レッド・ツェッペリンの壮大なラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は2019年にリリースから40年を迎えたが、同アルバムが評価されるようになったのはごく最近のことだ。
『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、混迷と悲劇が原因でレッド・ツェッペリンがツアー活動を休止していた2年間に終止符を打った。1975年にロバート・プラントは自動車事故で重傷を負い、その2年後には胃感染症が原因で5歳の息子カラックを失った。ジミー・ペイジが重度のヘロイン中毒に苦しんでいた一方、ジョン・ボーナムはアルコール依存症と闘っていた(ボーナムはアルコールが原因で1980年に死亡)。その結果、ストックホルムにあるABBAのポーラー・スタジオにレコーディングセッション中はたいてい一番乗りに来ていたジョン・ポール・ジョーンズが指揮をとることになった。「『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は私のアルバムだと言えるかもしれない。『プレゼンス』がジミー(・ペイジ)のアルバムであるのと同じように」とジョーンズは1991年に作家・音楽ジャーナリストのリッチー・ヨークに語った。
アルバムの1曲目を飾るのは「イン・ジ・イヴニング」だ。ケネス・アンガー監督の短編映画『ルシファー・ライジング』のサウンドトラック制作から得たインスピレーションと、Gizmotronという音を無限にサステインできるエフェクターによって可能になったギターサウンドをフィーチャーしてペイジが作曲した楽曲だ。スタート段階から、このアルバムがバンド史上もっとも実験的なアルバムになることは明らかだった。サンバからインスピレーションを得た「フール・イン・ザ・レイン」や、10分を超える意欲作「ケラウズランブラ」をはじめ、同作によってレッド・ツェッペリンは正式にロック・アートというジャンルへの進出を果たした。息子カラックに捧げた「オール・マイ・ラヴ」は、胸を締めつけるようなメロディーで「ホット・ドッグ」の難解なロックさを相殺している。
当初、アルバムのタイトルは『Look』になるという噂が流れたが、バンドがそれぞれの困難を乗り越えたことを記念し、最終的には”出口を開けてなかに入る”という従来とは逆の手順を意味する『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』と命名された(「出口からなかに入るのが一番難しいんだ」とペイジは語った)。グラフィックデザイナーのオーブリー・パウエルと、デザイナーのストーム・ソーガソンが共同経営する英デザイン会社が6種類のアルバムスリーブをデザインした。それぞれがニューオーリンズを彷彿とさせるバーを描いたセピアカラーだ。周知の通り、レコードは茶封筒で覆われ、どのスリーブを買ったかわからない仕様になっていた。このような古い子どもだましの仕掛けにもかかわらず、レコードはリリースされた最初の10日間で200万という驚異の枚数を売った。『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の成功は、レコードの販売数が深刻なほど落ち込んでいた業界の復活に一役買ったのだ。
ツアーに出発する代わり、レッド・ツェッペリンは1979年8月4日と11日に開催されたイギリスの野外音楽フェスティバル、ネブワース・フェスティバルでステージに復帰することを決意した。
トッド・ラングレン&ユートピア、サウスサイド・ジョニー&ジ・アズベリー・ジュークス、ザ・マーシャル・タッカー・バンド、キース・リチャーズ、ロン・ウッド、イアン・マクレガンをフィーチャーしたニュー・バーバリアンズなどの面々を迎えたオープニングアクトと大観衆の前で、レッド・ツェッペリンは再びグルーヴを取り戻そうと、強いプレッシャーを感じていた。「思っていたほどリラックスできなかった」とプラントは回想した。「あまりに期待値が大きくて、それに応えるための自信を保つだけで精一杯だった。なんとか仕留めたいと思ったけど、完全には仕留められなかった。でも、みんなのおかげでいいパフォーマンスになった」。