メタルやハードコア、シューゲイザー、エレクトロニカなど様々なジャンルをミックスし、誰も聴いたことのないサウンドスケープを追求してきたCOALTAR OF THE DEEPERS(以下、COTD)。

2008年に一旦は活動休止するも、2011年に復活ライブを敢行。
その後しばらくは音沙汰がなかったが、昨年は11年振りの新作『RABBIT EP』をリリース、今年に入ってからは、1stアルバム『THE VISITORS FROM DEEPSPACE』のリリース25周年を記念したツアーを行うなど、ここにきて活発な動きを見せている。いわゆる「ミクスチャー」の先駆けとして国内外問わず評価され、早くから海外での活動にも意欲的だった彼らは当時、どのようなヴィジョンを描いていたのだろうか。年末には2019年の総決算ともいえるライブを、朋友HOT TOASTERSをオープニング・アクトに迎えて行うCOTD。中心人物であるNARASAKIに、これまでのバンドの歩みや作家としての活動、クリエイティブに対するフィロソフィーなどたっぷりと語ってもらった。

─もともとハードコアバンド臨終懺悔をやっていたNARASAKIさんが、COTDを結成したときにはどんな音楽がやりたかったんですか?

NARASAKI:90年代の前後くらいからクロスオーバーな音楽が出てきて、メタル界隈にもそのムーヴメントが広がっていたんですよね。それでレッチリとかその辺りの音楽に影響されるようになっていきました。当時はグラインドコアが最もブルータルな音楽だと思っていたら、バイト先の先輩から「いや、ほんとにヤバイのはジャンクだ」と教えてもらって。そこからスワンズ周辺の「USジャンク」を聴くようになり、すぐダイナソーJr.に出会ったんです。ノイズまみれなのにものすごくポップで「これは……!」とピンときました。さらにマイ・ブラッディ・ヴァレンタインや、マッドチェスター……ほんと、あの頃はいろんなシーンが一斉に出てきましたよね。レイブもあったし、エイフェックス・ツインみたいな音楽も生まれて。とにかく楽しくて仕方なかった。


─今、若い人たちの間で90年代ってすごく憧れがあるようですが、当時の状況についてNARASAKIさんはどんなふうに記憶していますか?

NARASAKI:今言ったように、出るもの全てがワンダーな音楽ばかりで楽しかったんですけど、オアシスが出てきたときに「ああ、結局一周してビートルズが一番良かったっていうオチかよ……」と思っちゃいましたね。「ロックは終わったな」って(笑)。今でもそれは思っているかもしれない。

─そんな中でCOTDとしては、ダンスビートを取り入れるなどして進化していったわけですよね。

NARASAKI:まあ、スロウダイヴやカーヴが辿った道ともいえるけどね(笑)。そういう意味では、シューゲイザーの中では彼らが正しかったともいえる。うちらは94年くらいから打ち込みも始めていたし、もちろんテクノやレイブも好きだったけど、意味合い的にはスラッシュメタルの延長線上で16ビートを取り入れてた感じだったかな。

─昔からNARASAKIさんは、特定のジャンルだけじゃなくて雑食的に色々聴いていたんですね。

NARASAKI:そうですね。中学生の頃はニューウェイヴが好きで、高校に入ってからはハードコアやスラッシュメタルなど、もう少しうるさい音楽を好むようになり、同時にキュアーやスミスのようなイギリスの音楽も聴いていました。ジャンルに関しては派閥みたいなものもあったけど、俺は割と満遍なく好きでしたね。

─NARASAKIさんの作るメロディなど聴いてると、めちゃくちゃポップな音楽も好きなんだろうなと。


NARASAKI:日本のポップスというよりは、例えばヘヴンリーがいたSarah Records(*)のアーティストや、プリミティヴズなんかを聴いていました。底抜けに明るいメロディで、ちょっとネオアコっぽいものが好きだったんです。

(*)1987年から1995年にかけてブリストルで活動したレーベル。フィールド・マイスやアナザー・サニー・デイ、セイント・クリストファーなどが在籍していた。

コンセプトは「ネッズ・アトミック・ダストビンとダイナソーJr.を足して2で割ったような音楽」

─いろんなところで話していらっしゃいますけど、コンセプトは「ネッズ・アトミック・ダストビンとダイナソーJr.を足して2で割ったような音楽」だったと。

NARASAKI:「悲しいネッズ・アトミック・ダストビン」とかね(笑)。特に1stはそんな感じでした。

─海外志向も強かったそうですね。当時、スワーヴドライヴァーのオープニング・アクトを務めていましたけど、それも海外まで行って取り付けたとか。

NARASAKI:友人の三浦イズルがやっていたシークレット・ゴールドフィッシュというバンドが、来日したラッシュの前座を務めていて。それはイギリスの4ADまで行ってアイヴォ(・ワッツ=ラッセル)に直談判したっていう話を聞いたんですよね。それを俺たちは真似しただけなんだけど(笑)。


─そうだったんですね。

NARASAKI:ただ、未だに覚えていることがあって。当時『DOLL』の取材を受けていたとき、スワーヴドライヴァーが来日する話になって。俺が「そうなんですか? 好きなんですよ。『前座やらせてくれ』って本人に言いに行こうかな」と言ったら、そのインタビュアーに鼻で笑われたんですよ。それでものすごく火がついて、勢いでイギリスまで行っちゃったんですよね(笑)。あの頃は「舐められたくない」という気持ちが強かったのだと思う。ただ、あのときに鼻で笑われた悔しさがモチベーションになり今につながっているのかと思うと、「おかげさまで」っていう気持ちでもあるんですよ。

─COTDを一緒に始めたドラマーのKANNOさんは、NARASAKIさんにとってどんな存在ですか?

NARASAKI:彼がCOTDで、彼以外では成り立たないんじゃないかなと思う。そのくらい個性的なドラマーだと思っています。一時期は「自分の声がCOTD」と定義していたこともあったんですけど、やっぱり2人で作り出すものがCOTDなのだなって。それだけ重要な存在ですね。
それに、彼が俺に対して辛抱強かったからこそ、ここまで続けてこられたとも言える。

─(笑)。作品でいうと、COTDにとってのマイルストーンはどれになりますか?

NARASAKI:時間をかけたのは2枚目の『SUBMERGE』(1998年)と6枚目の『Yukari Telepath』(2007年)。2年以上かけて作ったものなので、そのときなりに突き詰めた感はありました。その合間にあった3枚(2000年『COME OVER TO THE DEEPEND』、2001年『NO THANK YOU』、2002年『Newave』)は、そのときにあった力を出した感じというか。

スキルに伴って時間がかかっていく、ということなのかも知れないですよね。細部が見えるようになってくると、そこへのこだわりも生じるし、時間をかけたくなってしまう。今回の新曲「HALF LIFE」も、ミックスに9カ月くらいかかっちゃって。

─そんなに?(笑)

NARASAKI:それはまあ、行ったり来たりのスパンが長かったというのもあるんですけど。

─ソングライティングよりも、ミキシングの方が時間かかりますか?

NARASAKI:かかりますね。今はDAWの種類やWAVのフォーマットを変えてみるなど、曲調というより質感を求める旅をしている感じです。それは、昨年リリースした「SUMMER GAZER 92」もそう。
あの曲は「高域のノイズをどれだけ綺麗に聞かせるか?」というところにすごくこだわっていました。

ただラテンを基調とした楽曲だったので、そこの境界線が難しくて。空間系のサウンドに寄せすぎるとダンスミュージックとしての音像が崩れていくし、逆もまた然り。中間を狙っていくのにものすごく時間がかかりました。

─それってNARASAKIさんの頭の中に、明確な音像があってそれを具現化させているのか、あるいはトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、「正解」を見つけていく作業なのか、どちらに近いですか?

NARASAKI:トライ・アンド・エラーですね。WAVのフォーマットを、どのDAWで作成したりコンバートしたりすべきなのか……そういう質感の実験に、何時間も何日もかけています。

─それは、リスナー側のリスニングスタイルが変化してきていることも関係していますか?

NARASAKI:あ、それはない。あくまでも自分側の問題です。あまりそこ(リスナー側のリスニングスタイル)に寄せていってもつまらないんです。「音が悪くなっちゃったな」で終わっちゃうじゃないですか(笑)。それに、他の楽曲と比較しててもキリがないですよね。「曲からどんな印象を受けるのか?」が最も大事じゃないですか。
肌寒い質感を作りたかったら、あまり低音がふくよかじゃない方がいい場合もあるし。その音楽から受ける印象に対して(ミックスを)追い込んでいくべきだし、それが芸術的な考え方じゃないかと。音圧だとかレンジだとかいう部分で音を作り始めると、それは「音の景色」を作るのとは違う気がするんです。例えば「夜中に作った曲だから、俺はハイを上げない」っていうミュージシャンがいてもいいし、暗い曲は暗い曲としてリリースしたいなと思うんですよね。

求めている音像の変化

─NARASAKIさんにはもう、15年くらい定期的に取材させていただいているのですが、いつお会いしても音質に対するこだわりは並々ならぬものがあるじゃないですか。それって、求めている音像もこの15年で変化しているということなんでしょうね?

NARASAKI:そこはもう、どんどん変わってきてますね。昔ほどキラキラしている音ではなくて、暗めの音が好きになってきている。例えば、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのサード・アルバム『m b v』(2013年)も暗い音じゃないですか。ローミッドが混沌としているあの「ヌケの悪い」サウンドに、俺はすごく妖艶さを感じる。すべてがクリアに聴こえてくるのではないものに、すごく意味合いを感じるんです。それは「エロティシズム」といってもいいかも知れない。

─とてもよく分かります。ここ最近のCOTDの新曲はエロティックですよね。

NARASAKI:そう言っていただけると嬉しいですね(笑)。

─新曲「HALF LIFE」で気になったのは、ちょっと前にTwitterで「去っていった友から借りているギターで弾いたものです。この曲はその彼に捧げます」と呟いてましたよね?

NARASAKI:今年2月に友人の石塚BERA伯広が他界してしまって。自分にとっては一番仲の良かった人間だったんです。なので、完成していたテイクもそのギターで弾き直すなどしています。メモリアル的な意味が込められています。

─僕もNARASAKIさんも同い年ですが近しい人が他界していく場面に遭遇することもこれからきっと増えていくでしょうね。

NARASAKI:石塚さんはずっと俺に「COTDのライブをやれ」と言い続けていたので、その最中に亡くなったから、今後いつまで俺は(COTDを)やったらいいのか、そしていつ辞めたらいいのかを聞くことが出来なくなっちゃいました。なので、彼が生きていた歳まではやらなきゃいけないのかな、なんて勝手に思っています。

─ところで、NARASAKIさんが劇伴や他アーティストへの楽曲提供をやることになったきっかけは?

NARASAKI:劇伴に関しては作家の人から連絡があったんです。というのも、監督から上がってくる参考曲がことごとくCOTDだったから「じゃあ知り合いだから一緒にやりましょう」と。それが2004年ですかね(*)。それからほんと、いろんな種類の劇伴を手掛けるようになりました。『深夜食堂』とか、きっと俺がやっていると知ったら意外だと驚く人もいそう。

*『アクエリアンエイジSagaII~Dont forget me...~』(MoMoとの共同ユニット「Qwerty」名義)

─でも、昔からジャンル関係なく様々な音楽を聴いてきたNARASAKIさんにとっては、引き出しの一つを開けただけというか。

NARASAKI:そうなのかもしれませんね。

─そんなに違和感はなかったと思うんですけど、依頼する側はどんな気持ちでNARASAKIさんにお声がけするんでしょうね。

NARASAKI:流れもあると思うし、映像の製作会社が気に入ってくれていたと思うんですけど、ドラマに関しては同じ監督と5本くらい一緒にドラマを作ったりして。最初の頃は「自分ならではの曲を」と思いながら作っていたんですけどね。今はもっと、その作品の世界に寄せるように心がけています(笑)。

─ももクロやアニソンへの楽曲提供は、どんな経緯で始まったのですか?

NARASAKI:ももクロの前に『さよなら絶望先生』というアニメに携わっていて、プロデューサーの宮本純乃介氏から「今度、新しくアイドルをやることになったのですがいかがですか」と。絶望先生の打ち上げで言われたことから始まりました。『さよなら絶望先生』は、テイストが自分のやりたいことストライクというか。デスなサウンドに萌え萌えの声が乗るっていう曲だったんですよね。ティム・バートンの世界観みたいな、「怖かわいい」みたいなのが好きなんですよ。なので『絶望先生』のときは本当に楽しく曲を作らせてもらいましたし二つ返事でした。

きっと、自分は何をやっても許されるだろうって思っているんですよね。「NARASAKIだったら仕方ない」と思われているというか(笑)。「あいつはいつも勝手だよね」って。でもこういうスタンスの作家がもっと増えてくれるといいなと、ちょっと思っています。もっと音楽は自由に作っていいんだよ?って。プロで活動していて、本当にやりたいことだけをやっている作家はまだごく一部だと思うし。

─NARASAKIさんはなぜ、それが出来たのだと思います?

NARASAKI:そういう姿勢をずっと貫き通してきたからじゃないですかね(笑)。

─そのために手放したものや、失ってきたものもありました?

NARASAKI:いや、失ってきたものは今までないですね。まあ、自分の場合は狭いニーズでやっているところもあるのかなと。要はバランスじゃないかな。俺の場合、どんな制作過程でも楽しくやることが出来るので。そこは性格的にラッキーだなと思います。

音楽家は「ポリシー探し」が制作をしていく上で大事

─何をやるにしても、楽しくやる方法を見つけるのが大事なのかもしれないですね。

NARASAKI:いやほんとそうですよ。やっぱり音楽家は「ポリシー探し」が制作をしていく上で大事というか。音楽家として大事なのは、ずっとマイナーチェンジしながら「ポリシー」を探していくことだと思います。最近は現場に行くことを「仕事に行く」と言わないようになりました。ちょっと語弊があるかと思うんですけど、遊ぶ感覚で音楽を作るように出来たらいいなと思っていますね。

─去年、ポール・マッカートニーにインタビューしたときにポールも全く同じことを言ってたんですよ。「メンバーやスタッフが、『明日のライブ』を『明日の仕事(work)』って言ったときに、僕はいつも『いや、遊び(hobby)だろ?』って返す」って。

NARASAKI:その通りだと思います。「遊び」を全力で楽しむというか。それが毎日あったら最高だなって思いますよね。

─そういう風に心がけるようにしてから、NARASAKIさん自身にも変化はありましたか?

NARASAKI:ありました。歌直しとか、大量にあっても楽しくできるようになりましたね。「仕事に行かなきゃ」と思うのと、「さあ遊びに行こう」と思うのとでは家を出る時のモチベーションが全然違いますよね。それが出来るとしめたものだと思います。

─ところで新レーベルU-desper Recordsを立ち上げたのは、HOT TOASTERSが1993年にリリースしたメジャーデビューアルバム『Creek Dust』と、ニュー・アルバム『felucca』をリリースするためだったとか。

NARASAKI:彼らの1stは、COTDのファーストと同じタイミングでリリースされたんです。それを聴いた時に、「なんてよく出来たアルバムなんだ」と衝撃を受けた。でも、あまり話題にならなくて。使命感を覚えてしまったんですよね。「こんな素晴らしい作品が人に聞かれていないなんて、俺がなんとかしなければ」みたいな……それで、いろいろ力添えもいただきながら昨年リリースすることが出来て。で、その話題作りとしてCOTDを再開したところもあるんですよ。

─はははは!

NARASAKI:それが結構デカかったかな。

─HOT TOASTERSのどんなところが好きなのですか?

NARASAKI:ボーカル&ギターの千田(雅彦)さんは、純粋に天才だと思います。彼らの音楽性もいわゆるクロスオーバーなんだけど、ジェットコースター的にどんどん展開が変わっていく曲もたくさんあって。そういうのを自分たちの血肉として取り込んでいる。無理にくっつけている感じじゃなくて、曲の中の必然として展開していく、アレンジのセンスとかすごいと思うんですよね。あらゆる音楽に精通しているのに、どこにも寄らない。ずっと尊敬している存在です。

─そのHOT TOASTERSがオープニング・アクトを務める年末のライブについて、最後に意気込みをお聞かせください。

NARASAKI:まずHOT TOASTERSですが、素敵なバンドなので是非観てほしいですね。自分も、ちょっと乗っかる形で参加しようかなと思っています。そしてCOTDは今年、半年かけて月1、2でライブをやっていたのですが、今回はその集大成になればいいなと。COTDのワンマンとしては、LIQUIDROOMはこれまででも大きめなハコですし。メンバー全員大いに盛り上がりたいですね。

<INFORMATION>

NARASAKIが明かすCOALTAR OF THE DEEPERSの変遷


”三十日と書いてミソカと読む”スペシャル
25 TH ANNIVERSARY”THE VISITORS FROM DEEPSPACE”TOUR 2019 -FINAL

2019年12月30日(月)東京・ 恵比寿LIQUIDROOM

OPENING ACT:HOT TOASTERS
開場・開演:OPEN 17:00 / START 18:00
チケット:¥5,500(税込/All Standing/1Drink別)
※12月11日に配信オンリーでリリースされた初期メンバーによる新曲「HALF LIFE」に加え、未発表曲「15 YEARS LATER」を収録したスペシャルな2曲入CDを入場者全員に配布します。

INFO:www.creativeman.co.jp
編集部おすすめ