1976年8月、イギリスのバーミンガム・オデオンのステージ上で、酔っぱらったエリック・クラプトンが不適切な発言をした。「イングランドの人口は過密状態にある、外国人は全員送り返すべきだと思う」と言ったのだ。彼はさらに、イギリスが”黒人の植民地”になる危険性があると付け加えた。
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それと同じ頃、デヴィッド・ボウイが驚くべき政治的信条を語ったことで、さらに大きな騒動を巻き起こしていた。彼はプレイボーイ誌に「私はファシズムを強く信じている」と語った。「宙ぶらりんなリベラリズムの類を促進させる唯一の方法は、右翼の完全に独裁的な専制政治だ。(…)ロックスターもファシストであり、アドルフ・ヒトラーは最初のロックスターの一人だった」
ボウイのコメントもまた化学的に誘発されたもので、少なくとも部分的には皮肉を込めたものだったが、それはイギリスで人種差別主義を公然と主張する政党「ナショナル・フロント」の台頭と重なっていた。シャツにかぎ十字をつけて歩くパンク・ロッカーが次々と増えていくなか、危機感を覚えた国内の左翼系の人々は、ロック・アゲインスト・レイシズムを発足し、イギリスの不穏な新勢力と戦うことを決意した。
この草の根の政治団体は1978年4月30日、ロンドンのヴィクトリア・パークで大規模なコンサートを開催した。この時点ではまだアルバム一枚をリリースしただけにすぎないザ・クラッシュがヘッドライナーを務め、志を共有するトム・ロビンソン、スティール・パルス、ザ・ラッツなども出演した。クラッシュにとって、これが初の野外公演となった。
「反ナチの集会をやって良かったと思うよ、本当に重要なことだったから」と、クラッシュのベーシストであるポール・シムノンは当時を振り返る。