ある朝、「2カ月ほど前のアリゾナのライブがキャンセルになってから一度もギターを手に持っていない」と、シカゴの自宅でバディ・ガイが言った。ちょうどスーパーに行こうとしてマスクをつけようとしていた。「ほら、私もちゃんとルールを守っているよ」と。
現在83歳のブルース・レジェンドは、キャリア始まって以来の長期休暇に、相変わらず自分を慣らしている最中だという。3月12日のカリフォルニア州オレンジ・カウンティでのライブ後は一度もライブ演奏していない。彼が経験した最も長い休暇を思い出そうとして、レッカー車の運転手をしながらチェス・レコードのセッション・ギタリスト時代まで思いを馳せた。この頃、彼はハウリン・ウルフ、ソニー・ボーイ・ウィリアムソン、リトル・ウォルターなどのヒット曲で演奏した。1950年代後半のことだ。
「ここ50年でこれだけ長く家にいたのは初めてだ」とガイ。ここ半世紀、彼はずっとアクティブに活動を続けてきた。そして、ジミ・ヘンドリクスからスティーヴィー・レイ・ヴォーン、ゲイリー・クラーク・ジュニアまで、彼の味わい深くマニアックなスタイルが影響を与えてきた。ここ10年間でアルバムを4枚リリースし、現在は新作を制作中だ。
【画像】2020年1月16日、シカゴのバディ・ガイズ・レジェンズでプレイするバディ・ガイほか(写真)
しかし、パンデミックの影響で現在レジェンズは休業中。ガイは再開時には上手く立ち回りたいと言う。「子どもたちには『まっ、金はちょっとあるから少しの間は大丈夫だし、状況をしっかりと見極めよう』と言ったんだ」と説明してくれた。実は彼はこの突然の休暇にレジェンズの改装をしようと思っていた。ところが世界中に広がったジョージ・フロイドを殺害した警察に対する抗議デモのせいで、現在のレジェンズは板囲いされている。ガイは今回の一連の抗議デモは長い間表に出なかった問題が噴出した報いだと言った。「たくさんのことが起きて、絨毯の下に隠してあったことが明るみに出た。そして一気に爆発したのを世界中が目撃してしまった。この事象が過去に達成できたことよりも大きな成果をもたらすかもしれない」と。
ツアーに出ないこの時期に、ガイはオンライン・ラジオ局バディ・ガイ・ラジオ(Buddy Guy Radio)を開設した。
ツアーに出ない生活について「生まれ育った農場の頃を思い起こさせる」
―ツアーに出ない生活についてお聞きしたいです。どんなふうに生活が変わりましたか?
そうだな、家の中で退屈しているよ。でも私はルイジアナ州レッツワースの農場生まれで、これがその頃を思い起こさせる。あの頃、この時期は終日、畑で小作をやっていた。当時はラバがいて農耕機など一切なかったがね。
―今、毎日何をして過ごしていますか?
私の出身地ルイジアナでは、料理の仕方を知らないと食べるものに困ることになった。当時はマクドナルドもケンタッキー・フライド・チキンもなかったから。だから、料理は絶対に忘れなかった。今でも自分で茹でた料理が好きだし、豆でもなんでも好きだね。先週、子どもや孫たちにこういうことは初めてじゃないと教えたんだ。家族が「肉が足りなくなる」というから、私が育った場所には冷蔵庫なんてなかったし、「今日はステーキを食べるぞ」みたいなことは一切なかったってね。家族で鶏を育て、一年に一度だけ豚をさばいた。
―買い物も自分で行くのですか?
ああ。ほら、ちゃんとマスクをつけるよ。ルールは守らないとね。でも、どうなることやら。まだ農場にいた幼い頃に母が「百日咳や麻疹で死ぬことがあるけど、お店に行って食べ物を買わないと飢えで死ぬからね」と教えてくれた。それを聞いた私がどうするか、わかるだろう? 家の中に閉じこもって何も食べずに死ぬっていうのか? 私なら一か八か店に行って、小麦粉を一袋買ってきて、パンか何かを作るよ。
―今回の休みは50年のキャリアの中で最も長いものなのでは?
そうだと思う。音楽だけで食えるようになる前にはレッカー車の運転手をしていたから、きっとこの50年間に家にいたトータルの日数と今回の休みは同じくらいか、ちょっと長いかって感じだね。
昔のブルースマンはもう多く残っていない
―3月12日にカリフォルニアでライブを行ないました。あのときの雰囲気はどうでしたか?
そうだな、あのときはカリフォルニアを出てアリゾナに向かった。アリゾナの会場に電話して確認したら「来てくれ」って言われてね。そうしたらすぐに州知事が全部閉鎖すると宣言した。だから空港に向かって、それ以来ずっと自宅にいるよ。
(それ以前は)まったく大丈夫だったよ。正直な話、昔のブルースマンはもう多く残っていない。それが現実だ。マディやB.B.など、古き良き偉大なブルース・プレイヤーたちと一緒に出てきた連中はもう多くない。みんな、逝っちまったからね。私が最後に残った一人か二人の一人になってしまったから、たぶん、だからこそ、みんなが「今のうちに観ておかないと」と言って観に来てくれるんだと思う。だって、それこそ、次の誕生日がきたら私は84歳になるんだよ。
―このウイルスが感染する前、あなたが継続的にツアーを続けていたモチベーションは何だったのですか?
世間に怒りを向けている人が世の中にはいる。でも私が音楽を演奏すると、そういう連中が微笑むのが見えるんだ。そして「君がこの音符をプレイする前に笑顔だったかは覚えてないけど、もしかしたら私のギターが君の怒りを鎮めたのかもしれないな」って私は心の中で思う。そして、自分の中の60~80%が「バディ、ほら、行って演奏しな」って言うんだ。だって、観客が会場に行ってサポートする価値があると思えば私に演奏する機会が与えられるわけで、その1時間でも2時間でも何でも、私の演奏を聴いて彼らは楽しめるわけだよ。
―もうすぐ84歳だからこそ「彼らはもうすぐコンサートを再開する。だって私はできるだけ長く演奏したいから」と思いますか?
ああ、そうだね、このウイルスが出現する前はそう思っていた。招待されたらどこへでも行ったもの。ライブを休んだのは一度だけだ。東京に行ったときで、病気になってしまい、医師に「ダメだ」と言われてね。でもちゃんと埋め合わせはしたよ。病気が治ったらすぐに東京に戻ってライブをやった。だから、ライブを休んだのは後にも先にもあの一回だけ。
さっきも言ったが、私はこれに人生を捧げてきた。今ではブルース・プレイヤーは多く残っていない。サテライトがない限り、ラジオも私たちの音楽を流さない。ラジオ局で流してもらうためには、そのラジオ局に大きな局がブルースを流していた頃を知る人がいなくてはいけない。B.B.キングやライトニング・ホプキンスなど、50年代後半から60年代前半にイギリス人がブルースを演奏するきっかけとなった影響力のあるブルースマンたちの音楽を知っている人がね。彼らはもうこの世にはいないから、できるだけ遠くまで私がたいまつを持っていかないと。
早くワクチンができるといい。そうすればライブ活動に戻って、元気に生きていることをみんなに伝えられるし、ブルースの息吹も絶やさないようにできる。サテライト・ラジオでB.B.キングが他界する前にちょっとしたコマーシャルを作っていたんだ。そこで彼は「ブルースの息吹を絶やさないようにしているだけだ」と言っていた。
―今ワクチンと言いましたが、ワクチンが完成すればツアーに戻るということですか?
シカゴで一番大きなブルース・クラブを持っていて、ほんと、君と同じように私もこの世界にどっぷり浸かっている。何が起きてもそれに対処しなきゃいけないんだ。ライブに呼ばれたときに何が必要かなんて条件は一切言っていない。とにかく、他の人と同じで、私もマスクをするだけだね。今は要請に従って自宅にいる。これがどれだけ効果的か、誰にもわからないしね。
窓ガラスを全部割られたけど、何も盗まれていなかった
―今のレジェンズの状況はどうですか? 現在クラブ・オーナーの多くが戦々恐々としてるようです。
うん、ほら、私はもう運営からは離れていて、子どもたちが運営しているんだ。噂に聞いたところだと、ここ2~3日、50人だけ入れて開店したとかしないとからしい。でも50人では開店はあり得ない。私のクラブは500人収容だ。ただ、観客50人でスタッフの仕事を確保できるのであれば、それを受け入れるとは子どもたちに伝えた。人々が提示したルールに従うだけだよ。私が独断で「開店する」と宣言することはないね。専門家の意見をちゃんと聞くから。ありがたいことに十分に貯蓄できるだけの幸運に恵まれていた。私の母が昔よく言っていたものだよ。当時、ガスヒーターはなくて野外炉があった。母は「雨の日のために乾いた木を準備しておきなさい」と言った。今、私がやっていることはそれだ。子どもたちに「まっ、金はちょっとあるから少しの間は大丈夫だし、状況をしっかりと見極めよう」と伝えた。つまり、雨の日のために乾いた木を準備していない人はクラブが再開できないと思うよ。
―例の警察官の残虐行為に抗議するデモであなたのクラブがダメージを受けたとニュースで読みました。
ああ、窓ガラスを全部割られたけど、何も盗まれていなかった。全部割られたせいで、ガラスの破片がものすごい量になっていてね。やっと板囲いをしたところだ。クラブを運営している子どもたちから話を聞くのだが、「父さん、うちのクラブは他よりもかなりましだったよ」と言っていたね。ステート・ストリートとセブンス・アヴェニューの角にサウス・ループ・クラブってのがあって、あそこはかなり破壊されたと聞いた。それにその周辺の建物はうちよりも相当ひどい状態らしい。そうなった理由はわからないし、これは誰にもわからないよ。
―国中で、世界中で、あんなふうに抗議デモが起きているのを見てどう思いましたか?
それはね、ほら、私は60年代にキング牧師とともに同じ状況を体験している。平和的な行進は必要だったけど、ああいう暴動は必要なかった。あの状況を利用した連中がいるわけだ。どうしてそうするのか、私には理解できない。特に自分の近所を襲うなんてね。一方で、平和的に抗議をしている人たちは公民権を得ようとしているし、あれは私たちがかつてやるべきだったことをやったわけだ。あれは当時の私たち世代が抗議行進をしなくてもよかったことだった。奴隷を持っていた歴史的な男たちの像は建ってあるけど、ジェロニモの像はない。
【画像】アパッチ族の酋長ジェロニモ、1886年撮影(写真)
コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、彼はインディアンをたくさん殺さなければいけなかった。でも、ジェロニモの像はどこにもないんだよ。ジェロニモは最後まで戦い続けたのだから、彼の像がどこかにあるべきなのに。つまり、私はそういうことをすべて覚えている。子どもの頃に通っていたルイジアナの田舎の学校で歴史を教えられたときに、私は教師に質問してお仕置きされた。「先生、コロンブスがアメリカを見つけて上陸後、たくさんのインディアンを殺さなければいけなかった理由は何ですか? そうなった経緯を教えてくれないのはどうしてですか?」って聞いただけなのに。この質問には一度も答えてもらえなかった。
―長生きして歴史をたくさん見てきたあなたは、現在のこのムーブメントをどう評価しますか? 良い方向に転じていると思いますか?
トンネルの向こう側に明かりを見つけるべきだった。でもたくさんのことが起きて、絨毯の下やテーブルの下に隠してあったことが明るみに出た。そして、誰もが現状を知ったんだよ。これを見て、首を締められて死ぬまで窒息されられたこの紳士(ジョージ・フロイド)を見て、不満が一斉に噴き出した。でも、同じような人が他にもたくさんいる。それが明るみに出たんだ。だって私たちには権利がなかったから。こんなことが発生するまで。そして、それを世界中が目撃してしまった。この事象が過去に達成できたことよりも大きな成果をもたらすかもしれないよ。
誰かにもう置けと言われるまでギターを持ち続けるよ
―バディ、ありがとう。早い時期に安全にツアーが再開されることを願っています。
ああ、うん、今は他に何をしていいやらわからない。バス運転手の仕事を探しに行くわけにもいかないだろう。だって面接で彼らは私を見て、80いくつでそれはクレイジーじゃないかって言うだろうから。「トラックとバス、どっちを運転するんだ?」って。それができる年齢じゃないってことだ。私は人生を音楽に捧げてきたし、こんなに長く自分をサポートしてくれた人々に恩がある。だから、誰かにもう置けと言われるまでギターを持ち続けるよ。
―自宅でもギターを弾きますか?
2カ月ほど前にアリゾナでのライブがキャンセルになって以来ギターは持っていない。私は耳で覚えるから、今は他の音楽を聴いている。音楽系のテレビ局をつけっぱなしにして、昔のミュージシャンの音楽を聴いているよ。昨日はジョン・リー・フッカーを観ていた。私が16、17くらいのときにいたミュージシャンの姿を観ることができるし、彼らからアイデアをもらえるんだ。彼らの才能は手に入れられないけど、彼らのプレイを探ることでアイデアを発見する。ギターを弾く若い連中に言いたいのが、こうやって他の人のプレイを探ると、10セント硬貨を落として探し始めたのに、いつの間には25セント硬貨を見つけてしまうってこと。だから、私は彼らのプレイを今でもテレビで観ている。B.B.キングのプレイを覚えようと観始めて、その弾き方は見つからないのに、彼がその弾き方をするようになった原因やヒントが見つかるんだよ。
―ファンに伝えたいことはありますか?
60年代、スタックス・レコードでサムとデイヴがレコードを作った。「待ってろ、今に出ていくから」と言ってね。君にも他の人たちにも「待ってろ、私たちは絶対に乗り越えられる」と言いたい。みんなに神の御加護があるんだよ。ありがたいことに、このことについて話ができる私の世代の人間がまだ何人か生きている。もうすぐこれを克服して普通の生活に戻れることを願っているよ。