世界的パンデミックに対応するとき、身体的疾患の予防と治療に注目が集まりがちだ。だがこの2カ月間で判明した通り、新型コロナウイルスの大流行による精神的、感情的ダメージも無視できない。


幸い状況もいくらか落ち着き、疲弊の一部はコロナ疲れによるものだと受け入れ、パンデミックによって引き起こされた喪失感や哀しみを「悲嘆」と呼ぶようになった。収束後の生活は一体どんな風になるだろうと考える余裕はまだない人も多い――そしてそれにはまだ程遠い――が、今回の公衆衛生危機が社会全体に及ぼす影響を考える価値はある。直感に反するように見えるかもしれないが、パンデミックを乗り越えつつある今、過去を振り返ることが、これまで人類が集団的トラウマをどう乗り越えて来たかのヒントを見つけるのに役立つだろう。

集団的トラウマという概念は新しいものではないが、今知られていることの大半は、ホロコーストの生存者及びその第2世代の臨床研究に基づいたものだ、と集団心理学の専門家モリー・カステロー博士は言う。集団的悲嘆、トラウマの第一人者、ヴァミク・ヴォルカン博士の業績をつぶさに描いたドキュメンタリー映画『Vamiks Room(原題)』の監督でもある。だがアメリカの歴史を振り返ってみると、第二次世界大戦以前から集団的トラウマの例は無数にある――アメリカ原住民の虐殺、奴隷制度、原爆、ベトナム戦争、9.11、そしてごく最近では移民親子の分離拘束。
「この集団的感情体験の中心にあるのは無力感です」と博士はローリングストーン誌に語った。

そもそも、集団的トラウマとは何か? カステロー博士によると、大人数の集団――国や宗教、人種、民族など――が大きな心の痛みを経験すると、傷ついた者の間に感情的な繋がりが生まれるという。「そもそも集団的トラウマとは、集団の中で無力感や失見当識、喪失感などが共有されることです」と博士は説明する。「脅威的な出来事をきっかけに共通意識が芽生えます――被害者の性格や背景、対処法や柔軟力がそれぞれ違っていたとしてもです」。時に、集団的トラウマは世代から世代へ継承されることもある。無意識な言動や(強制収容所で飢餓を経験した父親は、息子を競争の激しいスポーツで鍛えようとする)しつけ(トラウマを抱える親は、感謝の気持ちを示せ、弱みは見せてはいけない、と子供に強く要求する)、あるいは悲劇的事件の回想を通して、自らのトラウマを子供世代に受け継がせる場合がある。


【画像】精神病を偽り20年生きてきた男の「誰も救われない悲劇」(写真)

カステロー博士によると、我々はすでに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で集団的トラウマを経験しているという。「これは公衆衛生の大惨事です。民主主義とその理想像の崩壊です」と博士は言う。「あまりにも多くの死――高齢者、弱者、地元の医療従事者、救命隊員――によって、私たちは日々トラウマを共有しています」

アイデンティティ消失の恐怖

イスラエルの総合研究所で心理学の准教授を務めるギラッド・ヒルシュベルガー博士によると、集団的トラウマには様々な種類があるという。例えば9.11は非常に即時的で、ほとんどの事件は同じ日に起きた。事件の波及効果はその後もしばらく尾を引いたが、即時的な脅威は甚大だったものの、比較的短期間で終わった。
しかしCOVID-19の場合は「9.11ほどインパクトは大きくないものの、かなり長引いています」とヒルシュベルガー博士は説明する。「中等度の脅威を、出口が見えないまま長期にわたって耐え忍ぶという恐怖と不安は、世界中の人々に大きな負担となります」

死や、パンデミックがいつどのように終わるかという長引く不安の他に、アメリカ人としてのアイデンティティへの打撃にも直面している。「多くの人々は個人として、家族として、そして恐らくは集団として、例えばニューヨーカーの一員として、心に傷を負っています」と言うのは、文化的・集団的トラウマを専門とする社会学の教授、ジェフリー・アレクサンダー博士。イェール大学の文化社会学センターの創設者であり、共同所長も務めている。「ですが、アメリカ合衆国という集団はとてつもない不確実さと不安感を抱えています。なぜなら私たちはアメリカが偉大な国――最も偉大な国だと考えて来たからです。
そして今、自分たちよりも他の国々がパンデミックに上手く対処しているのを見て、自分たちは何者なのだろう? という疑問が湧き上がっているのです」

1918年のスペイン風邪大流行が発生したのは1世紀以上も前だが、感染流行に対する我々アメリカ人の不甲斐なさへの衝撃は、当時も今と似たようなものだ。「現時点ではどんな治療薬も、ワクチンもありません」とヒルシュベルガー博士は言う。「このウイルスを撃退する術が自分の免疫以外ない今、まさに全ての老若男女が独りでウイルスと対峙しています。これは不安で恐ろしいだけでなく、我々現代人は自然の脅威を克服出来た、という幻想をも打ち砕きます」。その証拠はすぐ目の前にある。ソーシャル・ディスタンシングや集会の禁止は、1918年にも主なウイルス拡散防止策として採用された。
「唯一、当時にはなく今はあることは、近い将来に治療薬やワクチンが出来るだろう、という希望です」と博士は付け加えた。

当事者意識の重要性

COVID-19のパンデミックと1918年のスペイン風邪には共通する点があるものの、1918年の集団的トラウマへの対応は、同時期に第一次大戦が勃発したことを考えると複雑だった、と語るのは、医学人類学者でジョンズ・ホプキンス大学の公衆衛生専門家、モニカ・ショック=スパナ博士。「スペイン風邪の影響が収まると、人々はある種の集団的健忘状態に陥りました」と言い、当時はまだ戦争の後遺症を社会全体で引きずっていた点を指摘した。アレクサンダー博士は、我々が今COVID-19パンデミックで体験しているものに最も近いのは1918年のスペイン風邪ではなく、大恐慌時代だと言う。「当時の人々は、アメリカ合衆国の資本主義と経済に並々ならぬ誇りを持っていました。それが全て崩壊したのです」と博士。
「その結果、政府の役割が変わりました。労働組合、失業保険、社会保障の設立に、労働階級も含まれるようになりました」

このパンデミックが特に医療・経済的格差や不平等への注目を集めたことを見ると、収束後、理論的には当時と似たような改革が起きる可能性がある。ヒルシュベルガー博士は、収束するまでには重要な教訓を学べているだろう、と楽観視している。仮に今、数年前アフリカで発生したエボラ出血熱のような病気が大流行していたなら、我々は今よりも真剣にCOVID-19に向き合っていただろう。「同情心からではなく、現実のものとして、遠く離れた人の身に起きていることは自分たちの問題でもあると実感するでしょう」と博士は語る。同じ流れで、科学者たちが以前からパンデミックの可能性を警告して来たが、それを無視したツケが回って来ているのを受け、気候変動へもより真剣に関心が向けられるかもしれない。「私たちは互いに相関関係にあることを理解し、今は些細に見えるが、時間と共に少しずつ膨れ上がるような問題は危険で、手が付けられなくなるかもしれないと理解する――今回の一連の出来事から前向きな結果がもたらされるとすれば、こうした気づきだと思います」とヒルシュベルガー博士は言う。

集団的トラウマ――大恐慌やCOVID-19パンデミックなど――への対応の一環で、我々はその事件の被害者と加害者を特定し、納得出来るシナリオを作ろうとする。もちろんそうした作業は一筋縄ではいかない。例えば、アレクサンダー博士も指摘しているように、今回のパンデミックはマイノリティの人々の方が圧倒的に被害を受けているが、保守派はそうしたデータを無視し、全員が被害者だと言う問題としてしまう。

収束後に語られるシナリオは誰の物語

加害者の特定ということになると、状況はさらにややこしくなる。確かにパンデミックの元凶は新型ウイルスだが、集団的トラウマの説明としては相応しくない。これだけ多くの命を奪い、経済に大打撃を与えた「悪党」が、少なくとも1人は存在しなくてはならないのだ。さして驚くことでもないが、現在のパンデミックの加害者が誰かという答えは人によって異なる。本来は支援を必要とする中小企業のために議会が割り当てた予算を、不当に受け取った大企業だと言う人もいる。既存の医療格差を悪化させ、パンデミック中に必要な治療を受けられない人が出る羽目になった利益重視の医療保険制度だと言う人もいる。現政権のパンデミック対応を非難する者もいる。その一方で、全ての元凶は中国だと言う者もいる。

今もうすでにパンデミックの加害者を特定する試みに政治的意思が働いているように見えるなら、11月の大統領選が近づくまで待とう。民主党も共和党も集団的トラウマを利用して自分たちの意見を展開し、我こそが大統領にふさわしいと主張するのはほぼ間違いない、とアレクサンダー博士は言う。民主党はパンデミックに対する大統領の対応――特に初期の数週間の対応――に集中砲火を浴びせ、リーダーを変えない限り傷は癒えない、と主張する一方、共和党は中国に非難の矛先を向け続け、民主党候補内定のバイデン氏を中国と結びつけようとするだろう。

自覚の有無にかかわらず、我々は過去の集団的トラウマや悲嘆を想起させる物体を絶えず目にしている。戦没者慰霊碑の前を日々何事もなく通り過ぎるが、わざわざ足を止め、そもそも碑が建てられることになった出来事について思いを馳せることはない。カステロー博士が監督したドキュメンタリー『Vamiks Room』の中で、ヴォルカン博士は「我々は記念碑を建てる――胸の内に残るどんな感情をも、大理石や金属の中に閉じ込めるのだ」と表現した。 こうした碑は、喪失の経験を視覚的・空間的物体に繋ぎ止め、「言いようのない感情に具体的な形を与える」とカステロー博士は言う。「こうしたプロセスでは、自分自身を見つめ直し、悲しみや失望、罪悪感といった痛々しい感情を受け入れられるよう、内省することが重要です」

第一次世界大戦のトラウマにより、1918年のスペイン風邪流行の記憶は薄れたかもしれないが、アメリカ人が行った戦後の儀式――戦没者記念碑や建造物の建立――も、やはり集団として悲しみを整理する手段のひとつだった。「このような式典や建造物は、悲しみや追悼に重要な役割を果たしています」とショック=スパナ博士も言う。

同時に、追悼式は本質的に政治的行動だとショック=スパナ博士は言う。この先COVID-19のパンデミックを振り返り、犠牲になった人々を偲ぶとき、被害者の割合が多かった有色人種の人々の物語が語られるかは、まだわからない。「どのような記念碑に、誰の顔が代表になるか? 医師や看護師たちの英雄的自己犠牲を称えるのは、非常に容易な解釈です」と博士は語る。「医療分野の人々の犠牲を軽視するつもりはありませんが、比べ物にならないほど圧倒的な被害を受けた有色人種の人々の物語と比べると、そちらの方が世間には受け入れられやすいでしょうね」

銘板や記念碑で誰を追悼するかを決めるのは、現在進行中の公共衛生危機への対策ほど急を要するものではないだろうが、集団的トラウマへの今後と取り組みを左右することにはなるだろう。「記憶とは、実際に起きた出来事だけではありません。『実際に起きたことが、今の自分たちにどれだけ重要か?』ということなのです」とショック=スパナ博士。「生存者は我々です。私たちが、語るべき物語を選べるのです」