ローリング・ストーンズがこの夏の北米スタジアム・ツアーの日程を発表した。
ストーンズが初めてアメリカにやって来たのは1964年。彼らの初アメリカ公演の初日は1964年6月5日のカリフォルニア州サンバーナーディーノのスウィング・オーディトリアムで、それから15日後にニューヨークのカーネギーホールで二部公演を行なって初USツアーを終了した。これはミック・ジャガーとキース・リチャーズがソングライターとして曲を提供する前だったため、このツアーのセットリストには「ウォーキング・ザ・ドッグ」、「ノット・フェウド・アウェイ」、「ルート66」などのカバー曲が多く入っていた。また、ビートルマニア全盛期でもあり、当時の若い音楽ファンはストーンズを二番手もしくは三番手のバンドと見ていたのである。
同年10月に再びアメリカに戻ると、ストーンズを取り巻く状況が少し上向いていた。ストーンズはジェリー・ラゴヴォイの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」をカバーし、これを二度目の訪米の前月にシングルとしてリリースしたところ、アメリカでの初トップ10ヒット曲となったのである。そのおかげで公演会場もクリーブランドのパブリック・ホールのように、前回よりも規模が大きくなり、遂に「ザ・エド・サリヴァン・ショー」への出演も果たすこととなった。彼らの歴史的登場となったエド・サリヴァンでの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」をここで紹介しよう。
当時のポップ・アクトの賞味期限は18ヵ月程度で、多くのポップシンガーやポップバンドは賞味期限に到達することなく消えていった。もしもストーンズがエド・サリヴァンに出演した当日に、56年後もこのバンドはツアーしている、フットボール・スタジアムをソールドアウトにする、一晩に1千万ドル(約11億円)稼ぐと、当時の音楽業界関係者に言ったとしても、「お前、気でも違ったのか?」という目で見られたことだろう。「ジョンソン大統領が次の一般教書演説中に宇宙人がやって来て大統領を拉致する」と言う方がまともに受け止められたかもしれない。しかし、2020年の現在、この夏、最も激しい争奪戦が予想されるのがローリング・ストーンズの公演チケットだ。ちなみに、チャーリー・ワッツはこのツアー中に79歳の誕生日を迎える。
ここ20年間のストーンズのツアーは、どれも彼らのファイナル・ツアーの様相を呈しているが、彼らは必ず立ち直って戻ってくる。ワッツがガンになっても、ジャガーが心臓の手術を受けても、リチャーズがフィジーで木から落ちて頭を地面に打ち付けても、だ。彼らは不死身のバンドである。2022年にはバンド結成60周年を迎えるのだが、それを祝うツアーを彼らが行わなかったら、ファンは逆に驚くはずだ。