●【動画で振り返る】『OKコンピューター』完成までの物語

『OKコンピューター』を発表するまで、レディオヘッドは多くの人々から「Creep」の影に隠れたバンドだった。1993年のグランジもどきのヒットで、アリシア・シルヴァーストーンは映画『クルーレス』のなかでこの曲を「大学のラジオでかかってるしめっぽい音楽」とあっさり一蹴していた。しかし『OKコンピューター』以降、レディオヘッドはロックを21世紀へと導く音楽の救世主としてもてはやされるようになる。
1996年の夏にこのアルバムにとりかかりだしたときは、まだ計画はそれほど壮大なものでなかった。しかし、これまでに聴いたことがあるようなものとは違う音楽をつくりたいということだけはわかっていた。当時は彼らの地元イングランドにおけるブリットポップ・ムーヴメントの絶頂期だったが、オアシスやブラーといったバンドに親しみはまったく覚えていなかった。「僕らにとって、ブリットポップは単なる60年代リバイバルだった」とギタリストのジョニー・グリーンウッドは1997年に語っている。「パスティーシュに行き着くだけ。君らは違う時代だったらいいのに、って望んでいるんだ。けれどその道を行ってしまえばあっという間に、ディキシーランド・ジャズのバンドみたいになってしまう」
かわりに、彼らは数々の傑作をむさぼるように聴いた。マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』、ジョニー・キャッシュの『アット・フォーサム・プリズン』、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』など。
同時代のロックと明らかに違う「新しい音楽」
レコーディングの大半は聖キャサリン邸で行われた。9つのベッドルームがあるエリザベス朝の大邸宅で、女優のジェイン・シーモアが所有していたもの、人里離れたイングランドのバスに位置した。家屋の中心にあった巨大なボールルームに彼らは工房をこしらえて、「Karma Police」「Paranoid Android」そして「Airbag」などの楽曲を録音した。楽曲の多くは、インターネット時代の黎明にテクノロジーの影響でもたらされた脱人間化にまつわる不安で動悸に見舞われていた。またそれは、バンド自身がツアーに明け暮れた5年間を経ての疲弊を反映もしていた。「曲を書いていたとき念頭にあったのは、もっぱら速度だった」とトム・ヨークは語っている。「こういう感覚があった――窓の外を眺めて、ほとんど見えないくらいの速さでものが動いているのを眺めているような」。
楽曲は幅広いトーンを持っている。ネオ・プログレ的な「Paranoid Android」(トムの言葉を借りれば、「Bohemian Rhapsody」と「Happiness Is a Warm Gun」の交差地点)から、脅威に憑かれた「Climbing Up the Walls」や「Fitter Happier」まで。後者の楽曲では、「フレッド」――古いマッキントッシュのコンピューターに搭載された合成音声――が紋切り型のインストラクションをロボットのように読み上げる。「より生産的に/快適に/酒を飲みすぎない/習慣的にジムでエクササイズ、週3回」。つづいて、この男は「抗生物質漬けにされた檻の中の豚」以上のものではない、と宣告する。
これは暗い作品だ。それでもこのアルバムはどういうわけか数百万ものロックファンにつながっていった。マッチボックス・トゥウェンティ、ハンソン、サード・アイ・ブラインドといったバンドが幅を利かせるシーンに新しいものを求めていた人々だ。しかし、称賛はすぐさま行き過ぎになった。メンバーのか弱い精神では耐えきれなくなったのだ。とりわけ、トムがそうだった。「耳に指を突っ込んでそこらに座っているようなところがあった。
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From Rolling Stone US.