元プロレスラー・長州力。現役時代の活躍を知る世代にとっては、言わずと知れた日本マット界のスーパースターであり、現場監督として多くのヒット興行を手掛けてきた人物だ。
そんな長州力が、2020年に入りTwitterとYouTubeで若者を中心にブレイクしているのはご存知の通り。その独特の感覚から繰り出される文章や発言で多くの人を楽しませている。今回、幸運なことに取材する機会を得ることができたので、Rolling Stone Japanらしく音楽の話題を中心に話を訊いてみた。数々の名勝負や名言から感じるあのリズム感は、きっと音楽の好みにも共通しているはず。そして、この困難な時代を生きていく中で今、長州力が思っている言葉をもらった。じっくり噛みしめながら読んでほしい。
ー以前、YouTubeチャンネル「RIKI CHANNEL」で武藤敬司さんとのオンライン飲みをしながらの対談で、「我々は夢を売る職業」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。まさに僕たちも長州さんのプロレスに夢を見させてもらった世代です。今はYouTubeやTwitterで違う形で楽しませてもらっていますが、長州さんご自身はどんなエンターテイメントに触れてきたのか、音楽の話を中心に聴かせてください。よろしくおねがいします。
長州:はい、わかりました。「長州さん」って言わなくていいですよ。
ーわかりました、ではリキさんと呼ばせていただきます。リキさんは普段、生活の中で音楽は聴いていらっしゃいますか?
長州:決して嫌いではないですよ。歌詞を覚えて歌ったりするということはあんまりしないけど。まあ、お酒を飲んだら歌ったりするぐらいで、あんまり詳しくはないですよ。今の時代だったらなおさら、誰がどういう歌を歌っているかっていうのはわからない。テレビを見ながら聴いていたりするぐらいで。「ああ、この人は上手いなあ~」というのは、演歌の人ですね。吉幾三さんとか、亡くなった藤圭子さんとか。そういう歌手の方は、YouTubeなんかで見ますね。やっぱり歌唱力があるなあって。
ーそういう歌を、お酒を飲んだときに口ずさんだりするわけですか。
長州:そうですね、うん。
ー昔から、お酒を飲んだら歌ってたんですか?
長州:昔からって、学生時代はもう軍歌ですよ。本当に、体育寮にいたときは全部軍歌で。「加藤隼戦闘隊!」って、10人ぐらいがみんな立って両手を広げて「バ~ッ」って(笑)。
ーすごいですね(笑)。なるほど、じゃあポップスは全然縁がない世界というか。
長州:まあポップスって言ったって、その意味があんまりよくわからないですよね。リズム&ブルースとか言われても、わからない。言葉は耳に入ってくるけど、うん。でも1974年、75年ぐらいから海外に出てから、その国の音楽を聴いたりしました。歌っている内容はわからないんだけど、リズム的に良い曲だなあっていうのは感じましたね。
ー海外武者修行では、最初にドイツに行かれたんですよね。ドイツでは音楽に触れる機会ってあったんですか?
長州:我々は一度海外に出ちゃうと、最低でも数か月ぐらいは同じところにいるんですよ。それで、たまたま宿泊していたところが、1階がパブになっているところで。夜仕事が終わって帰ってくると、賑やかに音楽がかかっていてみんなビールを飲んでいて。2階の部屋で疲れて横になっていても、そういう音が聞こえるから、下に行ってビールなんか飲んでいると、親しくしてもらって。なんていうのか、ドイツの民謡っぽいのかな? ビールを飲んで、みんなで酔っぱらって。
ー肩を組みながら歌ったり?
長州:そうそう。ドイツではそういう日が多かった。自分もみんなが盛り上がってる中に無理やり引き込まれて(笑)。
ーその後、いったん帰国されて、1975年にアメリカのフロリダ州に行ったんですね。
長州:そうです。フロリダのタンパというところで、ほとんど日本人はいないんですよ。ただ、1人だけトランプ(元レフェリーのタイガー服部氏のこと)という男がいて。彼は明治大学出身で、我々体育会系からすれば先輩なんだけど、タンパには結構長く住んでいて。僕は英語も何もできなかったし、毎日彼が訪ねてきてくれたんです。それからですよね、向こう(アメリカ)にだんだん感化されてきて。タンパは1年中夏ですからね。陽気な環境的にもどこでも音楽が流れているし。
ーその頃に、タンパスタジアムでサンタナのコンサートを観たそうですね。
長州:そう、最初に観たコンサートがサンタナ。
ータンパスタジアムってものすごく大きそうですね。
長州:すっごいですよ。もう、7万人ぐらい入るんじゃないかな? ものすごくデカい。それで、タンパの夕方からの日が落ちるときにスタジアムの近くにクソボロボロのシボレーで乗りつけて行ったときに、屋根がないスタジアムの真ん中から、火事以上の噴火したような煙がブワ~っと上っていて。あれはいまだに忘れられないですね。中でタバコとか色んなものを吸っている煙がブワ~って。そこから夕日が落ちて、サンタナが出てきて曲が始まったときの歓声はすごかったですね。
ー当然、「ブラック・マジック・ウーマン」もやりますよね。
長州:1発目が「ブラック・マジック・ウーマン」。すごかったですね。それから日本に帰ってきてからも、僕は海が好きだから休みのときはサイパンとかグァムとか行くんだけど、いつもバカのひとつ覚えみたいにサンタナのテープを持って行って聴いてましたね。
ー今でも聴くことはありますか?
長州:聴きますよ。サンタナは何回か日本公演をやってるのは知ってたんですけど、娘が大きくなってから、7、8年前かな? サンタナが国際フォーラムでやる追加公演のチケットを買ってくれて。それを観に行ったりしました。だから、最初にサンタナを聴いたあたりからですね、アメリカというものに体育会系の自分がどんどん感化されて行ったというのは。意外と僕は好きそうなバンドの名前だけは覚えていて、結構良いバンドを観てますよ。
ーサンタナをきっかけに、色んなバンドを聴くようになったわけですか。
長州:また正男が、すごく好きで、部屋中にLPレコードがあるんですよ。すごかったですよ。色んな曲を知っていて。ライブは観ていないんですけど、ピンク・フロイドは正男の部屋で聴いたりして、「いいなあ」と思ってましたよ。
ーその頃のピンク・フロイドは一番有名な『狂気』が大ヒットした後の全盛期だと思います。
長州:ああ、本当に? すごかったもんね。正男はお化け屋敷みたいな家に住んでいて、ボロボロのデッカいソファーがあってキャンドルだけ立っていて。
ーヒッピーみたいな感じですか。
長州:そうそう。試合が終わって正男のところで飯を食い終わったら、レコードかけてもらって聴いたり。結構、タンパで色々観ましたね。ZZトップって知ってます?
ーもちろん、大好きです! ZZトップも生で観たんですか⁉︎
長州:そう。(ジェスチャーしながら)こういう髭がすごく長いやつ。僕が言うとみんなに不思議がられるんですよ、「ZZトップ観たの⁉︎」って。あと、ドゥービー・ブラザーズも観ましたよ。「ロング・トレイン・ランニン」が好きで、今でもたまに車の中でかかったら、ボリュームを大きくするぐらい好きですね。
ZZトップ(Photo by Aaron Rapoport/Corbis via Getty Images)
ー「ロング・トレイン・ランニン」は日本でもCMで使われてたりしましたもんね。
長州:ああ~流れてたことありますね。サンタナ、ZZトップ、ドゥービー・ブラザーズとか…… タンパはそういうライブが多かったですね。その後は3ヶ月ぐらいニューヨークにいて、それからブッキングしてもらって1人でカナダのモントリオールに行って。その頃にはもう、流れ者みたいなもので自分であちこち行けたから、真冬にダウンタウンにあるデカい会場「ポール・ソベー・アレーナ」でクイーンを観ました。お金がなくて一番後ろの上の方で見てるから、すごく小さかったけど。でも彼らのライブも歓声がすごかったですね。
ーかなり貴重なライブをたくさん見てますね!
長州:そうですね。アメリカに行けば演歌が流れるわけでもないし、車でサーキットしていても、向こうのレスラーはみんな好きだから、車の中でもガンガン音楽をかけてましたね。
ーちなみにニューヨークでは、マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)でライブを観たりしたことはなかったですか?
長州:ああ~、マジソンでもライブをやってるのは知ってたけど、マサさん(マサ斉藤)とダウンタウンで飲んでることが多かったですね。マサさんは、タンパにいたときにブッキングで何日か来ていたときに初めて会って、「今後ニューヨークに来たら連絡くれ」って言ってくれて。
ーマサ斉藤さんも、音楽は好きだったんですか。
長州:音楽は好きでしたよ。それと、あの時代アメリカでは飲酒運転とかそういうのは意味がないなっていうか(笑)、車の中でビールとラム酒を飲んでいて。僕はマサさんに「ボーイさん」って呼ばれてましたから。「シートの下に入ってるから出しな!」って言われて見ると、ラムの瓶が入ってるんですよ。
ー今では考えられないですね(笑)。
長州:自分でもよくあんな生き方で日本に帰ってこれたなって思いますよ(笑)。まあ、楽しかったですね。今は家族がいて孫ができて、今は今の楽しさがありますけど。
ー学生から社会に出た若い頃で、一番楽しかった時期なんですね。
長州:そうですね。まさか自分がそんな風になっていくなんで、ちょっと考えられないですよね。
ー軍歌を歌っていた学生がドゥービー・ブラザーズを聴いているんですもんね(笑)。
長州:ねえ(笑)? (再び両手を広げて)こうやってた人間が。ドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ランニン」を聴くと「ああ、あのときこうだったなあ」って。あんまり詳しくない自分でも曲がかかるとそう思いますね。
ー結構、男臭い感じのバンドが好きなんですね。ZZトップもそうですし。
長州:ZZトップね。(嬉しそうに再びジェスチャーしながら)あの髭の長い2人の。ZZ Topって言うとみんな「えっうそ!?」って言うんですけどね。
ーやっぱり、生で観たことがある人はそんなにいないでしょうから。
長州:でもやっぱり、僕にとってはサンタナが一番ですね。国際フォーラムに観に行ったときは、始まった瞬間舞台が真っ暗なんですよ。そこから例のごとく「ブラック・マジック・ウーマン」の音が聴こえてきて、舞台の端っこになんか小さいおじさんが立ってるんです。そしたらそれがカルロス・サンタナだったんですよ。そんなにデカい音じゃなくてそれなりの音響だったけど。タンパなんて音響がすごいんですよ。もう、ビルディングみたいにスピーカーが積み重なっていて。「バーン!」って音を出したら、スタジアムの上の方まで音を飛ばしているっていう感じで、すごいですよねあれは。お客さんもみんなエンジョイしているから、耳の中の響き方も違うんでしょうね。
ーサンタナの魅力はどんなところに感じているのでしょう?
長州:僕はラテンっぽいノリがいいのかなって。それと、現役時代の後半、マダガスカルに1ヶ月ぐらい、東西南北の砂漠を駆け回りながら、そのときに気に入って聴いてたのはボブ・マーリーなんですよ。クソ熱い砂漠の中で聴いていて。レゲエのリズムも体に合っていたというか、そういうのが自分に合うのかなって。
ーマダガスカルに行ったのはテレビの企画ですか?
長州:そう。立って歩く猿を見たり、洞窟の中で目が退化した魚を水中に潜って見たり。あとはマダガスカル人にはピュアなマダガスカル人と、昔フランスの統治下にあったから銀髪の子とかそういう混血のマダガスカル人がいたんだけど、向こうの戦士みたいな人と戦うっていう企画で(笑)。そうして藁ぶき屋根の家に入ると、真っ暗なんだけど、目の光から何人かいることがわかって。よく見るとみんな女性なんですよね。みんな、戦って勝って嫁にしてるんです。そういう人たちと戦ったんですよ。だから僕、マダガスカルにいっぱい嫁がいるんですよ(笑)。
ー本当ですか(笑)!?
長州:それは冗談だけど(笑)。でも今でもそういうのはあるみたいですよ。
ーそのときは、どういうシチュエーションでボブ・マーリーを聴いたんですか。
長州:ほんっとに暑いんですよ。車3、4台ぐらいで、赤い土の砂漠を東西南北ずっと走って移動していて。その道中で車の中で聴いていました。でもやっぱり、昼間は焼けて焼けて焼けまくってるから、夕方に風が吹くと体が風に包まれるというか、すごく気持ち良くて。そのときにボブ・マーリーをかけるとまた格別に癒されるというか。1回だけ、集落みたいなところに行ったとき、日本でいうディスコみたいなところが藁ぶき屋根で作ってあって、そこの真ん中にミラーボールが回っていて、下は土なんですよ。そこに音楽を流す色んな装置が置いてあって。それに若い子たちが集まって汗をかいて踊るものだから、黒い肌に汗が光って、すごかったですね。ちょっと見たことがない踊りで、すごかったですよ、あの光景は。だから、ある意味海外は音楽と一緒に面白い思い出がありますね。「ああ、俺はこういう曲が好きなのかな」ということがわかってくるというか。
ー1982年に帰国して藤波さんとの試合でブレイクする前まで、メキシコにいらっしゃいましたよね。メキシコでは音楽に触れたことはありましたか?
長州:メキシコでも音楽はありましたよ。マリアッチといって広場でみんな集まって。あれもまあ独特な小刻みなリズムがあって、それはそれで。でも飲みに行くとやっぱり、欧米の曲が流れてみんな飲んで踊ってましたからね。今だったらなおさらそうじゃないですかね。
ーリキさんの体のリズムに合う曲がお好きなんじゃないかと思うのですが、ご自分の現役時代の入場曲「パワーホール」についてはどう感じていらっしゃったんですか? あの曲が流れると気分が高揚する人は多いと思いますが。
長州:最初の10秒間。始まりだけ(笑)。
ー良いのは10秒間だけですか(笑)。でも例えば東京ドームの長い花道をあの曲で入場してくるわけじゃないですか?
長州:だから、早く出て早くリングの中に入っちゃう。
ーそれは知りませんでした(笑)。ちなみに、他の選手の入場曲で好きな曲ってありましたか?
長州:う~ん、なんだろうな…… ロード・ウォリアーズかな。「ボーン、ボーン、ボンボンボーン」って。
ーブラック・サバスの「アイアン・マン」ですね!
長州:そうそう。あれはいいんじゃないかな。掻き立てられるじゃないですか? お客さんも。
ー「パワーホール」とは曲のテンポが全然違いますね。
長州:ははははは(笑)。あれはすごいよね。選手にピッタリ合ってるから。中にはあまりにも爽やかすぎる曲もあるし。選手によっては「早く出ろよ!」って言いたくなるのもあって。「いや、すみませんタイミングがあるんで」とか言って。なんのタイミングなんだよって(笑)。あとは、ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」。あれは、僕なんかのタイプには絶対無理ですよね。
ーザ・ファンクス「スピニング・トー・ホールド」はいかがでしょうか?
長州:あれはアメリカらしい、陽気な感じですよね。カーボーイのような。
ー今、プロレス会場の演出って以前と比べると派手になっていますけど、現役時代にはご自分でそういう演出のアイディアを出されていたりしていたんですか。
長州:いや、僕はそういうのはもう全然。エンターテイメントだから、うん。僕たちの時代は僕たちの時代で、今は今の時代でみたいもの、求めたいものが昭和と平成、令和では違いますよ。
ーそのあたりは、YouTubeやTwitterをやるときも色々考えていらっしゃるんですか。
長州:いや、僕はもう、あったことを書いたりしているだけど、なぜみんながこれだけうるさく言うのかっていうのがわからない。ちょっと間違えたことの何がそんなにおかしいのかわからないですよね。うぅん。(マネージャー、スタッフを指差して)こいつら、俺に何を教えやがったんだって。
一同:(笑)。
長州:「これが喜ばれてるんです」って言うから。だったらアレだろうけどおまえ、ちょっと違うだろうって。「間違えてますよ?」っていうアレがみんなから来るし。最初、LINEとかブログとかから始めて、Twitterっていうのは何なのか意味もわからずに始めて。ただ、僕は娘が3人いるんですけど、SNSについて気になったことがあって。よくSNSの出会い系なんかでみんな出て行って事件になったりするじゃないですか?なんでこんなバカみたいな、たかだか文章を書いて悩みごとを言って、「じゃあ会って話をしましょう」って。おまえその前に、家族がいるだろうって。簡単に言えば出会い系というか。だから、そういうのは怖いんだよって。なぜそこまで行く悩みごとがあるんだって。なんか、その辺のところにちょっと自分が知りたいなっていう部分があったんですよ。それで今、Twitterをやっているんだけど、
ーたしかに、SNSを介しての問題は常にありますね。
長州:そう、こんな日常茶飯事で起きてるのに。Twitterでつぶやく前に親につぶやけよって。なんで知りもしないやつにつぶやいて、その返事をもらったからって。そういうところ、「なぜなんだ!?」っていうところからですよね。だから僕はそういう考えで始めたんですけど、こいつら(マネージャー、スタッフ)はちょっと面白おかしく出してやろうかって。もちろん、楽しく書けるときもありますよ? ただ、反対に固く書くこともありますし。あんまり固く書くと、こいつら勝手に削除するんだよ。
一同:(笑)。
長州:ほとんど削除されてますよ。随分、削除されてますよ。孫を裸にしてプールに入ったら、「おち〇ちんが出てるから削除します」とかって。こいつら、感覚がまともなのかなって。やっと最近1歳になったばかりなのに。そんなおち〇ちんが出たところで、なにがどうなんだって。「いや、規制がどうかわからないので」って。
ー(笑)。Twitterにアカウント停止されてしまうかもしれないからということなんでしょうね。
長州:まあそうですよね。最近になって選挙のことも書いたらすぐ削除するし。こいつらに言ってくださいよ。本当は書いてるんですよ、僕は。選挙にもちゃんと行ってるし。
ーわかりました(笑)。今後も書きたいことを書いていってほしいと思います。Twitterを始めてから、若い人たちにも知られるようになったと思うのですが、どう感じていらっしゃいますか。
長州:うぅん、まあでも、ありがたいという言葉を使うつもりはないですけどね。まあ、自分でもどっちがどっちっていうのは、うぅん。リングの上と今とギャップがあるからかなって。今の世間なんて、誰かに作られたマッチメイクの…… 今、なおさらコロナなんかが出てきて、マッチメイクでみんな我々含めて動いてるんじゃないかって。やっぱり、20年も30年もマッチメイクをやってくると、本当にクソうるさい生意気なやつらを動かすわけだから(笑)。それと同じでしょ。昔、会長(アントニオ猪木)が言ったことあるんですよ。「国会の中はみんなマッチメイクだ」って。
ー誰かが裏で仕組んでいるということですか?
長州:うん。そうじゃないと、ちょっとおかしいなって。あの言葉は忘れられないですよ。国家っていうのはそういうもんじゃないですかね。だけど、そういうことに触って書くと(スタッフを指差しながら)電話がかかってくるんですよ。「あれはちょっと削除します」って。俺が何悪いことを書いたんだって。
ーこのインタビューでちゃんと残しておこうと思います!
長州:ははははは。きっと後で言われますよ(笑)。
ー現役時代を知らない若い人からは、正直「面白いおじさん」みたいに見られてますよね。強くて怖い長州力を見てきた僕らとしてはちょっとそこに複雑な思いがあるので、今回の取材では違った切り口でお話を伺いたかったんです。
長州:まあ、どう見られても良いですよ。やっぱりリングの中と、今の自分がやってることにギャップがあるから面白く見えるし。「でも、みんな同じなんですよ」っていう。そういうことを伝えるために書いているわけでもないし。
ー今、コロナや災害で大変な世の中ですが、何かエールをもらえますか。
長州:いや、僕は何にもない、とんでもないですよ。ただ、これは決めつけるわけじゃないけど、やっぱり自分で自分をマッチメイクして生きていった方がいいですよ。僕は人生ってもうちょっと長いと思ったけど、人生ってそんなに長くもないし。本当にあっという間で、今は浦島太郎みたいな心境ですよ。20代にオリンピックを目標にして、20代を越えたってあと何年あるんだって思ってこの世界に入って、あっという間に45年経って。そしてもう、来年で70歳になるし。なんなんだって、自分でもわからないですよね。
ーご自身では、自分で自分をマッチメイクして生きてきたという実感はありますか。
長州:いやあ、僕もマッチメイクされてましたよ、よくも悪くも。今はもう、スタッフにも恵まれてるし、ああだこうだ言われたって、うん。まあ、自分のあと残りわずかな時間を自分で楽しくマッチメイクしようと思ってます。
ーみんな1人ひとりが、自分で自分の人生をマッチメイクしていった方が良いですか。
長州:最終的にはそうですよ。50年60年、本当にあっという間ですよ。長くないですよ、人生は。人にマッチメイクされるより自分でメイクした方が納得もするだろうし。とにかく、昭和の世代と令和の世代では感覚とか感性が違いますよね。見るものが違うし、体験してること自体も違ってるわけだから。だから僕なんか一生懸命ついて行こうと思って、教えてくれって言ったって、「バズッたからこれを着て歩いてください」って言われるわけですよ(「ハッシュドタグ」Tシャツを見せながら声を大にして)!
一同:(爆笑)。
長州:でも、これは僕の範囲で、メイクされようが何しようが、自分が楽しいので。残りあとどれだけあるかわからないけど、自分で自分をマッチメイクして行こうと思いますよ。それでいいんじゃないかな、うん。
・長州力 Twitter
そんな長州力が、2020年に入りTwitterとYouTubeで若者を中心にブレイクしているのはご存知の通り。その独特の感覚から繰り出される文章や発言で多くの人を楽しませている。今回、幸運なことに取材する機会を得ることができたので、Rolling Stone Japanらしく音楽の話題を中心に話を訊いてみた。数々の名勝負や名言から感じるあのリズム感は、きっと音楽の好みにも共通しているはず。そして、この困難な時代を生きていく中で今、長州力が思っている言葉をもらった。じっくり噛みしめながら読んでほしい。
ー以前、YouTubeチャンネル「RIKI CHANNEL」で武藤敬司さんとのオンライン飲みをしながらの対談で、「我々は夢を売る職業」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。まさに僕たちも長州さんのプロレスに夢を見させてもらった世代です。今はYouTubeやTwitterで違う形で楽しませてもらっていますが、長州さんご自身はどんなエンターテイメントに触れてきたのか、音楽の話を中心に聴かせてください。よろしくおねがいします。
長州:はい、わかりました。「長州さん」って言わなくていいですよ。
リキさんでいいです。長州さんって言われるのもね…… もうリングを降りてるので。
ーわかりました、ではリキさんと呼ばせていただきます。リキさんは普段、生活の中で音楽は聴いていらっしゃいますか?
長州:決して嫌いではないですよ。歌詞を覚えて歌ったりするということはあんまりしないけど。まあ、お酒を飲んだら歌ったりするぐらいで、あんまり詳しくはないですよ。今の時代だったらなおさら、誰がどういう歌を歌っているかっていうのはわからない。テレビを見ながら聴いていたりするぐらいで。「ああ、この人は上手いなあ~」というのは、演歌の人ですね。吉幾三さんとか、亡くなった藤圭子さんとか。そういう歌手の方は、YouTubeなんかで見ますね。やっぱり歌唱力があるなあって。

ーそういう歌を、お酒を飲んだときに口ずさんだりするわけですか。
長州:そうですね、うん。
ー昔から、お酒を飲んだら歌ってたんですか?
長州:昔からって、学生時代はもう軍歌ですよ。本当に、体育寮にいたときは全部軍歌で。「加藤隼戦闘隊!」って、10人ぐらいがみんな立って両手を広げて「バ~ッ」って(笑)。
ーすごいですね(笑)。なるほど、じゃあポップスは全然縁がない世界というか。
長州:まあポップスって言ったって、その意味があんまりよくわからないですよね。リズム&ブルースとか言われても、わからない。言葉は耳に入ってくるけど、うん。でも1974年、75年ぐらいから海外に出てから、その国の音楽を聴いたりしました。歌っている内容はわからないんだけど、リズム的に良い曲だなあっていうのは感じましたね。
今でもたまに、そういう昔の時代のロックっていうんですか? そういうのが流れてくると、「ああ、懐かしいな」って思いますけどね。「あのとき、こういうことをしてたな」とか、曲を聴きながら思い出して。「この曲、あそこで聴いたよなあ」とか、そういうことはありますね。
ー海外武者修行では、最初にドイツに行かれたんですよね。ドイツでは音楽に触れる機会ってあったんですか?
長州:我々は一度海外に出ちゃうと、最低でも数か月ぐらいは同じところにいるんですよ。それで、たまたま宿泊していたところが、1階がパブになっているところで。夜仕事が終わって帰ってくると、賑やかに音楽がかかっていてみんなビールを飲んでいて。2階の部屋で疲れて横になっていても、そういう音が聞こえるから、下に行ってビールなんか飲んでいると、親しくしてもらって。なんていうのか、ドイツの民謡っぽいのかな? ビールを飲んで、みんなで酔っぱらって。
ー肩を組みながら歌ったり?
長州:そうそう。ドイツではそういう日が多かった。自分もみんなが盛り上がってる中に無理やり引き込まれて(笑)。
そういうのが多かったですね。
ーその後、いったん帰国されて、1975年にアメリカのフロリダ州に行ったんですね。
長州:そうです。フロリダのタンパというところで、ほとんど日本人はいないんですよ。ただ、1人だけトランプ(元レフェリーのタイガー服部氏のこと)という男がいて。彼は明治大学出身で、我々体育会系からすれば先輩なんだけど、タンパには結構長く住んでいて。僕は英語も何もできなかったし、毎日彼が訪ねてきてくれたんです。それからですよね、向こう(アメリカ)にだんだん感化されてきて。タンパは1年中夏ですからね。陽気な環境的にもどこでも音楽が流れているし。
ーその頃に、タンパスタジアムでサンタナのコンサートを観たそうですね。
長州:そう、最初に観たコンサートがサンタナ。
これは記憶が逆になってるんだけど、僕が大学4年ぐらいのときに、パチンコ屋に入ったら、サンタナの曲が流れていたんですよ。どこに行っても「ブラック・マジック・ウーマン」(フリートウッド・マックのカバーで全米4位の大ヒットを記録)という曲がかかっていたから。でも、それがサンタナの曲だっていうのは、当時は全く知らなかったんですよ。それで、タンパにいたときに正男(こちらもタイガー服部氏のこと)が「今日、こういうコンサートがあるから行こう」って誘ってくれて。そのときに初めてコンサートに行って、サンタナを見たんですよ。
ータンパスタジアムってものすごく大きそうですね。
長州:すっごいですよ。もう、7万人ぐらい入るんじゃないかな? ものすごくデカい。それで、タンパの夕方からの日が落ちるときにスタジアムの近くにクソボロボロのシボレーで乗りつけて行ったときに、屋根がないスタジアムの真ん中から、火事以上の噴火したような煙がブワ~っと上っていて。あれはいまだに忘れられないですね。中でタバコとか色んなものを吸っている煙がブワ~って。そこから夕日が落ちて、サンタナが出てきて曲が始まったときの歓声はすごかったですね。
ー当然、「ブラック・マジック・ウーマン」もやりますよね。
長州:1発目が「ブラック・マジック・ウーマン」。すごかったですね。それから日本に帰ってきてからも、僕は海が好きだから休みのときはサイパンとかグァムとか行くんだけど、いつもバカのひとつ覚えみたいにサンタナのテープを持って行って聴いてましたね。
ー今でも聴くことはありますか?
長州:聴きますよ。サンタナは何回か日本公演をやってるのは知ってたんですけど、娘が大きくなってから、7、8年前かな? サンタナが国際フォーラムでやる追加公演のチケットを買ってくれて。それを観に行ったりしました。だから、最初にサンタナを聴いたあたりからですね、アメリカというものに体育会系の自分がどんどん感化されて行ったというのは。意外と僕は好きそうなバンドの名前だけは覚えていて、結構良いバンドを観てますよ。
ーサンタナをきっかけに、色んなバンドを聴くようになったわけですか。
長州:また正男が、すごく好きで、部屋中にLPレコードがあるんですよ。すごかったですよ。色んな曲を知っていて。ライブは観ていないんですけど、ピンク・フロイドは正男の部屋で聴いたりして、「いいなあ」と思ってましたよ。
ーその頃のピンク・フロイドは一番有名な『狂気』が大ヒットした後の全盛期だと思います。
長州:ああ、本当に? すごかったもんね。正男はお化け屋敷みたいな家に住んでいて、ボロボロのデッカいソファーがあってキャンドルだけ立っていて。
ーヒッピーみたいな感じですか。
長州:そうそう。試合が終わって正男のところで飯を食い終わったら、レコードかけてもらって聴いたり。結構、タンパで色々観ましたね。ZZトップって知ってます?
ーもちろん、大好きです! ZZトップも生で観たんですか⁉︎
長州:そう。(ジェスチャーしながら)こういう髭がすごく長いやつ。僕が言うとみんなに不思議がられるんですよ、「ZZトップ観たの⁉︎」って。あと、ドゥービー・ブラザーズも観ましたよ。「ロング・トレイン・ランニン」が好きで、今でもたまに車の中でかかったら、ボリュームを大きくするぐらい好きですね。

ZZトップ(Photo by Aaron Rapoport/Corbis via Getty Images)
ー「ロング・トレイン・ランニン」は日本でもCMで使われてたりしましたもんね。
長州:ああ~流れてたことありますね。サンタナ、ZZトップ、ドゥービー・ブラザーズとか…… タンパはそういうライブが多かったですね。その後は3ヶ月ぐらいニューヨークにいて、それからブッキングしてもらって1人でカナダのモントリオールに行って。その頃にはもう、流れ者みたいなもので自分であちこち行けたから、真冬にダウンタウンにあるデカい会場「ポール・ソベー・アレーナ」でクイーンを観ました。お金がなくて一番後ろの上の方で見てるから、すごく小さかったけど。でも彼らのライブも歓声がすごかったですね。
ーかなり貴重なライブをたくさん見てますね!
長州:そうですね。アメリカに行けば演歌が流れるわけでもないし、車でサーキットしていても、向こうのレスラーはみんな好きだから、車の中でもガンガン音楽をかけてましたね。
ーちなみにニューヨークでは、マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)でライブを観たりしたことはなかったですか?
長州:ああ~、マジソンでもライブをやってるのは知ってたけど、マサさん(マサ斉藤)とダウンタウンで飲んでることが多かったですね。マサさんは、タンパにいたときにブッキングで何日か来ていたときに初めて会って、「今後ニューヨークに来たら連絡くれ」って言ってくれて。
ーマサ斉藤さんも、音楽は好きだったんですか。
長州:音楽は好きでしたよ。それと、あの時代アメリカでは飲酒運転とかそういうのは意味がないなっていうか(笑)、車の中でビールとラム酒を飲んでいて。僕はマサさんに「ボーイさん」って呼ばれてましたから。「シートの下に入ってるから出しな!」って言われて見ると、ラムの瓶が入ってるんですよ。
ー今では考えられないですね(笑)。
長州:自分でもよくあんな生き方で日本に帰ってこれたなって思いますよ(笑)。まあ、楽しかったですね。今は家族がいて孫ができて、今は今の楽しさがありますけど。
ー学生から社会に出た若い頃で、一番楽しかった時期なんですね。
長州:そうですね。まさか自分がそんな風になっていくなんで、ちょっと考えられないですよね。
ー軍歌を歌っていた学生がドゥービー・ブラザーズを聴いているんですもんね(笑)。
長州:ねえ(笑)? (再び両手を広げて)こうやってた人間が。ドゥービー・ブラザーズの「ロング・トレイン・ランニン」を聴くと「ああ、あのときこうだったなあ」って。あんまり詳しくない自分でも曲がかかるとそう思いますね。
ー結構、男臭い感じのバンドが好きなんですね。ZZトップもそうですし。
長州:ZZトップね。(嬉しそうに再びジェスチャーしながら)あの髭の長い2人の。ZZ Topって言うとみんな「えっうそ!?」って言うんですけどね。
ーやっぱり、生で観たことがある人はそんなにいないでしょうから。
長州:でもやっぱり、僕にとってはサンタナが一番ですね。国際フォーラムに観に行ったときは、始まった瞬間舞台が真っ暗なんですよ。そこから例のごとく「ブラック・マジック・ウーマン」の音が聴こえてきて、舞台の端っこになんか小さいおじさんが立ってるんです。そしたらそれがカルロス・サンタナだったんですよ。そんなにデカい音じゃなくてそれなりの音響だったけど。タンパなんて音響がすごいんですよ。もう、ビルディングみたいにスピーカーが積み重なっていて。「バーン!」って音を出したら、スタジアムの上の方まで音を飛ばしているっていう感じで、すごいですよねあれは。お客さんもみんなエンジョイしているから、耳の中の響き方も違うんでしょうね。
ーサンタナの魅力はどんなところに感じているのでしょう?
長州:僕はラテンっぽいノリがいいのかなって。それと、現役時代の後半、マダガスカルに1ヶ月ぐらい、東西南北の砂漠を駆け回りながら、そのときに気に入って聴いてたのはボブ・マーリーなんですよ。クソ熱い砂漠の中で聴いていて。レゲエのリズムも体に合っていたというか、そういうのが自分に合うのかなって。
ーマダガスカルに行ったのはテレビの企画ですか?
長州:そう。立って歩く猿を見たり、洞窟の中で目が退化した魚を水中に潜って見たり。あとはマダガスカル人にはピュアなマダガスカル人と、昔フランスの統治下にあったから銀髪の子とかそういう混血のマダガスカル人がいたんだけど、向こうの戦士みたいな人と戦うっていう企画で(笑)。そうして藁ぶき屋根の家に入ると、真っ暗なんだけど、目の光から何人かいることがわかって。よく見るとみんな女性なんですよね。みんな、戦って勝って嫁にしてるんです。そういう人たちと戦ったんですよ。だから僕、マダガスカルにいっぱい嫁がいるんですよ(笑)。
ー本当ですか(笑)!?
長州:それは冗談だけど(笑)。でも今でもそういうのはあるみたいですよ。
ーそのときは、どういうシチュエーションでボブ・マーリーを聴いたんですか。
長州:ほんっとに暑いんですよ。車3、4台ぐらいで、赤い土の砂漠を東西南北ずっと走って移動していて。その道中で車の中で聴いていました。でもやっぱり、昼間は焼けて焼けて焼けまくってるから、夕方に風が吹くと体が風に包まれるというか、すごく気持ち良くて。そのときにボブ・マーリーをかけるとまた格別に癒されるというか。1回だけ、集落みたいなところに行ったとき、日本でいうディスコみたいなところが藁ぶき屋根で作ってあって、そこの真ん中にミラーボールが回っていて、下は土なんですよ。そこに音楽を流す色んな装置が置いてあって。それに若い子たちが集まって汗をかいて踊るものだから、黒い肌に汗が光って、すごかったですね。ちょっと見たことがない踊りで、すごかったですよ、あの光景は。だから、ある意味海外は音楽と一緒に面白い思い出がありますね。「ああ、俺はこういう曲が好きなのかな」ということがわかってくるというか。
ー1982年に帰国して藤波さんとの試合でブレイクする前まで、メキシコにいらっしゃいましたよね。メキシコでは音楽に触れたことはありましたか?
長州:メキシコでも音楽はありましたよ。マリアッチといって広場でみんな集まって。あれもまあ独特な小刻みなリズムがあって、それはそれで。でも飲みに行くとやっぱり、欧米の曲が流れてみんな飲んで踊ってましたからね。今だったらなおさらそうじゃないですかね。
ーリキさんの体のリズムに合う曲がお好きなんじゃないかと思うのですが、ご自分の現役時代の入場曲「パワーホール」についてはどう感じていらっしゃったんですか? あの曲が流れると気分が高揚する人は多いと思いますが。
長州:最初の10秒間。始まりだけ(笑)。
ー良いのは10秒間だけですか(笑)。でも例えば東京ドームの長い花道をあの曲で入場してくるわけじゃないですか?
長州:だから、早く出て早くリングの中に入っちゃう。
ーそれは知りませんでした(笑)。ちなみに、他の選手の入場曲で好きな曲ってありましたか?
長州:う~ん、なんだろうな…… ロード・ウォリアーズかな。「ボーン、ボーン、ボンボンボーン」って。
ーブラック・サバスの「アイアン・マン」ですね!
長州:そうそう。あれはいいんじゃないかな。掻き立てられるじゃないですか? お客さんも。
ー「パワーホール」とは曲のテンポが全然違いますね。
長州:ははははは(笑)。あれはすごいよね。選手にピッタリ合ってるから。中にはあまりにも爽やかすぎる曲もあるし。選手によっては「早く出ろよ!」って言いたくなるのもあって。「いや、すみませんタイミングがあるんで」とか言って。なんのタイミングなんだよって(笑)。あとは、ミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」。あれは、僕なんかのタイプには絶対無理ですよね。
ーザ・ファンクス「スピニング・トー・ホールド」はいかがでしょうか?
長州:あれはアメリカらしい、陽気な感じですよね。カーボーイのような。
ー今、プロレス会場の演出って以前と比べると派手になっていますけど、現役時代にはご自分でそういう演出のアイディアを出されていたりしていたんですか。
長州:いや、僕はそういうのはもう全然。エンターテイメントだから、うん。僕たちの時代は僕たちの時代で、今は今の時代でみたいもの、求めたいものが昭和と平成、令和では違いますよ。
ーそのあたりは、YouTubeやTwitterをやるときも色々考えていらっしゃるんですか。
長州:いや、僕はもう、あったことを書いたりしているだけど、なぜみんながこれだけうるさく言うのかっていうのがわからない。ちょっと間違えたことの何がそんなにおかしいのかわからないですよね。うぅん。(マネージャー、スタッフを指差して)こいつら、俺に何を教えやがったんだって。
一同:(笑)。
長州:「これが喜ばれてるんです」って言うから。だったらアレだろうけどおまえ、ちょっと違うだろうって。「間違えてますよ?」っていうアレがみんなから来るし。最初、LINEとかブログとかから始めて、Twitterっていうのは何なのか意味もわからずに始めて。ただ、僕は娘が3人いるんですけど、SNSについて気になったことがあって。よくSNSの出会い系なんかでみんな出て行って事件になったりするじゃないですか?なんでこんなバカみたいな、たかだか文章を書いて悩みごとを言って、「じゃあ会って話をしましょう」って。おまえその前に、家族がいるだろうって。簡単に言えば出会い系というか。だから、そういうのは怖いんだよって。なぜそこまで行く悩みごとがあるんだって。なんか、その辺のところにちょっと自分が知りたいなっていう部分があったんですよ。それで今、Twitterをやっているんだけど、
ーたしかに、SNSを介しての問題は常にありますね。
長州:そう、こんな日常茶飯事で起きてるのに。Twitterでつぶやく前に親につぶやけよって。なんで知りもしないやつにつぶやいて、その返事をもらったからって。そういうところ、「なぜなんだ!?」っていうところからですよね。だから僕はそういう考えで始めたんですけど、こいつら(マネージャー、スタッフ)はちょっと面白おかしく出してやろうかって。もちろん、楽しく書けるときもありますよ? ただ、反対に固く書くこともありますし。あんまり固く書くと、こいつら勝手に削除するんだよ。
一同:(笑)。
長州:ほとんど削除されてますよ。随分、削除されてますよ。孫を裸にしてプールに入ったら、「おち〇ちんが出てるから削除します」とかって。こいつら、感覚がまともなのかなって。やっと最近1歳になったばかりなのに。そんなおち〇ちんが出たところで、なにがどうなんだって。「いや、規制がどうかわからないので」って。
ー(笑)。Twitterにアカウント停止されてしまうかもしれないからということなんでしょうね。
長州:まあそうですよね。最近になって選挙のことも書いたらすぐ削除するし。こいつらに言ってくださいよ。本当は書いてるんですよ、僕は。選挙にもちゃんと行ってるし。
ーわかりました(笑)。今後も書きたいことを書いていってほしいと思います。Twitterを始めてから、若い人たちにも知られるようになったと思うのですが、どう感じていらっしゃいますか。
長州:うぅん、まあでも、ありがたいという言葉を使うつもりはないですけどね。まあ、自分でもどっちがどっちっていうのは、うぅん。リングの上と今とギャップがあるからかなって。今の世間なんて、誰かに作られたマッチメイクの…… 今、なおさらコロナなんかが出てきて、マッチメイクでみんな我々含めて動いてるんじゃないかって。やっぱり、20年も30年もマッチメイクをやってくると、本当にクソうるさい生意気なやつらを動かすわけだから(笑)。それと同じでしょ。昔、会長(アントニオ猪木)が言ったことあるんですよ。「国会の中はみんなマッチメイクだ」って。
ー誰かが裏で仕組んでいるということですか?
長州:うん。そうじゃないと、ちょっとおかしいなって。あの言葉は忘れられないですよ。国家っていうのはそういうもんじゃないですかね。だけど、そういうことに触って書くと(スタッフを指差しながら)電話がかかってくるんですよ。「あれはちょっと削除します」って。俺が何悪いことを書いたんだって。
ーこのインタビューでちゃんと残しておこうと思います!
長州:ははははは。きっと後で言われますよ(笑)。
ー現役時代を知らない若い人からは、正直「面白いおじさん」みたいに見られてますよね。強くて怖い長州力を見てきた僕らとしてはちょっとそこに複雑な思いがあるので、今回の取材では違った切り口でお話を伺いたかったんです。
長州:まあ、どう見られても良いですよ。やっぱりリングの中と、今の自分がやってることにギャップがあるから面白く見えるし。「でも、みんな同じなんですよ」っていう。そういうことを伝えるために書いているわけでもないし。
ー今、コロナや災害で大変な世の中ですが、何かエールをもらえますか。
長州:いや、僕は何にもない、とんでもないですよ。ただ、これは決めつけるわけじゃないけど、やっぱり自分で自分をマッチメイクして生きていった方がいいですよ。僕は人生ってもうちょっと長いと思ったけど、人生ってそんなに長くもないし。本当にあっという間で、今は浦島太郎みたいな心境ですよ。20代にオリンピックを目標にして、20代を越えたってあと何年あるんだって思ってこの世界に入って、あっという間に45年経って。そしてもう、来年で70歳になるし。なんなんだって、自分でもわからないですよね。
ーご自身では、自分で自分をマッチメイクして生きてきたという実感はありますか。
長州:いやあ、僕もマッチメイクされてましたよ、よくも悪くも。今はもう、スタッフにも恵まれてるし、ああだこうだ言われたって、うん。まあ、自分のあと残りわずかな時間を自分で楽しくマッチメイクしようと思ってます。
ーみんな1人ひとりが、自分で自分の人生をマッチメイクしていった方が良いですか。
長州:最終的にはそうですよ。50年60年、本当にあっという間ですよ。長くないですよ、人生は。人にマッチメイクされるより自分でメイクした方が納得もするだろうし。とにかく、昭和の世代と令和の世代では感覚とか感性が違いますよね。見るものが違うし、体験してること自体も違ってるわけだから。だから僕なんか一生懸命ついて行こうと思って、教えてくれって言ったって、「バズッたからこれを着て歩いてください」って言われるわけですよ(「ハッシュドタグ」Tシャツを見せながら声を大にして)!

一同:(爆笑)。
長州:でも、これは僕の範囲で、メイクされようが何しようが、自分が楽しいので。残りあとどれだけあるかわからないけど、自分で自分をマッチメイクして行こうと思いますよ。それでいいんじゃないかな、うん。
・長州力 Twitter
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