最新アルバム『パンク修理』を5月27日にリリースした亜無亜危異(アナーキー)の仲野茂、藤沼伸一、寺岡信芳、小林高夫にZoomでインタビュー。日本パンクロック界の生きる伝説が、現在の心境を語る。


亜無亜危異(アナーキー)がデビューしたのは1980年2月のこと。電化したRCサクセションが同年4月に久保講堂でワンマンをやって6月にその実況録音盤『RHAPSODY』を出し、11月にはザ・ルースターズもデビューしている。

個人的なことを少しだけ記しておくと、筆者は1stアルバム『アナーキー』を発売直後に買って激しく入れ込み、内田裕也主催のロックフェスで初めてライブを観たあと、1981年5月の日比谷野音ワンマン、1982年1月の久保講堂ワンマンも観に行くなど、しばらく熱心に追いかけたものだった。1986年にギターのマリ(逸見康成)が事件を起こして逮捕され、残った4人でTHE ROCK BANDと改名して動き始めてからも動向を追い続けたが、やがてメンバーそれぞれの活動が盛んになり、バンドは活動休止状態となった。

1980年、渋谷屋根裏でのライブ映像

その後、1994年と1996年のアナーキー再結成ライブを経て、1997年にはラウドなデジロックへと音楽性を変化させた新生アナーキー(表記はローマ字でANARCHY。ドラムはWRENCHの名越藤丸)として再始動するも、2001年に再び活動休止。
ここで完全に歴史に幕を閉じたと思われたが、2013年5月のイベント「MAVERICK KITCHEN」で実に17年ぶりにオリジナルメンバー5人でライブを行ない、そこでは新曲「パンクロックの奴隷」も披露された。

そして2017年に再び5人でのイベント出演がアンウンスされたが、そのライブの直前にマリが急逝。イベントには4人で出演し、2018年1月には新宿LOFTでバンドの「不完全復活」を発表して、4人組となった亜無亜危異はそこから精力的に動き始めたのだった。

5月27日リリースの『パンク修理』は、亜無亜危異が「不完全復活」を果たしてからの2作目であり、フルアルバムとしては実に20年ぶりとなるもの。デビューから40年が経って全員が還暦を迎えもしたが、初期の明快さを取り戻した2018年のミニアルバム『パンクロックの奴隷』よりもさらにポップ度が増し、バンドの絶好調ぶりを見せつける痛快な作品となっている。

デビュー作に収録された「アナーキー」という曲で”あいつの敵になってあげる、いたずら気分で”と歌った亜無亜危異だったが、その40年後の新作『パンク修理』の歌詞とサウンドにも相変わらずの”いたずら気分”が溢れている。
今年1月に行なわれたデビュー40周年ライブは「プランクス・イズ・ノット・デッド」と題されていたが、アルバムもまさにそんな内容。彼らにとってのパンクとは、即ち”いたずら気分”のことなのだと断言したくもなる。

いまが最高と言っていい、そんな亜無亜危異の4人に、「不完全復活」から2年ちょっとの歩みと新作『パンク修理』についての話を、Zoom経由で聞いた。それにしても、まさか亜無亜危異にZoomで取材する日が来ようとは! 40年前の自分に教えてあげたいけど、意味がわからないだろうな。

「不完全復活」以降の充実感

―こういう形でのインタビューですが、今日はよろしくお願いします。前半は「不完全復活」を果たしてから現在に至るまでの主要なライブを振り返りながら話を聞き、後半で新作『パンク修理』についてのことを聞きたいと思ってます。


仲野茂(Vo):はい。よろしくお願いします。

―自分は長い間、亜無亜危異のライブを観続けてきましたが、この2年のライブを観ていて強く感じるのは、亜無亜危異はいまが最高なんじゃないかということで。みなさんの実感としてはどうですか?

仲野:そうですね。まあ、紆余曲折ありましたけど、マリの死をきっかけに4人でまたやることになってね。というか、もともとは「MAVERICK KITCHEN」というイベント(2013年5月4日・恵比寿リキッドルーム。
これが結果的に5人での最期のライブとなった)にまた5人で出たことがきっかけだったんだけど。

2013年、「MAVERICK KITCHEN VOL.5」でのライブ映像

―あのライブは強烈でした。初っ端でいきなり新曲の「パンクロックの奴隷」を初披露して。

仲野:うん。新曲をやらないなら復活する意味がないって伸一が言ってて、それで「パンクロックの奴隷」って曲ができたことが大きかった。結局あれが5人で作った最後の曲になっちゃったけど。


―伸一さんはどうですか? いま亜無亜危異はいい状態にあるなと実感してますか?

藤沼伸一(Gt): うん。いい状態じゃなかったら続いてないだろうからね。

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

Zoom取材中の仲野茂

●【写真ギャラリー】Zoom取材中の亜無亜危異+ライブ写真(全6点)

―2017年6月にマリさんが亡くなって、翌月の新木場スタジオコーストのイベントは4人で出演。そして2018年1月の新宿LOFTで「不完全復活」を宣言しました。このライブが本当の意味での再始動だったわけですが、振り返ってみて、どうですか?

仲野:コーストのときはマリのことがあったからね。あれはオレたちにとって、やっぱり事件だったし、やるべきかやめるべきかっていうのもあったし。
で、コーストをやって、そこから新宿LOFTまでは意外と早かったというか。4人でやることに気持ちがシフトできた気がしたライブだったかな。違和感がなかった、っていう言い方がいいのか悪いのかわかんないけど。

―もう吹っ切れてた。

藤沼:吹っ切れてたというか、「4人でやってこうぜ」ってなってからのオレらの行動が早かったんだと思う。だから、そのまますぐミニアルバムの『パンクロックの奴隷』を作ったし。いつも「やろう!」ってなってからは早いんですよ。それまでが長いんだけどね(笑)。始まったら早い。

寺岡信芳(Ba): そうだね。

2018年、新宿LOFTで撮影された「パンクロックの奴隷」MV

―新宿LOFTのライブは、終盤でコバンさん(小林)が満身創痍といった感じになりながらも気迫で叩き切ったのが印象に残ってます。コバンさん、あのライブはどうでした?

小林高夫(Dr):ええっとね、あのときは……。

伸一:おい、茂がなんか食ってるぞ。何食ってんだ、茂?!

仲野:うるせえな。コバンに質問がいったんだから、いいじゃねえかよ(笑)。

―はははは。で、どうでした? コバンさん。

小林:あのライブあたりから、最後まで力を持続させるためにはどうしたらいいかってことを考えるようになったってところはあるかもしれないですね。それまでは何曲かで倒れてましたけど(苦笑)、あれからジムに行ったりなんなりで体力的なところをなんとかして、ワンステージの配分を調整できるようになった。それは大きいと思います。まあ、残された時間は少ないですからね。もう数えるくらいしかライブができないかもしれないですから。

―いやいや、そんなことはないでしょうけど(笑)。

小林: もう、一回一回、必死です。

―そうして4人での活動が始まり、2018年5月には「ARABAKI ROCK FEST.18」に出演されました。あれはどうでした?

仲野:最高でしたね。オレたち、フェスというものがガーっと大きくなっていったときに、活動してなかったから。だからアラバキに呼ばれたときは、めっちゃ嬉しかった。アラバキって、バンドマンの間ですごく評判のいいフェスでね。バックステージで飲み食いが自由にできるし、いろんなバンドが集まれるから、アラバキとライジング(RISING SUN ROCK FESTIVAL)はいいよって話を聞いてて。オレらが出たときは、ちょうどジー・フリーク(G-FREAK FACTORY)が同じステージだったし、陣内(孝則)とか久しぶりに会えたやつもいて、オン・ステージも盛り上がったけどオフ・ステージもすごい盛り上がった。楽しかったよ。

寺岡:アラバキも、去年のフジロックやライジングもそうですけど、ああいうフェスに出れたのはすごく大きくて、それがいまに繋がってる気がしている。オレたちを観たことのない世代にアピールできたっていう意味で、どれも手応えは大きかったですね。

最近のモードは「ポップ」

―そして『パンクロックの奴隷』が2018年9月にリリースされました。あのミニアルバムのレコーディングはどんな感じだったんですか?

寺岡:早かったよね。

藤沼:リハが2~3日で、リズム録りも2日とかそのくらいで。

―『亜無亜危異ヒストリー タブーの正体』を読むと、伸一さんの集中力がすごくて、1カ月で4曲書いてみんなに送ったとか。

藤沼:うん。早く曲作らないと怒られるからさ。でも、いつも早いんですよ。ダラダラ長くやってるようなやつは、才能がないからそうなるんであってね(笑)。

寺岡:曲作りも早いし、亜無亜危異はレコーディングも早い。

藤沼:ジャッジが甘いとも言うけど(笑)。

―『パンクロックの奴隷』は、初期作品にあったメロディの明快さを取り戻しながら、サウンド的には厚みもあって、これぞ亜無亜危異!と言いたくなるミニアルバムでした。

藤沼:茂が意外とメロディアスな曲が好きみたいでね。

―茂さんのなかで明るくてポップなメロディを歌いたいというのは、最近のモードなんですか? それとも昔から一貫していることですか?

仲野:最近だね。もうちょっと歌詞をフィーチャーしたりしてた時期もあったけど、改めてメロディって大事だなと思ったというか。昔さ、オレたちの1枚目(『アナーキー』)とか2枚目(『80維新』)が好きだっていうファンのやつに、「亜無亜危異は意外とポップっすよ」って言われたことがあってね。そのときはただパンクをやりたいからやってただけで、自分たちでは気づいてなかったんだけど、改めて初期の作品を聴いてみたら、「ああ、確かにポップじゃん」って思って。軽やかっていうかね。その軽やかさが、伸一が曲を作ってくれた『パンクロックの奴隷』にも出ていて、キャッチーですごくいいなと思ったし。それでまあ、今回のアルバムもそうなったんだけどね。あ、今回のアルバムの話はまだ早いか。

―あとでちゃんと聞きますね。で、そのミニアルバムを携えた「パンクロックの奴隷TOUR 2018」があって、9月16日には恵比寿リキッドルームでの公演がありました。1時間半で全28曲をぶっ放した凄まじいライブで、とりわけ僕は『パンクロックの奴隷』の曲と初期の曲との混ざり具合のよさを強く実感したんですよ。

藤沼:作曲するときは意識してなかったけど、自然とそうなっちゃったというか。ライブの前に毎回、通しでリハをして、そのときに違和感がなければほぼそのメニューで本番もやるんだけど、実際、初期の曲と新曲を並べて違和感がなかったんでね。

寺岡:『パンクロックの奴隷』や今回の『パンク修理』の曲と初期の曲を並べるとポップっていうところで共通項があって、そういう意味ではTHE ROCK BAND時代とかのほうが距離があるのかなと。初期と最近の亜無亜危異の距離のほうが全然近い。

―そう思います。

仲野:3枚目の『亜無亜危異都市』の次ぐらいで今回の感じを出してたらよかったのかもしれねえな。そしたらオレたち、もっと売れてたかもしれないぜ。まあわかんないけど(笑)。

―「パンクロックの奴隷TOUR 2018」の頃になるとコバンさんのドラムにも変化が見られて、よりパワフルになったのと同時に、曲によっては軽やかに叩いているように感じられるところもありました。

小林:余計なことをやらなくなったんです。

藤沼:やってるじゃねえかよ!(笑)

小林:いや、自分では余計なことをやらないように、努力してるってことで。無駄なことやって躓いたりってことが前はあったんですけど、だいぶなくなりました。

寺岡:横のライン(藤沼と寺岡)は本当に無駄なことをやらなくなったんだけど。

藤沼:タテのラインがまだなあ。

仲野:なに言ってんだよ!(笑)

ザ・クロマニヨンズThe Birthdayからの刺激

―それから2019年に入るとツーマンのライブシリーズ「亜無亜危異 presents SHOWDOWN 2019」がスタートしました。BRAHMAN、The Birthday、eastern youth、GAUZE、ザ・クロマニヨンズ、怒髪天、GEZANなどなど、長く活動しているバンドから亜無亜危異を慕う若手までいろんなバンドと対バンしたわけですが、いい刺激を受けたんじゃないですか?

仲野:うん。すごくいい刺激を受けた。昔はスターリン、ルースターズ、ロッカーズなんかとやって、「負けねえぞコノヤロー」って思いでやってたわけだけど、去年もまたそういう気持ちが蘇ってきてさ。「クロマニヨンズ、負けねえぞ」みたいな。だからすごく刺激的だったね。

―昔は相手に対して「ぶっつぶしてやる」みたいな気持ちが強かったと思うんですが、いまはどうなんですか? 和気あいあいみたいなところもあったりしました?

仲野:そりゃ楽屋とかでは和気あいあいだけど、ステージに出たら相手も「亜無亜危異に負けたくない」って思ってやってるだろうし、オレたちも負けるわけにはいかないからね。そういう意味で、ワンマンのとき以上にテンションがあがるよね。

―対バンの相手は、みなさんで考えてリクエストしたんですか?

寺岡:それはスタッフが考えてくれて。

仲野:いや、オレはリクエストしたよ。叶わなかったけどね。SHISHAMOWANIMAとやりたいって言ったんだけど。

―いろんなバンドとやったなかで、特に印象に残っているのは?

仲野:クロマニヨンズとやれたのはやっぱり嬉しかったね。あと、The Birthdayも。オレたちと全然タイプが違うから。

―クロマニヨンズのヒロトさん・マーシーさんも長くやってますけど、これまで意外と接点がなかったですよね?

藤沼:どっかですれ違ったりは何回かしてるけど、一緒にはやってないね。

仲野:ちょうど亜無亜危異が活動中止したタイミングでブルーハーツが出てきて、入り代わりだったからね。オレ、初めてブルーハーツの話を聞いたのは、白竜からだったんだよ。マリが事件起こす前に最後に5人でやったライブが筑波の「29BAR」ってとこでさ。白竜がそこにいて、ライブが終わったあとに「なんか茂みてえな面白いやつのいるバンドがあるんだよ」って言ってて。それはよく覚えてる。オレたちが5人でやるのはそのときが最後になっちゃったから。

―The Birthdayとやった2月のO-EASTは僕も観ましたけど、ファン層がまったく違うのが面白かったです。

仲野:うん。The Birthdayの客は亜無亜危異の客と違って、すげえクールだった。客までチバみてえだなって思った(笑)。

―それから去年6月に江古田マーキーでやった「BACK TO MARQUEE」もあとあと伝説になりそうな凄いライブでしたね、途中で電源が落ちたこと込みで。

江古田マーキーでのライブ&トーク映像

寺岡:電源落ちたことが逆によかった。あれによって一体感が生まれたからね。

―確かに。真っ暗になってアンプラグド状態になったなか、観客みんなが声を出して歌っていて。亜無亜危異はやっぱりハプニングに強いバンドだなと思いましたよ。

仲野:そうだね。そういうのを楽しめるほうだからね。

―電源が落ちたとき、観客の誰かが「マリのいたずらかな」と言ってたのも印象的でした。

仲野:マリ、寂しがって降りてきたんだね。

―そしてその翌月にはフジロックの前夜祭に出演。あれも凄かった。普段の亜無亜危異のライブは親衛隊のひとたちが前のほうを陣取って観てますけど、あのときは亜無亜危異を初めて観る人ばかりが大勢集まって、そういうひとたちが興奮して飛び跳ねまくっていて。

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

FUJI ROCK FESTIVAL19前夜祭にて、筆者の内本順一が撮影

藤沼:こっちが出した音に素直に反応してくれるっていうのはいいよね。斜に構えたりしないで、とりあえず楽しもうとしているあの感じは、フェスならではだなと。外人の客もガンガンのってたし。

仲野:前の年は、ロッカーズが前夜祭に出たらしくてさ。ニューイヤーロックフェス(NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL)で陣内に会ったときに、「茂、フジロックの前夜祭はめっちゃ楽しいぜ。前夜祭だから気楽にやれるし」って言うわけ。だからそのつもりで行ったら、後ろのほうまでパンパンに入っててさ。オレ、楽しいどころか、緊張しちゃって。けっこうプレッシャーだったんだよ。こう見えてオレ、ノミの心臓だからさ。陣内のほうが心臓強いんだなと思って。いや、でも、すごいよかったよ、フジロック。

寺岡:ああいうアウェィ感のあるところでやる機会はなかなかないので、すごく刺激になったよね。

還暦祝いイベントを振り返る

―それから去年から今年にかけて、それぞれの誕生日に還暦祝いイベントも開催されました。コバンさんの「コバン還暦祭」では”還暦の海賊”で、伸一さんの「藤祭2019 還暦」にはTHE ROCK BANDで、茂さんの「生誕60周年スペシャル!!」ではデジロックのANARCHYでというふうに、その時々によって違う形でライブをやられたわけですが……。

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

4人の還暦イベントのフライヤー

藤沼:でも寺岡のときだけ、オレたち誘われなかったんですよ。

寺岡:いや、最初にそういう話をしたときに、「じゃあ、オレんときはTHE ROCK BANDをやる」「じゃあ、オレんときは新生ANARCHYでやる」ってなってったから、出し物がもうなくて。だったらいいかなと思ってね。まあ、コバンと伸一は結局来てくれて、一緒にやりましたけど。

仲野:ごめんよ、オレだけ行かなくて。呼ばれなかったからよお。

寺岡:なんでひがんだ感じになるんだよ?!(笑)

仲野:でも、「何やる?」って話したときに、意外だったのはコバンでさ。伸一が「また4人でTHE ROCK BANDをやるっていうのはどうかな?」って言ったとき、「それ、いいね!」って一番反応が早かったのがコバンで。「オレのときもTHE ROCK BANDでやろうかな」とか言っちゃって。

―コバンさんは、THE ROCK BANDをやりたかったんですか?

小林:まあ、そうだね。で、そういう話が出たから、じゃあ僕のところでリハーサルがてらやるっていうのも面白いかなって。僕の還暦祭は知り合いの若いバンドを集めてやるような企画だったんだけど、そのなかで”還暦の海賊”として出て。

―僕は伸一さんの「藤祭2019」でTHE ROCK BANDを観ましたけど、改めて「これは凄い。こんな強靭なグルーヴを出せるバンド、日本にほかにあるか?」って思ったんですよ。初期の亜無亜危異やいまの亜無亜危異とはグルーヴの種類がまったく違っていて、ファンキーだし、リズムもタメがある。特にドラムの力の入れようがまったく変わると思うんですが、コバンさんとしてはどっちも好きって感じなんですか?

小林:まあ、ノリがまるっきり違うんでね。バンドのデビュー当時は8ビートの早いやつばっかりやってて、だんだんとそうじゃないのもやるようになって、THE ROCK BANDになってからはわりと自由にいろんなことができた。で、そこからまた早めのビート感を出すようになって作ったのが『パンクロックの奴隷』だったり今回のやつだったりってことなのかなと思うんですけど。僕は、どっちも好きっていうのはあるんですけどね。

―伸一さんのギターのスタイルもTHE ROCK BANDと亜無亜危異とでは全然違うじゃないですか。僕はTHE ROCK BANDのライブを観ていて、これこそ伸一さんの真骨頂であり、ギタリストとしての個性を最も強く出せる音楽性なんじゃないかと思ったりもしたんですが。

藤沼:でも音楽のスタイルって、オレ的には結局なんでもいいってところもあるのよ。やたらこだわるやつっているじゃん? オレはブルースだから、とかさ。そういうのはどうでもいい。パンクの亜無亜危異をやって、THE ROCK BANDもやって、デジロックのANARCHYもやって、「なんでもできるけど、どう?」みたいなことで、オレはいいと思ってて。

かつて抹殺した『80維新』を語る

―そして今年の1月17日には「デビュー40周年祝賀会 プランクス・イズ・ノット・デッド」と題して、1stアルバム『アナーキー』と2ndアルバム『80維新』の曲だけを全曲演奏するライブをリキッドルームで行ないました。あれはどうでした?

仲野:あれはスタッフのナイスアイデアでね。バンドのなかからはああいう企画はなかなか生まれないから、素晴らしいなと思って。意外と上手にオレたちの尻を叩くじゃん!って。

―1stアルバムの曲はこれまでもライブでたくさんやってきてますが、『80維新』の曲はほとんどやってこなかったですもんね。

藤沼:やってこなかったから、けっこうたいへんだったよ、リハが。「ここ、どうだっけ?」みたいな。

寺岡:あのアルバムは自分たちで抹殺してたんですよ。

―どうしてですか?

仲野:「タレントロボット」が入らなかったから。オレとしては「タレントロボット」が『80維新』のヘソになる曲だったわけよ。ところが、当時の事務所のやつ曰く「レコ倫にひっかかった」と。それで「『タレントロボット』を入れられねえんなら、出さねえぞ!」ってオレが言って、みんなも「そうだ」って感じになってたんだけど、そのあと事務所のやつに呼ばれて「じゃあ、ほかの曲は捨てるのか?」みたいなことを言われたらしくてね。もう一回ミーティングして決めるってことになって、最終的に多数決になったんだけど、オレ、4対1で負けたんだよ。「出したくないひと」って聞かれて手ぇ挙げたら、オレだけでさ。「揃いも揃って裏切りやがって!」っていう。

―その一件から抹殺したい気持ちになったと。

仲野:オレはね。

―でもリキッドルームで久しぶりに聴いたら、ポップな曲が多くてすごくいいなと思いましたよ。「やつらをわからせるためにも もっと叫んで叫んで」と歌われる表題曲なんか、歌詞もいまの気分にピッタリくる気がしましたし。

仲野:うん。でも当時は、雑誌のレコ評で音楽評論家に悪く書かれてさ。「”530”」っていうスローの曲が入ってるんだけど、レコ評で「亜無亜危異、2枚目にして失速」って書かれて、ムカついてね。糸井重里も「RCサクセションは信じられるけど、亜無亜危異は作り物だ」とかなんとか書きやがって。「糸井、コノヤロー!」みたいな。

―「”530”」を聴いた当時は、僕も正直、スローな曲をやるには早すぎないかと思ったりしたんですけど、最近のライブであの曲を聴くと、やけに沁みるんですよ。さっき話に出た2018年1月の新宿LOFTで茂さんが「マリはいなくなっちゃったけど、4人でも亜無亜危異やりてえんだよ」って言って、そのあとこの曲を演奏した際には、涙が出るくらいグッときちゃって。

仲野:ああ。オレも意外とそうなんだけど、当時、マリがメロウな曲を好きだったんだよ。あいつはデヴィッド・ボウイとかT・レックスが好きだったんだけど、メロウな曲が特に好きでね。だからメロウなフレーズは伸一じゃなくて、けっこうマリが弾いてたりするんだよね。

『パンク修理』とピストルズの思い出

―『デビュー40周年祝賀会 プランクス・イズ・ノット・デッド』ではライブのあとに4人のトークショーがあり、そこで初めて新しいフルアルバムを作って全国ツアーをするという計画が発表されました。あのとき伸一さんは「これから曲を作らなきゃ」って言ってましたけど、あの段階ではまだ作り始めてなかったんですか?

藤沼:うん。ただ、タイトルだけ決まってるのはいくつかあって。亜無亜危異の場合、タイトルを先に考えて、そこから作り始めることが多いんですよ。そのほうがやりやすいから。「馬鹿とハサミは使いYO!」なんかも、そのフレーズだけ先にメモってあって。曲と歌詞はあの時点でまだほとんどなかったんだけど。

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

「デビュー40周年祝賀会 プランクス・イズ・ノット・デッド」にて(Photo by 渡邉俊夫)

―あの時点で新作は初夏のリリースを予定していると話していましたが、ずいぶん早くできましたよね。相当順調に進んだわけですね。

藤沼:さっきも言ったように、ダラダラやっててもしょうがないから。締め切り決めてやると、意外に浮かんできたりするんだよね。

―『パンクロックの奴隷』に続いて今回も伸一さんが全曲のデモを作ったんですか?

藤沼:うん。で、「ここはこうしたほうがいいんじゃね?」って意見はもちろん受け入れて。

―デモの段階で、どの程度作り込むものなんですか?

藤沼:歌詞も含めて、ほとんど全部。最初に曲の感じをテープに録って、歌メロ部分はピアノで弾いてみんなに渡して。ほら、コードとかリズムとか、先にわかってたほうがいいだろうから。で、歌詞をのっけていって。

昨日2/21でちょうどデビュー40周年を迎え、41年目突入の本日より、いよいよNEWアルバムのレコーディング開始!#亜無亜危異 #アナーキー #anarchy #punk #rock #レコーディング #recording pic.twitter.com/bc6i4g8ymr— 亜無亜危異 (@ANARCHY_staff) February 22, 2020
レコーディング6日目#亜無亜危異 #アナーキー #anarchy #punk #rock #レコーディング #recording #album pic.twitter.com/of7KSQ0gV0— 亜無亜危異 (@ANARCHY_staff) March 21, 2020
『パンク修理』レコーディングは10日間で全工程を終了した

―今回は11曲収録されてますけど、だいたいどのくらいで?

藤沼:1カ月くらいですかね。

寺岡:驚異的だよね、1カ月で11曲作るって。

藤沼:それが普通だって思われると、「じゃあどんどん作れよ」って言われちゃうから、当たり前だと思わないでもらいたいんだけど(笑)。

寺岡:でも今回そうやって短い時間で伸一が作った曲が、『パンクロックの奴隷』のときよりもさらにポップな曲になっていて、それは面白かったし、新しいアプローチだなと思った。

―バンドとして、いまはとにかくポップで明快な曲をやりたいというモードなんですかね?

藤沼:『パンクロックの奴隷』のときから、亜無亜危異でいまやるのはこういうパターンが面白いんじゃないかって思ってて。要するにラジオとかで流れてパッと聴いた瞬間、「おっ、ポップじゃん」って思ってもらえるもの。ポップなメロディに過激な歌詞が乗ってるほうが絶対面白いだろうと思うから。

―茂さんは今回、伸一さんからあがってきた曲を聴いたとき、どんなふうに思いました?

仲野:なんていうかな、ちょっとまた昔を思い出したっていうかね。昔、ピストルズの『ネヴァー・マインド』(Never Mind the Bollocks、邦題:勝手にしやがれ!!)を聴いたときに、「このアルバムを抜こうぜ」って話したことがあったんだよ。で、そんな話をしたよなぁって、今回の曲を録りながら思い出した。オレたちがいまできるパンクってなんだろ?って考えると、こういうふうにポップさもあるものなんじゃねえかなって。

―昔、みんなで一緒にセックス・ピストルズのレコードを聴いたんですか?

仲野:うん。寺岡んちでみんなで聴いて、「かっこいいな」って。「このアルバムを抜きてえな」って話してたんだよ。それからずいぶん時間が経ったけど、今回『パンク修理』ができて、これでようやくピストルズに勝ちに行けたなって思えたというか。

―アルバム・タイトルは『パンク修理』だし、「パンクのおじさん」なんて曲もあったりするわけですが、還暦を迎えた現在の4人にとってのパンクの概念って、言葉にするとどういうものですか? 昔の捉え方とは当然違っているところもあるでしょうし、でも「変わらねえよ」ってところもあるとは思うんですが。

仲野:パンクって何かって言ったら、やっぱり初期衝動みたいなものだよね。ほんとにマルコム(・マクラーレン)はいい言葉を作ったなと思うし。で、パンクはその後、ファッションになっちゃったところもあるけどさ。でもオレたちが初めて『ネヴァー・マインド』聴いてショックを受けたときの感覚はやっぱり忘れられないものだし、もう一度それをオレたちが若いやつらに味わってもらいたいみたいな気持ちもあるしさ。そういうアルバムができた気はしてるんだよ。

―伸一さんはどうですか?

藤沼:パンクって、枠からはみ出ることだと思うんですよ。ロックもそうだけど、初めはそれまでの価値観を壊そうっていうんで始まったと思うんだよね。だけど結局ひとつのカテゴリー内にいるやつって多いじゃない? ハードロックだったら髪を伸ばすとか、未だにそういうところがあって。意外とみんな、こじんまりとそういう枠に収まりたがるんだなってずっと思っててね。オレはそういうのが好きじゃないのよ。だから茂があの声でポップなメロディを歌うっていうのが面白かったりするし。いままでなかったじゃん、キレイなメロディを茂が歌うなんてさ。で、歌詞もいたずらを随所に入れて。ただただ「ぶっ壊せ!」みたいなことじゃなくてね。オレはだから、枠からはみ出たいんだよね、いろんないたずらしながら。それをやるにはこのバンドが最適だなと思っていて。

―寺岡さんはどう考えてますか?

寺岡:パンクで始まって、そこからミュージシャンとして成長して、テクニックもついていって、より音楽的になったのがTHE ROCK BANDだったわけですけど、そこはあえて封印して。もう一度シンプルなところに立ち返ったのがいまの状態だと思うんです。で、今回は初期に戻りつつも新しいものを提示できたかなって気がするんだよね。歌詞も痛快だったりするし。その痛快さが、いまの自分たちにとってのパンクってことなのかなと。

―なるほど。コバンさんはどうです?

小林:僕は特にこだわりはないんです。

仲野・藤沼・寺岡:わははははは。

小林:まあ、一括りにパンクって言われて、自分たちでもパンクだって言ってるところは確かにあるんですけど、特にそういう括りを考えたことがなくて。いろんなジャンル、いろんな呼び方を、いろんなひとたちがしてたり作り上げたりしてますけど、自分はそのへん、まったくこだわってないですね。

『パンク修理』レコーディングの裏側

―ところでスムーズに進んだレコーディングのなかで、茂さんの歌入れも早かったんですか?

藤沼:レコーディングの後半は茂のヴォーカルにピントを合わせて進めたんだけど。茂に対しては寺岡が指導員になって、ダメ出しをすごいやるのよ。

―寺岡さんが一番厳しいって、『亜無亜危異ヒストリー タブーの正体』にも書いてありましたね。

寺岡:そんなに厳しく言ってるつもりはないんですけどね(笑)。

―今回はどういうところで厳しかったんですか?

仲野:『パンクロックの奴隷』のときはオレ節で歌っても文句言われなかったんだけど、今回はオレ節になると、寺岡が「ちょっとメロディが違うから、もう一回聴き直して歌ってくれる?」とか言ってきやがって。

寺岡:曲によっては、そうやっていつもの茂節じゃないところを引き出したほうが面白いっていう狙いがあったんです。「ノー天気の子」とかがそうなんですけど、その曲なんかはそうやった結果、新しい感じが出せたと思うしね。逆に「ゴッドセイヴだぁ」みたいな曲は茂節が炸裂していて、それはそれですごくいいと思う。そういう意味でバリエーションが出せたんじゃないかと思います。

藤沼:「ノー天気の子」は、いまの若い連中がやってるようなパターンをオレたちなりにやってみたらどうだろうって思って作った曲で。

―あえて歌メロを活かすと。

藤沼:そうそう。あれは歌メロがちゃんとしてるから、オチが生きてくるんであってね。

仲野:まあ、難しかったよね。ちょっと二枚目ふうに歌ってみたりしてさ。オレなりにチャレンジしたんだけど。

藤沼:「そういうの得意だ」とか言ってなかったっけ?

仲野:まあ、いちおうオレ、二枚目だからさ。

藤沼:もうあいつの画面、消してくんねえ?(笑)

―わははは。それから歌詞に関して言うと、「洗脳ごっこ」とか「総理大臣」なんて曲は非常にタイムリーですよね。いまの世相を反映していて痛快です。歌詞を書いたのって、まだ新型コロナ感染がここまで拡大する前だったんですよね?

藤沼:うん。中国では蔓延してたけど、日本にはまだそれほど広まってないときだったから、そのへんのことはそれほど意識しないで書いてた。まあ、「洗脳ごっこ」も「総理大臣」もいつの時代にも言えることだと思うんで、特に書き直したはしないでそのままやっちゃおうと思って。

リリックビデオのイラストは藤沼が担当

―「パンクのおじさん」では、「若気の至りは使えねえ」と歌われます。つまりいまの自分たちなりのパンクってことですよね。

藤沼:「若気の至りは使えねえ」っていうのは、言い訳できないけどやるよ、っていうことよ。「若気の至りで」って言うのは言い訳じゃん? 「若気の至りだから許してね」ってことでしょ? で、そんな言い訳はいらないからやっちゃうよっていうのが、これ。

―なるほど。曲はシンプルなものが多いながらもなかなかバリエーションがあって、例えば「檻の中の民主主義」はちょっと異色だったりします。こういうハードコアな曲は、亜無亜危異ではこれまでやってませんでしたよね。

藤沼:やってなかったね。コバンがああいうハードコアみたいなのを好きでよく聴いてるんですよ。それでまあ、ああいうのを入れてもいいんじゃない?ってスタッフも言ってくれたので。

仲野:4人のなかでコバンが一番ハードコアを聴いてるからな。飯食ってるときまで聴いてるから、消化に悪いんじゃねえかと思うんだけど(笑)。

小林:確かに好きなほうかもしれないね。何言ってるのかわかんないのがいいっていう。「檻の中の民主主義」は、伸一からデモをもらって、自分なりにどう処理しようかって考えたんですけど。伸一の思いとの違いとかもあったかもしれないけど、まあ、結果的にこれでよかったかなって感じですね。

亜無亜危異はいたずらが似合うバンド

―今回、特に新しいことにチャレンジできたという曲はどれですか?

藤沼:さっきも話に出たけど、「ノー天気の子」はオレらのパターンにない構成の曲で、あれは面白かったな。初めに「願いを込めて さあいま走りだそう」なんてメロディアスに茂が歌って、「そんなわけねえだろ?!」って言って早くなるっていう。

寺岡:「てなこと言われて、その気になって」(植木等「ハイそれまでヨ」)みたいなことだからね。そうやって、ニヤっとできるところがあるのがいいよね。

藤沼:うん。あと、最後に入ってる「世界に羽ばたけロックスター」って曲で、アーミーの行進曲(ミリタリーケイデンス:リーダーの呼びかけにそのほかの隊員が答える形式で唱和される)みたいなことをやっていて、あれもオレのなかでは新しかった。『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督の戦争映画)を観ていて思いついたんだけど。

―茂さんはどうですか?

仲野:今回作ってて思ったのは、亜無亜危異が確信犯的になってきたってことで。以前はそのときの雰囲気一発で作ってるようなところもあったけど、やっぱり年食って経験も重ねて、オレたちがこんなことやったらこんなふうになるんじゃねえか、そのためにはどうやるのがいいかって、向こう側を見て作れるようになったというか。「ノー天気の子」はまさにそういう曲で、「そんなわけねえだろ?!」ってオチを活かすために、どうやってそのまわりを作るかっていうものだったからね。そういう発想で曲を作るバンドはなかなかないだろ?っていう。伸一がそうやって確信犯的に曲を作ってきて、寺岡がそれを活かすために「茂、もうちょっとメロディアスに歌ってよ」って言ってきて、オレがそうやって歌う。そういうふうにやれるのがいまの亜無亜危異であって、そこが面白いと思う。

―そうやっていろんな遊びを盛り込みながら作ったアルバムってことですね。

藤沼:遊びというか、オレの言葉で言うと、いたずらかな。さっきも言ったけど、年食うとみんなヘンに真面目になるじゃない? ひたすらブルースを極めてそういうギターソロを追求するとかさ。大嫌いなんだよオレ、そういうの。そんなことよりオレはいたずらしてるほうが好きだし、亜無亜危異はいたずらが似合うバンドだとオレは思ってるからさ。

―肝心なのは、いたずら心を持ってやり続けるってことですね。まさに「プランクス・イズ・ノット・デッド」っていう。

藤沼:うん。

―因みに『パンク修理』ってアルバム・タイトルは誰からでてきたんですか?

寺岡:雑談のなかで、ぽろっと出てきた感じだったよね。

藤沼:たいして深く考えずに、面白いからそれでいいかって。小学生が言葉の響きの面白さとかで口に出しちゃう言葉と一緒ですよ。その程度のもんで。

―でも、ほかのバンドは絶対つけなさそう。

藤沼:普通は「そんなのダッセーよ」ってなっちゃうもんな。でも、それができるバンドっていいと思うよ、オレは。ぽろっと出てきた言葉を平気でアルバム・タイトルにしちゃうとか。真っ赤なツナギを揃って着るのとかもね。

―似合っててかっこいいですよ、赤のツナギ。

藤沼:還暦だからね(笑)。

仲野:巣鴨のおばちゃんのヒーローになるかもな(笑)。

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

「デビュー40周年祝賀会 プランクス・イズ・ノット・デッド」にて(Photo by 渡邉俊夫)

―ははは。いやほんと、還暦迎えてますます面白くなってるのがいまの亜無亜危異だし、そういう状態だからこそできた痛快なアルバムだなって強く思います。

仲野:やっぱり痛快さって大事だと思うんだよね。さっきの話じゃないけど、ピストルズを初めて聴いたときは痛快だったんだよ。英語がわかんなくても音とか歌い方とか、聴いた瞬間、衝撃を食らってさ。そういうのがやっぱ大事で、オレたちはその痛快さをピストルズから学んだんだと思うし。やっぱりパンクは痛快じゃねえとなってことを今回のアルバムでも言えた感じがすごくするよね。

―はい。それにライブで一体感が生まれやすい曲が多く入っているアルバムだとも思うので、ツアーを楽しみにしてますね。

寺岡:予定通り6月からやれるかどうかは、いまの世の中の感じからするとちょっと微妙ですけど(※取材後、来年1月・2月に延期が発表)、『パンク修理』を聴いてもらいたいっていうツアーなので、そこからの曲を中心にやります。

仲野:「パンク修理ツアー」では、ぜひともタオルを回したいね。湘南乃風に負けないように(笑)。みんなでタオルを回す。そういうの、やったことねえから。オレ、やりてえんだよ。いままでああいうの否定してたけどさ。

藤沼:お前ひとりでやれよ!(笑)

仲野:やだよ。みんなでやらねえと面白くねえんだよ!(笑)

亜無亜危異、デビュー40周年で取り戻したパンクの初期衝動「ようやくピストルズに勝ちに行ける」

亜無亜危異
『パンク修理』
2020年5月27日リリース
新曲全11曲が収録されたCDと、2020年1月に恵比寿リキッドルームにて開催した「デビュー40周年祝賀会 プランクス・イズ・ノット・デッド」のライブ映像を収めたDVDとの2枚組

パンク修理ツアー2020
6月13日(土)福岡Livehouse CB ⇒ 延期 2021年1月23日(土)振替公演
6月14日(日)広島BACK BEAT ⇒ 延期 2021年1月24(日)振替公演
6月27日(土)金沢vanvan V4 ⇒ 延期 2021年1月10日(日)振替公演
6月28日(日)京都磔磔 ⇒ 延期 2021年2月6日(土)振替公演
7月4日(土)札幌BESSIE HALL
7月11日(土) 新潟GOLDEN PIGS BLACK STAGE
7月12日(日)仙台CLUB JUNK BOX
8月15日(土) 名古屋RAD HALL
8月29日(土)高知CARAVAN SARY
8月30日(日)大阪Shangri-la
10月17日(土)神田明神ホール ※詳細後日
10月18日(日)神田明神ホール ※詳細後日
12月19日(土) 沖縄Output

亜無亜危異 公式サイト
http://anarchy-jap.com/