新録インタビューと秘蔵映像の数々で描かれる、ディラン史上屈指のツアーのひとつ「ローリング・サンダー・レヴュー」を振り返る傑作ドキュメンタリーの裏側に迫る。

マーティン・スコセッシが監督を務めた新ドキュメンタリー『ローリング・サンダー・レヴュー:マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説』(以下『ローリング・サンダー・レヴュー』)の序盤で、ボブ・ディランは1975~76年にかけて行われた困難続きだった伝説のツアーについてこう語っている。
「ローリング・サンダーの何たるかを伝えたいのさ」彼はこう続ける。「見当もつかないがね、あれには何のコンセプトもないからさ。はっきりしてるのは、それが40年ほど前に確かに起きた出来事だってことだ。ローリング・サンダーについて、俺は何ひとつ覚えていない。大昔の話だし、俺はまだ生まれてもいなかった」

序盤に登場する「何ひとつ思い出せない」という彼の謎めいた発言は、本作『ローリング・サンダー・レヴュー』(6月12日より各劇場およびNetflixで公開中)が一般的なドキュメンタリーとは趣を異にすることを示している。「ボブ・ディラン伝説」というフレーズもまた然りだ。
内容について詳しく述べるつもりはないが、本作は同じくスコセッシが監督を務めた2005年発表のドキュメンタリー『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(以下『ノー・ディレクション・ホーム』)の単なる続編ではない。新たに収録されたインタビューと未公開映像を中心に、1966年に経験したバイク事故に至るまでの彼のキャリア変遷を描いた同作は、史実に極めて忠実な内容となっていた。新たに公開される本作では新録インタビューはもちろん、極めてマニアックなファンでさえ目にしたことがない秘蔵映像も登場するが、本作の主眼は同ツアーの経緯を正確に描くことではなく、優れた「ボブ・ディランの物語」を紡ぐことにあると言っていい。

ローリング・サンダー・レヴューは、これまでに行われたどのロックスターのツアーとも大きく異なる。1975年発表の傑作『血の轍』の発売から数ヶ月後に行われた同ツアーでディランが試みたのは、その前年に行われ巨額の金を生んだザ・バンドとのスタジアムツアーとは正反対のものだった。不安とノスタルジーに駆られていた彼は、古くからの友人たちやジョーン・バエズ、ロジャー・マッギン、アレン・ギンズバーグ、ランブリン・ジャック・エリオットといった仲間と共に、東海岸とカナダの劇場を巡るツアーに出た。
チケット代は低く設定され、公演は開催のわずか数日前に発表された。

ディランの名前はチケットにさえ載っていなかった。3時間に及ぶことも少なくなかった同ツアーの公演において、ディランはあくまで多数の出演者の1人に過ぎなかった。それでも、彼のヴォーカルには1974年のツアー時には見られなかった情熱が宿っており、そのパフォーマンスの数々は長いキャリアの中でも屈指とされている。各公演では「ハッティ・キャロルの寂しい死」や「はげしい雨が降る」等のクラシックや『血の轍』からの曲、そして後に発表される『欲望』からの楽曲が披露された。ディランはデヴィッド・ボウイのバックバンドSpiders From Marsのギタリストだったミック・ロンソンを招いたほか、ヴァイオリンを携えて通りを歩いていたスカーレット・リヴェラをその場でスタジオセッションに誘った。
他にもベーシストのロブ・ストーナー、ドラマーのHowie Wyethm、ギタリスト兼ピアニストのT・ボーン・バーネット、ギタリストのSteve Stoles、そしてスチールギター担当のデヴィッド・マンスフィールドを擁したバンドは、その強烈なサウンドで毎晩オーディエンスを熱狂させた。

「あのツアーのアイディアは、タイプの異なるミュージシャンたちが同じステージに立ち、様々なスタイルの音楽を演奏するというものだった」本作でディランはそう語っている。「伝統的なレビューとは違うけど、レビューのフォーマットには沿ってたはずさ」その後沈黙を挟み、彼は自分が選んだ言葉に辟易する様子を見せる。「あれは全部、何もかもでたらめさ!」彼はそう吐き捨てる。

1975年のツアー期間中、ディランは映画監督のハワード・オークとデヴィッド・メイヤーズと共に、映画『レナルド&クララ』の撮影を続けていた。大所帯バンドのメンバー全員が登場するコンサートでのジャムセッション映像を織り交ぜた同作は1978年に公開されたが、あらゆる批評家から気取っていて不可解なだけの駄作だとこき下ろされた。
同作のオリジナル版は4時間という超尺だったが、それさえも同ツアーの期間中に撮り貯められた素材のごく一部でしかなかった。

大成功を収めた『ノー・ディレクション・ホーム』に続くディランのドキュメンタリー製作の案が浮上した際、彼のチームはすぐさま同ツアー時の未公開映像をベースにすることを考えついた。しかし、それにはある問題があった。「ネガが紛失されていたんです」ディランのチームをよく知るある人物はそう話した。「ぞっとしましたよ。原因のひとつは、当時存在してたいくつかの会社が合併したことです。
その過程で、ストレージのナンバリングシステムがエラーを起こしたんです。私たちは必死になって探しましたが、ネガは見つからなかった。鉄の山の中から探り当てようとするようなもので、どんなに探しても一向に出てこない。皆すごく落ち込みました。一番恐いのは、ある日どこかの誰かが偶然探り当てることです。あのネガは今でもどこかのコレクターの地下室に眠ったままになっている、私たちはそう思っていたんです」

幸運にも、彼らは映像を収めた16ミリの「ワーク・プリント」をアーカイブの中から発見した。
「ワーク・プリントっていう言葉がぴったりの代物です」その人物はそう語る。「映画の編集用に作るプリントで、映像素材のあちこちを切り取ってテープと一緒に吊るしておくんです。でもどれも使い古されていて、ノイズがひどかった。私たちは70年代のテイストがあってクールだと思っていたんですが、マーティ(・スコセッシ)は違う捉え方をしていて、モダンに見えるようにプリントを修復するよう指示しました」彼のチームはフィルムの隅々にまで目を通し、物理的な限界まで修復してみせた。「16ミリ特有の粗さとテクスチャーは残るので、さすがに近年に撮影されたものには見えないでしょう」その人物はそう語る。「それでも素晴らしい出来だと思います」

ディランのチームの誰一人として、そのワーク・プリントに何が収録されているのかを把握していなかった。ゴードン・ライトフットの自宅でディランとジョニ・ミッチェルが彼女の「コヨーテ」をデュエットするシーン、ホテルのダンスホールで行われたローリング・サンダー・レビューのリハーサルと麻雀のトーナメントに興じていた老女たちの困惑した表情、イースト・ヴィレッジのクラブで行われたパティ・スミスによるスポークン・ワード・パフォーマンスを見つめるディラン、そして「ハリケーン」「コーヒーもう一杯」「天国への扉」等のスリリングなライブ映像まで、そこに収められた映像の数々は彼らを大いに沸き立たせた。

ディランのチームは約10年前から、ジョーン・バエズやロジャー・マッギン、T・ボーン・バーネット、スカーレット・リヴェラ等、ツアーの主要メンバーたちへのインタビューを始めたが、結局スコセッシはそういった素材の大半を使用せず、バーネットとリヴェラの新録インタビューに至っては一切使われていない。「スカーレットに関しては、新たに撮影されたものよりも当時の映像の方が文脈的にフィットしたんです」情報源の人物はそう語る。「T・ボーンも素晴らしかったのですが、文脈に合わなかった。彼はそれを承知し、理解してくれています」

スコセッシがようやく本作に本腰を入れて取り組むようになった約2年前には、ディラン本人がインタビューを受けている。「スコセッシは他の長編映画を先に完成させなければならず、その他にも幾つかエキサイティングなプロジェクトを抱えていました」情報源の人物はそう語る。「本作は長い時間をかけて、少しずつ制作されていったわけではないのです」(『ノー・ディレクション・ホーム』では、スコセッシはディランのチームから渡された映像素材を自由に扱うことが許されていた)

アーカイブ映像にはJacques Levyやミック・ロンソン等、既にこの世を去っている人々もわずかに登場しているが、本編は彼らのことを深く掘り下げようとはしない。「最近ではGoogleがあるので、気になる登場人物についてはエンドロールで名前を確認し、ウィキペディア等で調べればいいだけのことです」情報源の人物はそう話す。「それはマーティーのやり方ではありません。彼はあのツアーを現代的な文脈で捉え直すことで、決して風化しないものへと昇華させようとしたのです。その試みは見事に成功したと私は感じています」

過去のディラン関連のプロジェクトはPBSもしくはHBOで公開されており、『ローリング・サンダー・レビュー』はNetflixと組んだ初の作品となる。「DVD市場と小売店が死に絶えつつある一方、Netfllixであれば世界中の人々が作品を自宅で楽しむことができます」情報源の人物はそう話す。「インドのシロンという村では、毎年ボブの功績を讃えるお祭りが開催されています。Netflixがなければ、そこに生きる人々が本作を観る機会はなかったかもしれません」

本作に隠された秘密について多くを明かさないディランのチームは、視聴者が本作が繰り返し観てくれることを期待しているという。「何度か観れば、隠された様々なメッセージが見えてくるでしょう」情報源の人物はそう話す。「ドキュメンタリーの解釈は人によって異なるものです。本作のどういった部分に魅力を覚えるのか、視聴者の方々が独自の考えを持ってくれれば幸いです」