LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1985年を振り返った前回に続き、第4回は「1986年編」。
高校に進学してすぐ先輩バンドのローディを始めたイッチャンが過ごした1986年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ーイチさんの1986年の全体的な印象を教えてほしいんですけど、当時は中学3年生でしたっけ?

1月からは受験真っ盛りで、4月から高校1年生になる年でした。高校はどこか受かればいいやと思っていたけど、推薦も落ち、私立高校は全落ちで。しかも大事な時期に通知表もオール1だった(笑)。僕らの時代は生徒が多くて、高校に行けない奴は学年に5人くらいいたけど、その中でも俺は定時制に行けたんだよね。でも、高校に入学したと同時に先輩のローディを始めて、夏休み前には学校にも行かなくなった。ケンタッキーで3日間だけバイトしていたけど、俺の高校生活で一番偉い3日間ってのは、ケンタッキーで働いて高校に行って先輩の手伝いをした3日間だけ(笑)。それが16歳の時に一番頑張った出来事かな。

ー高校に上がる前後の時期の出来事で、「葬式ごっこいじめの流行」というのがありましたが記憶に残ってますか?

確か教師も一緒にいじめに加担していたんだよね。知り合いの先輩がその事件の教師を知ってて。嫌な教師だったって話してたのを聞いたような気がする。お花を机の上にあげたりとかさ、ひどい話だよね。
当時は時代的にも考えられないことだったけど、現代にもつながるような話はあるよね。

ー今に置き換えるとSNSだったりしますよね。「シートベルトの着用が義務化」もこの年からです。

この年に、俺が原付免許を取れる歳になったのよ。16歳になる年だから、4月以降、周りはどんどん原付免許を取っていくんだけど、俺は12月生まれだからしばらく我慢しないといけなかったわけよ。なんで俺が今免許を持っていないかっていうのも、ここから始まってるんだけど、周りが夏休み前に免許を取って、夏休みになると夜中に遊び行こうとするんだよね。ここで人生のトピックになるのが、僕は無免許で捕まっているんですよ。すでに時効ということでごめんなさい。免許を持っていなかったから、免許を持っているやつからバイク借りて乗り回してるところを捕まるっていう。シートベルト着用の義務化もあったけど、原チャリもヘルメット着用義務になったんだと思う。それまではヘルメットなんて皆していなかった気がするなあ。

ー道路交通法とかも変わってきた潮目なんでしょうかね。


そうそう。あとは伊豆大島の噴火もすごく覚えている。俺の友達が三原山に行っていたのよ。うろ覚えだけど、たしか伊豆大島にそいつの高校があって、竹芝桟橋までよく送りに行ってたりしたんだけど、噴火があったから彼もしばらく帰ってきていたんだよね。友達のいた島だから、噴火も結構リアルに感じられたなあ。すごい大変なんだなって。

ービートたけしさんのFRIDAY襲撃事件もありました。

これは鮮明に覚えてるよ。確か冬だったよね。こういう事件があって、ビートたけしさんもTVに出れなくなったんだよ。俺はこの時、先輩のバンドのツアーについて山形に行っていて、こういう事件が起こって、すごい大変だなって思った記憶がある。忘れもしないんだけど、俺『スーパージョッキー』がすごい好きで、たけしさんの代打が山田邦子になったのを覚えている(笑)。


ーファッションで言うと、ミニスカート、ボディコン。男性もメイクアップしたり、ビキニの派手なカラーのブリーフ、金のアクセサリーがブームでした。イチさん的にはどうです?

ボディコンがこの時に出たのかあ。俺の中ではワンレンとボディコンって1987年のイメージなのよ。1986年はまだソバージュヘアーとボディコンっていうイメージかなあ。女の子も結構チューブトップス着てたイメージがある。メイクもあまりイメージがないかな。

ーニュー・ウェーブとかニュー・ロマンティックの流れでメイクをしていたんですかね?

それは1984年なんだよ。2年も遅れてきたのかな。

玉置浩二さんとかもよくメイクしてTVに出てたイメージがありますね。

目の上にラメ、頬にチークを入れて、髪の毛ツンツンで前髪を垂らす感じだよね。メンズのビキニの派手なカラーのブリーフっていうのも、1980年代の小学生の時は皆白ブリーフじゃないですか。
多分、とんねるずの石橋貴明さんがフィリピンダンサーっていうコントをやってたから、そのイメージかもしれない。あと金のアクセサリーブームっていうのは、B-BOYとかのジュエリーじゃないと思う。Run-D.M.C.とかHIPHOPもようやく日本に浸透してきたような時期だと思うのよ。だからこの金のアクセサリーってお金持ちとか成功者とかのイメージじゃない? 金の蒲鉾みたいな指輪もあったりするじゃん。パンチパーマにクラッチバッグとかを持った人のアクセサリーブームだと思う。

ーファミコン版の『ドラゴンクエスト』と「写ルンです。」もこの年のヒット商品ですね。

僕はファミコン離れが始まった時期なんですよ。スーパーファミコンでは『スーパーマリオブラザーズ』が全盛期だから、ドラクエまでいっちゃうと俺はもうやってないのよ。

ーローディをやっていたら、ファミコンをやっている時間もないですよね。

ずっと外にいたからさ。中学生の時は皆で家に溜まったりしてたけど、高校生になると先輩とつるむようになるのよ。一番家にいない時期(笑)。
月に何回かしか家に帰らないっていう。当時の地元の友達が俺に電話しても全然連絡繋がんないし、うちの母ちゃんも俺がどこにいるか分かんないって感じだった。ゲームをやるのは子供じみたことのように感じられたから、楽器で遊んだりするようになったかな。「写ルンです。」は、最近復活してきたよね。今はそれが良い味になって使うひともいるけど、俺らの時は実際かなり便利だったからね。昔はちゃんとしたカメラとか持ち歩いたりしなかったし、コンビニで買えるようになったっていうのは大きい。実際、この時期から俺の写真も増えてきたと思うよ。

ーInstagramでイチさんが昔の写真をたまに上げるじゃないですか。あれも「写ルンです。」の影響なのかなって。

そうだと思うよ。ローディをやっていた頃に、お客さんがよく撮ってくれて、焼き増しして俺にくれたのよ。だから「写ルンです。」がすごくありがたいんですよ。
昔ってよく親に写真撮ってもらっていたじゃない。だから家族で撮るもんだと思ってたけど、それが手軽にできるようになったのは「写ルンです。」のおかげだよね。

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ー流行語で言うと「究極」、「テレクラ」、「プッツン」。

「究極」は究極のメニュー、つまり『美味しんぼ』ですね。『美味しんぼ』は俺すごい好きだからね。再放送も何回見たかって感じだし、漫画も持っていたし。これは僕の鉄板の話なんだけど、引っ越しする時にTOSHI-LOWが一瞬だけ手伝いに来て俺の『美味しんぼ』を見つけて「これは料理の本ですか? それとも漫画の扱いですか?」って言われて、「料理の本だから、台所の棚に置く」って言ったのを覚えてる(笑)。テレクラは行ったことないけど、友達は行っていて受話器をすぐにはなかなか取れないって言ってた。受話器のボタンをポン、ポンってテンポで押していると、たまに取れるって。プッツンっていうのは、『鶴ちゃんのプッツン5』のことだよね。石原真理子だ。今よく言われてるプッツンとは違うよね。今のプッツンってキレるイメージじゃない。当時のプッツンはぶっ飛んでるっていうイメージだよね。石原真理子が全盛期ですよ、ぶっ飛んでるみたいな。『ふぞろいの林檎たち』のパート2の時って石原真理子の全盛期じゃないですか。

ー実際、イチさんってこういう言葉使ってました?

いやいや、使わない。「あいつプッツンしてるよね」なんて恥ずかしくて言ったことない(笑)。今はスイッチ入った時にプッツーンって言えばいいんじゃないかな(笑)。それも古いけどね。

ー次はヒット曲ですね、年間ランキングのトップ10があるんですが。

石井明美の「CHA・CHA・CHA」といえば『男女7人夏物語』じゃないですか、名作ですよ。

ー『男女7人夏物語』はローディやって先輩の家にいる時も観ていたんですか?

これは観てた! すっげえ笑い転げたもん。面白くてしょうがなかったし、明石家さんまさんってすごいなって思った。1986年になると、『おれたちひょうきん族』も全盛期じゃなくなってきたのよ。とんねるずとかが人気で、ビートたけしさんが『おれたちひょうきん族』を休みだした時期じゃないかな。その中で、さんまさんがグンと出てきてね。俺の中ではこれを"第一期さんま全盛期"って呼んでんのよ。ここが最高に面白くて、1986年のさんまさんはすごく好きなのよ。それこそ『笑っていいとも!』の金曜日にあるコーナー「タモリ・さんまの日本一の最低男」、これがすごい面白かったなあ。ダメ男みたいなさんまさんが、タモさんにけちょんけちょんに言われてるのがすごく面白かった。

ー1986年はイチさんなりの第一期さんま全盛期で、『男女7人夏物語』が印象深かったと。

そうそう。曲で言うとね、中森明菜さんの「DESIRE」は1985年12月から年を跨いで大ヒットですからね。俺の中では中森明菜さんも全盛期よ。あと少年隊の「仮面舞踏会」も1985年の冬だったよね。1986年になると「デカメロン伝説」なんだよね。ちょうど高校入学したての頃で、すごく覚えてる。「BAN BAN BAN」もあったってことはKUWATA BANDだから、原坊の出産でサザンが活動休止してる頃だよね。「スキップ・ビート」なんてサザンの曲かと思ってた。これもKUWATA BANDだったか。なんかのCMに出演していた記憶があるなぁ。

ーすけべな言葉遊びとかもちょっとサザンっぽいですよね。

あと、1986年になるとおニャン子クラブのメンバーがソロ曲を出し始める時期だと思うんだよね。おニャン子は1984年からあって、ある意味全盛期だったんじゃないかなって。たしか1986年くらいから、俺と同い年くらいの工藤静香とか渡辺満里奈とかがニャン子に入ってくるんですよ。その前までのメンバーは俺より年齢上だった。メンバーのソロ曲、「バレンタインデイ・キッス」とかもそうだしね。いまだに覚えてるんだけど、新田恵利は1位を獲ってたのに「バレンタインデイ・キッス」は獲れなかったんだよ。でもあの曲はいまだに語り継がれてるからね。だから結果2位でもよかったんじゃないかな。

ー確かにウィークリー最高2位、年間総合14位。おニャン子のソロの中で一番クラシックですよね。

今の若い人も知ってるんじゃない? クリスマスに山下達郎さんがかかるみたいな感じで。あとは安全地帯もアルバムで1位取ってるんだ。意外だね、チェッカーズかと思ってた。

ー続いて映画もいきましょう。実際に映画館で見た作品って覚えてます?

『ビー・バップ・ハイスクール』だね。漫画が流行って、それから実写版になって。俺も『ビー・バップ・ハイスクール』の映画を観て「加藤浩志は似てるけど、中間徹は似てねえ」って思ったもん(笑)。あとは中山美穂の人気が夜明け前な感じなんだよ。1987年の『ママはアイドル!』くらいが彼女の全盛期なんだけど、中山美穂も『ビー・バップ・ハイスクール』では酒蔵のお嬢さん泉今日子役なんだよね。俺はこの時からもうパンクスの方がおしゃれだと思っていたけど、同級生には暴走族とかやる子もいたかなあ。あと映画内の戸塚高校の撮影場所が初台のオペラシティの場所なんだよ。昔ちょっと洋館みたいな廃墟があるって聞いてたから行ったことあって。その場所が戸塚高校の撮影場所だったんだよ。映画の撮影後にこの場所もしかして? って思って行ったんだよね。この時の映画では、Vシネマの帝王の小沢仁志さんがヘビ次ネコ次のヘビ次を演じてたけど、のちに役が変わって小沢さんが前川新吾役を演じてた。

ーこの年の映画ってアニメや漫画原作とか、TVとのタイアップが多い感じがしますね。純粋な映画作品というより、原作ありきなイメージがあります。

洋画だと、映画を見ない俺の中でも5本の指に入る1本が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったなあ。これは俺もう全シリーズ好きでさ。あれから34年経ったけど、映画で描かれていたような未来になってないね(笑)。スケボーにもタイヤついているしね。靴は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』何周年記念ってやつでNIKEが出してたけどね。あとすげえ覚えてるのが『ロッキー4』ってロシアのボクサー、イワン・ドラゴのやつだよね。当時はまだソ連って言ってた。高校に入って、映画鑑賞の授業で生徒皆で新宿に行って『ロッキー4』観たんだよ。

ー学校の行事でですか?(苦笑) 僕は『レインマン』とかでしたね。

俺の中で、ロッキーシリーズはこの時が一番盛り上がってたのよ。あとこの頃に小学生だった子を俺はよくグーニーズ世代って呼んでるだけど(笑)。俺の4つ下くらいだけど、この4歳って結構大きいんだよね。小学6年生と高校1年生。この時だと『コブラ』もシルヴェスター・スタローン出てたよね。活躍してますなあ。まだシュワちゃんも爆発的に売れてはいない時期で、筋肉映画俳優って言えばスタローンだったね。以前プロジェクトAについて話したけど、この時期のジャッキー・チェンの『ポリス・ストーリー』は俺の中で結構盛り返してたなあ。それまでカンフー映画だったのに、ちょっと現代映画っぽくなくなってきて。その前に『スパルタンX』ってあったけど、それで一旦勢いが落ち着いて、『ポリス・ストーリー』でまた面白くなってきたよ。『ポリス・ストーリー』ってジャッキー・チェンのアイディア勝負なんだよね。スタントの見せ方が変わってきたのがこれかな。

ー単純に肉体派だったのが、スタントシーンにもギミックが効いて色々練られてるってことですよね。ハリウッドへの進出とかも考えたりしてたんでしょうかね。

昔だったらカンフーの中でワイヤーアクションとかあったけど、これはカーチェイス要素もあったじゃない。ジャッキー・チェンが新たな一歩を踏み出したのがこの作品じゃないかな。

ードラマはどうでしょう。

やっぱり『男女7人夏物語』、『あぶない刑事』だよね。『あぶない刑事』はもう何回見たことか。リアルタイムでも見たけど、高校生になってからの再放送も覚えている。夕方4時に始まるわけよ。溜まってた先輩の家から家に帰ると大体『あぶない刑事』がやってた。

ー『あぶない刑事』は、印象に残ってるシーンとかエピソード覚えています?

うーん、勝俣州和さんが危ない役で出てたの覚えてるな。CHACHAが始まる前の駆け出しくらいの頃だと思う。あと舘ひろしさんがポカリスエットのCMをやってて、柴田恭兵さんがポッカのコーヒーのCMやってたのよ。それで、ドラマの中で柴田恭兵さんがポカリスエットを飲むっていうユーモアを効かせたシーンがあったのをすごい覚えてるね。あとカオル役の浅野温子が最強の時期だよ。1988年に『抱きしめたい』っていうトレンディドラマが出るけど、その前に浅野温子最強説が俺の中で出たのよ。

ー1986年は明石家さんま最強説と浅野温子最強説がイチさんの中で生まれた年だと(笑)。

俺が15,16歳くらいの時だし、世の中はバブルだよ。俺がバブルを感じ始めたのはこの時期かな。1986年って俺の中では1980年代の中で1,2番を争う面白い年だった。1984年最強説は中2だったんだけど、1986年は高1で何も考えずに遊んでた時期かな。受験も終わったし楽しかったね。1986年の夏もすげえ楽しかった。

ーなにかエピソードはありますか?

1986年の夏に『ビー・バップ・ハイスクール』の映画2作目があって、今の渋谷のビックカメラの辺りの映画館に行って先輩とオールナイトで観て、そのまま逗子の海に行ったんだよ。ヤンキー全盛期の時代なのに、俺らはピンクのモヒカンとか緑の髪で行ったから、ジロジロ見られたね(笑)。当時はまだそういうカラーも珍しかったからさ。その時にニュートラとか着てるヤンキーが近寄ってきて、絡まれるのかなあと思ったら「お兄ちゃん達すげえ頭してんねえ」って言われたのすごい覚えてる(笑)。

ーこの頃って、パンクスよりもヤンキーである方がモテてたんですかね?

まだギリギリそうだったかな。ここから地方に短ランボンタンが広まっていくんじゃないかな。渋谷辺りではブレザースタイルになってきて、変わってきてる感じだったかな。

ーでは最後に、イチさんにとって1986年は総括するとどんな年でした?

1986年に新宿JAMで初めてライブハウスでライブやって、「あ、俺バンドでやっていくんだ」って思った年だね。その前までは楽器を弾き始めたって感じだったけど、1986年が音楽で飯を食っていきたいと思った年だった。高校も行かなくなったし風天だったけど、音楽でやっていこうって思ったのは1986年かな。あとは中学3年生から高校1年生って大人への更なる一歩だよね。同級生もいたけど、どっちかというと先輩にひっついて本格的に音楽を知れた年。楽器の扱い方とかもそうだし、音楽の先輩の姿を見てたから。初ライブをやった年。高校を辞めた年。無免許で捕まった年。色々あるけどこんな感じかなあ。

<ライブ情報>

LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS
(B.Vocal:LOW IQ 01 G.Cho:フルカワユタカ Dr.Cho:山﨑聖之)

=ツアー日程(振替公演日程)=
2020年9月17日(木)仙台MACANA
2020年9月18日(金)福島Out Line
2020年9月24日(木)千葉LOOK
2020年9月25日(金)西川口Live House Hearts
2020年9月30日(水)水戸LIGHT HOUSE
2020年11月1日(日)静岡UMBER
2020年11月26日(木)岡山CRAZY MAMA 2nd Room
2020年11月27日(金)福岡Queblick

チケット料金:前売3500円(税込み)D代別・オールスタンディング

LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS +
(B.Vocal:LOW IQ 01 G.Cho:渡邊忍(ASPARAGUS) G.Cho:フルカワユタカ Dr.Cho:山﨑聖之)

=ツアー日程(振替公演日程)=
2020年11月9日(月)渋谷WWW X
2020年11月18日(水)心斎橋Music Club JANUS
2020年11月19日(木)名古屋BOTTOM LINE

チケット料金:前売4000円(税込み)D代別・オールスタンディング

チッケット払い戻し情報は公式サイトにて
LOW IQ 01公式サイトイベント情報:http://www.lowiq01.jp/live
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