス・フォンシは2014年のアルバム『8』が世界9カ国で1位を獲得しラテン・グラミーもたびたび獲得しているラテン・ポップの代表的アーティスト。同郷プエルトリコ出身のダディ・ヤンキーは、世界的なレゲトン・ブームを巻き起こした2004年の「ガソリーナ」で知られる「キング・オブ・レゲトン」。ルイス・フォンシfeat. ダディ・ヤンキー名義で2017年1月に発表された「デスパシート」は、両者のコラボという話題性や楽曲の魅力もあって、リリース直後からスペイン語圏で急速に支持を集めていた。南米各地のクラブでプレイされ、サッカーチャントとしても広まりつつあった。
そして同年4月10日、南米ツアー中のジャスティン・ビーバーはコロンビアのクラブでこの曲を耳にする。翌11日、スクーター・ブラウンはルイス・フォンシ側に連絡し、ジャスティンがスペイン語で歌い参加するバージョンの制作を提案し許諾を得る。そこからわずか6日でレコーディングが完了し、プエルトリコ公演前日の4月17日に楽曲はリリース。結果、このリミックス・バージョンは16週連続全米1位。21世紀最大のラテン・ヒットとなったわけだが、その背景として、スペイン語圏の音楽市場の広がりや世界的な影響力の増大だけでなく、バイラルのスピード感を乗りこなすジャスティンとスクーター・ブラウンの意思決定の異常な速さがあったことは指摘しておきたい。
Luis Fonsi, Daddy Yankee - Despacito (Remix) (Official Audio) ft. Justin Bieber
とはいえ、ほんの5年前の彼はこんなプロップスは得ていなかった。人気と知名度はあれど、それはあくまでボーイアイドルとしてのもの。ヒスパニック系のアーティストと交わる音楽的な文脈は持っていなかった。
最大のターニングポイントになったのはディプロとスクリレックスとの出会いだろう。二人のユニットJack Üに参加した「Where Are Ü Now」を2015年2月にリリースし、この曲でグラミーを初受賞。
Skrillex and Diplo - "Where Are Ü Now" with Justin Bieber
そして両者が深く関わった同年のアルバム『PURPOSE』は彼の評価を一変させる一枚となった。その後ポップシーンを席巻するトロピカル・ハウスやダンスホール・ポップのサウンドを体現していたこと、トラヴィス・スコットやホールジーをいち早くフィーチャリングに迎えていたことも含め、2015年時点におけるこのアルバムの音楽的な先鋭性は図抜けていた。
Justin Bieber - Sorry
2016年にはメジャー・レイザーとMØとの「Cold Water」やDJ Snakeとの「Let Me Love You」をヒットさせているが、これも当然ディプロとの関係性ありきのものである。
ちなみに『PURPOSE』は2015年11月13日にリリースされたのだが、まったく同日に発売されたのが、それまで無類の人気を誇ったボーイバンド、ワン・ダイレクションの結果的に最後の一枚となった『Made in the A.M.』だった。その後の両者の辿った道筋を考えると、実はその日が2010年代のポップカルチャーの分水嶺となった1日と言えるかもしれない。
Edited by The Sign Magazine