英リバプールにある通り「ペニー・レイン」の看板にはよく落書きが書き込まれている。

人名、日付、1967年に同名のヒット曲でこのストリートを不死身にしたザ・ビートルズに対するメッセージなど。
6月、この落書きに大きな変化があった。「ペニー」という単語が消され、その上に「レイシスト(人種差別者)」の文字が真っ黒なペンキでなぐり書きされたのだ。

【画像】デカデカと書かれた「RACIST」の文字。手前の「PENNY LANE」の「PENNY」は塗りつぶされている。

警察官に殺害されたジョージ・フロイドさんに端を発したデモ運動によって、この通りに関連する悪名高い奴隷貿易商の話が蒸し返されたのである。そして、地元の歴史研究家グループは、自分たちの研究結果がついに日の目を見たことを実感する。

「(私と歴史研究家グループは)2010年から一緒にこのテーマの研究を続けています。各人はそれよりも少し前から取り掛かっていますが」と、ツアー・ガイドであり地元の歴史研究家リチャード・マクドナルドがローリングストーン誌に語った。「このテーマはその頃から学術的な論争を起こしていますが、正直な話、私たち歴史研究家にとっては少しばかり驚きですね。不意を突かれた感じです。通りの名前に関する話題、それも18世紀、19世紀まで遡る話題にこれほどマスメディアが注目する状況には慣れていません。それに、普通こんなことが、最新ニュースとして大きく取り上げられることはないですよね」と。


ペニー・レインに書かれた例の落書きを受けて、18世紀の奴隷貿易商ジェームズ・ペニーが名前の由来になっている場合にはこの通りの名称を変える可能性があると、リバプール市のメトロ市長スティーヴ・ロゼラムが公言したために、これがニュースとして全世界へと広がってしまった。「あの通りがジェームズ・ペニーと直接的な関連があってペニー・レインと呼ばれているのであれば、調査を行う必要がある。この問題を解決するために手段を講じなければならず、ペニー・レインは通りの名称の変更という危機に瀕していると言わざるを得ない」とロゼラム市長。

前出のマクドナルドと地元の歴史研究家たちは10年以上前からこの地域の調査を続けており、ペニー・レインは奴隷貿易とは無関係だと主張する。マクドナルドによると、この通りの最も古い記述は1840年代のもので、当時はペニーズ・レイン(Pennies Lane)と記録されていた。そして、18世紀当時の地図で確認すると、この通りは名もない田舎道だった。一方、ジェームズ・ペニーは1799年に死んでいる上に、彼の名前にちなんだ通りもすでに存在していた。それがアラド・ストリートで、カンブリア州アルバーストンのペニーの生誕地にちなんだ名称だ。

「その頃のペニー・レインは田舎の農道でした。それで衝撃を受けたのです。だって町の名士から名前をいただく誉れ高い通りと同じように、田舎のど真ん中にある農道に名士の名前がつくなどあり得ないことですから」と、マクドナルドが述べた。

リバプールの町中には奴隷貿易商の名前にちなんだ通りが実際にある

しかしながら、リバプールの町中には奴隷貿易商の名前にちなんだ通りが多数あるのも事実で、ビートルズの楽曲のタイトルにもなったペニー・レインも奴隷貿易商ジェームズ・ペニーに由来しているという憶測に油を注ぐことになったわけだ。
2006年、地元のソーシャル・ワーカーであるバーバラ・メイスが、リバプール中にある奴隷制度に由来する通りの名称をすべて変更すべきと呼びかけた。メイスはBBCに「私が出した提案は、市の中心地にある悪名高い奴隷貿易商に由来する多くの通りの名称を変更し、善良な行ないをした名士の名前に変えるというものです」と説明した。

ペニー・レインの名称変更という圧力は、リバプール国立美術館の広報担当者スティーヴン・ガイが、国際奴隷博物館のリバプール開設の討論中にペニー・レインが件の奴隷貿易商の名前に由来していると発言したことに端を発している。その後に出されたプレスリリース内で、ガイは「リバプールで最も知名度の高い通りの名前は、その由来が邪悪なものだという認識を促したいと思い、敢えて言わせてもらう。ビートルズの楽曲で不死身となった通りペニー・レインは、悪名高き奴隷貿易商ジェームズ・ペニーの名前に由来すると思われる。人名に由来するこれ以外の横道や脇道同様に、ペニー自身もしくは彼の家族がこの通りのある土地を所有していたか、この通りと何らかの強い関係があった」と記述している(ローリングストーン誌のコメント要請にガイからの返事はなかった)。

ビートルズ・ファンも歴史研究家も、明らかにこの意見に反対した。ジョン、ポール、リンゴ、ジョージがこの地域にとって非常に大切な存在であることと、奴隷貿貿易とこの通りを結びつける証拠がないことがその理由だ。『Liddypool: Birthplace of the Beatles(原題)』の著者でリバプール在住のデヴィッド・ベッドフォードは、この問題をメディアが取り上げた直後にコメントを出し、この地域とかつての住居者たちの調査を広範囲に行った結果、ペニー・レインには邪悪さなどないと断言したである。

「かれこれペニー・レイン界隈に住んで30年になるのだが、ある時この地域の重要性に気づき始めた。この町が人々の耳の中で、目の中で、彼らの子供時代を象徴すると言うのを聞いたとき、ここが”かつて住んでいた町を思い出してビートルズが曲にした場所”という以上の存在だと気付いたんだ。すべてがペニー・レインに舞い戻ってくる。
この町にやってきて、自分の目で見て初めて、その存在感の大きさを実感できるんだよ」と、ベッドフォードがローリングストーン誌に語ってくれた。

最も大きな問題はペニー・レインの名前の由来を検証できないこと

結論から言えばリバプール市内の通りの名称は一切変更されていない。その代わり、通りの名称の歴史を説明した案内板が設置された。とは言え、国際奴隷博物館は、未だに奴隷貿易商と関わりのある通りの展示物にペニー・レインを含めている。ペニー・レインにまつわるこの論争が再び持ち上がったことにより、同博物館はこの件の調査をしないわけには行かなくなっている。これはベッドフォードも、世界中のビートルズ・ファンも喜ぶ結果となった。

6月9日、ミュージアムズ&パーティシペーション理事ジャネット・ダグデールが、ペニー・レインと奴隷貿易には一切の関わりがないと断言する声明を投稿した。その声明は「リバプールの奴隷歴史研究家ローレンス・ウエストガフ、当団体の奴隷歴史の名誉保管者(元マージーサイド海事博物館館長)のトニー・ティブルズ、歴史研究家でブロガーのグレン・ハントリーたちと話し合った結果、これまで私たちが行なった総合的な調査を鑑みて、ペニー・レインとジェームズ・ペニーの関連性を示す歴史的な証拠は皆無という結論に至った。そのため、独自の再調査を延長し、参加型のプロジェクトを立ち上げて、対話型ディスプレイを刷新していくことにする」と書かれていた。

わかりやすく言うと、奴隷貿易に由来する通りの名前の展示からペニー・レインの道路標識が外されるということだ。「国際奴隷博物館が歴史調査を見直して、ペニー・レインとジェームズ・ペニーは無関係という私たちの主張を受け入れた勇気を讃えたい」と言って、ベッドフォードは「これでビートルズ・ファンも地元の旅行関係者も安堵するだろうが、その一方で奴隷博物館が今後も素晴らしい歴史教育を提供できることを実証したと言える」と続けた。

リバプールとその歴史が新たに注目を浴びたことで、良い影響が現れているらしい。
リバプール市議会の通信部門長マイク・ドランは「これは今でも建設的な論争の種となっていて、市長(ジョー・アンダーソン)が人種的な不平等に取り組むことを発表しました。1月以降、特別委員会を設立して、市としてどのように奴隷貿易との関連性と取り組むべきかを検討しています。(ペニー・レイン問題は)ビートルズという存在のおかげで、世界的、国内的な関心を集めましたが、この論争がきっかけで、人々はリバプールについて知っていること、知らないこと、リバプールと奴隷貿易の関連性を再び調べるようになったのです」と語った。

ダグデールもこの事実を自身の声明の中に反映させている。「リバプール国立美術館では、このテーマの内容が辛いものであっても、討論や話し合いを歓迎する。パブリック・ヒストリーとの関わりは私たちに強い目的意識を与えるもので、論争を反映させ、検証し、対応する安全な場所としての役割を果たすことが美術館や博物館の社会的意義での一つなのだ」と。

ただし、ペニー・レインがペニー・レインと呼ばれる所以は相変わらず謎に包まれている。「最も大きな問題はペニー・レインの名前の由来を検証できないことです。歴史研究ではよくあることなのですが、これほど昔に遡ると、つまり200年、300年前のことになると記録がほとんどないため、どんな疑問であっても確実な答えを得ることは不可能です。そもそも、田舎の農道にあの名前を与えた理由など、記録を取る人がいるはずもないじゃないですか」とマクドナルドが教えてくれた。

Penny Lane road signs were vandalized amid a heated debate about the history of the name and its potential ties to slavery. https://t.co/OFRNhNfSkB— Twitter Moments (@TwitterMoments) June 12, 2020
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